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62_宮廷史官


「その声です! その女が染色工場への侵入者で、我々を毒で昏睡させました!」


 衛兵の言葉に、エリザベートピンクの工場に踏み込んだのはこの女なのだと理解する。


「聞いていたのかい? 今の」

「どうせ元から知っていたことよ」


 ウェスタレアは悠然とこちらに歩み寄り、ティベリオの顔を見上げた。


「勝手に留置人を連れ出そうとしちゃだめじゃない。泥棒公爵様?」

「泥棒は君の方さ。こそこそと嗅ぎ回って、何をしようとしている? こんな真似をして、たかが異国人の君がただで済むと思っているのかい?」

「まぁ怖い。私のことを脅しているの?」


 敬語すら使わない、あけすけな態度。しまいにはわざとらしく怯えた表情をするウェスタレアに、思わず手が伸び、彼女の小さな顎を片手で鷲掴みにしていた。


「私の前で生意気な口を効けば、このまま顎を握り潰すよ」


 爪を立てて、彼女の白く柔らかい肌にぐぐ……と食い込ませるが、彼女は全く動じず、目を逸らそうともしない。


 もしも娘のエリザベートなら、すぐに泣いてやめてくれと哀願してきたところだろうが、さすがにくぐってきた修羅場の数が違い、ウェスタレアは肝が座っていた。


「ただでは済まないのは――あなたの方よ。アギサクラギの花弁の毒のように、じわりじわりとむしばまれていく感覚を堪能するがいいわ」

「私は長い間生きてきたけれど、君ほど生意気な女性には初めて会ったよ」

「ふ。私のことを殺したくて殺したくて仕方がないといった顔をしているわね」

「毒では君を殺せないんだろう? どうしたら死ぬのかぜひ教えておくれ」


 解毒薬で薬殺刑を免れてきた彼女に、皮肉を込めて伝える。それでもなお彼女が怯まないため、強く脅かしてみる。


「それとも、本当にこのまま顎を握り潰してあげようか」

「握り潰される前に、あなたの手を噛みちぎってやるわ」

「口だけは達者だね。所詮は非力な女のくせに――」


 ティベリオは彼女の小さな顎を握ったまま、力任せに後ろに突き飛ばす。


「……っ」


 されるがままのウェスタレアは鉄格子にがんっ……と思い切り頭を打ちつけて倒れ込む。だが、額から血を流しながらこちらを見上げた彼女のその表情に息を詰めた。


 まるで、獲物を見つけた野生の獣のように、こちらの姿を捕らえて離さず、睨みつけてくる。


(なんだい、その目は……っ。これが本当にまだ、十代の娘なのか……?)


 ぞくりと背筋が粟立つ。

 なんて、気味が悪い女だ。脅しや暴力を受けても、一切の恐怖を出さず、痛がりさえしない。ティベリオは初めて、狩られる恐怖に足を竦ませた。毒蛇が全身に巻きついてくるように、彼女に圧倒されて身じろぎさえできない。


 ゆっくりと立ち上がりこちらに近づいてくる女に、ティベリオはようやく一歩後退する。


「君には……怖いものがないのかい?」

「少なくとも、弱く醜く愚かな男のことなんて怖くもなんともないわ」

「はは、私が君に何をしたっていうんだ」


 出会ってまもない彼女に、恨まれる筋合いなどないはず。すると彼女は、玲瓏とした声で答える。


「大切な私の騎士の両親を殺した」

「大切な騎士?」

「ペイジュ・ランチェスター。あなたもよく覚えているはずよ」

「ああ、よく覚えているよ。だが誤解だ。彼女の両親は私が殺したのではない。――勝手に死んだだけだよ。私は悪くない」

「なんて卑劣な……」


 ウェスタレアは顔を歪ませる。


「今出て行くなら、看守への賄賂と、留置人を逃がそうとしたことは黙っておくわ。だから早くここから消えて」

「……」

「――早く出て行けって言っているのよ!!」


 自分の親の仇でも見るかのように、睨みつけてくる彼女は、屋敷に忍び込んだペイジュの殺気を彷彿とさせる。


 ウェスタレアは部下のことに心を痛め、自分のことのように復讐心を燃やしているのだ。


 強く気高い、皇妃候補ウェスタレア・ルジェーン。勇気と情熱、聡明さ、人を想うまっすぐな心。彼女は皇妃に必要な素質を持ち合わせている。


 彼女が皇妃になれば、上へ上へと這い上がろうとする上昇気流に、周りをも巻き込んでいくのだろう。そのうねりはきっと、この国中に広がっていく。


(ああ、怖いね。アギサクラギの毒よりも、私は君が恐ろしいよ)


 底知れない恐怖心に包まれたティベリオは、上がりっぱなしの口角のまま若い娘に吐き捨てる。


「――君はやはり、ルムゼア王国で死んでおくべきだったよ」




 ◇◇◇




 ティベリオが去っていったあと、ウェスタレアは牢の中に入り、囚われた衛兵ふたりを見下ろした。


 ティベリオに対峙していたときの興奮が残り、指先が小刻みに震えていた。


「ひっ……」


 額から血を流すこちらの姿をひと目見て、悲鳴を漏らすふたり。ウェスタレアは、手の仕草で懐に毒針を隠し持っていることを匂わせつつ、眉ひとつ動かさずに彼らに告げる。


「逃げ出そうとしたらどうなるか……分かっているわよね?」

「お、おい。いつ俺たちをここから出してくるんだ?」

「『出していただけるのでしょうか』でしょう。目上の人に対して敬語がなっていない。はい、やり直し」

「いつ出していただけるのでしょうか……!」


 ウェスタレアはハンカチで額の血を拭いながら、不敵に微笑む。打ちつけた頭が、ずきずきと痛む。あの男のせいでどうして自分が痛い思いに耐えなければならないのかと、あとになって無性に腹が立ってきた。


「――残念。出られないわ。あなたたちは永久に、太陽を拝むこともできずに、この真っ暗な地下牢に閉じ込められたまま……」

「そんな……っ」

「嘘よ」

「うそ」


 恐怖したり驚いたり、ころころと表情を変える男たち。彼らを玩具のように弄んだあとで、ふと我に返り肩を竦める。


(……八つ当たりしたって仕方ないわ。この人たちはただの衛兵だもの)


 ウェスタレアはくるりと背を向けて、牢の鍵を締め直した。そして、長い廊下を歩き、曲がり角付近で立ち止まる。


「――もう出てきていいわよ」

「はい」


 物陰から現れたのは、宮廷に仕える史官。アルチティス皇国の皇宮では、皇帝が重要な話し合いに参加するときに、それを記録する係がいる。何か問題が起きたときの証明にするためだ。


 史官はアルチティス皇国に数人しかおらず、この宮殿で皇族の会話に耳をそばだてて、ひたすら文字を書いている。そして、彼らの記録は絶対的な信頼価値が認められる。


「今の会話、ちゃんと記録していたわね?」

「もちろんでございます! 皇妃候補ウェスタレア様。レイン公爵の発言は一字一句違わず――こちらに!」


 彼から差し出された本には、確かにウェスタレアとティベリオの会話が書き残されていた。


 エリザベートピンクの闇について語られているのはもちろんのこと、神聖な皇妃候補への暴行に、死んでおくべきだったなどという無礼な発言さえ。


 ティベリオがここに来ると聞いて、何か重要な発言を引き出せないかと、ピアスの紋章の権力を使って史官に協力を仰ぎ、あのような挑発をしたのだ。よほど焦りを感じているのか、彼は無警戒にぼろぼろと本音を喋ってくれた。


「……ん? ちょっと待って」

「どうかしましたか?」


 視線を下に落とし、さらに文章を読んでいくと、ウェスタレアと衛兵ふたりのやり取りまで書かれている。


「『皇妃候補ウェスタレアが、底意地の悪い表情を浮かべて、留置された衛兵ふたりをからかい、恐怖に陥れる。そしてその様子を見て、人をいたぶることへの愉悦に浸る』――ってどういうことよ!?」

「あなた様が、衛兵ふたりに八つ当たりされていたご様子ももちろん記録しております!」


 ウェスタレアは眉間に縦じわを刻み、彼の襟を掴み上げる。


「底意地の悪い表情とか、人をいたぶって愉悦に浸るとか、これは何!?」

「そ、そのように見えましたので……っ。私は見たまま、聞いたままを書き記すことが使命ですから。は、離してくださいっ!」

「それはあなたの感想でしょう? 余計な脚色はしなくていいの。ここの箇所は全部消しておきなさい」

「この記録は書き換えることを禁止されておりますので……!」


 史官はひ弱そうなメガネをかけた若い男だった。皇妃候補お披露目パーティーのときに、皇帝の傍で記録をしていたのもこの男だった。年齢はウェスタレアより少し上くらいだろうか。


 彼はウェスタレアに解放されたあと、もう一度ペンと本を手に取り、何かをものすごい勢いで書き始めた。シャシャシャッ……とペン先が紙を滑る音が響く。


『脚色を加えるな、と金切り声で恫喝を受ける。皇妃候補ウェスタレアの形相は悪魔のようである』


 時折恨めしそうにこちらを見てくる彼を見て、何を書いているのか察した。本を奪い上げて確認すると、やはり今のやり取りが書かれていた。


「だからそれ、書かなくていいって言ってるでしょう……!?」


 ウェスタレアの声が地下牢に響き渡る。その日からウェスタレアは、誰よりも史官を警戒するようになったのである。

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