67_ふたりの倉庫の差
皇妃選定は最終局面を迎えていた。ふたりの皇妃候補に与えられた倉庫だが、その造花の数は、歴然とした差があった。もちろん、エリザベートの造花数の方が遥かに多いままだ。
そのようなひっ迫した状況でも、ウェスタレアは落ち着いており、第二皇妃候補宮の庭園のテラスで、メイドになった元強制労働者の少女たちとともに造花作りを楽しんでいた。
「できた! どう!? いい感じじゃない?」
「及第点ってところね。まあまあよ」
「えー、厳しいなあ」
「あと敬語を使いなさい」
「はあい」
テラスでウェスタレアをメイドたちが囲み、きゃっきゃと騒いでいる。この皇妃候補宮では、見慣れた光景となっていた。ウェスタレアは愛想がないと言われつつも、彼女たちにかなり懐かれている。
少女たちが作った造花は不格好だが、格好に制約がある訳ではないため、これも一応花集めのカウントに含まれる。
ウェスタレアは出来上がった造花を足元の箱にしまい、小さく息を吐いた。
庭園は庭師によって隅々まで手入れが行き届き、季節の花が花壇に植えられ、茂みは丸く均等に形を整えてある。一呼吸ごとに、みずみずしい自然の空気が身体の中に入っていき、気分が良い。
すると、白いテーブルに誰かがばんっと手を置き、テーブルの上に広がる造花作りの道具が一瞬空中に跳ねた。少女たちが上下する花を不思議そうに目で追う。
「主……! また造花作りですか? 現実逃避をされたって現実は変わりませんよ」
「現実逃避ではなく創造性の探求と言いなさい。それに造花作りはもうやめるわ」
「当たり前です。さっさとやめて皇妃選定に勝つための作戦とやらに集中していただかなくては……って、やめるんですか!?」
「騒がしいわね。もう飽きちゃったの」
「あ、飽きちゃったって……」
ウェスタレアはテーブルの上の道具を片付けたかと思えば、足元の造花が入った箱を持ち、椅子から立ち上がる。
「そろそろ、勝ちに行きましょうか。――皇妃選定」
「あっちょっと待ってください! 勝ちに行くってどういうことです?」
箱を抱えたまま倉庫に向かって行くウェスタレアの後ろを、ペイジュは戸惑いながら追いかけるのだった。
◇◇◇
「ウェスタレア様はやる気がないのか? これでは負けを認めたも同然だ」
「最初から勝ち目なんてなかったんだ。相手があのレイン公爵家だからな」
「それにしてもこれはないだろう。集計まで残りひと月で――〇個って。神聖な皇妃選定を馬鹿にしているのか?」
ウェスタレアの倉庫の見張りを任されている騎士ふたりが、呆れ混じりに嘆息する。
集計まで残すところ三ヶ月になったころには、エリザベートの倉庫はぴったり埋め尽くされた。他方、ウェスタレアの倉庫は空のまま。窓から吹き込んだ風が、埃を舞い上げるだけ。
ルシャンテ宮殿の者たちは、異国から大逆転ストーリーとともに皇妃選定に参加したウェスタレアに期待していたが、この半年で期待はすっかり冷めてしまった。
「負けるつもりなんてないわよ」
「………! ウェスタレア様、今の聞いて……」
噂話に夢中になっていて、ウェスタレアとペイジュがやって来たことに気づかなかったふたりの男は、顔を真っ青にした。
「噂話をするなら、人のいない場所ですることね」
「「も、申し訳ございません!」」
ウェスタレアは謝罪の言葉を聞き流し、持ってきた大きな木箱を衛兵に渡す。その中には、ウェスタレアがこつこつと作ってきた藤の造花が。
ウィスタレアとペイジュだけではなく、他の使用人たちも、半年分の手作りの造花を倉庫に運んでいく。
けれど、それだけではとてもこの倉庫がいっぱいになることはない。衛兵ふたりも、ほかの使用人たちでさえ、自信満々なウェスタレアの態度を懐疑的に見ていた。
そこに、侍女と大勢の騎士たちを付き従えたエリザベートが、ヒールの音を鳴らしながら、ウェスタレアの前に颯爽と現れた。
「今のあなた、強がっているようにしか見えませんわよ」
「……」
彼女は、ウェスタレアが作った造花だけが気持ち程度に収納された倉庫を見据え、腕を組む。
「残りひと月で、何ができるとおっしゃるのです!? わたくしに勝って、あなたこそ皇妃にふさわしいことを証明なさるはずでしたでしょう。あなたには失望いたしました」
エリザベートは落胆したように、肩を落とした。
「あなたこそ、私に勝って皇妃になりたいのかなりたくないのかよく分からない態度ね」
「も、もちろん! 皇妃になってレオナルド様の傍にいるのはわたくしですわ! ですが……」
このまま、レイン公爵家を断罪することができないまま、エリザベートが皇妃になれば、ティベリオはあらゆる手を尽くし、エリザベートのことを思い通りに従わせようとするだろう。
「わたくしは皇妃になって自分の力でお父様と戦いますわ。もうあなたのことなどは、当てにいたしません!」
「……」
黙っているウェスタレアに、彼女は必死の様相でまくし立てる。
「このままでは、レオナルド殿下も、戸籍上はわたくしの夫になってしまいますのよ!? それで……良いのです?」
「……」
「黙っていらっしゃらないで、なんとか言ったら――」
「あなたの言う通りだわ」
「はい……?」
「今のままでは、皇妃の座はあなたのものになる。あなたに負けたら私はどうなってしまうのかしらね……。あなたのお父様に目の敵にされているようだから、消されてしまうかも」
皇妃候補宮を襲った例の刺客たちだが、身元も何も分からなかった。ティベリオが、身元を突き止められないように念入りに備えたのだろう。結局、レオナルドが現れたことで暗殺未遂に終わっているのだが。
(先のことなんて分からない。強がっていると言われたら、そうなのかも。だって、不安や恐怖は常に胸にあるもの)
ウェストレアの珍しい弱音としおらしげな態度に、エリザベートの表情が曇る。
「ねえ。ひとつ聞きたいのだけれど、皇妃選定で与えられた最後の予算、あなたはもう使い切った?」
「何を……藪から棒に。ご覧の通り、これだけの造花を作ったのです。予算など残っているはずがないでしょう。あとは、集計の日を心待ちにするだけですわ。あなたはせいぜい、泣いて待っていることですわね」
予算が尽きたことを聞いて、ようやく機が熟したと密やかに心の中で思う。
「――でも。私は最後まで、やれることをやるわ。走り続けていたらね、いつか必ず追い風が吹くもの。運命が変わるのは今日かもしれないわよ?」
「……?」
けれど最後には、不敵な笑みでそう告げて、ペイジュを伴い、倉庫をあとにするのだった。
◇◇◇
ウェスタレアはその日の午後、ルシャンテ宮殿の謁見の間にいた。皇帝はこちらが要求するよりも先に、人払いをする。まるで、ウェスタレアがここに来た理由を分かりきっているかのように。
高い場所に座した皇帝とふたりきり。ウェスタレアは彼のことを見上げて、毅然とした態度で言う。
「――皇帝陛下に奏上したい、議がございます」
ウェスタレアは、この半年近い期間で集めてきたエリザベートピンクの真相にまつわる証拠品を提出する。
名誉薬師ダニエルの解析書、エリザベートとふたりで集めた庶民から貴族に至るまでの被害状況報告書、ウェスタレアが描いた児童労働者たちの絵と証言、そして宮廷史官のウェスタレアとティベリオとの会話記録など。
特に、エリザベートと一緒に集めてきた被害状況報告書はおびただしい数で、皇帝の前の机には書類が山のように積み重なっていた。
「それらの書類は全て、染料エリザベートピンクに関連したものです。どうぞご確認を」
「うむ」
彼は長い髭をしゃくり、それらの書類のひとつひとつに目を通していく。ウェスタレアは頭を垂れながら、彼から反応が返ってくるのを待った。
皇帝は、手に持っていた書類を机の上に置き、視線をゆっくりとこちらに向け、「面を上げよ」と指示した。
相変わらず彼の佇まいは峻厳としており、貫禄がある。親子というだけあって、面立ちはどことなくレオナルドに似ていた。
「余は……この皇妃選定のお題を決めるとき、そなたにも勝ち筋を与えた。その正解に、たどり着いたのだな」
「このお題に隠された陛下の真意とは、造花製造に長けたリアス社の一大事業――エリザベートピンクの闇を白日の元に晒し、皇家にとって脅威であるレイン公爵家を排斥すること、ですか」
皇帝がゆるやかに唇で三日月を描いたのを見て、肯定の意だと理解する。
この皇妃選定には裏のテーマがあった。そしてそれは、皇帝からエリザベートではなく、ウェスタレアに対してだけ掲げられた。
それこそが、エリザベートピンクの闇を晴らし、皇帝の憂いの原因であるレイン公爵家という強敵を排除できるかどうか、というもの。今になって改めて思うが、相当な難題である。
「私が勝てるかどうかは、このあとの陛下のご判断にかかっております。私は陛下の本意に報いました。ですから……私の望みも叶えていただけますか」
彼はこちらを見下ろしながら言う。
「聞いてやろう」
レイン公爵家は、アルチティス皇国で随一の権勢を誇り、皇家ですら容易に手出しできない存在だった。エリザベートピンクについても、その解析を行うことを多くの薬師たちが拒むほど。決して敵に回してはならないと恐れられていたのだ。
皇帝にとっては、在位中の王権を維持するために、皇妃選定でどんな家の娘が皇室に入るかは死活問題であり、レイン公爵家の娘が妃になるのは脅威でしかなかった。当主ティベリオは権力者であると同時に相当な野心家なので、外戚権力を握れば、皇室との力関係を覆そうとしかねないから。
そして、レイン公爵家の衰退は、オレンシア皇家の支配をより高みへと押し上げ、揺るぎないものにする。
皇妃を選ぶという伝統的な一大行事にかこつけて、ようやく危険分子を摘み取れることに、皇帝の声はこころなしか明るい。
ウェスタレアはそんな彼を見上げて言った。
「私の願いは、陛下が一番ご存知のはずです。私の願いはひとつ。陛下、至急アルチティス皇国全域に――勅令をお出しください」




