27_悪女よ、皇妃の座を掴め(1)
そして、皇妃選定の最終選考を迎えた。
最終選考が行われるのは、ルシャンテ宮殿の謁見の間。そこで皇帝の口からお題が︎出され、それに皇妃候補として回答をする。
しばらく控え室で待たされたあと、係員が呼び出しに来た。
長い回廊を進み、謁見の間にはすでにエリザベートの姿があった。彼女は2人の最終候補者のうちのひとりだ。
ドレス切り裂き事件があった手前、お互いに気まずいはずなのだが、彼女は何事もなかったかのようにこちらに優美に会釈する。
「お互い悔いが残らないように、精一杯頑張りましょうね。――ウェスタレア様」
「…………」
敵意を向けられずほっと安堵したのも束の間、彼女は耳元で呟いた。「余裕ぶっていらっしゃるようですが、わたくしは負けませんわよ」――と。
「どうしてわざわざこの国で皇妃を目指すのです? ルムゼア王国はあなたのせいで秩序が崩壊しました。この国までかき乱されては敵いませんわ」
妃になりたいなら、生まれた国に帰れと言わんばかりだ。
「アルチティス皇国は国籍さえあれば、全ての女性に皇妃選定に参加する資格が与えれる。こうして私がここに立っているということは、資格に問題はないということよ」
あなたに文句を言われる筋合いはないのだと視線で訴えると、2人の視線の間に火花が散った。
そんな2人の目の前で、謁見の間に繋がる大扉がゆっくりと開け放たれる。
シャンデリアの強い光に目を眇めた直後、広い謁見の間に、皇后カネラ、皇帝、そしてレオナルドがいるのが見えた。当初の予定ではここに皇子と皇女がいるはずだったが、彼らはなぜか選考員から除外されていた。
カネラは昔からエリザベートのことを可愛がっており、「頑張れ」と目で応援していた。
ウェスタレアとエリザベートは前に出て、最上の礼を執る。
頭を下げた状態で、皇帝の指示を待つ。
「面を上げよ」
「「はい」」
皇帝は部下に巻子本を持って来させた。そこには出題される問いの内容が書かれており、彼はそれを見下ろしながら言った。
「――では、最終選考を始める」
皇帝の峻厳とした佇まいに、これまでにはない緊張感が漂う。彼は一度咳払いをしてから巻子本を読み上げた。
「『貧困層の国民の飢えをなくすにはどうすべきか、自由に述べよ』。それが此度の皇妃選定、最後の問いだ。まずはエリザベート。そなたから答えてみよ」
「はい。わたくしは豊かな者たちが食べ物を分け与えたら良いのではないかと思いますわ。わたくしたち貴族には、弱い者たちに慈善を施す義務があります。皆がそうして慈悲の心を持てば、困窮で苦しむ人はいなくなると思うのです。そしてわたくしは、貴族たちの模範になれるような皇妃となり、彼らに徳を説いていきたいと考えております」
まるで最初から答えを用意してきたかのような、模範的な回答だった。エリザベートはそれから、貴族たちが弱い者を救う心得や規範についてを熱心に語った。
(お手本通り。優等生の回答ね)
試験であれば花丸がもらえただろう。
皇帝はエリザベートの答えを聞いたあと、こちらを見てウェスタレアに回答を促した。
ウェスタレアは答えに少しも迷いがない。
「――はっきりと申し上げて、食料を分け与えることは飢えの解決にはならないと思います」
「ほう。先の回答を批判するか」
皇帝は意外そうに、髭の生えた顎をしゃくる。エリザベートはいぶかしげに眉をひそめる。
「この国で飢えに苦しむ人は何万人といます。その人たちに貴族は延々と食べ物を与え続けることができるでしょうか? いえ、できません」
食料を支援することは、対処療法のようなもので、ほんの一瞬の救いにしかならない。
「お題の通り、飢えを根本的に解決するには、貧困層が自分たちの力で食べ物にありつけるような政策を立案し、実行する必要があります。具体的な話をいたします。まずは――教育です」
ウェスタレアは、この国に来たときに知った識字率の低さを指摘した。アルチティス皇国は大国であるがゆえに、識字教育が行き届いていなかった。皇妃選定の筆記試験で大量に使われる紙も、受験する女性が字を読めないのでは捨てるのと同じだ。
文字の読み書きさえできれば、働き先が見つかる可能性が上がる。
貴族だけではなく、貧困層にも積極的に教育を行うことで貧困から脱却させ、食べ物を買うための経済力をつけさせることがひとつ目の解決法だ。
「そして次に――医療です」
現在も流行病で多くの人命が失われている母国ルムゼアを例に挙げる。
民が病を患うと、やがて人口が減少し、労働力が少なくなる。だから、薬が手に入りやすい環境を整えることで、農作などの生産性も向上するだろうと述べた。
ルムゼア王国では、流行病に効く薬に法外な値段が付けられ、富裕層しか手に入らない状況になっている。しかし、病で労働人口が減ることで、貴族の領地収入は少なくなり、結果として国全体が貧しくなった。
「薬が手に入らない貧困層は、藁をも掴む思いで最後には毒さえも飲み、結局病には効かず命を落とします。本当に毒を飲むべきなのは、薬を独占する愚かな貴族でしょう」
デルフィーヌが、愚かな貴族のひとりだった。しかし、そうやって薬を転売して儲けているのは、彼女だけではない。同じようなことを思いつく人は何人もいる。
この国で言うと、デボラ商会がそうだった。彼らは貴族などの富裕層ばかりを優先して高額で商品を売り付け、本当に必要としていたとしても貧しい客は相手にしなかった。
「これらを行うには、資金と手間がかかるでしょう。ですが、自立に向けた支援と基盤作りが、民衆を本当の意味で危機から救うと私は考えます」
「では、現状の政策は間違っていると?」
正直、問題は必ずあると思う。どの国も完璧でないのは普通だ。しかしここで、間違っていると答えるのは、敬愛する皇帝の治世を批判したと取られてもおかしくはない。
だが……。
「正しいか間違っているかの二択であれば――間違っていると答えます」
一語一語力を込めて答えた途端、レオナルドが「何を言ってるんだ」という顔で眉間の辺りをぐっと押した。カネラは唖然として口を開いている。
しかし、皇帝は顔色ひとつ変えず、ふむ……と呟いてから、巻子本を置いた。
「余は個人的にそなたに聞いてみたい。なぜ皇妃になりたい? そなたがルムゼア王国で受けてきた仕打ちは耳にしておる。それでもなお、なぜ皇妃の座を掴もうとする? 国が変わっても、そなたが目を背けたくなるような悪はあるのだぞ」
ウェスタレアはまっすぐ彼のことを見据えて答えた。
「皇妃とは本来、国家の繁栄と平和のために尽くす存在です。ですが……ある国では悪い人たちが自分の欲望と都合のためだけにその座を狙いました」
悪い人たち、とはもちろんリリーとデルフィーヌのこと。
ウェスタレアは、悪女として処刑されてから、最終選考に至るまでを思い出す。フィリックスが前王妃に迎合する自分を責めていたことや、トーニオが前王妃に命を奪われた妻を思って泣いていたことが脳裏に思い浮かんだ。多くの人が権力に翻弄されて苦しんできたということを、ウェスタレアはよく理解している。
「私は知っています。権力を持つ者の愚かさを。自分の欲のために他人を傷つけることをいとわない者の卑劣さを。……だからここに来ました。私は一度どん底に落ちましたが、それは皇妃に必要な経験だったと今は確信しております。言葉には表せないほどの痛みを知ったからこそ、横暴から私のような人々を救いたいのです」
追いかけていた夢は、掴みかけては遠ざかり、また掴みかけては見失ってきた。それでも手を伸ばし続けた。遠いところに小さく見える光を仰ぎ見るかのごとく、信じていた。
みっともなくても情けなくてもいい。ゆっくりでも、休んでも、時には転んで泥まみれになってもいい。どんな形であれ前に進み続けていたら、どこかで追い風が吹き始めて、辿り着きたい場所まで一気にぐぐっと押し出してくれるかもしれない……と。
そして今、全ての経験が血となり身となり、原動力となり、ウェスタレアを強く突き動かしてくれている。本当は、素晴らしい皇妃になるために、無駄なことなんて何ひとつなかったのかもしれない。どれかひとつでも欠けていたら、今の自分はいないから。いや、皇妃の座を掴み、全て無駄ではなかったと証明してみせるのだ。
「本来ならば、貴族も平民も等しく権利を守られるべきです。私が皇妃になったあかつきには、貴族社会における悪を一掃します。民衆の権利を妨げるを苦しめるだけの貴族など、いない方がマシでしょう」
そっとエリザベートを一瞥すると、彼女は表情を強ばらせていた。彼女の実家レイン公爵家は、裁かれるべき悪を多く背負っているから。
自分はずっと、王室に携わってきたのに誰の役にも立てていない。それがたまらなく悔しい。私を選んで。私の手を掴んで。そんな気持ちをメラメラと燃やしながら、高い場所に座する皇帝を見上げ、大胆に言う。
「悪を為す貴族は――罪を暴き、爵位を剥奪してみせます。誰も見捨てないし、誰も悪人の思いのままにはさせません。この手が届く限り」
離宮で周りの言うことを聞いて大人しくしていたウェスタレアはもう、ここにはいない。
誰に裏切られても負けないし、踏みつけられても何度でも立ち上がり、心に従って生きるのだ。
「……!」
皇帝さえ、大胆なウェスタレアの言葉に息を飲む。
祖国で絶大な勢力を誇っていた前王妃に立ち向かい、見事打ち負かしたウェスタレアの言葉には重みがあった。
皇帝は面白がるような表情を浮かべ、長い顎髭を撫でた。
ウェスタレアが切実な思いを告げたあと、皇帝は再びエリザベートに視線を向けた。
「そなたも何か言いたいことはあるか?」
「……いえ、ございません。……何も」
ウェスタレアの話を聞いて、エリザベートはすっかり威勢をなくし、肩を竦めていた。そこで最終選考は終了となり、ウェスタレアはもう一度美しいカーテシーを披露して、謁見の間を退出した。




