04_悪女は奴隷を買う
翌日からしばらく、奴隷商について調査を行った。どうやら毎週金曜日の夜に、円形闘技場の地下で売買が行われているらしい。
さっそくウェスタレアは、金曜の夜に円形闘技場に向かった。――仮面を付けて顔を隠した状態で。
裏口で数人の係員が、入場許可証の確認を行っている。入るには会員になる必要が有るが、ウェスタレアは非会員だ。
「会員証の提示をお願いいたします」
「ないわ。でも代わりに――これを」
さっとお気に入りの指輪を外して、身分の証に手渡す。麻酔針が出る仕掛けつきの指輪は、隠された令嬢時代から身につけていたもので、ルムゼア王国王家の紋章が刻まれている。
係員は家紋を確認して、ウェスタレアを資格ありと認めて中に通してくれた。
(王家の紋章に全く驚きもしなかった。……慣れているのね)
ここに奴隷を買いに、相当の上流階級が訪れるのだろう。
奴隷が収容されている地下に案内される。石造りの壁はじっとりと湿っており、また鼻を刺すような異臭が漂っていて、どこもかしこも汚れている。
「どういった奴隷をお望みですか?」
「心身ともに屈強な女性を。女性の剣闘士はいる?」
ウェスタレアがここに来た目的。それは、皇妃選定を受けていく上での付き人を探すためだ。
「ええもちろん。ではこちらに」
売人の男は顎をしゃくり、奥へと促した。最奥の檻の前。鉄格子越しに、ひとりの奴隷と目が合う。
稲穂のような金髪に、藍色の瞳をした――美青年がそこにいた。
「彼は男じゃない。私は女性が欲しいと言ったのよ」
「いえいえ。その者は男のような見目をしておりますが、れっきとした女ですよ」
売人がへらへらと薄ら笑いで説明する。ペイジュという名の彼女は、上の円形闘技場で度々命懸けの戦いをしてきたという。――見せ物として。
相手は人や猛獣だったりとさまざまで、殺し合いが行われるのは民衆の娯楽目的だ。そこで彼女は、たったの一度も負けたことがないという最強の闘技士だった。
すぐに買われていきそうな強く美しい彼女がなぜずっと売れ残っているかというと、最初の購入者の命令にろくに従わずに歯向かってばかりで、遂には全治数ヶ月の大怪我を負わせ、再びこの地下に戻された。それ以来、怖がって誰も彼女を買おうとはしなかったという。
「今度はレディーが私を買ってくれるのか? これはまた随分とお目が高い」
爽やかな声が耳に届く。ウェスタレアは鉄格子に顔を近づけた。
(主人に大怪我を負わせる――ね)
ウェスタレアが欲しいのは、絶対の忠誠を誓う仲間。
「主人の言うことを聞けないようなら連れて行くことはできないわ」
「美しいものには毒があるっていうだろ? ――全部可愛がってよ。ご主人様?」
艶やかな笑顔を浮かべて、からかうように言う彼女。
「なぜ主人に手を出したの?」
「……あの男がゲス野郎だったからさ」
元主人は横暴な貴族の男で、妻を度々恫喝し、暴力を振るっていた。ペイジュが仕えている間も暴力はひどくなっていった。男が妻の髪を切り落とし、酒瓶で顔を殴りつけたとき、とうとう堪忍袋の緒が切れた彼女は、妻を庇って、男を殴り飛ばした。
「よくやったわ。あなたは間違ってない。それにしても大したタマね。逆らえば、どんなひどい目に遭うかも分からないのに。命があってよかったわね」
「たとえこの薄汚い地下に戻ることになろうと、殺されようと、忠義を尽くす相手は自分で決めるさ」
「聞きたいことがいくつかあるわ。あなた、家事はできる?」
「人並みには」
「戦闘能力と体力は?」
「ご紹介に与った通り、この地下なら1番強いんじゃないかな。体力は……そうだな。君を抱き抱えたまま街を1周できると思うよ」
「最後にひとつ。あなたは私に――命を懸けて仕えることができる? それが誓えるなら、ここから出してあげる」
鉄格子に顔を近づけて、仮面を上にずらすウェスタレア。
出会ったばかりの相手に、命を賭して仕えろというのは、勝手な話だろう。どんな反応が返ってくるかと思えば、彼女は余裕たっぷりに笑った。
「ああ、いいよ。でもいつか、お嬢さんが仕えるに値する相手じゃないと判断したときは――」
「私に歯向かう? 前の主人にしたように」
「そうしなくて済むように、うまく扱ってくれることを願うよ」
三日月のような笑みを湛える唇。そして、挑発じみた眼差しを向けられる。
(肝が据わってる。……気に入った)
厳しい貴族社会に引き込むなら、このくらい度胸があり生意気なくらいが丁度いい。
毒薬も使い方次第で良薬になるし、ウェスタレアは毒を扱うことには慣れている。
売人の方を振り返って告げた。
「採用よ。――彼女にするわ。このまま連れて帰りたいのだけれど、いくら?」
ウェスタレアはその場で支払い、檻を開けさせた。
「――早くここを出なさい。ペイジュ」
闘技場からペイジュを連れ出してあと。彼女とともに宿屋に戻り、まずは汚れた身体を清めさせた。身体中泥まみれで汚れていたが、洗うと元の美しい姿を取り戻した。
寝台に座らせて、怪我をしているところを、ひとつひとつ丁寧に手当てしていく。大気に素肌が晒された半身は、筋肉があって鍛えられているが、やはり女性らしく滑らかだった。
それから洋服屋に行き、適当な服を買う。動きやすいからという彼女自身の希望で、ワイシャツにスラックス、ベストといった男性用の服を着せると、まさに麗しの貴公子といった感じの風貌になった。
「体調はどう? 長いことあんなにひどい場所にいたのだもの。一度お医者様に診ていただいた方がいいかもね」
「平気さ。どこも悪くない」
「何か食べたいものはある? 喉は渇いていない? 欲しいものがあれば遠慮なく言いなさい」
「…………」
街道の途中で、ペイジュは立ち止まった。それに随分と真剣な顔していて。
「――親切すぎじゃないか? 私は奴隷だ」
「元奴隷よ。私はあなたを買ったけれど、前の買い手とは違う。あなたを不当に扱うことはしないし、成果に見合った報酬も与える。あなたにはいずれ、皇妃の侍女としての地位をあげるわ」
皇妃の侍女は女性なら誰しも憧れる花形の仕事だ。これから協力してもらうなら、そのくらいの見返りを与えるのは当然だろう。一方のペイジュは目を瞬かせている。
「皇妃……?」
ウェスタレアは彼女をまっすぐに見据えて告げた。
「――私はいずれ、アルチティス皇国の皇妃になり、全てを手に入れて権力の頂点に君臨するの。だから、協力者として心身ともに強いあなたを選んだ」
「アルチティス皇国では特殊な選考方法で、国中の乙女の中から妃が決められると聞くが、君になれるのか? どれだけ狭き門か分からないよ」
「なれるなれないではない。――なるの」
ウェスタレアの表情から強い信念を汲み取ったペイジュは、その瞳の奥を揺らした。
その場に跪く彼女。そして、前髪の隙間から覗く鋭く真剣な眼差しに射抜かれた。
「実を言うと、私はある没落した騎士家の出身なんです。家族に売られ奴隷という身分に堕ちましたが、子どものころから鍛錬を重ね……騎士になることを夢に見て参りました」
「そう。あなたが望むのは侍女ではなく騎士ということね?」
「……願いが叶うのなら」
ウェスタレアは少し待ちなさいと声をかけ、近くに転がっている木の枝を拾って来て、剣に見立てて彼女の肩を叩いた。これは刀礼と言い、騎士を叙任する際の作法である。
「その願い、聞き届けましょう。あなたは今日より、私のたったひとりの騎士です」
「――我が命を捧げ、あなたの敵を打つ矛となり、御身を守る盾となることを改めてここに……誓います」
胸に手を当てて宣誓を口にする彼女は、女でも見惚れてしまうくらい綺麗だった。
「それで? 私はまず何をすれば?」
彼女は優秀な女剣闘士。闘うことを生業としてきた女性だ。ペイジュは最初に主人がどんな恐ろしいことを命じるのだろうと、試すような目線を送ってくる。
しかし、ウェスタレアはふふと柔らかく微笑み、指を上げた。
「あの壁を一緒によじ登ってもらうわ」
「――は?」
すっと指差した先にあるのは、アルチティス皇国とスリド王国の国境である――壁。
突拍子もない頼みに、彼女はまた目を瞬かせた。