46_エリザベートの任務
「こんな夜遅くまでお仕事だなんて、大変ですわね」
ペイジュとディオンがレイン公爵邸に侵入する一時間前。エリザベートは執務室の前で見張りをする衛兵に優美に微笑みかける。
「それが私どもの仕事……ですので」
ひとりの男が、エリザベートから目を逸らし、きまり悪そうに答える。そしてもうひとりの男は、あからさまに鼻の下を伸ばし、頬を紅潮させた。なぜならエリザベートが身体のラインが強調されるような、細身で薄い絹のナイトドレスを身に包んでいるから。
美しいエリザベートがその柔肌や豊満な胸の谷間を見せて、なびかない男はいなかった。ただひとり――レオナルドを除いて。
エリザベートは緩やかに微笑む。
「ねえ。今わたくしの部屋にね、異国から仕入れた珍しい茶葉がございますの。よかったらご一緒にいかが?」
男のひとりに、身をすり寄せるようにして蠱惑的に囁きかければ、ごくりと生唾を飲み込む音が聞こえる。
「で、ですが我々は業務中でして……」
「お父様は今夜は出張で、お帰りにならないそうですわ。ですから、あなた方を咎める者はどこにもおりません」
「……では、お言葉に甘えて」
思惑通りに、のこのことついてくる衛兵ふたりに背を向けながら歩き、エリザベートはふふ、と唇を扇の弧の形にした。
これであとは、計画通りにペイジュとディオンがやってきて、執務室に侵入するだけだ。一階の厨房の窓の鍵はすでに開けてある。
◇◇◇
衛兵ふたりを私室に連れ込んだエリザベートは、ウェスタレアが事前に用意してくれた睡眠薬を紅茶に混ぜて、彼らに与えることにした。
「ソファに座って少し待っていてくださいまし。すぐに紅茶をご用意いたしますわ」
「で、ですがお嬢様のお手を煩わせる訳には……」
「ふふ、恐縮なさらないで」
ごく自然な流れで、ふたりをソファに座らせ、紅茶を注ぐエリザベート。普通は主人が手ずから使用人に飲み物を用意することなどないが、今回は特別だ。メイドに毒を混入させる訳にはいかないから。
薬入りの紅茶を飲んだふたりはほとんど一瞬にして意識を手放し、ぷすとも言わなくなった。
(すごい効き目ですわ。……ウェスタレア様は一体……何者ですの?)
この睡眠薬は、彼女が自ら調合したと言っていた。ルムゼア王国で彼女が徹底した妃教育を受けていたという話は有名だが、ルムゼア王室は彼女に薬学まで学ばせていたというのだろうか。
エリザベートも将来皇妃になるべく勉強をしていたが、ウェスタレアほど多岐に及ばない。彼女の教養や知識の深さはきっと、努力だけではなく、探究心の強さゆえのものだろう。
あまりにも静かに寝ているので、死んではいないかと、直接触れずに濡れたマドラーの先で男の頬をつつく。かすかに寝息は聞こえたが、表情一つ変えず、身じろぎさえせずに深く眠り続けるので、本当に生きているのか心配になる。
(何はともあれ……あとはうまくやってくださいまし。ペイジュ様に、ディオン様)
娘のエリザベートですらも、ティベリオの執務室に入ることは固く禁じられている。もっとも、幼いころから父親を恐れていたエリザベートは、一度もあの部屋に入ろうと企んだことはなかったのだが。
これまで数々これまで散々ティベリオの言いなりになってきたが、もう彼に従って大人しくしている生き方はやめるのだ。
父が毒を含んだ染料で、人々に危害を与えると分かっていながら儲けているのなら、思い通りにはさせない。父のせいで苦しむのは――自分だけでもう沢山だ。
だから、エリザベートピンクの闇を暴くために、ウェスタレアに協力することを決めたのだ。家門なんて、取り潰されてしまえばいい。その先の人生のことは考えていないが、少なくとも父親に掌握されている今より悪い状況は存在しないだろう。
(エリザベートピンクの染色工場。その場所を突き止められれば、大勢の方を救うための手がかりになる。後ろめたいことがあるから、住所をお隠しになるのでしょう? お父様)
ウェスタレアに最初に頼まれたのは、エリザベートピンクの染色工場の住所を探ること。
染色の過程で、アギサクラギの花弁を処理する働いている人たちには、ほとんどの確率で中毒症状が出る。だから、その実態を調査する必要があるのだ。
ティベリオは労働者たちの中毒症状を知っていて、世間に知られないように工場の住所ごと隠しているのかもしれない。他の工場も一緒に隠しているのは恐らくカモフラージュのため。
だが結局、エリザベートの力では住所を特定することはできなかった。リアス社の経営に関わる重要人物たちにも会いに行ってみたが、彼らは皆ティベリオの犬で、娘のエリザベートでは取り合ってももらえなかった。
皇妃選定については、エリザベートの意思は関係なく、早々にティベリオが娘から取り上げた予算を使って主導している。もはや、誰のための皇妃選定なのか分からない。だがきっと彼も、自分が娘を皇妃にするために暗躍する裏で、娘が父の闇を暴こうとしているとは知りもしないだろう。
(悪いことをしたから、罰を受け、償うべきですわ。わたくしも……お父様も)
エリザベートは、取り立てて褒めるところのない平凡な娘なのに、『国一番の皇妃候補』などと崇められもてきた。全ては父親が作り上げた印象に過ぎず、ずっと多くの民を欺いてきただけだった。
自分の地位を築くために、皇妃選定の前もずるいことを沢山してきた。皇后に献上する刺繍を別の者にやらせたり、建国式典のスピーチを作家に書かせて、あたかも自分の言葉かのように語ったり。小さなことから大きなことまで、父親のように不正に不正を重ねて自分を取り繕ってきた。
(模範的な淑女エリザベート・レインなど、最初から存在しなかったのですわ)
衛兵ふたりの寝顔を無表情に見下ろしながら、これまでの生き方や父のことを考えていたとき、メイドがノックをしてきた。衛兵ふたりを連れ込んでいることを、計画を知らないメイドに悟られないように、大判のブランケットを男たちの上にかけて、ソファから立ち上がる。
「こんな夜遅くに、何の用ですの?」
部屋の全貌が見えないようにわずかに開けた扉の隙間から顔を覗かせ、メイドに問う。扉の向こう側でメイドは一礼して言った。
「旦那様がお帰りになりましたので、一報差し上げに来た次第です。夜分遅くに申し訳――」
「なんですって!?」
メイドの謝罪に被せるように、声を張り上げるエリザベート。
ティベリオは明日まで、出張で帰らないはず。なんてタイミングが悪いのだろう、と下唇を噛む。
本来ならば、衛兵たちが目を覚まさないか監視しているだけの簡単な仕事だったのだが、状況が変わった。
急いで上着を羽織り、父のいるエントランスへと向かう。
螺旋階段をバタバタと下りて、ティベリオの姿を探す。
彼は帰宅すると、ここで大勢の使用人に出迎えられ、上着や帽子を脱いだりその日の指示をしたりするのだが、すでにそれらのルーティーンを済ませたあとだった。
「淑女がそんなに大きな音を立てて階段を降りるものではないよ。エリザベート」
「お父様……!」




