63_エリザベートの切ない恋心
エリザベートはウェスタレアの指示で、エリザベートピンクによる被害の実態を調べるために、国中の貴族の元を訪ねて回った。そしてそれは、原因不明の体調不良を起こしているという者を対象としている。
ウェスタレアが具体的にどのような方法で、エリザベートピンクの普及を止めようとしているのかは知らないが、エリザベートはこれ以上この染料の被害を広めないために、自分の意志で、彼女に従うことにした。
「エリザベート様がわざわざお見舞いに来てくださるなんて、思いませんでしたわ。何のもてなしもできず、みっともないお姿をお見せして申し訳――うっ」
「無理をしてはいけませんわ。どこか痛みますの?」
「気持ちが……悪くて」
吐き気がするというので、寝台の傍のサイドテーブルに置いてある洗面器を手に取って、令嬢に渡す。吐き気が収まるまで、エリザベートは彼女の背を擦り続けた。
「一体いつから体調不良が?」
「半年ほど前……でしょうか」
彼女の手や顔、首には、見覚えがある湿疹が広がっていた。そして彼女は、エリザベートピンクの生地で作ったルームウェアを着ている。
「素敵な部屋着ですわね。こちらはいつ購入されましたの?」
「ええっと確か……半年前に、街のドレスショップで。そのお店の名前は……何だったかしら」
「思い出してくださらなくて結構ですわ。そう、半年前に……」
エリザベートは下唇を噛み、確信する。
(吐き気に湿疹……。間違いありませんわ。彼女の症状は、エリザベートピンクの毒素による……中毒)
レイン公爵家のなんと罪深いことか。エリザベートピンクは今この国で最も人々を虜にしている色といっても過言ではない。主に貴族を客層としたドレス等の衣類からカーテン、壁紙、雑貨など、身の回りの様々なものに使用されている。
エリザベートは調査を開始してから、何十件もの家を回っているが、同じ中毒症状を抱えている人たちを何人も見てきた。
「落ち着いて聞いていただきたいの。……あなたのその症状は、エリザベートピンクのせいですわ。ですからその服はすぐに処分してくださいまし」
「え……?」
「エリザベートピンクの染料には、人体に有害な毒が含まれているのですわ。わたくしは現在、その調査中ですの」
「!」
真実を告げると、令嬢は戦慄していた。それまで苦しんでいた体調不良が、まさか自分が着ている服のせいだとは夢にも思わなかったはずだ。
そして、彼女自身の筆跡で、エリザベートピンクの根絶への署名と、エリザベートピンクが使用されたどの商品を持っていたかということと、症状の詳細を紙に書いてもらい、部屋をあとにした。
◇◇◇
部屋の外で、黒いローブで身を隠したディオンがエリザベートのことを待っていた。
「おかえり。お、今度は卵を投げつけられなかったみたいだね」
「……」
ひらひらとこちらに手を振り、軽薄そうな笑みを湛える彼。エリザベートが聞き取り調査を始めてからのひと月、彼はずっと付いてきていた。
ディオンの言葉を無視して、屋敷の外へと歩いて行く。彼はエリザベートに無視されたことを全く意に介さず、へらへらとした様子で後ろを歩いた。
彼が言う『卵を投げつけられ』というのは、他の家を訪れたときのことだった。エリザベートピンクの毒性を打ち明けると態度が急変し、こちらを目の敵のように睨んだり、叱責したり、物を投げつけたりしてきた。原因不明だった体調不良の原因が染料だと気づき、これまで模範的な淑女としていたエリザベートへの敬愛は、一瞬にして憎しみに変わったのである。
なぜなら、エリザベートピンクはもともと、エリザベートの髪色をイメージしたものであり、それを開発し、宣伝しているのは、彼女の実家のレイン公爵家が営むリアス社だから。
お前のせいでこうなった、と何度も責められた。けれどエリザベートは、水をかけられ、唾を吐かれても、ただ謝ることしかできなかった。
屋敷の外に出ても一向に付きまとってくるディオン。
「次はどこに行くの? また貴族の屋敷?」
「ええ。そうですわ。平民の状況調査はウェスタレア様が担当ですから」
エリザベートは立ち止まり、いぶかしげにディオンのことを見た。
「どうしてわたくしに付いてくるのです?」
「だって、ひとりだと危ないでしょ?」
「理由になっておりませんわ。あなたに心配していただく筋合いなどございません。あなたこそ、レオナルド様の忠臣なのですから、お暇ではないでしょう? 早くルシャンテ宮殿にお帰りなさい」
レオナルドは、休む暇がないのではないかと心配になるほど多忙だ。そして彼の傍らには大抵、ディオンの姿がある。だから本来は、こんなところで暇を持て余していていい立場ではないのだ。
「実を言うと、殿下の命令なんだよ」
「え……」
彼はこちらにずいっと顔を近づけ、不適に口の端を吊り上げる。試すような、探るような、そんな眼差しでこちらを覗き見た。
「他でもない、君が敬愛するレオナルド皇太子殿下が、君を庇護するようにって僕に命じたんだ」
どうして、と疑問が真っ先に頭に浮かぶ。ディオンは、レオナルドが最も信頼している部下だ。レオナルドはずっと、レイン公爵家の娘であるエリザベートのことを、家門と一緒に毛嫌いしていた。エリザベートの分かりやすい好意を無下にし、ときには冷たい言葉を投げかけてくることさえあったのに。
「なぜレオナルド様が、そのようなお気遣いをなさるのです……?」
「君の境遇を知って、同情してるんじゃない? 殿下は冷たく見えて、優しい人だからさ」
「それは……知っておりますわ」
エリザベートはレオナルドが慕っているウェスタレアの大切なドレスを切り裂くなどの邪魔したこともあった。彼に嫌われても当然だ。
(こんなときに優しくなさるなんて……ずるいですわ)
どこに行っても風当たりが強い中で、彼に優しくされて舞い上がってしまう自分がどこかいた。レオナルドもウェスタレアも本質的に似ている部分がある。
どんなに嫌っている相手であっても、助けてと伸ばされた手は無条件で掴むような人たちだ。そんなふたりは、とてもお似合いに見える。
そこにエリザベートが入るような余地はなく、仮に皇妃選定で勝ったとしても、自分ではレオナルドに振り向いてもらえる日は来ないような気がした。
ほの暗い気持ちに心が侵食されていって、鼻の奥がつんと痛み、泣きそうになるのを唇を引き結んで堪えるのだった。




