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41_郷に入っては郷に従え


 昼食は何にしようかとふたりで話し合い、屋台でパンとスープを買い、近くのテラス席で食べることにした。ぼこぼこと凹みがある平たいパンで、トマトとオリーブ、ベーコンが乗っている。


 アルチティス皇国の伝統的なパンらしく、庶民はこれを、ナイフやフォークを使わずに手でちぎり、スープにつけながら食べるとレオナルドに教えてもらう。


(郷に入っては郷に従え……と言うものね。よし)


 かつての妃教育で、食事の際のマナーを厳しくしつけられてきたウェスタレアは、少し戸惑いながらもその文化にならって、汚れるのを構わず手でちぎって食べた。


「わ……美味しい」


 外はカリッとしていて、中はモチモチだ。口に入れるとハーブの香ばしい風味が広がる。


 ウェスタレアが目新しい異国の食文化を楽しんでいると、レオナルドはどこか嬉しそうにそれを眺めていた。


 食事を済ませたあとは、街道の脇に並ぶ露店をふたりで見て回った。


 ある露店に、造花が使われた髪飾りが売られているのを見つけて、足を止める。その中でも特に目を惹くのは――エリザベートピンクが使われたもの。


(どの店にも必ずと言っていいほど、エリザベートピンクが置いてあるわね)


 レオナルドとのデートを楽しんでいたウェスタレアの表情が、一瞬で真剣なものに切り替わる。そんなウェスタレアの肩口から彼が顔を覗かせ、その視線の先を辿る。


「『花集め』のための造花でも買うつもりか?」


 いいえ、と首を横に振るウェスタレア。


「一つや二つ買って帰ったところで、何の足しにもならないわ」

「……それも、そうだな」


 こんな街の露店で安そうな造花を探し、ちまちまと買い集めた程度では、レイン公爵家の令嬢には勝てない。それでは大切な予算を無駄にするだけだ。すると、レオナルドは小さく息を吐いた。


「皇帝陛下は、少なからずお前に期待している。皇妃選定が始まる前から、レイン公爵家が強く推していた娘と、もう半年競う機会を与えられたのだから」

「分かっているわ。レイン公爵家が選定期間延長を知ってオレンシア皇家圧力をかけても、皇帝陛下が頑としてこの半年の猶予を設けることを譲らなかった……ということも」


 そのとき脳裏に浮かんだのは、お題発表のときにウェスタレアに耳打ちした皇帝の言葉。


『――ライバルに勝ちたいのなら、余がこの題を選んだ真意を考えるのだ』


 レオナルドにそれを打ち明ければ、彼は顎に手を添えた。


「陛下にとっての本当の願いは、現在の王権維持において他にない。オレンシア皇家にとっては、レイン公爵家の令嬢を妃にするのは最も不本意。公爵家の強大な影響力を無視できなかったとはいえ、エリザベートが皇妃の座に手をかけている状況は非常に悩ましいものだ」

「やっぱり……そうよね」


 血筋を問わないという皇妃選定の性質上、権力は一族に集中することなく代替わりごとに分散してきた。


 だからこそ、皇家の立場は脆弱で、新たな勢力に足をすくわれることを常に恐れ続けなければならない。


 エリザベートが皇妃になれば、レイン公爵家は皇帝から実権を奪おうとしのぎを削るかもしれない。つまり、皇帝は自分が在位中の王権を維持していくために、レイン公爵家と婚姻を結ぶ訳にはいかないのである。


(だからって……私に何ができるのよ)


 皇帝の真意がレイン公爵家排斥に結びついたところで、だ。


 ウェスタレアは、憂いた表情を浮かべて目を伏せた。今朝出かける前に、ルシャンテ宮殿のエリザベートの倉庫を見たら、まだひと月しか経っていないのに、沢山の造花が収められていた。予想したよりも早いスピード感で、エリザベートの花集めは進んでいる。


(リアス社の秘今からレイン公爵家の造花工場の稼働を停止させようとしたところで、もう遅い。私が彼女以上に花を集めなければ……勝つことはできない)


 二週間かけて捻り出した案『エリザベートの倉庫に花が集まらないようにする』は、あえなくボツになった。けれど、どんなに考えても、造花をエリザベートよりも多く集める方法だけは思いつかなかった。


「エリザベートの倉庫にはすでにいっぱいの造花が集まっているわ。このままでは、このままでは私は……」


 ――負けてしまう。

 焦りだけが募っていく。どうしたら、彼女に勝てるのか。どうしたら、皇妃の座を掴めるのか。せっかくここまで泥臭く頑張ってきたのに、全てが水の泡になってしまうというのだろうか。


「――自分を追い詰めるな。ウェスタレア」


 そのとき、レオナルドが片手をこちらの肩に置いて言った。こちらをまっすぐ見つめる彼から顔を逸らす。


「だって……勝てる自信が、ないの。怖い」


 ペイジュやエリザベートの前では散々強がってきたが、彼の前で初めて弱音を零す。


「そうだな。お前の気持ちはよく分かる。最近のお前の様子をペイジュに聞いて、随分と焦っているのだろうと思っていた。他の者の前では……気丈に振る舞っているようだったがな」


 恐らく、造花作りに没頭して現実逃避をしていたことだ。


 ペイジュは皇妃選定延長が告げられたとき、すっかり気を塞いでしまった主人を案じてああでもないこうでもないと悩むうちに、とうとうプライドを打ち捨ててレオナルドに相談をしに行った。


 交友関係が少ないウェスタレアのことを相談するのなら、彼以外に適任はいないと考えたのではないか。それ以来時々、主人の様子をレオナルドに報告している。嫌いだと言いつつも、ウェスタレアのことで頼れるのは彼なのだろう。


「あなたには全部……お見通しね。やれるだけのことをやってだめなら、それを潔く受け入れる覚悟もしている。でも……」

「でも?」


 彼のことをまっすぐ見据えて、語気を強めて言う。


「私は――負けたくない」

「それも、よく分かっている。俺のできることはなんでも協力する。だから、ひとりで抱えようとするな」

「なんでも……?」

「ああ、なんでもだ」


 彼はふっと目元を緩めて、自身の左耳からロングピアスを外した。それを、ウェスタレアの手に握らせる。


「これはお前に譲る。好きなように使ってくれて構わない」


 このピアスの青い宝石には、次期皇帝の証しが刻まれている。これ一つで、宮殿の禁書を読むことも、軍を動かすこともできてしまうのだ。一度返したものだが、レオナルドとウェスタレアを結びつけてくれた思い出の品でもある。


 これを託すのはきっと、彼なりの応援の気持ちなのだろうが……。


「私のことを信用しすぎでは? それに、甘やかしすぎよ……」


 すると、レオナルドは口角を持ち上げ、いたずらに言った。


「知らなかったのか? 俺はお前を甘やかしたくて仕方がないんだ」

「……!」


 やっぱり、彼の前だと調子が狂う。ついさっきまでしゅんとなっていた心が、すっかり高鳴っているなんて。ウェスタレアは彼に託されたお守りを、胸の前で宝物のように手で包み込んだ。


「だが分からないな。なぜ重要な皇妃選定の最後の題が、造花を集めることなのか。それこそ、筆記試験の紙と同様、ごみになるだけだ。もっと民衆の利になるようなお題にすれば、オレンシア皇家の求心力が上がるものを」


『ごみになるだけ』と言う言葉に、ぴくりと眉を動かす。そして、レオナルドの方を勢いよく振り返って迫る。


「今なんて言った!?」

「だから、もっと民衆の利になるようなお題を、」

「違う、その前よ!」

「造花なんて、いずれごみになるだけ」

「それよ!」


 ウェスタレアはきらきらと目を輝かせるが、レオナルドは何に興奮しているのか、ぴんときていない様子。


「閃いた。ようやく、面白くなってきたわ」

「……?」


 ろくに説明もせず、ウェスタレアはひとりで納得する。


(一か八かの博打ね。でも……挑戦してみる価値はある。勝てる可能性がほんのわずかでもあるなら)


 ウェスタレアはエリザベートピンクの造花の髪飾りを一つ手に取り、店員に渡した。


「これを一つください」

「毎度あり!」


 会計を済ませてから、レオナルドを急かした。


「早くダニエルさんの所へ行きましょう、レオ」


 レオナルドのことを置いて、先に薬屋の方へ行ってしまう彼女。颯爽と歩いていく後ろ姿を、レオナルドは困ったように見つめるのだった。

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