02_物語のスタートは、悪女が毒杯を飲み干してから
「おぉ……これだけあれば相当な額になるぞ」
男の呟きとともに、手持ちランプの灯りが瞼を刺激して目を覚ます。けれど目は閉じたまま様子を窺う。なぜなら今、ウェスタレアは――死人という設定だから。
(どうやらうまくいったようね)
ウェスタレアがほっと安堵する脇で、男ががさがさと棺の中を漁っている。彼は俗に言う『盗掘人』だ。墓を荒らして一緒に埋葬された遺品を盗んで売ったり、死体そのものを盗んで解剖用に研究者に提供する不謹慎な人たち。
ウェスタレアは王女を殺そうとした悪人として薬殺刑に処され埋葬された。誰ひとりとして、彼女が生きているとは思っていないだろう。
しかし、実際には死んではおらず――仮死状態だった。ウェスタレアは処刑執行前に解毒薬を舌の裏に隠しており、毒と一緒に喉に流し込んだのだ。
完璧な死を装うために舌を噛み、血を流す演出をしたので傷口がずきずきと痛む。
(リリーの失態は、私の首を落とさなかったことね)
斬首刑より苦しんで死なせるために、薬殺刑をわざわざ選んだのは、リリーの意思なのか、それ以外の誰かの意向なのかは分からない。
だがそれがウェスタレアを生かすことになったのだ。解毒薬を手に入れたことが看守にバレることもなく、処刑前に口内をチェックされなかったのも幸運だった。
すっと手を伸ばし、棺の中を漁っている盗掘人の手首に触れた。本人に気づかれないように、お気に入りの指輪を押し当て、親指で宝石の台座を右に回し、仕込んである麻酔針を打ち込む。
ウェスタレアは敵がいる王宮で生き抜くため、護身用に毒薬の勉強をしていた。
そして、毒を仕込んだ隠し武器を身体のあちこちに隠し持って過ごしており、この指輪もそのうちのひとつだった。
「――くっ」
ばたりと棺の上に倒れ込む盗掘人。ウェスタレアは男の身体を退かして半身を起こし、すぅと目を細めた。
「盗掘中に眠ってしまうなんて、無用心な泥棒さんだこと」
棺には、ウェスタレアを囲うように大量の宝飾品が収められている。嫌味なくらいにきらきらと輝く高価な代物の数々は、どうぞお好きに墓を荒らしてくださいと言わんばかりだ。
(巡回が来る前に、ここを離れなくては)
盗掘対策として、警備隊が夜の見回りに来ることがあり、万が一遭遇したら、生きていることがバレてしまう。
昏睡している盗掘人から皮袋を取り上げ、棺に詰められている宝飾品を詰め込んだ。遺体と宝飾品の紛失は、盗掘人の仕業とみなされるだろう。
まさか本人が目を覚まして逃げ出したのは誰も思わないはずだから。
足元の盗掘人の手に、一番高そうなネックレスを握らせる。彼がウェスタレアの墓に目をつけて掘り起こしてくれなければ、土の中で窒息死していただろう。
「あなたへのささやかな報酬よ。感謝しているわ、ご苦労さま」
命の恩人への報酬としては少なすぎるくらいだが、庶民は一生暮らせる金額になる。……もっとも、夜警に見つからなければ、の話だが。
男の耳元にそう囁きかけ、悠然とその場を離れた。
墓から抜け出して、人目につかない細道を進んでいく。
これから馬車に乗って国の外へ行く。向かう先は、ウェスタレアがいるルムゼア王国より領土も国力も大きな大陸一の国家、アルチティス皇国だ。その目的はひとつ。
新しく即位した皇太子の妃を決める選定に参加するため。アルチティス皇国で厳しい選定で選ばれた妃は、国中の女性たちの憧憬の的になる。
リリーは、自分が誰よりも優位に立っていたい質なのだろう。ウェスタレアの地位を強硬手段で奪うほど。
(あなたがこの国の王妃になるのなら、私はそれを上回る権力を手に入れ、潔白も証明する。それが私の復讐よ。リリー、私はどんな手を使ってでも、全てを成し遂げてみせるわ!)
絹の靴下で湿った地面を踏み歩き、拳をぎゅうと握り締める。
王妃になることを目指し、離宮に幽閉されながらも必死に励んできたのに、人並みの幸せを経験することなく全てを失った自分。
こんな仕打ちは納得できない。
まだ、何もできていない。
誰にも必要とされず、誰の役にも立っていない。
頑張ってきたことが何ひとつとして活かされていない。
もう一度失ったものを手に入れ、全ての願いを叶えるためにアルチティス皇国に行こうと、地下牢に閉じ込められていたときに決めていた。
アルチティス皇国では、特殊な方法で皇妃が決められる。対象になるのは――国中の全ての女性。アルチティス皇国の国籍さえ持っていれば、年齢も、家柄も、経歴も問われない。
ただ、選定は何段階もあり、知力、美貌、人柄にその他の能力……全てにおいて最も優れた女性が皇妃の座に据えられるのだ。
道の脇に小川を見つけたウェスタレアは、川に髪を浸した。サフラワーから自分で作っていた赤い薬液が洗い流され、元の白銀の色を取り戻す。
ウェスタレアは生まれつき白銀の髪をしていた。ルムゼア王国において――白銀の髪は『老い』の象徴とされるので、いつも染めていたのだ。
周囲に認知された悪女とは違う、本来の姿を取り戻す。
ウェスタレアは隠された令嬢だったので、本来の姿を知るのは家族を含めたごく少数だけだ。もっとも、家族は権力欲はあってもウェスタレアへの愛情がある人たちではなかったのだが。
(ウェスタレア・ルジェーンは死んだ。もうその名を名乗ることはできない)
周りの思い通りにされるだけの、何もできない無力な人間でいるはやめよう。
大人しくて規律正しい令嬢ウェスタレアはもうどこにもいない。これからは、自分らしく、立場を気にせずに好きなように生きていくのだ。
ふと辺りを見渡せば、川の岸辺にドクダミの花が咲いている。王宮にも咲いていたが、臭い匂いと強い繁殖力のせいで、いつも引っこ抜かれて隅に積み重なっていたのを思い出す。
毒性はないのに『ドク』なんて名前がつけられて除草されるドクダミと、悪女と呼ばれ排除された自分が重なる。花弁の色まで、自身の髪と一緒だ。ウェスタレアはふっと乾いた笑みを零した。
「……私の名前はコルダータ。捨てられた惨めな女にぴったり」
コルダータはドクダミの学名だ。
リリーは百合という意味があり、名前の通り蝶よ花よともてはやされてきた。ウェスタレアの名前には藤の花という意味が込められていたが、頭上でひっそりと咲く藤の花をわざわざ見上げて愛でてくれる人はいなかった。
雑草の名前を持つ女が皇妃になったら、最高の皮肉になるだろう。雑草だって、野に咲く可憐な百合の花よりも見事に輝けることを証明してやろうではないか。
(失ったものは自分の力で全て取り戻す。勝った気でいられるのは今だけよ、リリー)
ウェスタレアは立ち上がり、川の向こうを見据える。
これは、悪女として処刑されたウェスタレアが、身分も名前も全て失ってからやり直して、大陸一の巨大な皇国の皇妃を目指す話。
物語は、悪女が毒杯を飲み干してからが――始まりだ。