10_資金調達
「わ〜、お姉ちゃん、ピアノ上手!」
「すごーいっ!」
ウェスタレアは教会の礼拝堂でピアノの練習をしていた。この先の選定で、急に楽器を演奏してと言われる場面があるかもしれないからだ。
ちょうど賛美歌の伴奏者が仕事を辞めてしまったため、朝の礼拝で賛美歌を弾く代わりに、自由に練習する許可をもらっている。
「……あ、ありがとう」
それが好評で、ウェスタレアのピアノを聴きに子どもたちが集まるようになり、たまに弾き方を教えてあげたりしている。
でも、子どもと関わるような機会が今までになかったため、反応に困っている。
「ねぇもっと弾いてっ」
「もう一回!」
「もっともっと〜!」
子どもたちから「もっと」コールが沸き起こる。腕を揺すって催促されて、分かったと頷く。
自然と指が奏でたのは母国の国歌だった。自分を屈辱的なやり方で捨てた母国への愛国心は薄らいでいたはずなのに、身体にこの曲が染み付いている。
細い指をしなやかに動かせば、繊細な音色が礼拝堂に反響した。
(今ごろリリーはどうしているのかしら)
邪魔者を排除したリリーはきっと、なんの努力をせずとも、王太子フィリックスの婚約者の座を手にするのだろう。
一方のウェスタレアは、街でアルバイトなどしながら、泥臭くもがいている。まもなく皇妃選定の二次があり、選定の場にふさわしいドレスが必要なのだが、それを買う金さえない。
(楽にお金を稼ぐ方法って何かないかしら。例えば……カジノとか)
けれど女ひとりでそんな場所に行ったら、危険な目に遭うかもしれない。ペイジュを伴って行こうかと考えながら、一曲を弾き終わったとき、子どもたちの拍手と一緒に低い声が耳に入る。
「皇都に敵国の国歌を弾く不届き者がいるかと思えば――お前だったか。コルダータ?」
「!」
はっとして振り返ると、レオがいた。レオは子どもたちを見下ろして言う。
「彼女と込み入った話がしたいからふたりきりにしてくれないか」
「分かった!」
「いいよー!」
素直な子どもたちは、元気よく頷いて礼拝堂から去って行った。
(折り入って話すことなんて私にはないのだけれど)
神聖な礼拝堂に彼と2人きり。
ウェスタレアは眉をひそめて言った。
「あなたは私のストーカーですか? 訴えますよ」
「どの口が言うんだ犯罪者」
「うるさい」
「ならさっさとその耳飾りを返すんだな。返すまで付きまとうぞ」
「まぁ怖い」
教会に子どもしかいないから油断して弾いてしまった。
「皇都で安全に過ごしたいなら、ルムゼア王国を想起させる行為は控えろ」
「ご忠告どうも」
「なぜこの曲を?」
「別に。……たまたま知っていただけ」
レオはウェスタレアの隣に座った。ひとり用の椅子に密着するような形になる。
彼は鍵盤に指を置き、演奏し始めた。ピアノを習えるのは経済的に豊かな上流階級だけなので、よほど育ちがいいように思える。
「首席を取ったらしいな」
「どうしてそれを……」
一次選考の結果を知るのは、皇室関係者か応募者本人、選考委員くらいだ。
「もしかしてあなた、宮廷に勤めているの? 皇族に仕えているとか?」
「まぁそんなところだ」
彼ははっきりとは答えず、煮え切らない感じで言った。
「お前、勉強だけはできるようだが……」
「……だが?」
「――性格は治した方がいい」
「余計なお世話よ!」
真剣な顔で真剣に告げられ、余計に腹が立つ。
鍵盤を弾く怜悧な横顔を見つめていたら、彼はぴたりと演奏をやめて、こちらを振り向いた。長いまつ毛が伸びる双眸に射抜かれ、心臓が跳ねる。レオは少しずつ近づいてきて、囁いた。
「――コルダータ・ツィニアは偽名だな? 非常によくできているがあの身上書は偽造だ」
「!」
偽物と分からないように完璧に身上書を作ったはずだったのに、まさか彼に見抜かれているとは思わなかった。
正体がバレたら、皇妃選定の参加資格の剥奪どころか、ルムゼア王国に強制送還されるかもしれない。背中に冷たいものが流れる。ウェスタレアの動揺をわずかに感じ取った彼は言った。
「なに、俺もお前に弱みを握られている身だ。秘密は誰にも言ったりしない。――それを返してもらうまではな」
「では未来永劫、この耳飾りはあなたの手元に戻らない、ということで」
「絶対に返せ」
伸びてくる彼の手をすいとかわす。そのとき、ウェスタレアの耳飾りがちらりと揺れた。
「……まぁ、そうよね。まともな出自なら不法入国なんてしていない」
どうせ、不法入国の現場を目撃されているのだ。隠していても意味がないことである。彼に嘘は通用しないと悟り、言い訳するのをやめた。
今度はウェスタレアがもう一度ピアノの鍵盤を弾く。細い指が音を奏でるのを見て、彼は手を取った。
「小さな手だ。こんなにか弱い手で、皇妃の座を掴もうとしているのか。お前は」
「そうよ。必ず、掴んでみせる」
戯れのように指を撫でられ、こそばゆい。触れられる場所がやけに熱くて、その熱は上へと伝わって頬を朱に染めた。胸の鼓動まで加速し始めたウェスタレアは、手を引っ込めて勝手に触れるなと彼に目で訴える。
「お前の背景が全く見えてこない。なぜ皇妃に固執するのかも」
「あなたがそれを知る必要はないわ」
「必要はある。俺は耳飾りを返してもらわなければならないのだから。面倒極まりないが、俺はお前の信頼を得なければならないのだろう?」
「…………」
ウェスタレアは右耳をそっと押さえた。
「信頼されたいなら、私が何者かは詮索しないで。知られたくないの」
ウェスタレアは王女暗殺未遂で裁かれた悪女だ。それを暴かれたくない。知ったらきっと彼は心底ウェスタレアのことを軽蔑するだろう。嫌いになって、近づこうとしなくなるだろう。彼に嫌われるのが、なぜか怖い。
苦い顔で訴えれば、彼は分かったとため息混じりに答えた。ウェスタレアは鍵盤の蓋を閉じてレオを見上げた。
「私からもひとついいかしら」
「なんだ」
「このあとの予定は?」
突然の質問に、彼は目を瞬かせる。
「それはデートの誘いか?」
ウェスタレアはいたずらを企む子どものように口角を上げた。
「――正解」
ウェスタレアはレオを強引に連れて、夜の歓楽街を訪れていた。街の中でもひときわ大きな建物に、仮面を着けて正体を隠し入ると、タキシードを着た品のいい店員に出迎えられる。
「――未来の皇妃がギャンブルとは聞いて呆れるな」
「資金調達は重要よ。薬屋のアルバイトの給料なんてたかが知れている。皇妃選定は何かとお金が要るのよ」
この先の選定で公の場にふさわしいドレスをいくつか買わなければならない。貴族令嬢が着るようなドレスは、一般庶民が数ヶ月労働したくらいでは購入できない値段だ。だから、カジノで一攫千金を狙うのだ。
「浅はかにもほどがあるな。お前、負ける可能性を微塵も想定していないようだが……」
「さ、行きましょう」
こういう場所は治安が悪いので、女ひとりより男を伴っていた方が安全だと思い、偶然現れた彼を連れて来ることにした。
ウェスタレアはつかつかと高いヒールで歩き、どのゲームにしようかと見て回る。そして席に着いたのは、ブラックジャックのコーナー。先の客がゲームをしているのを、ワイン片手に横から見物させてもらう。
「お嬢さんもやるかい?」
「……いえ、私はルールをよく知らないから、少し見せてもらおうと思って」
本当は知っているが、あくまで初心者という体でゲームを眺める。――ゲームで排出されたカードをひとつひとつ覚えて、残りのデッキになんのカードがあるか推測を立てながら。
これは、カウンティングというブラックジャックの攻略法だ。ルムゼア王国では、これを利用して多額の金を稼ぐ者が出て禁止された。しかし、アルチティス皇国ではまだ禁止されていない。
(そろそろね)
山のカードが減り、プレイヤーが有利になった状態でそっと手を挙げる。
「――私もやってみたい」
先の客は快く譲ってくれた。身につけているものは全て高価で、明らかに裕福そうな中年の男性だ。
「プレイスユアベット」
ディーラーの合図で、有り金全てのチップを出す。他の客が「そんなに賭けていいのか?」と困惑する。けれどウェスタレアは次々と賭けに勝利していき、その度に掛け金を増額していった。
「す、すごいなお嬢さん。これで何連続勝利だ?」
「よく分かりませんが、きっとビギナーズラックですね」
「ビ、ビギナーズラック」
初めてのカジノで、多額のチップを獲得したウェスタレア。山積みになったチップを換金し、バルコニーで酒の入ったグラスを傾ける。レオも酒を飲みつつ、疑わしげに言った。
「あのふざけた勝ち方は何だ? 一体どんな手を使った?」
「ふ。知りたい?」
酒をひと口飲みながら優雅に微笑む。
「あれはカウンティング。他国では禁止されているから、ズルみたいなものね」
ウェスタレアは白亜の手すりに腕をかけながら、柔らかな笑みをレオに向けた。
「じゃあそのお酒は口止め料ということで」
しっと人差し指を唇の前に立てて、『内緒』のジェスチャーを取る。
「……やれやれ。調子が良い奴だ」
ウェスタレアのことを咎めつつも、レオは小さく笑うのだった。あまり笑わない彼が頬を緩める表情は珍しい。きっと、酒が入っているからだろう。
笑っていたら魅力的なのに、という言葉は喉元で留めて飲み込んだ。




