21_悪女は約束がほしい
夜会が終わってまもなく、ウェスタレアの屋敷に2通の書簡が届いた。一通目は皇家からで、内容は皇妃選定の最終候補に残ったという旨のもの。もうひとつは、フィリックスからだった。
フィリックスの書簡には、ルムゼア王国の新聞記事が同封されており、前王妃デルフィーヌが薬草の高額転売をして儲けていたことで、反発した国民たちによる暴動が各地で起こっていると書かれていた。
そして、前王妃と王女の裁判の日程も記載されていた。
「ペイジュ。実はね。あ……その……あなたに話さなければならないことがあるの」
居間のテーブルで、カトラリーを磨いているペイジュに話しかける。
無実を証明するための裁判に参加しなければならなくなった今、ペイジュには自分の正体を告げようと思う。
本当の名前を打ち明けたら、きっと軽蔑される。罪人に騙されていたと怒りを覚えるかもしれない。
「……私は、コルダータという名前ではないの。本当の名は――ウェスタレア・ルジェーン」
「……!」
絞り出すように言うと、衝撃を受けた彼女は、持っていたフォークを床に落とした。処刑された世紀の悪女の名前を知らない者は、いない。
「……ずっと、騙していてごめんなさい。私の話を信じてなんて言わないわ。失望したならそれでいい。無理に私と一緒にいてとももう言わない……から」
本当は、最終選考までもそのあとも一緒にいてほしかった。そういうつもりで彼女を奴隷商で買い取ったのだが、彼女に対する友情が芽生えた今は、意思を尊重したいと思っている。
「――お辛かったでしょう……」
その刹那、彼女の瞳から涙が伝う。いつも飄々としている彼女が、初めて見せた涙だった。もっと罵られたり、突き放されたりしてもおかしくはないと覚悟していたのに。
「主がそんなに大変なことを抱えていらっしゃったのに、全く気づけなかったなんて……」
「私のために……泣いてくれるの……?」
彼女の涙が、ウェスタレアを哀れんだものだと理解した。びっくりして立ち尽くしていると、彼女に抱き締められる。
「ちょ、ペイジュ……!?」
「本国に戻るおつもりなら、私もご一緒させてください。どこまでもお供します」
「……いいの? 私はルムゼア王国では、最低最悪の嫌われ者なのよ……?」
「何をおっしゃいますか。私にとっては恩人であり――大切な友です」
「私のことを友達だと思ってくれるの? 私なんかのことを……っ」
「当たり前です!」
自分のために泣いてくれる相手が、力になろうとしてくれる相手が、目の前にいる。
「私……ずっと友達がほしいと思っていたの。――夢みたい」
花が綻ぶように破顔するウェスタレアに、ペイジュも目元を和らげるのだった。
アルチティス皇国を発つ計画を立てたあと、ウェスタレアは家を出て街を歩いた。街に行けば、ばったりレオに会えるのではないか。そう思ったのだ。
薬屋のアルバイトの開始時間はとっくに過ぎている。こんなところをほっつき歩いていてはならないのに、祖国に戻る前に一度会いたくて。
随分遠回りをしてようやく着いた薬屋の近くのベンチに座り、陽の光を鏡のように反射する湖面を眺める。
(アルバイトをサボるなんて……私、どうかしてるわ)
彼と最後に会ったのは二次選考の前。それから毎日のように、気づいたらここに来てしまうのだ。
こんなところで時間を潰したって仕方がないと立ち上がり、湖を離れようとしたそのとき――。
「――誰を待っている?」
「!」
後ろから声をかけられて立ち止まる。振り返るとそこに待ち焦がれていたレオがいた。
彼はつかつかとこちらに歩み寄り、ウェスタレアの顔を覗き込みながら、不敵に口角を上げた。
「俺、か?」
「――ち、ちが……」
かっと顔を赤くして沈黙するウェスタレア。少しの間迷った末に、こくんと頷くと、レオはどこか嬉しそうに眉尻を下げた。
2人は湖の周りの小道を歩く。
「以前、あなたは言ったわよね。皇妃は皇太子の女になるから、もし選ばれたら会うことはできないと」
「……ああ、言った」
「それは嘘よね。だって――」
ウェスタレアは足を止め、彼を見上げる。
「あなたが――皇太子本人だから。あなたの名はレオナルド・オレンシア。アルチティス皇国の皇帝になるお方」
レオは特に驚く様子もなく、ただ「そうだ」とだけ答えた。
耳に下げていた次期皇帝を示すピアスを外して差し出し、深く頭を下げる。
「これまでの数々の非礼、お詫びのしようもございません。まさかあなたが皇太子殿下とは知らずに……。いえ、知らなかったとはいえ、許されない所業でした」
「全くだ。これまでの人生で、誰かにこうも振り回されたことはない」
「……」
手からピアスを取り上げられる。ウェスタレアは何を言われるのだろうかと身構えた。
彼への数々の不敬が思い出される。
彼が片手を上げたのを見て、ウェスタレアはびくと肩を跳ねさせた。
(叩かれる――!?)
ウェスタレアは固く瞼を閉じた。
すると、右耳に冷たい金属の感触が触れて、はっと顔を上げる。レオナルドは取り上げたピアスをもう1度ウェスタレアの耳につけた。――どうして、と聞く前に彼が言う。
「これまで散々ひどい目に遭わせてくれたんだ。しっかりと償ってもらわないとな」
「つ、償う……?」
「ああ。俺が許すまでそれはお前が持っていろ。お前への――罰の証だ」
「でもこれは……この耳飾りは、あなたにとって、とても大事なものなのでは……」
この紋章は言ってみれば身分証だ。部外者でも宮殿の禁書庫への出入りや、重要書類の閲覧までできてしまう代物。
「そうだ。だからお前が失くしたりしていないか定期的に確かめなくてはならないだろうな」
それではまるで――次に会う口実を作ろうとしているようで。意図を理解したウェスタレアは目を瞬かせてから、ふっと笑った。そして、いたずらを思いついた子どものように返す。
「でも私、お金に困って売り飛ばしてしまうかもしれないですよ。ああ、うっかり床に落として踏んでしまうこともあるかも」
「お、おい。ならやっぱり返せ」
「――嫌よ」
伸びてくる手をすいとかわし、耳を押さえる。
「だから、約束をください。私がこの耳飾りを管理できているか、確かめに来るお約束を」
こうやって遠回しに『会いたい』と伝えるのが、ウェスタレアの精一杯だった。彼は伸ばしかけていた手を戻す。
「矢を射たことはあるか?」
「ない……けれど」
「皇館で狩猟祭が行われる。気分転換に毎年参加しているのだが……。来るか? お前も」
「行きたいです……!」
日程は最終選考の少し前だった。そしてちょうど、前王妃と王女の裁判のあと。裁判に勝てば、ウェスタレアはもう一度その名前を名乗る権利を得ることができる。
逆にもし負けたら、二度と名誉を挽回することはできないし、生きて帰ることもできないだろう。
(もう……この人に会えないかもしれない)
彼と会うのは最後になるかもしれない。けれど、寂しさを心の奥にしまって、そっと微笑む。
「……では、次にお会いできるのはしばらく先ですね」
「そうだな。……次に会う前にひとつ、頼んでもいいか?」
「……ええ。なんでしょうか」
「ハンカチに刺繍を施してほしい。――俺のために」
「!」
異性に渡す刺繍入りのハンカチは、愛情の証とされる。狩猟祭が行われるとき、女性たちは恋人や夫の無事を願って、ハンカチを送る文化がある。彼の気持ちを理解し、頬をほんのりと朱に染めて、「分かった」とはにかむ。
「ええ、狩猟祭の日までにきっと。……どんなお花が好きですか?」
「藤の花」
「…………」
藤の花は、ルムゼア王国でウェスタレア・ルジェーンを指す。
(レオは恐らく、気づいている。私の正体に)
それでもあえて直接的に聞いてこないのは、彼なりの配慮だろう。近々ルムゼア王国で裁判が行われることは有名な話。ウェスタレアが動こうとしていることも聡い彼は気づいているかもしれない。
レオナルドの視線の先には、満開の藤棚が。
「私も好きです。――藤の花が。……ハンカチをお渡しするとき、私の秘密を聞いてくれますか?」
「ああ。お前の話なら、なんでも聞こう」
「ありがとうございます。……レオナルド様」
「レオでいい。私的な場では、今までのように接しろ」
「で、ですが……」
彼はそっと顔を近づけて、「俺がそうしてほしいんだ」と付け加える。その表情が妖艶で、優しくて、ウェスタレアの心臓が脈打った。
「分かったわよ。……レオ」
ウェスタレアは初めて彼と『次に会う約束』を交わす。
「それじゃ、また……」
手を振って踵を返すウェスタレア。
別れたあと、後ろ髪を引かれる思いでとぼとぼ歩くが、途中で立ち止まって振り返る。彼も帰らずにそこに留まりこちらを見送っていた。
どちらからともなく駆け寄り抱き合う。彼は耳元で囁いた。
「逃げてもいいんだぞ。このまま自由に生きられるように――俺が守ってやる」
名前を失い、いつ正体がバレるか分からない恐怖を抱えていく人生は、自由とは言えない。ウェスタレアは彼に抱き締められたまま答える。
「私は逃げないって……あなたが一番よく知っているでしょ? だから、信じていて待っていて……。またあなたに会えるように、頑張るから」
ぎゅうと抱きつきながら、掠れた声を絞り出す。レオナルドは長い白銀の髪を労わるように撫でる。
「――ああ、約束する。だからお前の思うままにやれ。信じて待っている」




