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39_復讐する覚悟

 

 カットし終わったりんごを皿の上に乗せ、フォークと一緒に彼女に手渡すペイジュ。


(ライバルに親切にしている余裕なんてないけど、無視はできない……)


 りんごを咀嚼する、しゃく、しゃく、という音だけが静かな室内に響く。


「なら、助けられたなんて思わず、利用してやったと思えばいいわ」

「どうして、そこまで……。わたくしの気持ちなんて少しも分からないくせに、良い人ぶらないでいただきたいですわ」

「私はあなたじゃないから、あなたの気持ちなんて分かりっこないわ。ただ……心が苦しいということを……よく知っているだけよ」


 胸に手を当てて目を伏せ、パーティーの日に、エリザベートが懇願するような眼差しで『助けて』と言ってきたことを思い出す。


 ウェスタレアはずっと孤独で、誰に助けを求めることもできなかったし、手を差し伸べられることもなかった。心の支えといえば、少年だったころのレオナルドにもらった励ましくらいで。


「……わたくしの心は傷つけられすぎて、とっくに折れてしまいましたわ。ぽっきりと折れた心を引きずるように、逃げることもできずにただお父様の言いなりに生きているだけ」


 自嘲気味にそう呟いたあと、彼女の瞳に涙が滲む。ぽたぽたと雫がりんごの皿の上に落ちた。


「いつだってお父様は、わたくしの気持ちを尊重してくださらなかった。わたくしが思い通りにいかないとこうして罰を与え、生まれ損ないだったと罵るのです。これではまるで、自我のない操り人形ですわ……っ」


 両手で顔を覆い、わっと咽び泣く彼女の背中を、ペイジュが優しく擦った。ウェスタレアはエリザベートに問う。


「それが嫌なら、あなたが変わろうと足掻くしかないわ。お父様の顔色を窺って、大人しく言うことを聞いて黙っているだけでいいの?」

「わたくしは、わたくしはあなたとは違いますわ! 誰だってあなたのように強くはないの……。変わることなんて……できるはずないですわ。こんな弱くちっぽけな存在に、一体何ができるとおっしゃるのです……!?」

「なんだってできるわ」


 ウェスタレアだって、決して強い訳ではない。それでも、どうしても見たい景色があるから、心を奮い立たせて走り続けている。


 変わろうとするのは怖いものだ。それでも、勇気を出して一歩踏み出そうとしなければ、その先の景色を見ることはできない。


 最初から諦めて殻の中に閉じこもっているより、思い通りの結果にならなくても、失敗と挫折の繰り返しになってもいいから、まずは殻を破って前に進もうと努力する方がいいと思うのだ。そして、踏み出した人にはきっと、嬉しいご褒美があると信じている。


 ウェスタレアは紅茶の注がれたティーカップを手に取りながら、優雅に微笑む。


「毒杯を賜った世紀の大悪女すら、大国の最終皇妃候補になれるような世界なのよ? 非力な女の子が最低な父親に復讐してやることだって――絶対にできるわ。ぎゃふんと言わせてやりなさい!」

「……!」


 エリザベートは目を見開き、その瞳の奥を揺らした。ウェスタレアは彼女に対して片手を伸ばす。


「私はあなたのことは嫌いよ。それでも、あなたが前を向いて足掻こうとするなら、たとえ誰が見放そうと、私だけは決して見捨てない」

「…………」


 エリザベートはつうと一筋頬に伝った涙を拭い、ウェスタレアの手を取って立ち上がった。


「わたくしだって、あなたみたいな高慢で生意気な方は大嫌いですわ。皇妃になって、レオナルド様のお傍にいるのもわたくし。……でも、ありがとう」


 彼女はそっとこちらに近づき、ウェスタレアの肩に顔を埋めた。彼女の頭を包み込むようにして撫でれば、彼女は今にも消え入りそうな弱々しい声で言った。


「わたくしは変わりたい……。弱いままでいたくないですわ。だからお願い。助けて……」

「ええ。もちろんよ」


 ひとしきりエリザベートが泣いて落ち着きを取り戻したあと、ウェスタレアはおもむろに懐からガラスの小瓶を取り出した。


 それを目の前にかざすと、エリザベートが何に使うのかと小首を傾げ、そこにウェスタレアは何食わぬ顔で言った。


「――という訳で、これにあなたの尿を採取させてちょうだい」


「…………はい?」

「どうしても必要なことなのよ。いいから早く」


 無理矢理小瓶を手に握らせるが、彼女の目は点になる。


「…………」

「…………」


 困惑して固まった彼女と、愛想良く微笑むウェスタレアは数秒ほど見つめ合う。するとエリザベートは、我が身に危機感を覚えたのか、ガラス瓶をウェスタレアの胸に押し当てて突き返そうとした。


「嫌ですわっ! 淑女に一体、な、ななな何をさせようとなさってるのよ変態!」


 変態呼ばわりされたウェスタレアは眉間にしわを刻み、彼女に掴みかかる。


「変態ですって? いいからつべこべ言ってないで寄越しなさい。いっそ服を剥ぎ取ってやってもいいのよ? ほら」

「や、やめてくださいましっ! 離してっ! どうしてあなたなんかにわたくしの尿を渡さなくてはならないのです!? 何にお使いになられるのです!? まさか飲む気では――」

「飲まないわよ!」


 一体、エリザベートの中のウェスタレアはどんなイメージなのか。


「尿を解析をするのよ。そうすれば体調不良の原因に繋がるかもしれないから。エリザベートピンクのドレスを着ると、湿疹が出ること。それもお父様に黙っているように言われたの?」

「どうしてそれを……。ええ。わたくしの体質に合わないことが知られたら、広告塔でいられなくなるから――と」


 本当に、ただそれだけだろうか。ティベリオがエリザベートの湿疹を頑なに隠そうとしたのは、単に彼女の体質に合わないからではない。ウェスタレアはそう考えている。


 あのパーティーの日、エリザベート以外にもエリザベートピンクを着た者が体調不良を訴えたという。


「それは違うわ。恐らく、体質の問題などではなく――中毒症状よ。あなただけに起こるものではなく、他の大勢に対しても反応が起こり得る」

「……!」


 エリザベートピンクは、レイン公爵家が経営するリアス社の一大事業。だからティベリオは、利益のためにエリザベートピンクの毒性を隠そうとしたのではないか。――その染料によって、中毒反応が出ることを知っておきながら。




 ◇◇◇




 ウェスタレアは第二皇妃候補宮に帰ったあと、研究室に行った。この研究室はウェスタレアの趣味全開で、壁全体を占めるほどの大きな本棚は毒薬に関する本がぎっしりと収まっている。


 ガラス張りの棚には調剤器具が整然と並べられており、薬の研究や隠し武器である毒針製造のための環境が完璧に整えられていた。ルムゼア王国の王宮にいたころは、常に前王妃の監視下にあり、怪しまれるようなことはできなかったが、この宮殿には、ウェスタレアが薬の勉強をしても咎める者はいない。


 ペイジュやこの宮の使用人達には懐疑的に見られているが、ウェスタレアはお構いなし。夜通し薬の勉強に費やして、白衣姿のまま朝食に向かうなんてこともしばしば。


 そんな研究室にエリザベートの尿を持ち込んで数時間。ウェスタレアは試験管をかざしながら不敵な笑みを浮かべた。


(……やっぱり、ね)


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