35_私、潔癖症なので
今日の主役ともある彼女の身に何かあったのかと、人集りを掻き分けるようにして彼女の元に向かった。
「…………」
エリザベートは真っ青な状態で倒れ込んでいた。額に脂汗を滲ませ、苦しそうに顔をしかめている。野次馬たちは、興味本位でその様子を見ているだけで、誰も救護をしようと動かない。
いくらライバルとはいっても苦しんでいる人を放っておくことはできず、ウェスタレアは彼らを乱暴に掻き分ける。
「――退いて! 邪魔よ」
エリザベートの傍に駆け寄り、肩に手を添えて話しかける。まずは彼女の症状を把握する必要があるからだ。
「どうしたの? 気分が悪い?」
「気持ちが悪くて……うっ、……」
彼女はそのまま床に嘔吐した。頬に触れると、かなりの熱がある。そして、首元にも手首と同じ――赤い湿疹ができていた。
「他には?」
「お腹が……痛いですわ」
「吐き気に腹痛ね。この湿疹はいつから?」
「……………」
湿疹について答えようとしない彼女。ウェスタレアはとりあえず医者を呼ぼうと思い、あとから騒ぎに駆けつけたペイジュに言う。
「ペイジュ。すぐに宮廷医を呼んできて」
「分かりました!」
踵を返そうとするペイジュだが、それをこの男が引き止める。
「その必要はないよ」
「!」
ティベリオ・レイン。ペイジュは、一瞬憎しみを眼差しに浮かべかけたが、唇を引き結んで堪える。格上の身分の相手には従うべきだと、彼女のなけなしの理性が判断したらしく、大人しくその場に踏み留まった。
そして、ペイジュをひと目見たティベリオは一瞬、驚いた顔をした気がした。だがすぐに貼り付けたような笑顔で、娘に声をかける。
「どうしたんだいエリザベート。そうだ、大勢の方々の前に出て緊張したんだね。外の空気でも吸えばすぐに気分も良くなるだろう。さ、お立ち」
「……は……い。お父様」
どう見ても、人混みに酔ったとか緊張したとかいう範疇の話ではない。明らかに動ける状態ではないのに、無理矢理立たせようとすることに違和感を感じる。
ティベリオの様子は、まるでエリザベートの不調を人々から隠そうとしているかのようで。
「ち、ちょっと」
「――深入りするな」
心配して声をかけようとするウェスタレアの腕を、レオナルドが掴み、耳元で忠告を囁く。
普段はウェスタレアの行動を放任してくれている彼が、こうして明らかな禁止を示すのは珍しい。それだけ、ティベリオという男が関わると危険な相手であることが分かる。
すると、ティベリオに無理矢理起こされたエリザベートの体がふらりと揺れて再び倒れ、今度は痙攣し始めた。目を開いたまま失神し、動かなくなってしまう。
その姿を見て人々は動揺する。ウェスタレアはレオナルドの制止を無視して、もう一度エリザベートの傍にしゃがみ込んだ。
そして、周りの人々を睨みつけ、広間中に響き渡るような大声で叫ぶ。
「――見世物じゃないわよ!!」
その迫力に圧倒されて、騒がしかった広間はしん……と静まり返った。
「レオナルド皇太子殿下、人払いを。それからただちに宮廷医を呼んでください。早く!」
「わ、分かった」
ただならない状況に、レオナルドはようやく頷く。彼の誘導で、大勢の人たちがいた広間は誰もいなくなった。
野次馬のひとりの婦人が羽織っていたブランケットを半ば強引に借り、丸めて枕にし、吐いたときに気道が塞がってしまわないように、エリザベートの頭を横に向けた。呼吸しやすいようにドレスの首元を緩めようと手を伸ばすと、ティベリオに腕を掴まれる。
「私の娘は潔癖の気があってね。申し訳ないけど、あまり触れないでいただけるかな。あとで私が叱られてしまうからね」
「では、同じお言葉を返させていただきます」
「え?」
「そう気安く触らないでいただけますか。私――潔癖症なので」
「……!」
雑な手つきで彼の手を振り払えば、彼は一瞬ぴくりと頬を引きつらせたが、すぐに穏やかな表情を貼り付ける。
皇家すら一目置く公爵家の当主に対する、あまりに不躾な物言いと態度に、レオナルドは天井を仰ぐのだった。




