ブイヤベース
「相談にのってくれ」
珍しく深刻な顔をしたゴードンが、ノエルの住む木こり小屋にやってきた。
暖炉の前に寝そべっていた大きな牛が、ちらっとゴードンの方へ目を向ける。しかし、すぐに興味を失った様子でウトウトし始めた。
「どうしたの?」
ノエルは温かいココアの入ったカップを差し出しながら、ゴードンに尋ねた。
「ニコラが最近、海辺に住み着いたギルバートっていう男のところへ出入りしているんだ」
ゴードンは頭を抱えて悩ましげな表情をしている。
「ニコラ? ここに自家製アンチョビを持ってきた人間のこと?」
台所にいた妖精のキキが、話に入ってきた。
小さな羽をはためかせて、こちらへ飛んでくる。
「キキが出てくると話がややこしくなりそうだから引っ込んでてくれよ」
ゴードンが犬を追い払うような仕草をすると、キキは魔法で彼の座っている椅子をひっくり返した。
「何しやがる!」
顔を真っ赤にして怒るゴードンを見て、キキがケタケタ笑う。
ノエルはゴードンを助け起こしながら話の続きを促した。
「それで、僕にどうしろって言うの?」
「ギルバートとニコラを引き離してほしい」
ゴードンが言うと、キキは苛立ち混じりの声を出す。
「はあ? 横からしゃしゃり出て邪魔しようだなんて、最低のクソ野郎だな」
「ゴードンはニコラのことをどう思っているの? 彼女の気持ちには気が付いているんでしょ?」
ノエルが尋ねると、ゴードンは下を向いた。
「……ニコラは可愛くて純粋で、俺なんかにはもったいないくらい良い子だから、ふさわしい相手と幸せになって欲しいんだ。俺みたいなだらしない奴とか、正体不明のギルバートとかじゃなくてさ」
ノエルは困った顔をしてゴードンに語りかける。
「正体不明の流れ者って言ったら、僕だってそうだったじゃないか。町の人たちから警戒されていた僕を、一番最初に受け入れてくれたのはゴードンだろう? どうしてギルバートのことはそんなに敵視するの?」
「ノエルは穏やかで優しくて、見るからに良い奴じゃないか。でも、ギルバートは凄く無愛想で、話しかけても無視するし、最近じゃ俺を見かけると睨みつけてくるんだ。そんな奴がニコラにふさわしいとは思えないよ」
ゴードンは苦しそうに胸の内を吐き出した。
ノエルはしばらく頭を悩ませた後、自分の考えを口にした。
「ギルバートに会って、どんな人物なのか確かめてくるよ。引っ込み思案のニコラと親しくなるくらいだから、もしかすると凄く良い人かもしれないし。引き離すべき相手なのかどうかは、それから考えよう」
ゴードンは頷き、ノエルの提案を受け入れた。
「私も一緒に行ってあげる。素性の分からない相手なら、妖精の姿じゃない方がいいわね」
キキはそう言うと自分に魔法をかけ、人間の姿になった。
ゴードンは、まじまじとキキを見つめている。
「お前……そんなことも出来るんだな。妖精の姿だと小さ過ぎてよく分からなかったけれど、なかなかの美人じゃないか」
「あんまりジロジロ見ていると目を潰すぞ」
キキに言われて、ゴードンは慌てて両目を手で覆う。
ノエルとキキは、早速ギルバートに会いに行くことにした。
海辺に着くと、端っこの方に小さな小屋が建っている。
ノックをしたが、返事がない。中を覗くと、暗闇からいきなり何かが飛び出してきてノエルに覆い被さった。
「うわあ! キキ、助けて!」
「落ち着きなさいよ。ただの犬じゃない」
ひっくり返って悲鳴をあげるノエルの上に乗っかっていたのは、ボサボサの長い毛をした大きな犬だった。
「やめろ、ビリー!」
という声が聞こえてきた途端、ビリーと呼ばれた犬はノエルから離れた。
声のした方に目をやると、日に焼けた精悍な顔つきの男が、鋭い目で二人を見ていた。
ノエルは起き上がって彼に声をかけた。
「やあ、僕はノエル。君がギルバート? 僕も他の土地からここに辿り着いた流れ者でさ。仲良くなれたら嬉しいなと思って、君に会いにきたんだ」
ギルバートはノエルを助け起こしながら笑顔を浮かべる。
「よろしく、ノエル。この町にはニコラしか友達がいないから、そう言ってもらえて嬉しいよ」
「ゴードンから聞いていた話とは、ずいぶん印象が違うわね」
キキの呟きが耳に入ったのか、ギルバートは顔をしかめた。
「もしかして君達、ゴードンの友達? それなら話は別だ。帰ってくれ」
急に素っ気ない態度になるギルバートに、ノエルは尋ねた。
「どうしてゴードンを嫌うの?」
「あの男、いつも違う女を連れ歩いているじゃないか。それを見るたびに、ニコラは悲しそうな顔をしている。あいつは、人の気持を弄ぶ最低な野郎だよ」
ギルバートは苦々しく言い放つ。
「その女の子達は、みんなゴードンの友達だよ。彼は人付き合いがいいだけで、不誠実なことをするような奴じゃない」
ノエルが懸命にゴードンを擁護しているところへ、ニコラがやってきた。
「ノエル? それに……その子はもしかしてキキ?」
ニコラは人間の姿になったキキを見て、驚きを隠せないようだ。
「ニコラ、ゴードンがいい奴だってことを証明したいから、協力してくれない?」
ノエルに頼まれて、ニコラは戸惑いながらも頷いた。
「キキ! 海の幸で何か美味しいものを作ってよ!」
ノエルの言葉に、キキは嫌そうな顔をする。
「面倒臭いからやりたくない」
「そんなこと言わずに。作った料理を町で売って、お金を稼ごうよ。そうしたら、キキの好きなものを何でも買ってあげるから」
ノエルが頼み込むと
「何でも? そうねぇ、それなら協力してあげてもいいけど」
とキキは偉そうな態度で言った。
「で? 海の幸はどうやって手に入れるわけ?」
キキの問いに、ノエルがニコラの方を見る。
「ニコラのお父さんは漁師だよね? その……売り物にならない魚介を少し分けてもらうことは出来るかな?」
おずおずと願い出るノエルに、ニコラが頷く。
「見た目が悪かったり、価値の無いものでも良ければ、分けてもらえると思うけど……そういうのでも大丈夫?」
ニコラが心配そうに確認すると、キキは自信満々の様子で胸を張る。
「私の手にかかれば、どんなクズ魚だってご馳走になるから大丈夫よ! 分かったら、さっさと行ってきなさい!」
ニコラが慌てて走り去った後、キキはノエルとギルバートにも指示を出した。
「ノエルは野菜を調達してきて! タマネギ、ジャガイモ、トマトにセロリ、それからニンニクもね! ギルバートはその辺で小魚を捕ってくるように!」
ノエルは急いで駆け出していったが、ギルバートは眉間にシワを寄せて動こうとしない。
そこでキキは、先程ノエルに飛びかかった大きな犬を、魔法でライオンに変えた。
「ビリー?!」
ギルバートが叫ぶように犬の名を呼んだが、ライオンになったビリーは目をギラつかせ、よだれを垂らしながら低い唸り声を上げている。
「早く小魚を捕りにいかないと、可愛いワンちゃんのエサにするぞ」
キキの脅しに震え上がったギルバートは、素早い動きで小屋から網を持ち出し、小さなボートで海へと漕ぎだした。
そんなギルバートを横目に、キキが口笛を吹く。すると、遠くの空から猛スピードでカラスが飛んできた。
「精霊の森へ行って、サフランを取ってくるんだ。急げよ」
カラスは再び空へ舞い上がると、物凄い勢いでバタバタと翼をはためかせながら飛び去っていく。
キキは砂浜に座り込んでビリーに寄りかかり、昼寝をしながら下僕達の帰りを待つことにした。
「キキ、起きて」
ノエルの呼びかけに目を覚ましたキキは、大きなあくびをした。
目の前には、バケツに入った小魚と麻袋に入った野菜、それから荷車に積まれた樽いっぱいの魚介があった。
「ギルバートの小屋には調理道具があまり無いから、うちに来る?」
というニコラの提案に
「いいの? 助かるよ!」
と言って、ノエルはバケツと麻袋を荷車に積み込む。
「その前に、ビリーを元に戻してくれ。ライオンの姿で町をうろついたら大騒ぎになる」
ギルバートに頼まれたキキは、面倒臭そうに魔法を解いた。ビリーは犬の姿に戻り、キキと一緒に荷車へ乗った。
ニコラの家に到着すると、キキは張り切ってみんなに指令を出した。
「ギルバートは小さい鍋で小魚を煮て、ブイヨンを作りなさい! ニコラは魚のウロコと内臓を取った後、ぶつ切りにしておいて! ノエルは野菜を洗って切る!」
各自、一斉に作業へ取り掛かる。
その時、台所の窓をコツコツ叩いてカラスが姿を現した。クチバシには、薄紫の花をくわえている。
キキはそれを受け取ると、花の中心にある赤い糸状のものをつまんで取り、水を張った器に入れた。
みるみるうちに水が黄色くなっていく。
「それは何?」
ノエルが不思議そうに尋ねる。
「サフランのメシベで作ったサフラン液。そんなことより、早く野菜を切りなさいよ!」
キキに急かされて、ノエルは包丁を動かすことに専念した。
ノエルがセロリとタマネギを細かく切り終えて大鍋に入れると、キキがオリーブオイルで炒め始める。
「ブイヨンを入れて!」
キキの指示で、ギルバートが小魚の煮汁を大鍋に注ぎ入れた。
それから、ノエルはトマトとジャガイモをザク切りにして、スライスしたニンニクと一緒に大鍋へ放り込む。
「魚!」
というキキの声に、下処理した魚をボウルに入れたニコラが駆け寄り、ドサドサと鍋に加えていく。
塩を足し、サフラン液を注いでしばらく煮込んだ後、味見をしたキキが満面の笑みを浮かべる。
「やっぱり私は天才ね。あんた達も食べてみなさいよ」
ノエル達はスープを器に注ぎ、スプーンで口に運んだ。
赤いトマトと黄金色のサフラン液に彩られたスープは、魚介の旨みと野菜の甘みが溶け込み、セロリの独特な風味とニンニクの香りが味に奥行きを与え、トマトの酸味が後味を爽やかにしている。
ニコラとギルバートは満ち足りた表情で顔を見合わせ、ノエルは幸福な溜息を一つ吐いた。
「それじゃ、町でスープを売って、ジャンジャンお金を稼ぐわよ!」
キキが気合いの入った声を出すと、ノエル達は準備に取り掛かった。
荷車に大鍋を乗せ、全員で町の中心部へと向かう。
広場で足を止めたノエルは、大声でスープを宣伝し始めた。
「美味しい、美味しい、魚介のスープ! 野菜もたっぷりで体の芯から温まるよ! スープ一杯が、今ならたったの銅貨一枚! さぁ皆さん、家から器を持ってきて、ぜひ召し上がれ!」
広場を通りかかった人々は、足を止めてノエル達の方を見た。
しかし、流れ者のギルバートが一緒にいることに気付くと、眉をひそめて顔を背けたり、ヒソヒソと言葉を交わして立ち去ってしまう。
ギルバートが、唇を噛み締めてうつむく。
ニコラは、悲しそうな目でギルバートの横顔を見つめた。
ビリーに寄りかかりながら休憩しているキキの隣で、ノエルは大声を出し続けた。
「美味しい、美味しい、本当に美味しいスープだよ! 食べなきゃ損する、特製スープ! お願い……一口でいいから食べてみて!!」
すると、誰かが広場の向こうから近づいて来るのが見えた。
「おい! 何やってるんだよ!」
ノエルの前までやって来たゴードンは、怒ったように手に持ったカップを突き出してきた。
「スープを売っているんだよ。ギルバートやニコラと一緒に作ったんだ」
ゴードンはギルバートの方を見ようともせず
「このままじゃ誰も買ってくれないぞ。町のみんなは正体不明のギルバートを警戒しているからな。とりあえず俺に味見をさせろよ。悪くない味だったら、少し買ってやるから」
とノエルに耳打ちした。
ニコラがスープを注ぎ、ゴードンへ手渡す。
スープを口に含んだゴードンは
「なんだこれ!」
と叫び、カップに入ったスープをゴクゴクと一気に飲み干した。
「こんな美味いスープ、飲んだことないぞ! おれが鍋ごと買ってやるから、ちょっと待ってろよ。家から金を取ってくる」
ゴードンが広場から駆け出して行くと、遠巻きに見ていた人々が近寄ってきた。
「そのスープ、何が入っているの?」
ニコラの顔見知りらしい女性が、声をかけてくる。
「たくさんの新鮮な魚と、たっぷりのお野菜です」
小さな声で返事をするニコラの隣から、キキも口を挟む。
「しかも、サフランっていう高級な香辛料を使っているのよ。精霊の森で手に入れた、貴重なものなんだからね!」
それを聞いた赤ら顔の男性が
「一杯、もらおうかな」
と言って、広場の向かいにある家から深皿を持参してきた。
スープを一口飲んだ男性が
「こりゃ美味い」
と感嘆の声をあげると、他の人々も次々とカップや深皿を取りに家へ帰り、また広場へと戻ってきた。
スープは飛ぶように売れ、ゴードンが戻ってきた頃には、鍋の中身は空っぽだった。
「売り切れちゃったのか? 少しくらい残しておいてくれてもいいのに!」
抗議するゴードンを、キキが冷たくあしらう。
「戻ってくるのが遅いんだよ、このノロマ!」
「仕方ないだろ! ここへ来る途中で女の子達に捕まっちゃったんだから」
それを聞いたニコラの顔が瞬時に曇り、ギルバートの表情はみるみる険しくなっていく。
「ゴードンはその女の子達のことが好きなの?」
ノエルが尋ねると、ゴードンは呆れた声で答える。
「ただの友達に決まってるだろ! そんなことは、お前が一番よく知ってるじゃないか。大体、俺はあの子達の彼氏とも友達なんだぞ! バカなこと言わないでくれよ」
ニコラの瞳に安堵と喜びの色が宿り、ギルバートの表情がやわらいでいく。
ゴードンはノエルの耳元で
「どういうことか、後でちゃんと説明しろよ!」
と言って、広場を後にした。
ゴードンの後ろ姿を見送りながら、ノエルが話し始める。
「僕がこの地に流れ着いた時も、なかなか町の人に受け入れてもらえなくてね。薪を売ろうと声をかけても、全く相手にしてもらえなかった。でも、ゴードンだけは僕を気にかけてくれて……彼のおかげで、少しずつ馴染むことができたんだ」
それから、ノエルはギルバートにこう尋ねた。
「少しはゴードンに対する印象が変わった?」
「……前よりは嫌いじゃなくなった」
ギルバートの答えに、ノエルが笑顔を見せる。
「ねえ、そんな話はどうでもいいから、早く買い物に連れて行ってよ! 何でも買ってくれるんでしょ?」
キキは売り上げの銅貨が入った袋を引ったくると、大通りの方に向かって歩き出した。
「ちょっと待って! 先に後片付けをしないと!」
ノエルが引き止めたが、キキは振り向きもしない。
「大丈夫よ、ノエル。後は私達がやっておくから」
ニコラが言うと、ギルバートも頷く。
「二人とも、ごめん! 買い物が終わったら、すぐニコラの家へ行って片付けを手伝うから!」
ノエルは申し訳なさそうにそう言ってから、急いでキキの後を追った。
「……で、買ってきたのが、これなのか?」
ノエルの木こり小屋にやって来たゴードンは、台所に置かれた大量の牛ステーキ肉を見て、呆れた声を出した。
「こんなに沢山買ってきて、どうするんだよ。どう考えても食べきれないだろ」
それから、ゴードンは暖炉の前で寛いでいる牛の方を見ながら、小声で付け加えた。
「『飼っている牛に悪いから、家では牛肉を食べないようにしてる』って、前に言ってなかったか?』
「そうなんだけど……キキに『なんでも買ってあげる』って約束しちゃったからさ」
困ったように眉を下げるノエルの肩には、妖精の姿に戻ったキキがちょこんと座っている。
「別にいいじゃない。あの牛を食べるわけじゃないんだから」
「いやいや、目の前で同類の肉を食われたら嫌だろ!」
「言わなきゃ分かんないわよ」
「そういう問題じゃない!」
キキとゴードンが言い争っていると、小屋の扉をノックする音が聞こえてきた。
「どうぞ! 開いているから入って来て!」
ノエルが台所から声をかけると、扉が開いてニコラとギルバートが入ってきた。二人の後ろから、犬のビリーも顔を出す。
「ステーキは焼くだけだから、後はよろしくね」
そう言ってキキはビリーのところまで飛んで行き、ボサボサした毛の中に潜り込んだ。
「おい! ギルバートのことも呼んだのか?!」
ゴードンがノエルに詰め寄る。
「ゴードンが良い人だってことをギルバートに分かってもらえたから、次は君に彼の良さを知ってもらいたいなと思って、夕食に招待したんだ」
ノエルの言葉に、ゴードンが溜息をつく。
「お前って奴は本当にお人好しだな! ギルバートの正体がとんでもない悪党だったらどうするんだよ!」
「大丈夫だよ。僕は悪意のある人間を見分けられるから」
ノエルが穏やかな声で言うと、ゴードンは観念した様子で苦笑いを浮かべた。
「お前がそう言うなら、俺も信じてみるよ」
ゴードンはノエルの肩をポンと叩き、ニコラとギルバートの方へ呼びかけた。
「おーい、二人とも手伝ってくれよ! 俺とノエルはステーキを焼くから、ニコラとギルバートは皿やコップをテーブルに運んでおいてくれ!」
静けさに包まれた冬の夜。
ノエルの木こり小屋からは、にぎやかな話し声が夜遅くまで響き渡っていた。