66_夜空の下でふたり
その夜、皇妃候補宮の遺体の始末と現場の後処理をするということで、ウェスタレアはルシャンテ宮殿の本殿で一泊することになった。
賓客室のバルコニーでひとり、夜空を眺める。あんな騒動があったあとなので、どこか気持ちが落ち着かなかった。
人が死んだ夜だというのに、夜空はいつもと変わらず美しかった。
「――眠れないのか?」
下の方から声がして視線を落とせば、レオナルドが斜め下に位置するバルコニーからこちらを見上げていた。この賓客室と、レオナルドの寝室は近くだったらしい。
「今日は色々とあったから……身体がまだ興奮しているみたい」
「そうだな。俺も落ち着かなくて、風に当たろうと外に出た」
「……」
そうしたら、物思いに耽るウェスタレアを見つけたのだろう。ウェスタレアは手招きして、レオナルドを自分の部屋のバルコニーへと招いた。
「大丈夫か? このところ激動だっただろう」
「……そうね」
手すりに両手を置き、目を伏せる。
「青年に剣を向けられたとき……とても怖かったの。単純に死ぬことだけではなくて、私がいなくなったら、ペイジュやあの少女たちはどうなるのかって。エリザベートピンクの毒で苦しんでいる人たちは、ずっとそのままになってしまうのではないかって……」
「…………」
「私、改めて知らしめられたわ。皇妃になるということは、それだけ責任が大きくなっていくということ」
ずっと、憧れていた皇妃になりさえすれば幸せになるのだろうと思っていた。けれど多分、違う。夢を叶えたとしても、悩みや苦労だって絶えないのだろう。
もしかしたら今日みたいに、命を狙われることだってあるのかもしれない。権謀術数が渦まく皇室。長い歴史の中で、多くの者たちが殺されてきた。今回命を狙われたのだって、珍しいことでもなんでもないのだ。王位をめぐった争いが起こるのはむしろ、ごく自然のことで。
レオナルドは隣に並び、自身も手すりに腕をかけて、外の景色を眺めながら尋ねた。
「怖気付いたか?」
ウェスタレアは首を横に振る。
「いいえ。どんなリスクがあろうと、重責におののこうと、皇妃になりたいという意思は変わらないわ」
それどころか、皇妃の憧れと情熱は、膨らみ続けている気さえする。手前に腕をおもいきり伸ばし、ぎゅっと拳を握り締める。
「――なんとしてでもこの手で掴んで見せるわ。皇妃の座を」
すると、彼はこちらの顔を覗き込んでいった。
「お前はきっと、良い皇妃になる。そう信じている。皇帝陛下にもお伝えした。『ウェスタレア・ルジェーンは、皇妃になるために生まれてきた』のだと」
レオナルドは、ウェストレアの倉庫にある造花数が、いまだに〇個なのを知っている上で、手放しで信じ続けてくれている。
思わぬ過大評価に苦笑しながら、風になびく後れ毛を耳にかける。だが、皇妃になる以外の生き方をしている自分が、全く想像できないというのも事実だ。
ウェスタレアはおもむろに彼の手を取り、手の甲にちゅ、と口づけを落とした。
節ばっていて逞しい手。ウェスタレアはこの手に何度も支えられ、救われてきた。ウェスタレアだけではなく、きっと多くの人がこの手によって救われているはず。さっきだって、自害しようと服毒した青年を救おうと、なんの迷いもなく口内に指を突っ込んで吐かせようとしていた。
きっとウェスタレアが毒を盛られることがあっても、ああして助けようと必死になってくれるのだろう。簡単にできることではない。ウェスタレアは優しいこの人の手が好きだ。
「……!」
突然のことに彼は目を見開く。ウェスタレアは上目がちに彼のことを見上げて微笑んだ。
「助けてくれて、励ましの言葉をくれて、いつも応援してくれて……ありがとう」
彼は小さく笑ったかと思えば、今度はいたずらを思いついた子どものような顔をして。そのまま手の甲を自分の唇に近づけていき、ウェスタレアがキスをした部分に、自らの唇を押し当てた。
自分がキスをされたような気分になり、ウェスタレアの顔が熱くなる。
そして、レオナルドの熱を帯びた深緑の双眸に射抜かれる。
「今日お前が剣を突き立てられているところを目の当たりにして、恐ろしくなった。その無鉄砲さで、お前がいつか本当に死んでしまうんじゃないかと」
「勝手に殺さないで。でも……人はいつか死ぬものよ。いつ何が起こるか分からないから、ただ今を懸命に生きていくしかないの。それとも、私が危ないことをしないように、どこかの檻に閉じ込めておく?」
「閉じ込めたとして、大人しくしているようなタマか? 鉄格子をこじ開けて出ていくに決まっている」
「よく分かっているじゃない」
ふたりは顔を見合わせて、くすくすと互いに笑い合う。今日の事件で、固くこわばっていた心が、少しずつほぐされていくような感じがする。
「お前と過ごす時間が長くなるほど、ますます好きになっていく。ひたむきで、いじらしくて――目が離せない」
「ひたむきでいじらしい? 私はそういうキャラでは……」
「どんな分厚い仮面を被っていようと、本質までは隠せないものだ。前にも言っただろう? お前ほど可愛いものを他に知らないと」
ウェスタレアは、自分勝手で、傍若無人で、彼に迷惑ばかりかけている。それなのにどこがいいのか疑問に思うくらいで。
ただ、どう繕っても、彼には何もかも見透かされてしまう。ウェスタレアが本当は、傷ついたり落ち込んだりもする、どこにでもいる普通の娘だということを、彼には隠しきれないのだ。
「私なんかのどこがいいのよ。あなたって……物好きよね」
「お前の魅力は俺だけが分かっていればいい。むしろ、誰にも気づいてほしくない」
「何よ……それ」
彼はウェスタレアの手を動かして、自分の頬に添えながら握りしめる。夜風に晒されていたため、彼の頬は冷たかった。なのに、頬に触れる手がどんどん熱くなっていく。
「お前の全てを手に入れたい。早く俺の妃になれ。――ウェスタレア」
「……!」
緑色の瞳が、月の明かりを反射して艶やかに輝く。
(なんて、妖艶な……)
ウェスタレアだって、こんな人を他に知らない。こんな、骨の髄まで溶かしてしまいそうな甘い色気を漂わせる男なんて。気恥ずかしさを必死に堪えていると、彼はウェスタレアの手を撫でながら、物欲しそうにこちらを見つめた。その視線が、ウェスタレアの唇を狙っているように見える。
「そんな目を……したって、もうしないわよ……キス。レミリナが見つかるまでの約束だったでしょう」
行方不明のダニエルの娘探しに協力してもらう代わりに、会うたびに口づけをするという訳の分からない約束。何度かこちらは条件を破っているような気もするが、約束はもう期限切れだ。
すると彼はこちらの手首をぐいっと引き寄せて、頬に手を添える。ウェスタレアは唇をきゅっと結んで目を閉じる。だが彼は唇にキスをするのだと期待させておいて、からかうように額に軽く唇を押し当て、ウェスタレアのことを見下ろしながら言うのである。
「――なら、俺からするまでだ」
ああ、この人にだけは敵わない。額から、甘い痺れが全身に広がるのを感じながら、ウェスタレアはそう思った。




