25_悪女の赤い髪(2)
まず始めに断罪するのは、デルフィーヌだ。彼女はウェスタレアを死んだものと思っていたようで、相当驚いている。驚きと同時に――恐怖しているのが伝わってきた。
「ひ、引き返すなら今よ。歯向かう相手はよく考えた方がいい。離宮に引き篭っていたあなたにできることなんて、たかが知れているもの」
「それは脅しですか? それに引き篭っていたのではなく……あれは――幽閉でした」
「……っ!」
彼女の最後の説得を軽くあしらい、手をかざしてひとり目の証人を入室させた。王宮の懲罰房で清掃員をしているトーニオだ。
「お前は……っ」
動揺するデルフィーヌをよそに、ウェスタレアは淡々と告げた。
「私が用意した証人、トーニオ・ウーゴさんです。前王妃様はもちろん覚えていらっしゃいますよね」
「し、知らないわよ。こんな小汚い男」
「まぁ。彼の奥様を殺害しておいてよくそのようなことが言えましたね」
デルフィーヌの残酷な所業に、また傍聴人たちがうるさくなる。
「先ほどの弁明で前王妃様は、アルチティス皇国の商会を知らないとおっしゃいましたね。ですが5年前、トーニオさんの奥様は商会の代表者との取引を目撃し、あなたの口から『デボラ』と発せられたのを聞いたがために、口封じで殺されたのです。そうですね?」
「はい。そうです。その通りです……」
トーニオは、以前ウェスタレアに聞かせてくれたように、当時のことを切々と語った。妻カロライナは、デボラという言葉を聞いただけで口封じのために毒殺されたのだと。
「何か言いたいことはありますか?」
「私はあなたが憎い……っ。妻を、妻を返してください……っ!」
トーニオはとうとう、嗚咽を漏らしながら泣き始めた。積年の恨みと無念が伝わる。
「そんなのは言いがかりよ! あの下女はね、持病があって発作で死んだの。私は何もしていない!」
「まさか! カロライナは風邪ひとつ引かない健康体でした」
「黙れ黙れ黙れ!」
かなり狼狽えているデルフィーヌに、「黙るのはあなたです」とウェスタレアが告げる。
「これを見てもまだ言いがかりだと言えますか?」
ウェスタレアはそこで2つの死亡診断書を提示した。ひとつは、前王妃の命令によって改ざんされたもの。もう一方は、正規な死亡診断書。そこには病死ではなく、正しくは中毒死と書かれていた。
ウェスタレアはペイジュに、診断書を書いた宮廷医を訪ねさせた。
彼は前王妃に診断書を書き換えさせられることが度々あり、正しい方の診断書も複製して保存していた。王宮は、デルフィーヌが責任者として統括を行っている。王宮内で死者が出ると、死亡診断書には彼女も必ず目を通し、印を押す規則になっている。
今回の死亡診断書にも、全てに宮廷医とのサインとデルフィーヌの印が施されており、それらが本件の証拠として認められるものだと証明している。
偽造診断書と正規の診断書のふたつに印を押したということは、紛れもなく改ざんに加担したということの証明である。
「ここに、前王妃によって書き換えられた死亡診断書が――5人分。5人がトーニオさんの奥様と同じ目に遭っているようです」
「…………っ!」
「私には理解不能です。こんなに傷ついているトーニオさんを見ても、なんとも思わないだなんて……。あなたには人の心がないのですか?」
ウェスタレアは更に続けた。
「あなたは、デボラ商会から毒を買いつけた罪を私に擦り付けようとなさっていますが、私には不可能です。最初に言った通り、私は離宮に隔離され、常にあなたに監視されていましたから」
次に証人として現れたのは、かつてウェスタレアの護衛騎士を務めていた男たち数名。彼らは常にウェスタレアの行動を監視し、逐一デルフィーヌに報告していたと証言した。彼らは多額の報酬を提示すると、証人になることをあっさりと引き受けたのだった。
「前王妃様。これでもまだ自分は無実だと言えますか?」
「……! 違う。私は潔白よ! 私は……私は――」
怒り立っていた彼女だが、ショックのあまりその場で気を失ってしまった。彼女を係員たちが引きずるように退出させる。
ウェスタレアは一歩下がり、リリーの方を振り向いた。――次はあなたの番よ、という意志を込めて見つめれば、彼女の華奢な肩がびくっと跳ねた。
「こんな形であなたと対立したくはなかったわ。リリー」
「ね、ねえウェス……っ。一旦、落ち着こう? 今日のウェス、なんだかいつもと違って怖い顔をしているわ。そうよ! きっと何か誤解があるのよ。話せば分かるわ。だってわたくしたちは――親友だもの」
「親友――ね。そう思っていたのは、私だけじゃない」
「っ!」
小さく息を吐き、「被告人への尋問を始めます」と裁判官たちに伝える。すぅと目を細めるウェスタレア。
「あなたは初めから――私のことを友達なんて思っていなかったのよね」
「違うわ、そんなことない!」
後ろに控えさせていたペイジュに指示をして、水が並々と入った桶を用意させる。
――ザプン。それをなんのてらいもなく頭から被る。水が赤い染料を落として、元の白銀の髪に戻る。
「仲良くなり始めたころ、あなたは教えてくれたわ。『白銀の髪はこの国では老いの象徴になる』のだと。そして私に似合うからと真っ赤な染料を勧めてくれたわよね」
「…………」
しかし実際には、白銀の髪が老いの象徴として蔑視される事実はない。いくら隔離されて世間知らずだとはいえ、ウェスタレアも分かっていた。正しくは――赤い髪が蔑視の対象だった。血を連想させるとされ、『悪魔の色』と呼ばれたりするほど。
「赤で染めていたのは、リリーが似合うからと勧めてくれたから。誰かが自分のために何かをしてくれるのが初めてのことで、嬉しかったのよ」
リリーが赤髪を勧めてきたのは、赤い髪の意味を知らずに、純粋な好意からだと思っていた。けれど彼女は、ウェスタレアに恥をかかせたくて意地悪でそんなことをしていたのだろう。今ならよく分かる。
ウェスタレアはタオルで濡れた髪を拭きながら彼女に言った。
「私はあなたに裏切られて死ぬまで、友情の印である赤髪を守ったわ。これ以上に、私があなたを信じていたことへの証明があるかしら?」
「…………」
「でも普通、差別されることが分かっていながら赤髪を押し付けるなんて……親友と思っている相手にはしないわよね。私だけが浮かれていたのだと今になって思うわ」
リリーは口篭り、拳を固く握り締めた。
「それからリリー。さっき『一度も王妃になりたいと望んだことはない』と断言していたけれど、それも嘘よね」
「嘘じゃないわ! それだけは本当よ……っ。信じてウェス!」
『それだけは』ということは、故意に赤髪を勧めたことは認めるのだろう。
ウェスタレアは新たな証拠品として、一冊の本を出した。年季が入っている分厚い本。それを見たリリーは、今日一番顔色を悪くさせた。
「それは……っ」
「これは、彼女が綴っていた日記帳です。彼女が王妃になることを望み、私を心底憎んでいたことが書いてあります。ではこの場で少し音読させていただきましょうか」
「そんなもの、知らないわ。私の日記帳だという根拠だってないのでしょう?」
「あるわ」
ウェスタレアはペイジュに命令し、二枚の紙を掲げさせた。一枚は、建国祭でリリーが国民に向けて書いた紋章入りの手紙。もう一枚は、手紙の文字と日記の文字の筆跡鑑定書。
「これは、リリーが以前建国祭で書いた手紙です。街に張り出されていたそうなので、この場にいらっしゃる方もご覧になったことがあるでしょう。そして、筆跡鑑定に出したところ、この手紙のリリーの筆跡と、日記の筆跡はほぼ100パーセントの確率で一致、と結果が出ています」
「こんなの、何かの間違いよ! 皆、耳を塞いで……! 聞いては駄目!」
筆跡鑑定の結果を見たリリーは、悲痛な表情で聴衆に訴える。その表情は、演技ではなく本心の方だろう。
「『早くあの女を追い出さなくちゃ。だってわたくしこそが王妃にふさわしいのだもの』」
「違う違う違う、違う……! それは私が書いた文じゃない……っ!」
「『わたくしのことを親友と思って騙されて、ウェスは馬鹿な人。わたくしはあなたが大嫌い。ああもう、早く死ねばいいのに』」
「嫌っ……やめてっ。わたくしじゃない、わたくしじゃない……!」
「『皆わたくしのことを愛してくれるけど、残念。わたくしは踏み台としか思っていないわ。どいつもこいつも無能ばっかり』」
「――違うって言ってるでしょ!」
彼女は声を張り上げて、筆跡鑑定書をペイジュから奪い取り、その場でびりびりに破り捨てて、何度も踏みつけた。
「こんなの、事実無根よ……っ」
リリーのことを可愛がっていた国王や王妃たちも、唖然呆然。日記に綴られた清純なイメージの王女の赤裸々な本心に、聴衆も引いている。
「往生際が悪いのよ、あなた。そんな反応をしたらかえって、日記の持主があなただと丸分かりだわ。――演技のお勉強をもっと頑張らなくちゃ」
「…………っ」
ずっと前、まだリリーと仲が良かったころ。彼女がちらりと零した『日記をつけているの』という言葉を覚えていた。だからフィリックスに頼んでこっそり押収させたのだ。
「あなたはずっと、完璧な王女を演じていた。だからこの日記だけが、唯一本当のことを打ち明けられる場所だったのよね?」
「…………っ」
リリーは拳を固く握り締めて、こちらを睨みつけた。
「そうよ、悪い!? 嘘の自分でいないと、誰も好きになってくれないもの。わたくしだって必死だったの。ウェスは知らないでしょ! わたくしが不毛の地レザルに嫁がされそうになっていたことだって」
「レザルに? そんな、いつの話……」
レザル王国は、一年のうちほとんどが雪で覆われ、作物はろくに育たず、戦争ばかりで民が疲弊している国だ。そしてレザル王国の国王は、小太りの好色男だと聞く。
リリーは続ける。国王の方針で自分はレザルとの友好関係のために、嫁がされることになっていたのだと。だからそれを防ぐために、王妃になる策略を立てていたのだと。
皆に愛される品行方正な王女になって、ウェスタレアを排除したあとに王妃の座に自然に据えてもらえるように。
「ずっと……ウェスが憎かった。周りの顔色を窺ったりせず、静かな離宮でのんびり暮らせて。わたくしだってできることなら、全部投げ出して、呑気に過ごしていたかったわよ!」
「…………」
「ちやほやされたかっただけじゃない。地位が欲しかっただけじゃない。わたくしにはわたくしなりの大義名分があったし、後悔してないわ」
リリーにそんな苦悩があったとは、全く知らなかった。それなりに長い付き合いだったのに、彼女は一切悟らせなかった。それも作戦のひとつだったのかもしれないが。
「相談してくれたら……よかったのに」
「え……」
「どうしてもっと早くに言わなかったの? 話してくれたら、きっと力になろうとしたのに……――なんて」
今更言ったところで、何もかも遅い。リリーは結局のところ、我が身可愛さに、ウェスタレアを殺すことを選択したのだから。それに彼女は、ウェスタレアを傷つけたことに対して、罪悪感を微塵も感じていないらしい。
「本当に……友達だと思って信じていたのは、私だけだったのね。残念よ」
ウェスタレアは寂しげに微笑み、弁論を終了した。




