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11_悪女は友達が欲しい

 

 それから一時間ほど経過したあと。


「まだ飲み足りないんじゃない?」


 そう言ってレオのグラスに度数の高い酒を注いでいく。しかし、手元が狂ってグラスの外にどばどばと零れていく。


「おい、溢れてるぞ」


 ほどほどにしておけという忠告を無視して飲んだせいだ。

 ウェスタレアの覚束ない足元と赤らんだ頬を見て、レオが「相当酔っているな?」と尋ねてくるが、その問いも片耳からもう片耳へとすり抜けていく。


「ぜーんぜん酔ってないわ」


 ウェスタレアはソファに腰を沈め、にっと頬を緩めた。


「じゃじゃ馬姫は自己管理もできないのか」

「もう、コルダータよ。人生で一度はカジノに来てみたかったの。これで新しいドレスが買えるわ。――レオは、どんなドレスが好き?」


 肘掛けに頬杖を着き、レオの顔色を窺う。彼はどうでもよさそうに答えた。


「他人の服装に興味がない」

「はは、あなたモテないでしょう」

「…………」


 レオは渋面を浮かべて腕を組み、しばらく悩んだ末に――紫色と答えた。紫色はウェスタレアの瞳の色。ルムゼア王国にいたころ、紫色のドレスを何着も持っていたが、とうとうそのドレスを着て民衆の前に出ることはなかった。


(ドレスを一着買うのに苦労するなんて……馬鹿みたいね)


 ふいに、ウェスタレアの瞳からぽろっと涙が零れた。酒が入っているせいか、いつもより涙脆くなっている。


「お、おいどうした。急に泣いたりして……」

「なんでもない。――放っておいて」


 泣き顔を見られないように顔を逸らし、俯くウェスタレア。


「……たまに、怖くなる。今足掻いていることが、全部無駄になるのではないかって。自分にも、私を傷つけた人たちにも、負けたくないのに……っ」


 耐えきれなくなってぐすぐすと鼻を鳴らしながら本格的に泣き始める。するとレオが隣に腰を下ろし、手で強引に顔を彼の方に向かせられた。彼はウェスタレアの涙を親指の腹で撫でるように拭いながら、切なげに呟いた。


「お前が泣いていると俺の調子が狂う。だから……泣くな」

「何よ、それ……」


 自分の調子が狂うから泣くななんて、泣いている相手への慰めとしては不適切だ。


「あなたやっぱりモテないわね」


 気が利かない彼に、苦笑する。


 レオはウェスタレアにとって、つい素の自分が出てしまう相手だ。不法入国という自分の弱みを握る危険な男の前で酔っ払うなんて、ウェスタレアにしては警戒心に欠けている。


(今日の私……どうかしてる)


 小さく肩を竦めて、彼のことを上目がちに見つめる。


「もしも出会い方が違っていたら私たち、良い友達になれていたのかしら。――なんて。友達がいたことがないから、それがどういうものなのかよく分からないのだけれど」

「…………」


 そう伝えると、彼は瞳の奥を揺らした。ウェスタレアは眉をひそめ、切々と本音を零した。


「皇妃になりたい。どうしてもなりたいの……。子どものころからの夢だったから。努力しているのに、また報われないのが怖い……っ」


 どうして、この人の前ではつい弱い部分もさらけ出してしまうのだろうか。誰にも侮られない、強く凛とした人でいたいし、ずっとそうであったはずなのに。


 レオは泣いた子どもをあやすような眼差しで、そっと呟く。


「その努力は、やがて何かの形で実を結ぶ。お前はよい皇妃になれるだろう。応援している」

「……!」


 ウェスタレアは、はっとして息を飲んだ。


(その言葉は……)


 いつかのとき、離宮に迷い込んだ少年が同じ言葉でウェスタレアを励ましてくれた。


 過去の少年とレオを重ねたその刹那、ウェスタレアは真っ青になって顔をしかめる。口元をばっと押さえて前かがみになり、彼がそれを支える。


「――うっ」

「ど、どうした!? 顔が真っ青だ」

「吐きそ……」

「は? ま、待て、なら俺の腕を掴むな。洗面器を借りてくるから。おい、聞いてるのか!? コルダータ……!」

「うおえぇぇぇ」


 レオの膝にひとしきり吐いてすっきりしたウェスタレアは、何事もなかったようにソファで眠り始めた。一方、レオはぴしゃりと硬直して絶句する。


(最悪だ……)




 ◇◇◇




 ウェスタレアは夢を見ていた。10年近く昔に、離宮で出会った少年の夢を。

 2人は並んでガゼボのベンチに座り、庭園の花を眺めていた。


「いつもひとりで過ごしているのか?」

「先生が何人かと、食事を運んできたり家事をしてくれる人もいるわ。でも……友達はいない」

「なら、俺が新しい友になろう」

「で、でももう、あなたには会えないわ。私は王妃になるまで、離宮を出られないから」

「友というのは、どんなに離れていようと、何年会わずとも、親しくいられる存在なんだ。知らないか?」

「知らないわ。だって私……友達が少ないから」


 拗ねたように目を伏せると、彼はふっと笑った。

 ウェスタレアは次期王妃だが、とにかく人との関係が希薄だった。そして常に、身の危険を感じながら過ごしている。


「ここでの暮らしは息が詰まりそう。王宮は陰謀と思惑が交錯していて、いつ誰が殺しにくるか分からないから。私ね、この王宮で生き延びるために自分で自分を守る術を覚えるべきだと思うの」

「……護身術か何かを始めるつもりか?」

「ええ。誰かを当てにするより、鍛えようかと」


 両方の拳をぎゅっと握り、体術の構えを真似て見せる。


「体を鍛えずとも、他にも方法はある」

「他に……?」


 すると彼は、ガゼボの柱から天井に絡みつくように蔦を伸ばす藤の花をひと房摘んで、ウェスタレアの手に置いた。ウェスタレアは藤の花から取った名前だ。


「藤の花には毒があり、多量に摂取すれば、腹痛、嘔吐といった中毒症状を起こす。美しい花に毒があるのはなぜか知っているか?」

「鳥や動物に食べられないようにするため、とか?」


 なぜそんなことを藪から棒に聞くのかと小首を傾げると、彼は「さすが、賢いな」と言って頭を撫でてきた。


「植物によって理由は様々だが、お前が言ったのもそのひとつと言える。それらの花は意味もなく咲いている訳ではなく、外敵から身を守るために美しい花弁の内側に毒を隠している。摘み取ろうと不用意に近づけば、逆に痛い目を見ることになるんだ」


 そこで、彼の言いたいことが分かった。


「毒花ならぬ……毒薬令嬢になれということね。名案だわ!」


 なんて素晴らしいアイディアなのだと瞳を輝かせるウェスタレアに、少年が続けて言う。


「あ……いや、これは例え話だ。まさか君がそんな風に真に受けるとは――」

「確か王宮書庫に毒薬の本があったわね。それに、薬師に頼めば簡単に薬の材料も手に入る。勉強を始めるなら周りの人に怪しまれないようにしないと……」

「お、おい。聞いているのか? だからこれは、ほんの冗談のつもりで言っただけで……」


 顎に手を当ててぶつぶつと独り言を呟くウェスタレアの耳に、彼の言葉は全く入ってこない。


 彼が冗談で言った言葉をすっかり真に受けたウェスタレアは、薬学を勉強するという体で、護身のための毒薬の勉強を始めた。退屈を紛らわせるための趣味のような感覚でもあった。

 それが、アルチティス皇国に渡ったあとで、実際に役立つことになるとは予想だにしないのだった。




 ◇◇◇




 レオナルドは泥酔して眠ってしまったコルダータを背負い、馬車に乗せた。なんとか彼女から住所を聞き出したので、家に送るつもりだ。


(気持ちよさそうに眠っているな。……呑気な奴だ)


 男の前で寝顔を晒しているのに、一向に起きる気配がない。


「――無防備すぎやしないか?」


 彼女の傍に寄り、上から見下ろして囁く。今なら耳飾りを取り返すこともできるが、そうしようとは思えなかった。


 彼女が寝返りを打ったとき、胸から筒状の何かが座席の下に転がり落ちる。拾い上げてみると、先端が針になっていて、筒の中に液体が注がれていた。初めて出会った夜、レオナルドを動けなくさせた毒針なのだろう。


 毒針を片手に、もう片方の手をそっと伸ばして、顔にかかった長い髪を少し退けてから、頬を優しく撫でる。


『首の後ろにほくろが3つ並んでいる』


 先日ルムゼア王国の王太子フィリックスから聞いたことを思い出す。非業の死を遂げたことになっているウェスタレアを示す唯一の証について。


 コルダータが現れたのは、ウェスタレア・ルジェーンの死のちょうどあと。ルムゼア王国からアルチティス皇国に移動するには十分な時間が経ってからだった。


 そして彼女は、ありとあらゆる素養を身につけていた。

 護身のために毒薬の知識を持っている彼女だが、普通に生きていたらそんな知識は不要のはず。


「…………」


 うなじにかかる髪を払うと、そこには小さく3つ並んだ――ほくろがあった。

 レオナルドはもう一度毒針を見下ろして、それを握り締めた。


「そうか。……俺の入れ知恵だったんだな」


 まさか、ほんの軽い気持ちで言った冗談をまだ間に受けているとは思わなかった。

 けれどもしかしたら、彼女の記憶に、あの離宮でのひとときが欠片くらいは残っているのかもしれない。


「ほら、家に着いたぞ。起きろ」

「ん……」


 座席で眠るコルダータを揺するが、ほとんど反応がない。


「……世話が焼ける」


 彼女を横抱きにして、玄関まで連れて行く。門をくぐって玄関に近づいた刹那、後ろに人の気配を感じて立ち止まる。誰かがいると思ったら、首筋に金属の感触が触れていた。


 視線を落とすと、スープで濡れたお玉が突き立てられていた。


「――彼女に何をした?」


 いつの間にか背後に立っていた中性的な女性。彼女は、不法入国のときコルダータと一緒にいた。名前は確か、ペイジュと呼ばれていた気がする。


 首に添えられているのは、武器とは程遠い調理器具のお玉だが、敵意がないことを示す。


「何か誤解をしているようだが、俺は泥酔したお前の主を連れてきただけだ」

「ふざけるな。教会のピアノ奏楽に出かけたお嬢様が、どうして夜更けまで飲んだくれて帰ってくることがある?」

「お前は彼女の性質を全く理解していないようだな。彼女は教会を出たあと、ギャンブルに夢中になっていた」

「ギャンブル」


 ペイジュは唖然呆然とし、けれど納得したようで、お玉を下げてレオナルドに謝罪した。コルダータと取り上げた毒針を彼女に預ける。


「なぜこの耳飾りを奪い返さなかった? 君にとって大事なものなんだろう?」

「彼女に興味が湧いたからだ。これがあれば会う口実になる」

「なんだって……?」


 本気で取り返そうと思えばいつでも取り返せたのに、もはや彼女からこれを奪う意思がなくなっている。それは、レオナルドが彼女に好意と興味を持ち始めていて、交流を望んでいるから。


「今の言葉は聞かなかったことに。……主を送っていただいたことには感謝します。では」

「――待て」

「なんです?」

「お前は知っているのか? その娘が何者なのか。過去にどこで、何をしていたのか」

「さぁ、何も。過去に何があったかなんて興味はないな。彼女が恩人ってことに変わりはないから」

「――たとえ、犯罪者だったとしても?」


 その瞬間、彼女の眉がわずかに動いた。コルダータの正体は、王女暗殺未遂の罪で公開処刑されたウェスタレア・ルジェーンだ。普通の人間なら、軽蔑し、関わるのを拒むだろう。


 しかし、ペイジュは抱き抱えたコルダータを見下ろしながら呟く。


「どんな大悪党でも構わないさ。彼女が何者であろうと、忠義を尽くすことに変わりはない。上へ上へ這い上がろうと泥臭くあがく彼女を、支えてたいと思ってるし、信じたいんだ。だから――」


 ペイジュはこちらをきつく睨みつけた。


「――決して邪魔をするな。興味が湧いたかなんだか知らないけど、主は皇妃になる。無関係の男と恋仲になってもらっちゃ困るんだよ。おまけに彼女は、世間知らずで男には全く疎いうつけだ。だから、からかうような真似はよしてくれ。目障りだからさっさと帰ってくれないかな?」


 なかなか賢く、勘もよさそうだが、まだ、自分の主やレオナルドの正体には気づいていないらしい。


(……無関係ではないんだがな)


 しかし、どうして彼女が自分にここまで敵意を剥き出しにするのかと疑問に思う。


「俺はお前の主を介抱してここまでわざわざ連れてきてやったんだぞ。その態度はないんじゃないか?」

「…………嫌いなんだよ」


 ペイジュはお玉をレオナルドの鼻先にびしっと差し向けて、ゴミを見るかのように睨めつけた。


「私は君みたいな見た目のいい男が私は大嫌いなんだ。前のクソッタレな主人も顔だけはよかったんだ。君を見ていると人間ゴミを思い出す。私に粗大ゴミとして捨てられたくなかったら――早く去りな」

「…………」


 ペイジュはレオナルドに対して敵意むき出しのまま、屋敷の中に入って行った。


 だが、コルダータの素性を気にさえせずに、忠誠心を捧げていたらしい彼女。ふと、コルダータは友達が欲しそうにしていたのを思い出す。


(できたじゃないか。――良き友が)


 煙突から煙が登っている。そして、夕食の美味しそうな匂いが鼻を掠めた。どこにでもある暖かい家庭の夜の雰囲気だった。

 レオナルドは明かりの灯された窓をちらりと見てから、踵を返した。


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