22_悪女は祖国に戻る
裁判に向けて、ウェスタレアは一度ルムゼア王国に帰ることになった。長すぎる休暇になってしまうので、薬屋でのアルバイトは辞めることに。
本国で罪を晴らせたら、公爵令嬢としての地位を取り戻すことになるため、アルバイトをする必要もなくなるだろう。
「また刺繍ですか? 選定で使う予定でも?」
「……これは、レオに贈ろうと思って」
「なるほど。どうりで凝ってる訳だ」
移動中の揺れる馬車の中で、ウェスタレアは刺繍道具を広げていた。レオナルドにハンカチを渡すということで、喜んでもらいたくて気合いが入ってしまい、2次選考のときよりもデザインに悩んだ。
「……からかわないで」
「からかってなんかないですよ。将来――夫になるかもしれない相手と仲がいいのは結構なことですから。まぁ、あの男はどうも虫が好かないですけど」
「あの男って……。彼はこの国の皇太子殿下なのよ?」
「身分は非の打ち所がないですが、人格はまた別の問題です。あの上から目線の偉そうな感じが私は気に入りません」
ペイジュはどうも、レオのことが気に入らないらしい。
(偉そうな感じも何も、偉い人なのよ)
非難めいた口ぶりに、思わず尋ねる。
「どうしてそんなに気に入らないの?」
「昔から見た目がいい男が大嫌いなんです。……前の主人も、顔だけはいいろくでなしでした。顔がいい男はクズだと相場が決まってるんですよ。あの男を見ているとムカムカしてつい足が滑って蹴り飛ばしそうになったり、ついうっかり手を滑らせて剣で両断しそうになります」
「それはうっかりではなく故意というのよ。脳内だけにしておきなさい」
「脳内ならいいのか」
散々コケにしているが、ペイジュもその『見た目がいい男』にしか見えないときがある。しかしそれについては、また何か怒らせても面倒なので、口にするのを控えておくとしよう。
「ところでこのハンカチ、ペイジュにもあるわよ」
すでに刺繍が終わったハンカチを、裁縫箱の中から取り出す。これはいつもお世話になっている礼に、ペイジュのために作ったものだ。
「え……主が私のために? いいんですか?」
「ええ。いつもありがとう。本当にささやかだけれど、感謝の印よ」
ハンカチを受け取った彼女は、嬉しそうに「大事にします」と頬を綻ばせるのだった。レオとお揃いのデザインだけど、と言ったらまた機嫌が悪くなりそうなので、黙っておく。
「本国に戻ったら、あなたはウェスタレア・ルジェーンの騎士になる。中傷を受けるかもしれないわ。……悪いわね」
「――全て覚悟の上です。ウェスタレア嬢のことは私がお守りします。私のたったひとりの主」
彼女は、今ウェスタレアが信頼を置ける唯一の騎士だ。
ルムゼア王国に戻って、フィリックスが用意してくれた屋敷に寝泊まりすることになった。彼がデルフィーヌとリリーを告訴したことで、世間は大騒ぎになっていた。
居間の大きなソファに腰を下ろし、裁判についてが書かれた新聞を読んでいるウェスタレアに、ペイジュが紅茶を淹れる。
「前王妃様は狡猾で……おまけに力があるからこそ厄介な相手なんですよね。判決を覆すことが簡単にできてしまうのでは?」
例えば、裁判官を買収したり、脅したりすることもできる。偽の証人を用意したり、証拠を捏造することも。フィリックスが証拠を抑えているとはいえ、簡単に勝てるような相手ではないのだ。
「――だからこそ私が立って、無実を聴衆に訴えかけることに意味があるわ」
堂々と生きていくためには、自分で立ち向かうしかないのだ。
「そういえば、母国に帰ってきたのに、実家にはお戻りにならないんですか?」
「…………」
ウェスタレアは紅茶を飲んでいた手をぴたりと止める。
「もう絶縁してるの。生きていることを伝える気もないわ」
両親は権力欲はあっても、ウェスタレアに対する関心は持ち合わせていなかった。
処刑されるときも、冤罪を訴えてはくれず、処刑場にも足を運びさえしなかった。そういう、薄情な人たちなのだ。
するとペイジュは、複雑そうな顔をしていた。
「言いづらい話をさせてしまってすみません」
「気にしなくていいわ。――でも今は、あなたのことを家族みたいに思っているわよ?」
「主……」
ペイジュは感激した様子で眉尻を下げた。
ウェスタレアが屋敷に到着したタイミングで、フィリックスの使者が来て、裁判で使えそうな証拠品が届けられた。引き出しから紙とペンを引っ張り出して来て、今後の計画を立てていく。
「そのリストは?」
「裁判までに私が会うべき人たち。もしかしたらすでに前王妃の息がかかっているかもしれないから、よくよく見極めが必要なの」
集めなくてはいけないのは、前王妃の悪行を訴える証人だ。なんでも構わない。前王妃の悪人さが際立てば際立つほど、ウェスタレアを陥れたことに説得力がつくから。裁判には大勢の人が傍聴に集まる。そこで民意を味方につけることが重要なのだ。
死んだはずのウェスタレア・ルジェーンが弁論に立てば、さぞかし注目が集まることだろう。すでにフィリックスにはこの証人集めに協力してもらっており、それを精査してリストに線を引いていく。
「主はなんというか……本当に『行動力』の人ですね」
「ふふ、もう執念で生きてるって感じよ。証明したいの。権力に押し潰されそうになっても、打ち勝つ底力が誰にでもあるということをね。そして、誰かの小さな勇気に繋がったらいいなって。離宮のすみっこに追いやられて縮こまっていた私にもできるのだから、あなたも大丈夫よって」
少なくともウェスタレアは、理不尽をただ嘆いたままでいたくはない。黙々と作業を進めつつ、ペイジュに言う。
「明日は王宮に行くわ。あなたは早く休みなさい」
「では、お言葉に甘えて。主も無理だけはなさらず」
「分かっているわ。ああ、そうだ――」
ペイジュには客室が用意されている。しかし、部屋を出ていこうとする彼女を引き留めた。
「ペイジュ。矢を射るのは得意?」
「人並みにはできます。それが何か?」
「屋敷に射場があるから、時間があるときに教えてくれない? 今度狩猟祭に行くから、レオをびっくりさせたいの」
「そういうこと。まぁいいですよ。それじゃ、おやすみなさい」
「おやすみ」
ペイジュが出ていってひとりになった部屋で、ウェスタレアは一冊の本を開いていた。
(これは……)
フィリックスが押収した証拠品のひとつであるリリーの日記帳。フィリックスが侍女をそそのかして押収したものだ。女の子らしく、見覚えのある筆跡で綴られた文章に目を見開く。そして、小さく呟いた。
「リリー……。これが、あなたの本心なのね」




