24_悪女の赤い髪(1)
ルムゼア王国に帰国して一週間。翌日に裁判を控えたところで、前王妃の評判は更に低下していた。
ウェスタレアは王宮内を聞き回って集めた前王妃の悪評を、ペイジュとともに町中に張り付けた。フィリックスが記事を書かせた流行病の薬草買い占め事件で、ただでさえ批判を受けていたので、この記事の反響は絶大だった。前王妃を追放しろという声があちこちから上がっている。
(民意がここまで動けば……準備は万端ね)
これは、フィリックスの周到な調査のおかげでもある。
(過去にこれほど追い詰められたことはないでしょうね。リリーも焦り始めているはず)
王宮敷地内の射場。ウェスタレアは的に向けて弓を構え、矢を放った。――トンッという音ともに、矢の先が中央から少しずれて当たった。
「惜しい。それにしても、ウェスタレアは上達が早いね」
「……それほどでも」
この一週間、裁判のための準備に並行して、ペイジュに教わりながら弓の練習をしてきた。
ウェスタレアは要領がよく、あっという間に上達していった。今日はフィリックスが遊びに付き合ってくれている。彼は思わず見惚れてしまうほど綺麗な射型で矢を放つ。まっすぐ飛んでいった矢は、少しのブレもなく真ん中に当たった。
「……もし前王妃たちが王宮から消えれば、ここの空気も少しは綺麗になるかな?」
「ええ。……きっと」
「もう少し上に構えて。そう、いい感じだ」
フィリックスは弓を置き、こちらにそっと近づいて、ウェスタレアの射型を正した。彼はウェスタレアの腕を支えながら囁いた。
「ウェスタレア。――本国に戻る気はあるかい? もう一度、この国の王妃になる意思が。君にはその権利がある」
「お戯れを。選ぶ権利もあります」
「…………」
ばっさりと彼の言葉を斬り捨てて、そのまま矢を放つウェスタレア。
「私は一度、この国に悪女としてこっぴどく捨てられました。王宮の端に追いやられ、それでもなお国家のために頑張ってきたのに、国家は私を守ってはくれませんでした」
守自分のことを晒し者にした国のことも、罵声を浴びせてきた民衆の睨み顔も、忘れることはできない。
「私が忠義を尽くす国は――自分で決めます。もちろんフィリックス様には感謝していますが、私は新しい場所で頑張るつもりです。腐敗した王宮の膿出しをお手伝いして、この国での務めは最後にさせてください」
「……そっか。それが君の意思なら応援するよ」
「わがままを言って申し訳ございません」
「わがままだなんて思ってないよ」
不自由と窮屈を強いられるのはもううんざりだ。きっぱりと断る意志を示すと、彼は少し残念そうにしていた。彼に能力を高く買われていることはよく理解している。
「それから実は……アルチティスで好きな人が……できて」
「!」
そう告げると、今日初めてフィリックスの矢が的を外れた。彼は目を見開かせながら、こちらを振り返った。
「その相手が――皇太子殿下なの」
「レオを? へぇ、なるほど。そういう理由もあるんだね」
フィリックスとレオナルドは留学先が同じで、敵国の王族同士ではあるものの相当親しい仲らしい。恥ずかしげに頷くと、フィリックスはなぜか、寂しそうに微笑むのだった。
「僕はただ、君の幸せを願っているよ」
◇◇◇
そして、とうとう裁判の日を迎えた。
ルジェーン公爵邸の一室で、多くの侍女たちが身なりを整える。
前日に染めた髪は『隠された令嬢』時代と同じ――赤。処刑された日と同じ、悪女ウェスタレアの姿が再現される。完成した姿を見たペイジュがなぜ髪色を変えるのかと驚く。
「白銀の髪は、老いの象徴として蔑視されるのよ」
「そんな話……私は聞いたことがありませんけどね。それにいくらなんでも、赤で染めるのは……」
そこまで言いかけて、彼女は口を噤んだ。ウェスタレアはどこか寂しげに呟く。
「私の赤い髪はね……私にとって『友情の証』だったのよ。昔はね。――それよりあなたこそ、よく似合っているわ。その格好」
ペイジュは騎士服を身にまとっている。峻厳とした佇まいで、高貴な家の騎士という感じが漂っている。彼女はそっと胸に手を添え、騎士の礼を執った。絵画から飛び出してきたような麗しさに息を飲む。
「公女殿下の護衛をさせていただけるとは、身に余る名誉です」
「まぁ素敵。あなたが男だったら惚れてるわね」
ウェスタレアはペイジュを含んだ騎士数名に、侍女を連れて裁判所へと向かった。
裁判の会場には、国王に王妃、王太子といったそうそうたる顔ぶれが揃っていた。それだけではなく、大勢の民衆が傍聴席に押し寄せている。
まずは、被告人デルフィーヌとリリーの弁論から始まる。ウェスタレアはフードを深く被って検察官席で傍聴していた。裁判官が告訴内容を読み上げると、2人はそれを真っ向から否定する。
まるで作家でも付いているのではないかと思うほど、彼女たちはそれぞれ言葉巧みに自分たちの潔白を訴えていく。そして、偽の証拠品と証人まで揃えていた。
しかし、ここで流れが変わり始める。ひとつ目の疑惑、ウェスタレアがリリーに盛った毒を、デルフィーヌが入手していたのではないかという疑惑について。
検察側から、アルチティス皇国の商会とデルフィーヌの毒の取引があった書類が提示される。それまで余裕の表情だった彼女が、顔を青くさせた。
「で、でっち上げよ! 何かの陰謀だわ! 私が大事な娘リリーに微量であっても毒を飲ませるあことなんてありえない。それに……アルチティス皇国に毒を売ってくれるデボラ……? 商会なんて名前初めて聞くわね」
そして次に、リリーが毒を飲んだのは、ウェスタレアに罪を着せ、王妃の座を奪うための自作自演だったのではないかという疑惑。リリーは弁論の席に立った瞬間、わっと泣き出した。
「そんな……っ。自作自演だなんてありえません。わたくしとウェスは親友だったんです。ひとりぼっちで妃教育を受けていた彼女をずっと励まし続けていたのは私だけでした。……どうしてこんなことになってしまったのか……今になっても信じられないくらいで」
ハンカチを取り出して涙を拭う彼女。傍聴人も――彼女の演技に惹き付けられ、同情をあらわにしている。唯一ウェスタレアだけが、冷めた目でリリーの弁明を聞いていた。
彼女が用意した証人である侍女や令嬢たちも、必死になって彼女を擁護している。彼女たちはリリーを潔白と信じて疑わない様子で、それらの言葉はどれも本心から来るもののようだ。
そして最後にリリーは、涙ながらに裁判官と聴衆に訴えた。
「わたくしは、今までに一度だって王妃になりたいと望んだことはありませんでした。わたくしには、ウェスを陥れる動機がございません。彼女は今でも……わたくしの親友です!」
証言台に立つとき、嘘を言わないと誓いを立てるのに、彼女の言葉は嘘だらけだ。
会場がリリーに取り込まれたところで、ウェスタレアは声を上げて笑った。
「ふっ……。ははっ、あはははっ! 本当――最高ね」
検察席からすっと立ち上がり、フードを脱いだ。真っ赤な血液を染み込ませたような真紅の髪が晒される。目が合ったリリーは、こちらの姿を見て唖然とした。
「どうして……あなたが……」
「地獄の底から化けて参りました――なんて。久しぶりね。相変わらず演技が上手で感心させられるわ。女優になったらどう?」
わざとらしく拍手を贈ると、彼女は不快そうに眉をひそめた。彼女のすぐ近くまでつかつかと歩み寄るウェスタレア。
彼女は一歩、二歩と後退り、信じられないといった風に言う。
「――生きていたの? ウェス」
代わりに答えたのは、フィリックスだった。
「彼女を生かしたのは僕です。今、この裁判において彼女は重要な証人だ。裁判長、王太子フィリックスの名において、被害者ウェスタレア・ルジェーンの意見陳述を要求します」
「待ちなさい!!」
声を張り上げたのは、デルフィーヌだった。彼女は眉間に縦じわを刻み、証言台を拳で叩いた。
「そんなの認められないわ! 国法により出た判決を無視して罪人を生かすなんて……。国家に対する冒涜よ! ――誰か、あの2人をここから追い出しなさい!」
警備兵がデルフィーヌの命令に動こうとするが、フィリックスが手をかざしてそれを制す。
「彼女が罪人だったと認められた場合、僕は国家に背いた責任を取って毒を飲み死にましょう」
ざわり。彼の大胆すぎる発言に、会場がどよめく。フィリックスはデルフィーヌを睨むように見据え、挑発的に言った。
「しかし、彼女が無実だった場合――あなたはその命をもって国家に償う覚悟がおありですか?」
「……っ!」
デルフィーヌはぎゅっと拳を握り締める。爪が肌に刺さったせいで、血が床に滴り落ちた。
「いいわ。そのときは毒でも針でも飲んでやりましょう。その意見陳述とやらを聴いてみようじゃない。――でも。潔白を示せなかった場合、どうなるか……分かってるのよね!? ウェスタレア・ルジェーーン!!」
彼女の怒号が響き渡り、ざわめいていた会場が静まり返る。デルフィーヌの威圧感と迫力に、裁判官たちですら圧倒されて肩を竦めてるいる。
けれどウェスタレアだけは、にこっと唇の端を上げた。
「煮るなり焼くなりお好きにどうぞ。裁判長。前王妃様はこうおっしゃっています。弁論を認めていただけますか?」
「き、許可する」
裁判長はデルフィーヌの息がかかった人間だ。フィリックスの協力のおかげで、ウェスタレアの思惑通りデルフィーヌは挑発に乗り、発言の権利を得た。これで舞台は整った。あとは、国王に王妃、大勢の聴衆を納得させるだけだ。
(ここからがこの裁判の――本番よ。覚悟はできた? リリー)
会場中の注目が集まる中、ウェスタレアは証言台に立った。




