29_物語は続いていく(最終話)
ひと月後。ルシャンテ宮殿の最西の角部屋でウェスタレアは目覚めた。センスの良い白の調度品で統一されている。
侍女たちがカーテンを開けて陽の光を部屋に入れ、朝食の準備からウェスタレアの身支度まで迅速に進めてくれる。
朝食にパンと野菜のスープを食べていると、侍女の一人が封筒を差し出しながら言った。
「ウェスタレア様にお手紙が届いております」
「どなたから?」
「ルムゼア王国王太子、フィリックス・ネーゼロア様からです」
「そう。ありがとう。テーブルに置いておいて」
今日は食後に予定がある。早々に朝食を済ませてから、フィリックスの手紙をポケットにしまって部屋を出た。
広い庭園を歩き、約束したガゼボに向かう。朝露に濡れた薔薇の花壇を抜けた先、石造りのガゼボにレオナルドがいた。まだ待ち合わせには早いが、ウェスタレアを待たせないようにひと足先に来ていたのだろう。
本を読んでいる彼の後ろに静かに近づき、ほんのいたずら心で、彼の目を両手で隠して囁く。
「誰でしょう?」
問いかけを聞き、ベンチに座った彼はこちらを振り返り、ガゼボの手すり越しにウェスタレアの腕をぐっと引いた。
「きゃっ、何……!?」
「その声は――俺の妃だな」
「…………」
うっとりと目を細めてそう答えたレオナルドは、もっと近くで顔を見せろと言わんばかりに距離を詰めて来る。ウェスタレは無愛想に彼の額を人差し指でつんと押して突き放す。
そして、訂正した。
「――まだ候補よ! 候補!」
ウェスタレアはガゼボの中に入り、彼の隣にどすっと腰を下ろす。
結論から言えば、最終選考で皇妃が決定されることはなかった。その代わりに、ウェスタレアとエリザベートは皇帝が認めるたったふたりの正式な皇妃候補になった。
あの日、皇族たちの話し合いの末に再び謁見の間に呼び出されたウェスタレアたちはこう告げられた。皇妃の決定は保留にし、半年後に再評価をする――と。結局ウェスタレアはエリザベートのライバルとして、もう1年争うことになった。これは前例のないことで、異例中の異例だった。
レイン公爵家は、当然エリザベートが選ばれると思っていたためオレンシア皇家に強く抗議し圧力をかけた。ウェスタレアのことを一方的に否定し、エリザベートのどこが不足なのかと激昂していたそうだ。だが、皇帝は固い意思で決定を覆さなかった。
(私の次の壁は――悪の貴族、レイン公爵家)
ウェスタレアは試されているのだ。皇妃にふさわしい人間だと証明してみせろ、と。国で随一の権力者の娘であるエリザベートを決定的に上回る何かを、より多くの人々に見せて納得させなければ、レイン公爵家は引き下がらないだろうから。
この半年は、ウェスタレアがレイン公爵家とその勢力を黙らさせるための期間だと解釈している。彼らが認めていなければ、皇妃になっても邪魔され、自由な活動はさせてもらえないだろう。
しかし彼らは、権力のために手段を選ばない『悪の貴族』とも囁かれている。
候補者期間の半年の間……彼らは果たして、何もせず傍観してくれるのだろうか。
憧れのルシャンテ宮殿に住んではいるものの、油断ならない状況だ。
「……その、あまり落ち込むな」
「どうして落ち込む必要があるの? まだチャンスがあるのに。私の夢は終わっていないわ。それだけでありがたいことよ」
するとレオナルドは、釈然としない様子で言った。
「お前の騎士に、人知れず泣いていたと聞いた」
「ペイジュ……!」
何を勝手に主人の秘密をバラしてくれるのだ、と怒り任せにその場で立ち上がる。自信たっぷりだったウェスタレアの顔がかあっと赤くなる。
(ああもう。全然格好つかないじゃない)
あと少しで叶うというところで、また掴み損ねたのだ。半年も先延ばしにされてショックを受け、先の見えない未来に不安になるのは無理のないこと。部屋でひっそり落ち込むくらい許されてもいいではないか。
「そして、俺がお前に泣かせるような何かをしたんだと決めつけて掴みかかってきた」
「ペイジュ……」
彼女は、見た目がいい男だからという理由でレオナルドのことを毛嫌いしていたが、彼の正体が皇太子と分かっても、その姿勢は相変わらずだった。
(この件はあとでペイジュに問い詰める――として)
こほんと咳払いして、座り直す。
「落ち込んでいたのは少しの間だけよ。でももう前を向いてるから、ご心配なく!」
皇妃にふさわしい自分になるために、まだまだ成長していかなくてはならないということだろう。この試練も機会と捉え、貪欲に、時に泥臭く足掻いていくつもりだ。
「そうか。ならいい」
心配そうに顔を覗き込んでくる彼から視線を逸らし、ポケットの中からフィリックスから届いた手紙を取り出した。朝は忙しくて読む時間がなかったが、もしかしたら急用かもしれないので、レオナルドに許可をもらって目を通す。
まずはお礼が書かれていた。詳しく言うと、ウェスタレアの潔白を証明するためにフィリックスが協力したことへの対価についてだ。
最終的には、ルムゼア王国とアルチティス皇国の和平を目指しているが、まだウェスタレアは皇妃にすらなれていない。しかし、流行病に効く薬草は、ウェスタレアがかつてルジェーン公爵令嬢として持っていた私財を全て投げ打って購入し、ルムゼア王国に支援した。家族に奪われないように、財産の預け場所を誰にも教えなかったのは幸いだった。
これで大勢の命が救われたと感謝が述べられている。
「私財を投じた慈善事業には感心だが、料理の腕は相変わらずらしい。また凄いものを作ってきたな。これはなんだ?」
「どこからどう見てもシフォンケーキよ」
テーブルの上に乗った黒々とした物体を見下ろして、レオナルドはため息を漏らした。相変わらず料理の腕前だけはさっぱりで、食材を炭に変えてしまうのだ。
「このシフォンケーキは随分と可哀想ななりをしているな。……おい待て。ま、まさか俺に食わせる気じゃ――んん!?」
これも、昨晩レオナルドのために焼いたはいいものの、まぁとにかく可哀想な感じに仕上がってしまった。ウェスタレアの手でひと口強引に口に入れられたレオナルドは、案の定顔を青くさせて喉を押さえ、むせた。口を手で押えながらいぶかしげに言う。
「……これは新手の毒兵器になるな」
毒兵器という言葉は聞かなかったことにし、ごほんとわざとらしく咳払いをして、フィリックスからの手紙に視線を落とす。手紙には彼の近況も書かれていた。彼の婚約者の最有力候補だったリリーが没落し、彼は新たな婚約者を探し始めているそうだ。
「……あの人が、幸せになれますように」
そっと頬を緩めて呟くと、レオナルドはその表情の変化に目ざとく気づいた。
「お前……フィリックスに気があるのか?」
「そういうんじゃないわよ。何疑ってるの」
「長い間婚約者だったんだ。何か特別な情が生まれてもおかしくはない。……ずっと、気になっていた」
レオナルドは険しい顔つきでどうなんだと迫ってくる。
「兄みたいな存在よ。あなたが気にするようなことは何もないから。ひょっとして――妬いてるの?」
「当然だ。好きな人には自分だけを見ていてほしいものだからな。それに、お前にその気がなくても、向こうはどうか分からないだろう?」
「ふふ、まさか。私なんてずっと相手にされていなかったわ」
「お前は聡いのか鈍いのか馬鹿なのか分からないな」
むっとした表情で近づいてきて、壁際に追い詰められる。
「なっ!? 馬鹿って何よ馬鹿って……!」
「言葉のままだ」
「……もう」
しかし、やきもちを焼く彼がなんだかいじらしくて小さく笑い、レオナルドの頬に手を添えて顔を近づけた。陶器のようなしなやかな頬を親指の腹で撫でながら問う。
「よく見て。私の目にはあなたしか映っていないでしょう?」
ウェスタレアの双眸には、レオナルドの姿だけが映っている。すると彼はウェスタレアの指に自分の指を絡めて、更に近くへと引き寄せた。
「見えないな。――もっと近くで確かめさせろ」
「…………」
深い森を吸い込んだような緑の瞳に射抜かれて、胸が甘やかに締め付けられる。
ウェスタレアが瞼を閉じたのと同時に、彼は自身の唇をこちらの唇に押し当てた。温かくて、優しい、肌とは違う粘膜の感触に、心臓の鼓動が早まる。
触れるだけの長い口付けをする二人。
ガゼボの柱の上には、藤の花が咲いており、ほのかな甘い香りが鼻先を掠めた。
長らくひとりぼっちで離宮に幽閉された上、陰謀により処刑された悪女ウェスタレア。
そんな彼女はどん底から這い上がり、人々から敬愛される――大陸一の皇国の皇妃になる。
これはまだ、彼女の夢の途中のお話。
ここでウィステリアの物語はひと区切りとさせていただきます。最後までお付き合いくださりありがとうございます。
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では、またどこかでお目にかかれますように。
【追記】
2024年6月ごろに、DREノベルス様より発売します。下に公式サイトのリンクを貼っておきました。




