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12_本物の悪女の微笑み

 

 ウェスタレアは休日、居間で黙々とハンカチに刺繍を施していた。二次選考で刺繍を貴婦人に評価してもらうためだ。


 10人の候補者が指定の会場に集まり、お茶会に参加する。そこで食事のマナーや礼儀作法を見られ、貴婦人がハンカチを受け取るのはたった一枚。


 そして、今100人いる皇妃候補者が、10人まで絞られる。


 ――コンコンコン。


 扉がノックされて中へと促せば、ティーワゴンを押したペイジュが部屋に入ってきた。慣れた様子で紅茶を用意してくれている。注ぎ口から流れる紅茶から、白い湯気が立ち上るのを眺めた。


「ありがとう、気が利くのね」

「いえ。そっちは順調ですか?」

「ええ。あと少しよ。――どう?」

「すごい。……絵みたいだ」


 高価なレース生地に、色とりどりの糸で刺繍が施されており、縁もフリルで装飾してある。

 するとペイジュが、テーブルの端に置いてあるもうひとつのハンカチを見つけた。


「なぜ2つもハンカチを?」

「……よ、予備よ」

「本当は……あの男に贈るつもりでは?」


 鋭い指摘に、どきりと心臓が跳ねる。『あの男』が差すのは、先日泥酔して迷惑をかけたレオのこと。まさにウェスタレアは、彼のための刺繍を施していた。刺繍入りのハンカチを異性に贈ることが――好意の証とされていることを分かっていながら。


「迷惑をかけたから……そのお詫びよ」

「詫びなら、手製のハンカチである必要はないはずです。あの怪しげな男を気に入ったんです? あなたが、酔うほど気を許すなんてよほどでしょう。大事な時期ですから、軽率な行動は控えるべきです」


 彼女の言うことはもっともだが、自分でも不思議なくらいなのだ。警戒心は強い方なはずなのに、レオの前だと気が抜けてしまうことが。


「……そうね。私が浅はかだったわ。これは捨てておいて」


 ハンカチをペイジュに渡す。もう二度と会うこともないかもしれないのに、何を浮かれているのだろう。


(皇妃が忠義を尽くすのは、国家と国民、そして皇帝陛下でなければならない)


 仮にレオに友情のようなものを抱いていたとして、それは皇妃になるために必要なものではない。むしろ、妨げになるかもしれないものだ。


 ペイジュの言葉に目が覚めて、自分を諌める。レオには不法入国の秘密を知られているのに、そんな危険な相手に絆されるなんてあってはならない。


「……私はただ心配なんです。主に変な虫が寄って来ないかと」

「ちゃんと気をつけるわ。ところで、その手に持っている新聞を貸してくれる?」

「ああ、すみません。渡すのを忘れていました。今日の朝刊です」


 新聞を受け取り、ペイジュを退出させる。やりかけの刺繍をテーブルに置き、新聞を広げた。知りたいのは、この国の情勢ではなく祖国のこと。


 アルチティス皇国に来てから、悪女ウェスタレア・ルジェーンが処刑されたことは報道されたが、王室のその後は一切書かれていなかった。けれど今日、ルムゼア王国王太子フィニックスの次の婚約者の最有力候補の名前が書かれていた。


「――リリー・ネーゼロア」


 前国王の娘。そしてウェスタレアを処刑台に追いやった因縁の相手だ。彼女がウェスタレアの後釜に座るのは予想通りである。


(ねぇ、人から奪った椅子の座り心地はどう? リリー)


 ウェスタレアは嘲笑を唇に浮かべ、新聞を破り捨てた。

 

 


 ◇◇◇




「リリー様。お湯加減はいかがですか?」

「ちょうどいいわ。ありがとう」


 王宮の王女専用浴室。白い湯船でリリーは身体を清めていた。水面に花弁を浮かべ、アロマの香りを充満させている。


 侍女に髪を洗わせながら、天井を見上げる。この王宮に忌まわしいあの女がいなくなり、空気が澄んだ気がする。清々しい気持ちですぅと深く息を吸い込む。


(……とってもいい気分)


 隠された令嬢。王太子の元婚約者ウェスタレア・ルジェーン。華やかな容姿だけではなく、思慮深く礼儀正しい完璧な女性だった。嫌がらせのような厳しい妃教育にも、泣き言ひとつ言わず、王妃になるために頑張っていたのを覚えている。


 いつか王妃になれば、彼女は民衆に愛される国の象徴になるだろう。……それが嫌だった。人々に最も敬愛を注がれるのは、自分でなくては。仮に王太子の妃になったとして、ウェスタレアがいる限り、自分は2番目扱いで正妃にはなれないのが気に入らなかった。


 前王妃と共謀してウェスタレアを排除できた今となっては、リリーが次期王妃最有力候補。権力を握る前王妃の推挙があれば、自分の地位は固いだろう。


 お湯を手ですくい、身体を撫でながら侍女に話しかける。


「ねぇ、あなたはもう聞いた? ウェスの遺体が盗まれたんですって。今ごろ彼女はどうなってしまったのかしら」

「盗掘遺体は大抵、研究者たちの解剖のために売られると聞き及びます。これだけ王女様や国家に迷惑をかけたのですから、最後に医学のために貢献できてよかったのでは」

「そのような言い方はおやめなさい」


 リリーは侍女を厳しく咎める。


「彼女は毒を飲んでもう罪をあがなったのだから。……死んだあと、原型も分からないほどにバラバラにされてしまうなんて、わたくしならきっと耐えられないわ。お可哀想なウェス……」

「王女様は優しすぎます! もっと怒ってもいいはずです。あの女に、殺されかけたのですよ!?」


 怒るも何も、彼女を陥れたのはリリーだ。けれど、こうして彼女を憐れむフリをするだけで、周囲の人たちの好感度は面白いくらいに上がる。人の心をコントロールするのなんて簡単なこと。


 身体を清め、ゆっくりと温まったあと、浴槽から出る。侍女たちが濡れた身体をせっせと拭き、ドレスを着せられる。


 このドレスは、ウェスタレアが袖を通すことがなかった、王太子の婚約者のためにあつらえたドレス。彼女の持ち物は全て、リリーが譲り受けた。別に捨ててしまってもよかったけれど、リリーはあえて自分のサイズに仕立て直させた。せっかく次期王妃のために作ったのだから、使ってあげなくては可哀想だろう。


 彼女は一度だって華やかなパーティに出たことはなかった。だからこれを着て、リリーがめいっぱい楽しい思いをするのだ。


 近ごろは、アルチティス皇国で大規模な皇妃選定が行われている。国中の乙女たちが皇妃の座をめぐって熾烈な争いを繰り広げているが、リリーにとって王妃の座は、「あの玩具が欲しい」と子どもがねだるように言えば簡単に手に入ってしまうものだった。


(ああ……本当にいい気分。なんでもわたくしの思い通りになってしまうんですもの)


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