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43_解析書の対価と失踪した娘

 

 そう、すでに分かっていることをまた調べさせるのは二度手間だ。ウェスタレアはすっとカウンターに置かれた解析書を指差した。


「それをいただくために、よ」

「…………」


 エリザベートピンクの闇を白日の下に晒すには、解析書が必要だ。ウェスタレアのような、何の資格も持たない素人が解析書を書いたところで、証拠としての信頼性はない。


 しかしダニエルは、曲がりなりにも名誉薬師。かつてはルシャンテ宮殿に勤め、皇族が口にする薬の調合を行っていた皇族お墨付きの薬師である。


「ダニエルさん、お願いします。その解説書を私に預からせてください。それを世間に公表すれば、エリザベートピンクで苦しむ人たちを救うことができます……!」

「それは無理な頼みだよ」


 彼はウェスタレアの願いをにべもなく跳ね除けた。彼は解析書を手に取り、一度上から下までゆっくりと眺めながら言う。


「こんなものを世に出そうとすれば、私のような爵位もない弱い立場の人間は、あっさりとレイン公爵家に消されてしまうよ。私は世間のために命をかけるほど、公明でも勇敢でもないからね」


 私はまだ生きていたいんだよ、と困ったように笑う彼。


 ダニエルの言う通りだ。誰もがウェストレアのように、自分の信念や正義のために、全てを捧げられるわけではない。


(でも……このまま引き下がるわけにはいかない)


 ウェスタレアが頼れて、信頼できる薬師は、ダニエルたったひとりだ。なんとしてでも、彼の意思で重要な証拠となる解析書を差し出してもらわなくては。ウェスタレアは身を乗り出すようにして迫る。


「どうしたら解析書を渡してくださいますか? 私が皇妃になるには……いえ、この国の人々を救うためにも、どうしてもそれが必要なんです」

「くどいよ、ウェスタレアちゃん」

「くどいと言われても引き下がれません。そのためなら、何でもします」

「なんでも……」


 そのとき、頑なな態度をとっていたダニエルの眉がぴくりと動く。


 彼はしばらく悩んだ末に、カウンターの奥の棚の前に立った。そして、飾ってある額縁をとってこちらに戻ってきた。


 差し向けられた額縁を、ウェスタレアとレオナルドが覗き込む。そこには十二歳くらいの可愛らしい少女の肖像画が描かれていた。


「可愛い子だろう? 妻に似たんだ」

「ご息女か?」

「ああ、そうだよ。目に入れても痛くないくらい可愛がっていてね」


 レオナルドの問いに頷いたダニエルは、愛しそうに目を細める。好奇心と探究心旺盛で、根っからの研究者気質な一面ばかりを見てきたが、それは紛れもなく――父親の表情だった。


 しかしその表情は、すぐに曇っていく。


「だがレミリナは三年前に失踪したまま――帰ってこなくなった」

「……!」

「遊びに出かけて、人攫いに拐われたんだろう」


 そしてレミリナは生まれつき目が見えないらしく、ひとりで生活するには不自由が多いとか。


 家族がいるのは知っていたが、娘が失踪したなどという話は一度も聞いたことがなかったので、目を見開く。いつもあっけらかんとしている彼が、そんな重いものを背負っているなんて知りもしなかったし、少しも気づかなかった。


(ダニエルさんはどんな気持ちで、あの枯れ木に水をやっていたのかしら)


 復活することがない枯れ木に、帰ってこなくなった娘を重ねて心を痛めてきたのではないかと想像する。


 すると彼は、ウェスタレアとレオナルドの腕に縋り、泣きそうな顔でこちらを見上げた。


「頼む。どうか娘を見つけてくれ……! もうこの世にいないというなら、それが分かるだけでいい。今もレミリナちゃんがどこかで辛い目に遭っているのかと思うと、毎日毎日生きた心地がしないんだよ……」

「ダニエルさん……」


 正直、今のウェスタレアに人探しをしている余裕などない。エリザベートピンクの闇を暴くため、そしてエリザベートよりも多くの花を集めるために常に思案を巡らせていなくてはならないから。それに、このアルチティス皇国で人探しをするのは、砂の中から針を探すようなもの。


 だかそのとき、先ほどレオナルドがくれた『できることはなんでも協力する』という言葉を思い出す。


(大丈夫。きっとレオが力になってくれる)


 彼なら頼ってもいい、甘えてもいいという安心感があった。ウェスタレアはダニエルを励ますように力強く頷き、レオナルドの背中を押した。


「お嬢さんのことは必ず見つけ出してみせるわ。――彼がね」

「…………」


 突然の名指しに、レオナルドは目を瞬かせる。ウェスタレアは彼から了承を得るのではなく、片方に手を添え、困ったように続ける。


「レオナルド皇太子殿下はね、人探しが大の得意なんです。こんなに広いアルチティス皇国で、会いたくないと言っても何度も何度も私のことを見つけ出して、しつこく付きまとってきて……」

「おい。……それが人にものを頼むときの言動とはとても思えないな」


 アルチティス皇国に不法侵入したとき、偶然国境沿いにいた彼にそれを知られてしまった。二度と会いたくないと思っていたのに、ふたりは何度も偶然の出会いを重ねることになる。ウェストレアはそっとダニエルの手を握った。


「大丈夫。私とレオナルド殿下の協力を得られたということは、あなたはまだ運に見放されていないという証しだわ」

「……!」

「殿下が必ずお嬢さんを探し出してくださいます。ね?」


 しかし、なぜかレオナルドは、了承する訳でも拒む理由でもなく、黙ったまま立っていた。


「もちろん私も、協力できることがあればしますから」

「いいのかい? ウェスタレアちゃん……君は今、皇妃になるために一番大変な時期なのに……」


 ウェスタレアはふっと小さく笑う。


「何水臭いこと言うのよ。社会性も社交性もない私が働いてお給料もらってここまで来れたのは、ダニエルさんが雇ってくれたおかげです。じゃなきゃ、飢え死にしていたかも」

「それはそうだが……」


 それはそうなのか。ダニエルだけではなく、レオナルドまでうんうんと頷いている。全く否定されなかったことに頬を引きつらせるが、すぐに気を取り直す。


「レミリナさんは生きていて、必ずあなたと再会する。私はそんな奇跡を信じます」

「……!」


 そのとき、ダニエルの瞳の奥が揺れたのが分かった。彼は困ったように眉尻を下げて微笑む。


「私も君がいつもの澄ました顔で、私の手から解析書を奪っていく日を、心待ちにしているよ」


 不安やわずかな期待が入り交じって泣きそうになったダニエルの手を、もう一度力強く握るのだった。


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