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34_倒れるライバル

 

 彼女はゆっくりと息を吐き、抜きかけた剣を収める。しかし、興奮を収まらないようで、握り締めている両方の拳が、かたかたと小刻みに震えていた。


(彼が、悪名高きレイン公爵家当主、ティベリオ・レイン)


 ウェスタレアは、彼の姿を目にするのは初めてだった。エリザベートの父というより、兄という方が納得できるくらい若々しい見た目だ。


 レイン公爵家は、表向きは栄華を極めた大貴族だが、権力と金のためなら手段をいとわないらしく、『悪の貴族』と密かにささやく者もいる。


 しかし、ティベリオは、悪人というには随分と優しげな雰囲気で、にこにこと微笑みを湛えている。人が良さそうにも思えるが、権力のために手段をいとわず、敵になりえる者たちを抑圧してきたため、ほうぼうで恨みを買っている。それは、ウェスタレアのかつての宿敵――リリーを彷彿とさせる。


 彼女は、愛らしい笑顔を常に湛え純真無垢なふりをしていたが、その正体は強烈な野心家で、自分の欲を満たすために虎視眈々と次期王妃の座を狙っていた。


 ウェスタレアはレオナルドに目配せし、ペイジュを止めてくれた礼を伝える。彼が現れなければ、ペイジュはあのまま剣をティベリオに突きつけていたかもしれない。


「ペイジュ。あなた、ティベリオ公爵のことを知っていたの?」

「ええ。知っていますよ。あの男は私の――敵ですから」

「敵……ね」


 ペイジュの境遇は普通ではなく、かつてスリド王国の闘技場の地下で、奴隷として収容されていた。そして女剣闘士として戦わされ、無敗の記録を誇っていた。奴隷になる前は貴族の娘で、没落して奴隷という身分に堕ちたのだと言っていたが、それ以上の詳しい話は聞いたことがない。


 宮殿の使用人が割れたガラスを片付ける傍らで、ペイジュはワインが注がれた別のグラスを取り、一気にぐいっと飲み干した。


(ペイジュとティベリオ……。このふたりの過去に一体何があったの?)


 ペイジュは普段からあまり、自分の話をしたがらない。ウェスタレアも隠し事ばかりだったので、自分のことを打ち明けない代わりに、彼女の過去のことを詮索するようなこともしてこなかった。


 彼女は、ティベリオのことを敵だと言ったきり、それ以上語ろうとしなかった。


 するとそのとき、オーケストラが演奏を始めた。ゆったりとしたワルツが広間に響く。


 パーティーではまず、主役が中央で踊り始める習わしだ。このパーティーにおいての主役は、皇妃候補のふたり。


 音楽が流れ始めて、さっそくエリザベートが父親のティベリオを相手に踊り始める。さすがは現役の公爵家当主と公爵令嬢というだけある模範的なダンスで、彼らに歓声と拍手が沸き起こる。


 ただ、エリザベートの表情が明らかに暗い。ティベリオはにこにこと楽しそうにしているのに。いつも自信がありげな顔をしている彼女にしては珍しく、しおらしい様子だ。父親と踊るのが楽しくないのだろうか。


「少しは愛想良くしたらどうなんだい? 皇妃に笑顔は大切だよ」

「も、申し訳ございません。……お父様」


 ウェスタレアの耳には届かないが、そんなやり取りのあとで、エリザベートは笑顔を取り繕った。お手本のようなふたりのダンスを見ていると、レオナルドがこちらに手を差し伸べた。


「お前も負けていられないんじゃないか?」

「ええ。当たり前よ」


 不敵に口角を持ち上げて、彼の手を取る。音楽に合わせて優雅なステップを踏みながら、ウェスタレアとレオナルドも広間の中央に寄っていく。


 ざわり。皇妃候補のひとりと皇太子という組み合わせに、人々はひそひそと憶測を交わした。


「ウェスタレア様は皇太子殿下のお気に入りなのか……?」

「冷徹なお方なのに、彼女を見つめる表情はどこか穏やかだわ。彼女が次の皇妃で決まりかしら」

「いくら殿下が目にかけていたとしても関係はない。最後の皇妃選定は、造花をより集めた方が勝ちなのだから。まぁ、レイン公爵家の実力に屈することになるのは目に見えているがな」


 自分のことを品定めするかのような視線を四方から感じつつ、ウェスタレアはダンスに集中した。


 彼にリードされながら、時折ターンを入れると、回転に合わせてドレスの裾がふわりと翻る。「おお……」と参集者たちから感嘆の息が漏れるのを、ウェスタレアの耳が拾った。


 ルムゼア王国で長い間離宮に閉じ込められて、厳しい妃教育を施されてきたウェスタレア。前王妃の嫌がらせを込めてのものだったが、そのときにダンスの技術も磨き抜かれたのである。


 レオナルドもまた、ダンスの技術面はさることながら、体幹が良く筋力もあるため、こちらが難易度が高いステップを踏んでも付いてくるし、無理がありそうな姿勢をしてもしっかりと支えてくれる。


「ダンス、お上手なのね」

「曲がりなりにも一国の皇太子だからな」


 難しい技を次々と繰り出し、息ぴったりに踊るウェスタレアとレオナルド。これに観衆はすっかり心を打たれて、とりわけ大きな拍手を送った。それは、エリザベートたちのダンスよりもずっと良い反応だった。


「あの子のダンスの方が評判が良いみたいだ。君は練習不足だったのではないかい?」

「そ、そのようなことは……痛っ」


 盛り上がる観衆に紛れるように、ティベリオがエリザベートを叱責しながら靴をわざと踏んで、彼女が痛そうに顔をしかめているのだが、誰もそれに気づかない。


 皇妃候補二組のダンスに続いて、他の紳士淑女も二組を囲って踊り始める。集まっていた人々の視線と関心から開放され、小さく息を吐くウェスタレア。


 そして、周りに聞こえない声で彼にひっそりと話しかけた。


「さっきのペイジュの殺気、すごかったわね。あなたが止めていなかったら……大変なことになっていたかも。ありがとう」

「相当な憎悪だった。あの騎士とティベリオの因縁について、お前は全く知らないのか?」


 ウェスタレアは頷く。


「彼女は自分のことをあまり話したがらない性格だから」


 話してくれたなら力になろうと尽くすこともできるが、彼女がそれを望まないなら手出しのしようがない。


「ティベリオはほうぼうで恨みを買っている男だ。何があったと聞いても、驚きはしないがな」

「一見、悪人のようには見えないけど」

「往々にして、本物の悪人は、悪人の顔をしていないものだ。善人のようなふりをしているから、なおさらタチが悪い」

「……とても心当たりがあるわ」


 リリーのことを思い出して、苦い顔をする。彼女はいつだって良い王女の仮面を被り、ウェスタレアのことを騙していたのだった。


 レオナルドによると、前王妃デルフィーヌが毒や武器を仕入れていたデボラ商会と、レイン公爵家は関わっていたらしいがその証拠は見つからないまま。


 様々なこの国の闇にかかわっているとされながら、依然しっぽを掴めないレイン公爵家。


 今最も話題になっているのは、レイン公爵家が国内外に展開するリアス社の――エリザベートピンク事業だ。だが、リアス社が、健全な会社なのかそうでないのか、ウェスタレアには分からない。


「あなたから見て、リアス社はどう?」

「表向きは健全に見えるが、俺個人の意見では、とてもそう思えないな。例えばエリザベートピンクでいうと、紡績工場から織機工場まで、住所を隠している。ティベリオや経営にかかる重要人しか知らないと噂されている。不審に思わないか?」

「確かに怪しいわね。何か後ろめたいことがありますと言っているよう」

「だろう」


(リアス社が後ろめたいことを抱えているのなら、工場の稼働停止も非現実的ではない)


 ウェスタレアは瞬時に、花集めというお題とリアス社の関連性、そこに潜む皇帝の真意に思いをめぐらせた。


 オーケストラの演奏の一曲目が終わる。二曲目はアップテンポの曲だった。ウェスタレアは違う曲調にもすぐに対応して軽快にステップを踏んでいると、どこからかバタンッと音がした。踊るのを中断して、音がした方を振り向く。


「今の、何の音?」

「誰かが倒れたようだ」


 人々のざわめきの中に『エリザベート』という名前が聞こえてきて、ウェスタレアとレオナルドは顔を見合わせる。

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