50_とある騎士の汚職事件
皇都に構える屋敷に、ペイジュは大怪我をして帰ってきた。――エリザベートと一緒に。
「ペイジュ……! その腕どうしたの!? すぐに手当てをするわ。さ、こっちへ」
「ちょっとヘマをしただけです。かすり傷なので平気ですよ」
「どこがかすり傷よ」
ローブを脱がせ、袖をまくって傷口を確かめると、かなり深く斬られているのが分かった。左目にも怪我をしているようだが、血で汚れていてどの程度の傷なのかよく見えない。それに、歩き方がいつもより覚束ないところから、足も怪我しているのだと察した。
(作戦はうまくいかなかったの……?)
今日は、エリザベートピンクの染色工場の住所を突き止めるために、レオナルドの側近ディオンとエリザベートの協力のもと、強硬手段でティベリオの執務室の捜索が行われるはずだった。
もっともレオナルド側には、ティベリオの悪行の数々の手がかりのひとつでも手に入れたい、という別の思惑があったりするのだが。
万が一何かあったときに足でまといにならないよう、ウェスタレアは待機となっていたのだが、今夜はティベリオが出張中ということで、失敗することはないとタカを括っていた。
急いでふたりを居間へ連れて行こうとすると、ペイジュの隣でエリザベートが暗い顔をして俯いていた。そして、長く伸ばしていた髪が、乱雑に切り落とされている。彼女の髪は、エリザベートピンクを宣伝するための大切な商品なのに。
「ごめんなさい。わたくしのせいでペイジュさんが怪我を――」
「エリザベート嬢が助けてくれたんです。彼女が執務室の窓の鍵を開けてくださらなかったら、私は死んでいたかも」
エリザベートの謝罪を遮るように、ペイジュがそう言う。もしかしたら彼女が怪我をした原因と、エリザベートの謝罪は関係しているのかもしれない。だが、ペイジュが庇おうとする気持ちを汲んで、それ以上詮索するのをやめた。
「あら、そうだったの。ありがとう、エリザベート。たまには役に立つのね」
「本当に助かりましたよ。闘技場で散々腕を鍛え抜かれていたはずなのに、これは平和ボケ……焼きが回ったのかも」
軽い口調で冗談を言うペイジュの傍らで、エリザベートはやっぱり暗い顔をしていた。
そして居間にふたりを連れて行き、ペイジュを椅子に座らせる。テーブルの上には、エリザベートの湿疹がはっきりと分かるように様々な角度から描かれたキャンパスが積み重なっており、筆や絵の具などの画材道具も散乱している。これらは、染料による中毒を証明する症例にするつもりだ。
するとペイジュがするりと手を伸ばしてきて、ウェスタレアの口元を指差す。
「……付いてます。絵の具」
「へ?」
「朝からずっと気になってたんですけど、絵の具が付いてますよ」
慌てて手鏡で確認すると、唇の上に髭のように黒い線が入っていた。
今朝から症例をキャンパスに描く作業をしていたので、気づかないうちに、筆の先が顔を掠めたのであろう。もう夜なので、一日中髭を生やしたまま過ごしたということだ。
「それ、もっと早く言いなさいよ……!?」
ウェスタレアはハンカチで汚れを拭うと、ペイジュはくつくつと肩を揺らした。
水が入った洗面器とタオル、救急箱を引っ張り出してきて、手際よく手当てをしていく。
右腕の傷は深かったので縫っておく。左目の傷は、眼球にまで傷ができている。今のところ視野に問題はないらしいが、眼帯で保護をした。感染症を起こすとタチが悪いので、あとで抗菌薬を用意しよう。
おまけに二階から飛び降りたとかで、本人はうまく衝撃をかわしたと言い張っているものの、両足の骨にヒビが入って腫れていた。固定して全治三週間といったところか。
「――それで? 公爵邸で一体、何があったの?」
ペイジュから事の仔細を聞けば、執務室の捜索をしている最中に、ティベリオが妙な勘を働かせて帰ってきてしまったらしい。なんと間の悪いことか。
それで彼女はティベリオの騎士たちの戦闘で怪我を負い、加えてエリザベートがこちらに加担していることまでバレたそうだ。ペイジュを手負いにするとは、公爵邸はよほど腕の立つ衛兵を雇っているのだろう。あるいは、エリザベートのことを庇ったのかもしれないが。
「それは……大変だったわね。でもひとまず、あなたたちがこうして無事に戻ってきてくれて、何よりよ」
額を手で抑え、大きくため息を吐くウェスタレア。この件で少なからず、ティベリオが警戒心を強めることだろう。今ごろ、侵入者ふたりの捜索を始めているかもしれない。
ディオンはルシャンテ宮殿に戻り、レオナルドに詳細を報告しているそうだ。どうやら執務室でエリザベートピンクの染色工場の住所を見つけたらしく、それ以外にも面白い書簡をいくつか見つけたとか。
「近々、その工場に行ってみましょう。皇都を西に行った、レイン公爵領にあるのよね?」
「はい。そしてそこは、旧ランチェスター侯爵家……私の実家がかつて治めていた地域です」
「……!」
そこで初めて、ウェスタレアはペイジュの姓を知った。彼女はあまり自分の過去のことを話したがらない。スリド王国でなぜ奴隷になったのかも、それ以前にどこで何をしていたのかも知らなかったし、あえて聞こうともしてこなかった。
(ランチェスター……。歴史ある騎士家系の名門じゃない)
没落した貴族家の出身とは言っていたが、まさかアルチティス皇国の貴族だったとは。この国の貴族のことは色々と勉強しており、確かランチェスター侯爵家は、代々優秀な騎士を輩出していたものの、当主の汚職事件によって五年前に廃爵されたはずだ。
すると、それまで大人しく話を聞いていたエリザベートが口を開いた。
「ランチェスター侯爵家。武芸をこよなく愛する歴史ある一族ですわ。あなたはもしかして……あのガスパロ・ランチェスター様のご息女ですの?」
「ああ、そうだよ」
「道理で剣の腕が素晴らしい訳ですわ。さすがはランチェスターの血筋。納得いたしました」
異国出身のウェスタレアは、この国の人に詳しくない。
「何、知っている人なの?」
「知っているも何も、有名人ですわよ」
ガスパロは、皇国騎士団の副団長を務めていた。実直で、曲がったことが嫌い。悪く言えば、気難しくて頑固。だが剣の腕は素晴らしく、若いころから天才と評されていたそうだ。
それがあるとき、汚職問題で副団長の地位を失い、爵位も剥奪され、賠償金支払いのために借金まみれになった。娘の失踪後にとうとう希望が潰えて、妻と一緒に心中したそうだ。つまり、その失踪した娘というのが――ペイジュにあたる。
「父さんは収賄なんてする人じゃない。そういうのを一番嫌う人だったんだ。なのに………」
拳を固く握り締め、やるせなさをあらわにするペイジュに、エリザベートが、恐る恐る問いかける。
「先ほどの執務室でのあのご様子……。父を深く憎んでおいでなのが伝わって参りましたわ。わたくしの父と、どのような因縁がおありで?」
ペイジュは遠慮せずにはっきりとこう答えた。
「私の両親は、ティベリオに――殺されたんだ。あの男は父さんに濡れ衣を着せて、追い詰めた。父さんは強いけど……汚名を着せられ、世間から白い目を向けられることに耐えられなかったんだろう」




