42_毒のある花
薬屋に到着すると、ダニエルが敷地で枯れ木に水をあげていた。薬の研究をする関係で、薬草はもちろん、多くの植物を育てている彼。適切な管理がされた植物の中で、その枯れ木は異彩を放っていた。
「枯れ木に水を与えても意味ないのでは?」
ウェスタレアがそう声をかけると、ダニエルが振り返る。多くの植物に精通する彼は、枯れ木が蘇らないことくらい知っているだろうに。
「コルダータちゃ、じゃなくてウェスタレアちゃんか。……いいんだよ。復活することはなくても、ただ僕がこうしたいんだ。娘との約束でね」
ダニエルにはすでに、コルダータの正体を打ち明けている。驚かれはしたが、否定されることもなく、親しくしてくれている。
この木は桃の木で、彼の娘が昔種を植えたのだという。一度も実を結ぶことはなかったが、この木の世話をすることを約束していたため、律儀に守っているそうだ。すると、レオナルドが言った。
「枯れているように見えても、完全に死んでいなければ新芽が出ることもある。何事も根気よくやってみることが肝心だ」
「そうね。この木はきっとお休み中なのよ。休みが開けたらきっと甘い実を成らせてくれるわ」
この桃の木は明らかに再起不能に見える。けれどそれを分かった上で、レオナルドは彼の思い入れを尊重し、優しくて前向きだった。
たとえこの木が完全に枯れていたとしても、いつか豊かな緑を見せてくれると信じていたいし、そんな希望を抱いていたいものだ。
何気なくふたりがかけた言葉に、ダニエルはなぜか今にも泣き出しそうな顔をして「そうだといいね」と言った。水差しの中がちょうど空になり、一同は店の中に入った。
◇◇◇
「……この染料は、市場に出回ってはならん品物だな」
薬屋のダニエルには事前にエリザベートの尿とエリザベートピンクの布を渡し、成分を解析してもらった。ダニエルは難しい表情で店の奥から出てきて、解析結果を伝える。
いつもへらへらと脳天気に笑っている彼の珍しい深刻ぶりを目の当たりにしても、ウェスタレアは冷静だった。
「……やはり、エリザベートピンクには――毒が?」
「ああ。エリザベートピンクを使ったドレスをよく着ていたというお嬢さんの尿には、分解されずに排出された危険な量の毒が含まれておったよ」
彼は解析書をカウンターに置いてそう言った。
エリザベートピンクの染料に含まれる毒素は、主に皮膚から体内に吸収され、様々な中毒症状を引き起こすという。
ウェスタレアが目にしたエリザベートの中毒症状には、少なくとも吐き気、腹痛、湿疹、痙攣があった。
「一体何を染色の材料に使っているんだ……?」
レオナルドが顎に手を添え、険しい顔つきでそう尋ねる。
ダニエルは手袋をつけた手で、エリザベートピンクの布切れを持ち、それを見下ろしながら言った。
「それはもう、ウェスタレアちゃんが分かっているんじゃないかな」
「そう……なのか?」
ダニエルの言葉に、レオナルドはこちらを振り返った。
ウェスタレアは何も言わずに、懐から一枚の折りたたまれた布を取り出した。その布も見事なエリザベートピンクに染まっていた。
「それは……?」
「私が作ったエリザベートピンクよ。よく再現できているでしょう?」
リアス社の企業秘密のエリザベートピンクの製法。
その鮮やかさは、他の誰にも再現不可能とされてきたが、それもそのはず。ウェストレアは嘲笑を唇に浮かべた。
「誰も再現できないはずよね。この色は、毒のある花から作っているんだもの」
ふと、皇妃候補お披露目パーティーのときに、エリザベートが言っていた言葉を思い出す。彼女は、普通に赤と白の染料を混ぜただけではこの鮮やかな色は作れない。その先は企業秘密で自分さえも知らないと言っていた。
鮮やかなエリザベートピンクを作るには、赤と白の他に――オレンジを混ぜる必要がある。
オレンジの染料というところで、ウェスタレアはすぐに一つの花を思い浮かべた。
「毒のある花だと?」
レオナルドの問いに、ウェスタレアは優美に微笑みながら答えた。
「アギサクラギの花よ」
アギサクラキは大陸北部、アルチティス皇国に生息する落葉樹。その種子は猛毒であることが知られ、種子から抽出したエキスが処刑や暗殺のためにしばしば使われる。
そしてウェスタレアも一度、この種子の毒杯を賜り、処刑されことがある。舌の裏に忍ばせておいた解毒薬によって、一命を取り留めたのだが。まさかここに来て、再びこの植物の名前を口にすることになると思わなかった。
「アギサクラギは美しいオレンジ色の花を咲かせるわ。多くの植物染料は、『媒染』といって色落ちさせないための工程を挟まないといけないけれど、アギサクラギの花はその媒染が必要なくて、その上、とてもはっきり発色するの。植物染料の中でも、特に希少だわ」
毒がなければさぞかし重宝されたことだろう。
ウェスタレアも毒薬の知識があるので、エリザベートの尿をダニエルに託す前に、自身も毒が含まれているか解析していたのだ。
付き合いのあるダニエルは、ウェスタレアがこの程度の成分解析ならできるということを知っていた。彼は、乾燥したアギサクラギの花が入ったガラス瓶を棚から引っ張り出してきて、ことんとカウンターの上に置いた。
「どんな植物より鮮やかなオレンジ色素を抽出できるとはいえ、毒がある。致死性の高い猛毒と知られる種子よりは弱いが、毒は毒……。アギサクラギの花弁が植物染料として実用されることは当然、ありえないことだよ」
「でも、レイン公爵家は、どの企業も利用していないというところで、アギサクラギの鮮やかなオレンジの希少性に目をつけたのでしょうね。たとえ中毒症状が出たとしても――死なない程度ならバレないだろう、と」
レイン公爵家の目論見通り、他では見られない鮮やかなエリザベートピンクは瞬く間に大人気となり、その染料一つの利権で、莫大な財産を築くことになったのである。
すると、それまで沈黙して話を聞いていたレオナルドが口を開く。
「ではなぜ、そこまで自分で分かっていてこの薬屋に来た?」




