37_鮮やかな染料エリザベートピンク
エリザベートの傍で意識が戻ってくるのを待っていると、数分ほどで目を覚ました。しかしまた、顔を青くさせ吐き、今度は朦朧とする意識の中でウェストレアの手を握ってきた。
縋るような眼差しで、掠れた声を絞り出す。
「助け……て。苦し……」
「ええ、助けるわ。大丈夫、苦しみは通り過ぎていくだけのものよ」
エリザベートのことははっきり言って好きではない。彼女に嫌がらせをされ、足を引っ張られたし、そもそも馬が合わない。だが、助けてと苦しそうに懇願してくる人を、冷たく突き離せてしまうほど、ウェスタレアは冷酷ではなかった。
(こんなとき、あなたは傍にいる父親には目もくれないのね)
具合が悪いとき、多くの場合は身近な存在である親を頼ろうとするものではないか。けれどエリザベートは、はなからティベリオを当てにしていないのだと見て取れた。
力強く彼女の手を握ってやり、襟元をくつろげてやると、彼女はもう一度吐いたあとに気絶した。
そこでやっと宮廷医たちが広間にやって来て、エリザベートに応急処置を施した。
「あとのことは私に任せて、君たちは下がってくれていいよ」
(この人、本当にエリザベートの父親なの?)
娘が倒れているのに、一切動じず、穏やかな笑みを浮かべるティベリオを気味悪く感じた。
「では、そうさせていただきます。どうぞお大事に」
不審に思いながらも大人しく従うことにしてお辞儀をし、レオナルドとペイジュとともに広間を出ようと背を向けると、そっとこちらにティベリオが耳打ちをした。
「出る杭は打たれる。――この言葉をよく覚えておきなさい」
「……」
優しげな口調だが、威圧感がある。ウェスタレアは背中に冷たいものが流れるのを感じた。
◇◇◇
ウェスタレアは広間の外のロビーで、ソファに腰を下ろした。立ったままのレオナルドが、こちらを見下ろしながら苦言を呈す。
「完全に目をつけられたな。どうしてお前は他人の神経を逆撫でするような態度や発言をするんだ」
「もうとっくにティベリオには目をつけられているはずよ。娘のライバル――もうひとりの皇妃候補というだけで、目の上のたんこぶでしかないもの」
「それにしてもお前は相変わらず、恐れ知らずで無鉄砲すぎる」
「そういうところが好きなくせに」
「……」
腕を組みいたずらにそう言うと、彼はほんのりと頬を染めて目を逸した。……どうやら、図星だったらしい。
すると、エリザベートの診断結果を確認しに行かせていたペイジュが、いそいそとロビーにやってきた。
「エリザベートの容態は?」
「ひとまず、命には別状ないそうです。ただ、診断結果は……大勢の人の前だったから緊張したのではないか、と」
「あははっ、そんなふざけた診断をするなんて、とんだヤブ医者を雇っているのね? このルシャンテ宮殿は」
嘔吐、腹痛、痙攣、赤い湿疹。それらの症状を見たら、素人目にも精神面以外の異常があると考える。緊張しただけであれほど壮絶な苦痛に襲われるなら、命がいくつあっても足りないではないか。
手を叩きわざとらしく笑っていると、レオナルドが真面目な顔をして反論した。
「ヤブ医者だと? それはない。この宮殿はアルチティス皇国最高水準の医療が整備されている」
「そんなの分かっているわ。皮肉よ皮肉。ペイジュ。医務室にはエリザベートの他にも、似たような患者さんがいたんじゃない? ――赤い湿疹が出た」
ペイジュは、実際に見た訳でもないのにどうして分かるのか、と眉をわずかに上げながら頷いた。
「は、はい。湿疹のある方が何名かおられました。皆吐き気や腹痛を訴えていて。ただ、気になったのは……」
「――エリザベートピンクのドレスを着ていたこと、でしょう?」
「!」
人差し指をすっと立てて、先読みするようきにそう告げると、彼女はまた驚いた様子で、はいと答えた。
(エリザベートの湿疹は、服の生地に触れている場所に広がっていた)
ウェスタレアはソファから立ち上がり、口角を持ち上げた。
「今この国で大流行のエリザベートピンク。あの染料には――毒が含まれている」
ティベリオとエリザベートは、湿疹が出ていることを隠そうとしていた。エリザベートピンクによって、中毒症状が出ることを知っていたのではないか。ようやく見つけた、リアス社とレイン公爵家の弱み。
ゆっくりと歩きながら、頭上のシャンデリアを見上げ、目を細める。
(皇帝陛下はこのことをご存知だったのかしら。エリザベートピンクを利用すれば……この皇妃選定の勝機も見えてくる)




