57_皇太子の機嫌が良い件
皇国騎士団の本部を訪れ、ルシャンテ宮殿に戻ったあと。
レオナルドが執務室で政務をしていると、その様子を見ていたディオンが言う。
「殿下、今日はやけに機嫌がいいですね?」
「………」
彼の指摘にレオナルドはペンの動きを止め、視線を上げた。
「顔に……出ていたか?」
「ええ。お口元が緩んでいますよ」
彼がからかうように自分の口角をつんと指差したのを見て、レオナルドはわずかに眉をひそめた。
しかしすぐに、今日ウェスタレアと会ったことを思い出して、再び穏やかな顔つきに戻る。
(今日も可愛かった)
ウェスタレアが皇国騎士団の本部に行くと知って、聞き取りに必要なリストをちょうど入手したレオナルドは、『公務のついでに立ち寄っただけ』という嘘を吐いてまで急いで届けに行ったのだ。
多忙な中でわざわざそのような手間をかけたと知ったら、彼女が気負いそうなので、その点は伏せておく。
それにしても、普段は澄ました顔をしている気高い皇妃候補が、自分の前では顔を赤くしたり、乙女らしい一面を見せてくれるのが、なんと愛しいものか。ついからかいたくなってしまう。
彼女は皇妃になろうと、強い女性の仮面を常に被っているが、その素顔はどこにでもいる普通の娘だ。そしてそれを知っているのは自分だけであってほしいと思う。
「殿下のような仕事バカ……ンンッ、ではなく、仕事熱心な方が、女性のために気を利かせて仕事の時間を削られる日が来るなんて思いませんでしたよ。そんなに魅力的なんですか? ウェスタレア様は」
「ああ。そうだな。だが別に、お前に分からなくてもいい」
彼女の魅力は、自分だけが知っていればいい。むしろ、他の男が魅力に気づいて奪われでもしたらたまったものではない。
「ふうん。さっきはちょっとしか喋れなかったけど、殿下がそんなに執心なさってる相手なら、もっと仲良くなってみたいか……も」
「……………」
その刹那、レオナルドの眼差しに威圧が乗り、ディオンは萎縮する。
「わ、怖い顔。大丈夫ですって。さすがに上司の好きな人にちょっかい出したりしませんから」
ディオンは社交界で浮名を流しており、しばしば色んな女性と噂になる。言ってみれば女たらしだ。部下としては信頼しているが、同じ男としては傍に置きたくないタイプ。
だが、心配することはない。ウェスタレアはディオンを相手にすることはないだろう。なぜなら今の彼女は、皇妃選定のことや、レオナルドのことでいっぱいいっぱいらしいから。
また満更でもなさそうにふっと小さく笑うと、ディオンは呆れたように息を吐いた。
「来週も彼女とデートに出かけられるんでしょう? これだけ仕事が溜まっているのに、呑気なものですよ」
「デートではなく視察だ」
レオナルドが浮かれた調子では、ウェスタレアに叱られてしまうだろう。執務机の上には、まだ目を通していない書類が山積みになっている。
「全て片付けるから問題ない。――それより」
レオナルドはディオンを見据えながら命じる。
「お前はしばらく、エリザベートを気にかけてやれ」
「レイン公爵家のご令嬢の? あの、殿下が毛嫌いなさっていた!?」
「それ以外に誰がいる」
「一体どういう風の吹き回しですか? 別に構いませんけど……」
エリザベートは度々、レオナルドに好意的な態度で言い寄ってくることがあった。権力のために悪行を尽くすティベリオの血筋である彼女を、レオナルドは無意識に嫌悪し、彼女も自分の野心を満たすために皇太子に取り入ろうとしているものとばかりを思っていた。
だが近ごろ、ウェスタレアから話を聞くうちに少しずつ、エリザベートはティベリオの操り人形のような立場であり、レオナルドへの好意は、野望などとは無関係だったということが分かってきた。
確かにエリザベートは、ライバルであるウェスタレアに汚い手を使って足を引っ張ろうとしたものの、同情すべき点もあるということだ。
「――とにかくこれは命令だ。いいな」
「仰せのままに。皇太子殿下」
ディオンは美しい礼を執り、恭しく頭を下げた。
レオナルドは再び視線を手元の書類に落とす。これは、ディオンがレイン公爵邸に潜入した際に、執務室から押収してきたいくつかの書簡。そこには、五年前のランチェスター侯爵の汚職事件に関わる真実が示されていた。
ガスパロは収賄の容疑をかけられて、身分から財産まで何もかも没収され、妻とともに命を絶った。だが実際は、ティベリオの陰謀により、濡れ衣を着せられただけだったのである。
(ティベリオはランチェスター侯爵に一体なんの恨みがあって、こんな真似をしたんだ?)
レイン公爵家の闇は深い。ティベリオという男に刃向かった者が時々、不審死したり行方不明になったりするが、騎士団は彼に対していつも盲目だ。
この書簡は、本当に収賄を行っていた騎士団幹部がティベリオに送ったもの。ガスパロに罪を着せ、自分は騎士団を離れて悠々自適な日々を過ごしているという。そして全ては、ティベリオの指示に従ったおかげだとまとめられている。
(そういえば、ガスパロ・ランチェスターの失踪した娘がいたな)
この書簡はしかるべきタイミングで世に出すつもりだが、冤罪を晴らすことができたなら、領地や財産が戻ってくることになる。娘の居場所を突き止めることができればいいのだが。
「ディオン。それからもうひとつお前に頼みたい。ランチェスター侯爵の失踪した娘の行方を探してくれ」
「え、それってペイジュちゃんのことでしょ?」
「…………は?」
意表を突かれて目を瞬かせる。いつもレオナルドのことを目の敵にしている、男のような見た目の女。
「ペイジュ・ランチェスター。彼女が実は、天才と謳われたガスパロ副団長の娘だって、エリザベートちゃんから聞いたんですけど……」
「なるほど。それであの強さという訳か……」
そのとき初めて、彼女の腕っ節の強さにレオナルドは納得したのである。陰謀によって処刑台送りにさせられた悪女と、陰謀により両親を失った騎士の巡り合わせ。縁とはつくづく不思議なものだ。
「ではこの書簡は、ウェスタレアにも共有するとしよう」
ウェスタレアは、エリザベートピンクの闇を暴き、レイン公爵家に立ち向かおうとしている。彼女ならばきっと、この書簡を良い形で活用してくれるだろう。




