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20_追い詰められる王女


「フィリックス様……っ! わたくしと一緒に外でお茶をしませんか? 今日はとても良いお天気ですよ」

「いや、僕は遠慮するよ。侍女でも誘ったらどうだい?」

「まぁ。そうつれないことをおっしゃらないでくださいませ。お仕事ばかりしていたら気を病んでしまいますよ」


 ルムゼア王国王宮、王太子の執務室にて。


 リリーは、フィリックスに誘いを断られて、愛らしくむっと頬を膨らませた。


 ウェスタレアが死んで、リリーが次の婚約者の最有力候補になった。議会の賛同を得たら正式に婚約者になるのだし、もう少し歩み寄ってくれるような気遣いがあってもいいのに。


 リリーは前国王の娘だが、結婚して王宮を出たら、ただの一般人になってしまうし、今までのようなもてはやされる環境ではなくなる。


 リリーの場合は、友好のためにある不毛の地へ嫁ぐ話が上がっており……それがとてつもなく嫌だった。だから、ウェスタレアを陥れ、王宮に留まることを画策したのだ。国母になって、ルムゼア王国で最も愛される女性になりたかったから。


 執務机の後ろに座るフィリックスを見下ろして言う。


「……まだ、ウェスのことで心を痛めておいでなのですね。わたくしも同じ気持ちです。未だに信じられませんもの。彼女がわたくしに嫉妬して……殺そうとしたなんて」


 すると彼は、文字を書く手を止めて顔を上げた。彼の気を引くことができたのだと思い、更に続ける。口元に添える手は震わせ、瞳はわずかに潤ませて……。


「わたくし……ウェスのことが大好きだったから辛くって……。でもフィリックス様は婚約者だったから、心の傷はもっと深いですよね。だから少しでも気晴らしをと思って、勇気を出してお誘いしたんです……」


 後ろに控えている侍女や騎士たちが、リリーの優しさに感動して涙ぐんでいる。大抵の人間は、リリーがこうしてしおらしく振る舞えば同情的になるのだ。


 フィリックスははぁとため息を吐き、控えている侍女と騎士に部屋の外に出るようにと指示した。


 執務室の中に2人きり。フィリックスはこちらを見上げながら、優しげな笑顔を浮かべた。


「ああ。すごく迷惑だよ」

「……!?」


 予想外の返しに、驚くリリー。しかしこの程度のことでは動じない。申し訳なさそうに眉をひそめて言う。


「ご、ごめんなさい。お忙しいのに邪魔してしまって……。また出直しますね」

「違う。君から誘われることそのものが不愉快なんだよ」

「なっ……」


 あまりにもはっきりとしていて、不躾な物言いだった。


「ウェスタレアも君のような――裏切り者に愛称で呼ばれるのは心外だろうね」


 フィリックスの笑顔と発言が全く一致していない。柔らかな表情で、ずけずけとリリーを刺激してくる。


「嫉妬していたのは君の方だ。ウェスタレアは……聡明で美しく、素敵な女性だったから、彼女が愛される王妃になることを羨んだんだ。君が前王妃をそそのかして何をしたかは――全て知っているんだよ」


 思わず目を見開く。彼は執務机から書類を取り出して見せてきた。それは告訴状だった。前王妃と王女が共謀して、ウェスタレアに汚名を着せて死に追いやったという内容の。


「ま、まさか……お母様や私と裁判で戦うおつもりですか?」

「ご名答」

「何かの冗談……ですよね? お母様の権力はこの国で最も絶大です。それを敵に回そうだなんて、本来のあなたならなさらないはずです……!」


 告訴状を取り上げ、手を震わせるリリー。こんなことをしてデルフィーヌの不興を買えば、フィリックスもただでは済まないかもしれないのに。


「それでも、自分のことしか考えていないような君を王妃に据えるよりは、この戦いに賭けてみたいんだよ」


 リリーの計画は完璧だったはず。誰の目にも完璧な淑女として振る舞ってきたはずなのに、フィリックスは、リリーの本性を見抜いていた。


(……狼狽えては駄目よリリー)


 リリーは落ち着いた様子で告訴状を返し、困ったように言った。


「身に覚えのない罪です。きっとフィリックス様は何か誤解されているのでしょう。こんな意味のない戦いをしても、あなたの利益にはなりません。あなたが正しいご判断をすること、信じております」


 そう告げて執務室を出る。執務室を出たあとも、リリーの手は小刻みに震えていた。


(フィリックス様がこんな大胆な行動に移したということは……余程の訳があるはず。怖い。何かすごく……嫌な感じがする)


 フィリックスはずっと保身のためにデルフィーヌに同調する、主体性がない男だった。それなのに、以前とはまるで顔つきが違う。覚悟を決めた人間の顔だった。


 あれはそう、処刑の日にウェスタレアがこちらを見上げたときと同じ顔だ。




 ◇◇◇




 リリーが出て行ったあと、側近がフィリックスに声をかける。


「なかなか手強いですね。あれだけ言っても余裕の表情を崩さなかった」

「ああ。長年ウェスタレアを欺いていただけあるね」


 この告訴状を取り消すつもりはさらさらなく、全てを賭けてでも王宮の膿を出すために戦うつもりだ。ウェスタレアが処刑に追い詰められるまで何もできなかったことへのせめてもの償いであり、王太子としての務めだから。


「至急、この告訴状を提出し、裁判の手続きをしてくれ」

「御意」


 デルフィーヌが毒を仕入れていた取引履歴を含め、複数の証拠を押さえてある。それから、裁判に備えて最後にいくつかやっておくべきことがあった。


「同時に、前王妃が薬草を仕入れて高値で転売していた事実を記者に書かせろ」

「かしこまりました」


 デルフィーヌの民衆からの心証をとことん悪くしておく。それが、裁判でウェスタレアを優位にするための作戦だ。デルフィーヌはルムゼア王国ではなかなか手に入らない、流行病に効く薬草をいくつかの異国から仕入れて、高値で売り払う商売をして莫大な財を築いている。


 彼女が外交に口出しし、薬草の原産国アルチティスとの和平交渉が頓挫するようにさせていたのはその利益を独占するため。


 今、庶民たちは流行病の被害で苦しんでいる。金儲けのために前王妃がそんなことをしていると知れたら、大批判されることは間違いないだろう。民衆から非難される中で、新たに裁判を行えば、デルフィーヌの有罪を望む方に民意は傾く。


 依頼する記者は既に決めている。以前デルフィーヌを批判する記事を書いて大きな新聞社をクビになり、今は小さなところで働いている男に頼むつもりだ。


 側近と入れ替わりに、リリーの身の回りの世話をしている侍女が部屋に入って来た。フィリックスが来るように呼んでおいたのだ。


「お呼びでしょうか、殿下」

「よく来たね。君はいつもリリーの傍にいるね」

「……は、はい。私に一体、なんのご用ですか?」


 フィリックスは彼女の顔を見つめながら優美に目を細める。優雅で美しい笑みに、彼女がうっとりと見蕩れたのを確認し、甘く誘惑するように囁きかける。


「……君の家は多額の借金を抱えていると聞いた。病床に伏した父親のために王宮で働いているなんて、立派だね。尊敬するよ」

「そ、そんな……っ。恐れ多いお言葉です」


 ほんのりと頬を染めて俯く彼女に言う。


「その借金、僕が代わりに全て返してあげようか」

「えっ……?」

「その代わりに、僕が頼んだものを持ってきてほしいんだ。リリー王女が毎日書いている日記帳を」

「……そんなことで、よろしいのですか? それだけで、借金を……?」

「ああ、約束する」


 固唾を飲み、分かりましたと答えて出ていく侍女を笑顔で見送る。リリーの日記を入手できれば、裁判の有力な証拠になるだろうとウェスタレアが言っていたのだ。


「金に釣られて主人を裏切るなんて……薄情な女だ」


 しかし、実家が借金を抱えているのは事実であり、追い詰められている彼女を責めることはできないのかもしれない。


(ウェスタレア。僕がやれることはやったよ。君は証言台で――どう戦う?)


 協力できることは全てしてきたつもりだ。隠された令嬢ウェスタレアが、権力の世界でどう立ち向かっていくのか。フィリックスはそれが少しだけ楽しみでもあった。


 アルチティス皇国に渡ってから、どんな風にこの数ヶ月を過ごしていたのか。どんな風に成長したのか。次に会うときには、思い出話を沢山聞かせてもらおうではないか。


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