69_その花の色は
野次馬の一部のように断罪騒動を傍観していたウェスタレアは、広間の中央へと優雅に歩く。ティベリオに対峙し、その鼻先に本物のレイン公爵家の印章をかざした。
「ねえ、お探しの印章ってこれ?」
「……! どうして我が家の印章がふたつも……」
ティベリオは、騎士たちがペイジュの部屋から持ってきた印章と、ウェスタレアが持っている印章を見比べて戸惑う。
ウェスタレアは、騎士たちが持ってきた方の印章を指差して、くすりと笑った。
「あっちは偽物で、こちらが本物の印象よ」
「なぜ君がそれを……」
「あなたが私の住まいに送り込んだ刺客のひとりが、隠し持っていたのよ。――こんな素敵な指示書と一緒に」
懐から取り出したのは、一枚の小さなメモ。そこには『この印章をペイジュの部屋のどこかに隠すように』と流麗な筆跡で書かれている。もちろん筆跡鑑定に出しており、ティベリオの文字として認められている。
「……ヘマをしてくれたね」
ティベリオのその呟きは、小さくて誰の耳にも届かなかった。
人差し指と中指の間にメモを挟み、ひらひらと揺らしながら続けて言う。
「どうしてあなたがペイジュの部屋に印章を隠そうとしたのか。なんとなく予想はついていたけど、泳がすつもりで偽物を作り、あなたの指示通りに隠しておいたのよ」
ペイジュのクローゼットの服の間に、こっそりと。今ごろ騎士たちによってペイジュの部屋はひどく荒らされていることだろう。
(今さら足掻いたって、無理があるのよ。ティベリオ)
あの夜の襲撃は、ウェスタレアを殺す目的だけではなく、この印章をペイジュの部屋に置いてくることも目的だったのだろう。もしかしたら後者が本命で、ウェスタレアの暗殺はあわよくば、という程度に過ぎなかったのではないか。
しかし、任務を達成する前に、ペイジュやレオナルドによって追い詰められて、刺客は自害してしまった。刺客が隠し持っていた毒は、危機的状況になったら尋問される前に命を断て、とティベリオが持たせたのだろうが、結果としてそれが裏目に出た。
すると、ペイジュが嘲笑うように言った。
「墓穴を掘ったな。お前は、暗殺にも証拠の捏造にも失敗したという訳だ。これで皇妃候補暗殺未遂の罪と、虚偽告訴の罪も重なった」
「……さっきのしおらしい態度は演技だったのか?」
「いや、父を侮辱されて腹が立ったのは本心だ。ただ、私に罪を擦り付けようと必死なお前の情けない姿は、楽しませてもらったよ」
彼女は腕を組みながら、鼻を鳴らす。
ペイジュの言う通り、今さらエリザベートピンクの件が作り上げられた冤罪だと訴えたところでもう遅い。エリザベートピンクの解析書から、国中からエリザベートピンク中毒の症例と署名まで、あまりにも多くの証拠が集まっている。
それをたったひとりの娘の陰謀でしたと言って、通じることはない。
「他にも色々と面白いものが見つかっているわよ」
ペイジュに視線で命じると、彼女はこちらにいくつかの書類を差し出す。
「まだ何かあるというのかい?」
「今ね、あなたの屋敷は家宅捜査が行われている真っ最中なの。面白いくらいに、あなたたちの罪の証拠が見つかったわ。危険武器の売買、毒の取引、人身売買、賄賂……それらのもみ消し」
その中には、レイン公爵家とデボラ商会の癒着を証明する書簡もあった。デボラ商会はかつて、ルムゼア王国の前王妃デルフィーヌが毒を仕入れていた商会だ。ティベリオはデボラ商会の会長と度々手紙を交わし、投資を行ったり、毒や武器を入手したりしていた。
ウェスタレアはティベリオの鍵付きの執務室から発見された、数々の悪事の証拠となる紙を、大理石の床にばらまいていく。
「それから――こんなものも」
そのうちの一枚を見下ろしながら言う。
「五年前の、ガスパロ・ランチェスター侯爵の汚職事件。あなたは皇国騎士団の幹部の収賄罪を、ガスパロに擦りつけるように指示を出していた。その幹部の男とのやり取りがいくつか見つかって、本人を尋問したところ、すぐに自白したそうよ。ティベリオにそそのかされて、自分の罪をガスパロに擦りつけるために、冤罪を作り上げたのだと。ガスパロがエリザベートピンクの毒性に気づいたから、真実を世に広められる前に排除しておきたかった。……ねえ、そうでしょう?」
「……」
そのとき、広間が一段とどよめいた。ウェスタレアはずいっとティベリオに迫り言う。
「もう言い逃れはできないわ。エリザベートピンクの件も、これまで重ねた悪事も証拠が上がっている。――罪が多すぎるのよ、あなた。どうせ今からでは何をしても勝ち目はないわ。あなたは流刑の日を、子どものように泣きべそをかきながら待っているしかないわ」
「ふ、ふふふ……」
ティベリオは肩を震わせながら、笑い出す。ウェスタレアが何がおかしいのと問えば、彼は薄気味悪い笑顔を浮かべて言った。
「はは、お見それしたよ。これはもう、私の完敗だ……! 祖国を捨てその身一つでこの国に転がり込んでから、よくもその期間で、私の娘や皇太子、果ては名誉薬師の心を掌握して味方につけ、私を追い詰めたものだね。君は聡明で、上に立つものの資質と強運があるね。でも皇妃になるのは――私の娘だよ」
皇妃選定の参加資格は、国中の全ての女性に与えられる。年齢も、出身も、家柄も、経歴も問われない、究極の実力と成果主義。たとえ犯罪者の娘になろうとも、皇妃にふさわしい素質が認められさえすれば、その座を掴み取ることができる。
そして、花集めの集計までひと月を切った今、ウェスタレアとエリザベートの倉庫の花の数には、歴然とした差がある。
彼の言う通り、このままいけば確実にエリザベートに皇妃の座が渡る。きっとティベリオだけではなく、この広間にいる大多数がそうなると思っているだろう。
「皇妃になるのは私よ」
「エリザベートだ」
「私」
「エリザベート」
「いいえ。――私だわ」
両者一歩も引かない攻防。そのとき、いつも顔面に貼り付けていたティベリオの笑顔が、初めて崩れる。拳を固く握り締め、身体をぶるぶると震わせて、眉間に縦じわを刻み、目尻を釣り上げて叫んだ。
「エリザベートだと言っているだろう……っ!」
その声が、謁見の間中に響き渡り、人々はその迫力に萎縮する。唯一、ウェスタレアは眉ひとつ動かさずに、その怒号を真正面から受け止めた。
(ここで怯んだら、皇妃候補ウェスタレア・ルジェーンの名が廃るわ)
誰にも侮られたくない。特にこの人にだけは、隙も、弱さも、見せてやるものか。
ティベリオは、はぁはぁと荒く息を乱しながら、吐き捨てるように「君に全て奪われてはたまったものではない」と吐露した。
(他人から多くのものを奪ってきたあなたがそれを言うの?)
ウェスタレアは視線は動かさずに、声だけでペイジュ命じる。
「ペイジュ」
「はい」
彼女は名を呼ばれただけで自分が何をするべきか理解して、窓際に向かった。謁見の間の大きな窓には、重厚なカーテンがかけられている。彼女はそれを、しゅっ……と一気に開け放った。
外から眩しい光が差し込んだのと同時に、窓の外に広がる景色を目の当たりにしたティベリオは絶句し、他の者たちも皆口をあんぐりとさせている。
「馬鹿な……。そんな、そんなはずは……」
ティベリオはがくんとその場に崩れ落ち、両手を床についた。
この部屋の窓からはちょうど、エリザベートとウェスタレアの倉庫が見える。数日前まではほとんど空に近かったウェスタレアの倉庫に続々と造花が運び込まれていた。
そしてそれは全て――エリザベートピンクの色をした造花だった。




