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65_刺客の魔の手

 

 今夜はレオナルドが皇妃候補宮に来て、少しだけ話をすることになっている。ウェスタレアはソファに腰を沈め、手持ち無沙汰に本のページをめくっていた。


 するとその刹那。バリンッ――とガラスの割れる音がして、はっとして顔を上げると、黒いローブで姿を隠した男がふたり、窓から侵入してきた。星明かりを反射して、構えた剣身がきらりと光る。


(刺客……!?)


 ウェスタレアはとっさに立ち上がり、懐から毒針を取り出し、男のひとりにひゅっと投げつける。まっすぐに飛んだ毒針は、男の首に命中し、針先から毒液が投入される。ウェスタレアが作る毒は、わずかでも体内に入れば強い効力を発揮するようになっている。


「うっ……」


 男はその場に倒れ込み、昏睡状態になった。麻酔の作用によって、半日は目を覚まさないだろう。


 けれど、毒針はひとつしか持っていない。迫り来るもうひとりの男に対してなすすべがない。ペイジュと少女たちがいる部屋からも悲鳴が上がっており、そちらも刺客が侵入したのだと察した。


「――誰の指図なの?」

「…………」


 だが、男は黙ったまま。


「はっ、黙ってないで答えなさいよ。でもまぁ、言わなくてもおおよそ想像はできるけど」


 ティベリオ・レイン。皇妃候補宮に刺客を忍ばせるなどという恐れ知らずで大胆なことができるのは、彼しか思いつかない。彼は自身の権力欲を満たすために、汚い手を使うと言われている。


 レイン公爵家は、『悪の貴族』だとまことしやかに囁く者がいるくらいなのだから。火のないところに煙は立たないものだ。その証拠に、レイン公爵家に反発する勢力は強い抑圧を受け、突然事故にあったり、謎の死を遂げることがあった。


 剣を首筋に突き立てられ、先端が肌に食い込み、血が一筋流れる。


(だめ、今こんな場所で、死ぬ訳にはいかないのに……)


 また、誰かに足をすくわれるというのだろうか。掴みかけては遠ざかり、まだ掴み出かけては見失い……。何度も転びながら、時に泥だらけになりながら、ここまで走ってきたというのに。


 それに自分が死んだら、ペイジュはどうなるのだろう。レオナルドや、あの少女たちは。エリザベートピンクの中毒症状に苦しむ人々は。


(まだ死ねない。私を必要としてくれる人がいるから……)


 何か、何か、この男の意識を逸らす方法はないだろうか。必死に思案を巡らせるが、この窮地を脱する術は何ひとつ思い浮かばなかった。まるで足を床に縫い付けられたように、一歩も動けないまま、男のことを見据える。彼の剣を持つ手はわずかに震えていた。


 刺客がもう一度大きく剣を振り上げ、こちらに向かって振り下ろす。その様子が、とてもゆっくりに見えた。


(レオ……。ごめんなさい)


 最後に頭に思い浮かんだのは、レオナルドの姿だった。もしウェスタレアがいなくなったら、彼はきっと悲しむだろう。


 彼への謝罪を唱えて目を閉じた直後。ウェスタレアの体は予想していたような痛みはなく、代わりに、男の剣を受け止める金属の音がした。


「――お前、一体誰に手を出そうとした」


 低く、地を這うような声に目を開けると、レオナルドがこちらを庇うように立っていた。助けに来てくれた……その度安堵から、こわばっていた足の力が抜け、その場にへたり込む。


 レオナルドは剣を薙ぎ払う。男はすぐに姿勢を整えて構えを取るが、レオナルドがそれよりも早く追撃を与えた。刺客は肩に、レオナルドの突きをもろに食らって、くぐもった呻き声を漏らした。


 レオナルドが剣の先で彼のフードを外すと、まだ若い青年だった。彼はレオナルドのことを悔しげに睨めつける。そして、手に持っていた剣で、倒れている仲間の胸を上から貫くという奇行に走った。


(尋問から逃れるためだわ……!)


 刺客は早々に諦めをつけたのだ。レオナルドに実力で勝てないことを悟り、口封じのために仲間を刺した。


「おいお前! 待て!」


 瞬時に青年の魂胆を察知し、剣を下ろして今度は彼を止めようと手を伸ばすレオナルドだが、青年は懐から取り出した包みから、薬のようなものを口に含み――ごくん、と飲み込んだ。


「うっ……ぁ……ああ」


 青年はその場に崩れ落ち、悶え苦しみ出した。レオナルドは剣を捨てて駆け寄り、青年の肩を擦る。


「おい、しっかりしろ! 今飲んだものを吐き出せ」


 二本の指を一切の躊躇なく直に彼の喉の奥に突っ込み、えずかせようとするが青年はレオナルドを突き放して拒んだ。


「…………」


 青年は呼吸困難と痙攣を起こしたあと、口から血を流した。そして倒れ込んだまま、ぴくりとも動かなくなる。その場に座ったままだったウェスタレアは、ゆっくりと立ち上がり、青年の元まで歩み寄る。


「呼びかけても無駄よ。彼はもう死んでいる」

「…………」


 念の為指で脈を測り、首を横に振る。青年の手に握られている紙の包みを取り上げると、アギサクラギの種子を砕いたものがわずかに残っていた。少量であっても、あっという間に死に追いやる即効性が高い猛毒。


「一体……何の毒だ?」

「アギサクラギ。種子を一定量摂取したあと、痙攣、腹痛、呼吸困難などが生じ、最後には臓器不全によって死に至る」

「……詳しいんだな」

「私も一度飲んだことがあるの」

「まさか、毒杯に……」

「ご名答」


 刺客ふたりは自分たちに暗殺を命じた者を暴かせないように死んだ。ただ秘密を守るためだけに、命を賭したのである。


 ウェスタレアが青年ふたりを見下ろしながら、眉をひそめる。剣を向けられたとき、手が小刻み震えていたのは、人を殺すと言うことにためらいがあったからだ。倒れたふたりを見下ろしながら呟く。


「ねえ……命が惜しくないの? 弱みでも握られた?」


 けれど、ウェスタレアの問いに、答えは返ってこなかった。


「お前の騎士は一緒じゃないのか?」


 ペイジュの部屋からも悲鳴が聞こえたと打ち明ける。


「でも心配はないわ。私の騎士はこんな三下に殺されたりしない」


 するとそのとき、私室の扉からペイジュが駆け込んでくる。彼女は少年を小脇に抱えていた。


「離せっ、おい! 離せよ……!」

「大人しくしろ!」


 少年は腕の中でじたばたと暴れている。


「主! 無事ですか!」

「ええ、平気よ。そっちは?」

「私も少女たちも全員無事です。ただ、忍び込んだ他二人は、薬のようなものを飲んで自害しました。恐らく暗殺を命じた者に、よほどの恐怖を植え付けられているのでしょう。帰ったところで始末されるのが関の山……。でもこの者は死ぬのが怖くなったようで、逃げ出そうとしたんです」

「……そう」


 自死のために持たされていた毒はペイジュがすでに取り上げていた。二人の刺客は死んだらしいが、証人をひとりでも確保できたのは幸いである。


 するとそのとき、少年の懐から何かが落ちた。ペイジュがそれを拾おうとしたとき、少年は真っ青になりながら声を張り上げる。


「これは……?」

「やめろっ! 触るな! それだけは……っ」


 ペイジュは制止を無視して拾い上げる。それは、紙に包まれた印章だった。


「見るな! おい! やめろって言ってるだろ!?」


 紙を広げてみると、メモが記されており、それを見たレオナルドが眉を上げる。


「待て、これはティベリオの筆跡。それにそれは……レイン公爵家の印章だ」


 家紋を示す印章は政務などに使われ、その家にとってとても重要なものだ。


 どうしてレイン公爵家の印章を青年が持ってきたのか、理由が分からずに、三人は顔を見合わせる。その直後だった。


 少年はおろおろと目をさまよわせ、逡巡に逡巡を重ねてから、自分の舌を噛み切った。その顔から文字通り血の気が引いていくのを見つめながら、一同は絶句した。

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