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58_染色工場と児童


 皇国騎士団の本部を訪れてから二週間後。ウェスタレアはレオナルドとともに、エリザベートピンクの染色工場へ向かうことにした。


 皇都から少し離れた旧ランチェスター領は、山に囲まれた自然豊かな場所だった。ところどころに民家があり、あとは畑と放牧地が広がっているだけ。


 領地の中心部は栄えているらしいが、工場は丘の上にひっそりと佇んでいた。


「ここが……エリザベートピンクの染色工場……」

「ああ、恐らくな。中に入ろう」

「――待って」


 ウェスタレアはレオナルドの腕を掴んで引き止め、懐から布を取り出す。


「エリザベートピンクは、大気中に有害な物質を放出するわ。吸いすぎると体に障るから」


 あらかじめ持ってきておいた布でふたりは口元を覆い、建物へと向かった。この布はアギサクラキの花弁の毒から身を守るだけではなく、正体を隠すためという目的もある。


(あの男たち……)


 ただの染色工場のはずなのに、入り口でふたりの衛兵が見張りをしていた。彼らも口元を覆い手袋を着けている。ウェスタレアはレオナルドにふわりと微笑みかけた。


「彼らには、眠っていてもらいましょうか」

「……そうだな」


 懐から取り出した毒針をレオナルドにひとつ託し、衛兵の元まで歩む。ウェスタレアたちの姿を見た衛兵ふたりは露骨に警戒心を示した。


「お前たちは誰だ? 許可証を見せなければこの先に通すことはできん」

「ああ、許可証。もちろん持っていますよ」


 愛想笑いを浮かべ、ローブの内側から取り出したのは許可証ではなく――毒針。ウェスタレアとレオナルドがあまりにも自然な動作でそれを取り出したため、衛兵たちの反応が遅れる。


 その一瞬の隙をついて、男たちの体に針を押し当て、薬を投入した。彼らはすぐに虚ろな目を浮かべ、その場に倒れ込んで昏睡する。


 ウェスタレアは使用済みの毒針をレオナルドから預かり、薬液で湿った針先を、衛兵の服で拭き取る。しゃがんだ状態で顔を上げ、目配せをした。


「なかなか鮮やかな手さばきだったわよ。やっぱり経験者は違うわね」

「お前が言うな」


 彼と初めて会ったとき、空から降ってきたウェスタレアを抱き止めてくれた彼に、毒針を刺したことを思い出す。


 すっかり眠りの中にいる衛兵ふたりを尻目に、工場の内部に侵入する。そこでウェスタレアはあまりの光景に唖然とした。


「これは、ひどい……」


 部屋の中は、染色液が入った大きな容器や台など、作業用の設備が整っている。そして頭上の竿に、染色された糸が大量にかけられている。工場では、五人の娘たちが労働していた。彼女たちは皆エリザベートピンクによる重篤な中毒症状が出ていた。


 少女たちは黙々と、湯気が出る染色液に糸の束を漬ける作業を行っている。この部屋の中には、労働者たち以外に、監視する者や衛兵の姿はなかった。それはそうだろう。この部屋の中にいたら自分だって、この少女たちと同じように染料の毒にやられてしまうかもしれないのだから。


「あなた、ちょっと手を見せなさい」

「きゃっ――」


 竿に糸を干していたひとりの少女の手を取り上げて観察すると、湿疹が指先から腕全体にできているだけでなく、水ぶくれが破けて皮膚がめくれ上がり、血が滲み出ていた。


「ご、ごめんなさい。もっと集中します、だから許して……」


 身体を小刻みに震わせて、怯える彼女だが、きょろきょろと不自然に視線を動かしていて、目が合わない。するとその様子を見ていたレオナルドが少女にそっと問いかける。


「怖がらなくていい。俺たちは君を傷つけたりしない。もしかして、目が見えていないのか?」

「……うん」

「それは生まれつきか?」

「うん。生まれつきだよ」


 レオナルドはその場にしゃがみ、目が見えない少女と視線を合わせた。彼の優しい声音に安心し、少女は警戒心を解いた。


「なぜこのような場所で働いている?」

「誘拐……されたの。ここにいる子たちはみんなそう。街の孤児ばかりを拐ってきて、ちゃんと働かないと折檻するの」

「誘拐だと? じゃあお前も孤児だったのか?」

「ううん。違うよ」


 少女はのんびりとした口調で語り、首を横に振った。彼女の振る舞いに、どこか既視感がある。


(このおっとりした感じ……誰かに似ているような)


 いつもおっとりまったりマイペースで、薬の研究ばかりに夢中になっているある薬師が脳裏を過ぎる。それに、痩せ衰えているものの、彼が見せてくれた娘の姿絵の面影がある。


「あなた、もしかして……レミリナ?」

「そうだよ。レミリナ・ロッシ」


 ふわりと笑ったレミリナに、ウェスタレアは目を見開く。ロッシは元アルバイト先のお薬屋の店主、ダニエルの姓だ。そして彼が長らく探していた娘の名前はレミリナ。彼女もまた、生まれつき病気で目が見えないと言っていた。


「お父さんの名前は……?」

「……? ダニエルだよ。薬師をしてるの」


(なんてこと……なんてことなの……)


 ウェスタレアは思わず、彼女をぎゅっと抱き締めていた。突然抱き締められたレミリナはびっくりして、わっと声を漏らす。


「そう、あなたがダニエルさんのお嬢さんなのね」

「え……パパのこと、知ってるの?」

「ええ。よく知っているわ。彼はずっとずっとあなたのことを探していたわ。宮廷でのお仕事はやめて、名誉薬師になったの。今は皇都で薬屋の仕事に専念していてね、毎日のように街に出かけて、あなたのことを探し回っていたそうよ」


 薬屋の店の奥が、彼の住まいになっている。最近になって聞いたことだが、宮廷薬師を辞めたのは、レミリナが拐われたことがきっかけらしい。宮廷での仕事は忙しく、自由な時間を確保することができないから。とにかくダニエルは、研究のとき以外は、娘の居場所を突き止めるための時間を当てたかった。


 ウェスタレアがコルダータとしてアルバイトしている間も、早朝や夕方には街を歩き回り、休日には遠方まで娘を探しに出かけていたそうだ。


「そっかぁ。そうだったんだね。じゃあパパがお庭の桃の世話もしてくれてるね」

「桃の木……」


 薬屋の庭には、枯れ木が生えており、ダニエルが水を与えていたことを思い出した。


「昔にね、親戚の人にもらった桃の種を植えたの。それから毎年、甘い桃の実が成るんだよ。パパが取ってくれるの」


 ウェスタレアはレオナルドと目を合わせる。ダニエルの話では、あの木は一度として実が成ったことがないそうだ。もしかしたらダニエルは、目の見えない娘を喜ばせるために、わざわざ桃を買ってきて、あたかも庭で取れたかのようにして与えていたのかもしれない。


 へへと頬を綻ばせる彼女に、ウェスタレアの胸がぎゅっと締め付けられた。本当ならダニエルと幸せに暮らしていたはずなのに、レミリナは体中アギサクラギの毒に犯されてやせ細り、ぼろぼろになっていた。


(これでは、生きていてよかったわね、見つかってよかったわねなんて、手放しには喜べない……)


 レミリナが生きていることは信じていたが、全身ただれ、痩せ細ってしまったことを、ダニエルに一体どう打ち明けたらよいというのだ。あまりにも酷で、伝えるのがはばかられる。


「じゃあ私、もう一回パパと会える?」

「ええ。会えるわ。これからはずっと一緒よ」

「……! 嬉しいなぁ。幸せだなぁ。……夢みたい」


 レミリナはそう言って、安堵と感激の涙を流してから、「ありがとう」とこちらに告げるのだった。


 他の四人の少女たちにも、それぞれ事情を聞いて回ると、彼女たちは街の路地裏などでひっそりと生きていた孤児らしく、全員誘拐されてこの工場で強制労働させられているという。


 中毒症状で使い物にならなくなると、工場の外に連れて行かれ、そのあとどうなったかは分からないそうだ。けれど、染色工場の内情を知る者を野放しにする訳にはいかないという事情を考慮すれば、処分されたことは容易に想像できる。


 少女たちは何度も脱走を試みたが、衛兵に見つかると、見せしめとして激しい暴力を受け、しまいには命を落とす者もいたとか。少女たちはすっかり萎縮し、逃げ出そうとしなくなった。


 エリザベートピンクの生産量からして、他にいくつもこのような工場が存在しているはず。


「お姉さんは誰なの?」

「工場の偉い人に違いないでしょ。あたしたちを始末しに来たに決まってるわ!」


 少女たちに取り囲まれて、質問攻めにあうウェスタレア。


「私はあなたたちの味方よ。アルチティス皇国のふたりの最終皇妃候補のうちのひとり、ウェスタレア・ルジェーンっていうの」

「「最終皇妃候補……?」」


 田舎にぽつんと佇む染色工場。世間から隔絶され、外の情報を一切遮断されているのだろう。いまいちピンと来ていない彼女たちに、皇妃の選考が行われていることを丁寧に説明する。


「すごい……! じゃあこの人、未来の皇妃様かもしれないってことじゃん!」

「こんな機会滅多にないよ、なんて光栄なんだろう……」

「あたしと握手してよ!」


 はしゃぐ少女たちにまくし立てられて、困惑するウェスタレアは目を瞬かせる。


 アルチティス皇国の皇妃選定は、国中のあらゆる乙女に参加資格が与えられる。その中から選ばれれば、憧憬と羨望の的になるのだ。


 こうして人々から敬愛を注がれることを、ずっと夢に見ていたはずなのに、素直に喜べない自分がいる。彼女たちの最低限の生活を守ってやることすらできないのに、偉そうに皇妃候補などと名乗る資格があるのだろうか。


 すると、少女たちのひとりが、ウェスタレアの服をぎゅっと掴み、懇願を口にした。


「どうかお願いします、皇妃候補様。あたしたちを助けて……! もうこんな生活、耐えられないの……っ」

「……」


 助けを求めて伸ばされた手は、掴む。自分は誰も見放さないと、ウェスタレアは皇帝の前で宣言した。


 彼女のただれた手を力強く握り締めて答える。


「もちろんよ。それが未来の皇妃である私の義務だもの」


 ウェスタレアは少女たちを保護し、ひとまずルシャンテ宮殿に連れ帰ることにした。


 レオナルドには、工場の見張りをしていた衛兵ふたりを拘束し、宮殿に移送してもらう。そして、エリザベートピンクの染色工場は皇太子の名のもと、稼働禁止――差し押さえとなった。


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