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私のご主人様は悪女

 私は、悪女と名高いスカーレット様にお(つか)えしている。


 資産家の令嬢として生まれ育ったスカーレット様は、数年前に両親を亡くし、若くして家督(かとく)を継いだ。


 スカーレット様には、女神のように美しいソフィア様という妹がいる。

 私と同じ時期に雇われたパティは、ソフィア様の専属メイドに配属されて小躍りしていた。


 パティの話によると、ソフィア様はメイドの失敗にも寛容で、怒った顔など見せたことがないそうだ。

 いつも笑顔で優しく、甘い砂糖菓子をメイド達にも分け与えてくれるらしい。


 それに引きかえ、私のお仕えするスカーレット様ときたら……輝くような美しい容姿とは裏腹に、心は闇色に染まっている。


 メイドや執事への言動は常に厳しく、些細なミスも見逃さない。

 礼儀を重んじ、少しでも不平や不満を漏らそうものなら、容赦なくクビにされてしまう。


 だから、私を含めたスカーレット様専属の使用人達は、理不尽な仕打ちにひたすら耐えている……のだとばかり思っていた。

 あの日、セバスチャンから話を聞くまでは。


「マリー、仕事には慣れた?」

 使用人達の休憩室で食事をとっていると、セバスチャンが話しかけてきた。

 彼は執事長の息子で、屋敷に来てまだ日が浅い私のことを何かと気にかけてくれる。


「失敗ばかりで、さっきもスカーレット様に叱られました」

 しょんぼりしながら言う私に

「それは良かった。マリーはスカーレット様に気に入られたみたいだね」

 と言ってセバスチャンは微笑んだ。


「……叱らてばかりいるんですよ? 気に入られているわけないじゃないですか」

 私が困惑しながら言うと

「スカーレット様は、見込みのある人間しか相手にしない。叱る価値すら無い相手には、何も言わないよ。たとえば彼女達とかね」

 と言って、セバスチャンは少し離れたテーブルの方へと視線を動かす。


 彼の視線の先にはソフィア様の専属メイド達がいて、食事をしながらおしゃべりに花を咲かせていた。

 テーブルの上には、使用人達の(まかな)いだけでなく、美味しそうな砂糖菓子も置かれている。きっと、ソフィア様からいただいたのだろう。


 私は彼女達が(うらや)ましくて仕方なかったが、セバスチャンは苦い顔で非難の言葉を口にした。


「ソフィア様の専属メイド達は、交代で休憩をとるという使用人の決まりを無視して一斉に休憩に入ってしまう。その間ソフィア様のことは放ったらかしだ。それに、あの砂糖菓子……きっとまた、古株(ふるかぶ)のナディアがソフィア様にねだったんだろう」


 セバスチャンの話を聞いて、私は驚いてしまった。


 ご主人様にお菓子をねだる? メイドの分際で?

 いくら古株とはいえ、立場を(わきま)えずにそんなことをするメイドがいるなんて、信じられない。


「使用人を甘やかすソフィア様と、厳しく(しつ)けるスカーレット様。どちらが本当の優しさなのか、今に分かるよ」


 セバスチャンはそう言うと、ポケットから懐中時計を取り出し

「そろそろ仕事に戻った方がいいんじゃないか?」

 と私に言った。


 私は急いで皿に残った料理を口に詰め込み、慌ただしくスカーレット様のお部屋へと向かう。


 スカーレット様のお部屋はいつも整然としている。床には(ちり)一つなく、窓は磨き上げられ、ベッドのシーツはピンと伸ばされている。


 スカーレット様専属のメイド達は、常に神経を()()ませ、どんな要望にも即座に対応出来るよう準備を(おこた)らない。


 その日の午後、突然

「出かけるわ」

 と言い出したスカーレット様が椅子から立ち上がるや(いな)や、メイド達は一斉に動き出した。


 アリスが馬車の手配をしている間に、私とリサはスカーレット様のお着替えを手伝い、ベラが必要な荷物を確認しながらまとめていく。


 あっという間に準備が整い、私達はお見送りをするために門の前に並んだ。


 スカーレット様が外出する際は、たいていリサを連れて行く。この日もそうだろうと思っていたら

「マリー、あなたも一緒に来なさい」

 と言われて、私は(おお)いに戸惑(とまど)った。


「え?」

 と言ったきり突っ立っていると、後ろから強く背中を押された。


「モタモタするな」

 私の背後にいたのは、イワンという護衛の騎士だった。

 イワンの鋭い目に睨まれ、私は訳も分からず馬車に飛び乗る。


 スカーレット様はふかふかのクッションに身を(ゆだ)ね、そっと目を閉じる。

 私はリサの隣に座り、身を固くしていた。

 どこへ何をしに行くのか知りたかったが、無駄口を叩いてスカーレット様の眠りを(さまた)げるわけにはいかない。


 馬車は賑わう町を通り抜け、薄汚い貧困層の民が住む地区へと入って行った。


 スラムと呼ばれるこの地域には、富裕層(ふゆうそう)寄付(きふ)により設立された教会や孤児院があるのだが、ここに暮らす人々にとって、そんなものは何の救いにもならなかった。


 スカーレット様は、こんなところへ何をしに来たんだろう。


 私が疑問に思っていると、教会の前で馬車が停まる。

 教会の中から現れた神父は、馬車から降り立ったスカーレット様を見るとすぐに駆け寄って来た。


 二人は顔見知りのようで、スカーレット様はイワンを連れて教会の中へと入って行く。


 もう一人の護衛が馬車の側で待機しているとはいえ、この辺りは治安が良いとは言い(がた)い。


 暴漢に襲われたらどうしようと、私は怖くなった。


「大丈夫よ」

 私の震える手を、リサが優しく握る。


「あの……スカーレット様はここで何を……?」

 私の問いかけに、リサが答えようとしたその時

「馬車だ!」

「きっと金持ちだ!」

 という声がして、馬車の周りに子供達が(むら)がってきた。


 彼らは教会に併設された孤児院の子供達のようで、身を乗り出して中を覗き込んでくる。


 護衛の騎士が追い払おうとするが、子供達はちっとも(ひる)まない。


 騒ぎを聞きつけた神父が出てきて、興奮した子供達を落ち着かせようとしている隙に、イワンを連れたスカーレット様が裏口から現れ、馬車に乗り込む。


 それを目ざとく見つけた一人の子供が

「どうかお恵みを!」

 と叫んだ。


 スカーレット様は子供達には目もくれず

「馬車を出しなさい」

 と命じた。


 馬車がゆっくりと動き出し、子供達の声が遠のいていく。


「マリー、あなたがお金持ちだったら、あの子供達に何をしてあげる?」


 いきなりスカーレット様に質問された私は、どぎまぎしながら考えをめぐらせた。


「えっと……食べ物をあげたり、お金を寄付したり……」


 スカーレット様は、私の答えを聞くと

「ソフィアが喜びそうな答えね」

 と言って鼻で笑い飛ばした。


 私は内心ムッとしつつ

「あとは……学校を建てます」

 と付け加えた。


 すると、スカーレット様は私の目をじっと見つめながら

「どうして?」

 と尋ねた。


「その……読み書きや計算が出来れば、賃金の良い仕事についたり、自分で商売を始めることも出来るかもしれないので……」


 私の説明を聞き終えると、スカーレット様は何も言わずに目を閉じた。


 さっきの質問の正解は何だったんだろう、と不安に思いながらリサの方を見ると、彼女は私を安心させるように微笑んでくれた。


 スカーレット様は帰りに高級店を何軒か回り、美しい絹織物や繊細なガラス細工、貴重な香辛料や珍しい茶葉などを次々と買い求めた。


 こんなに沢山の贅沢品(ぜいたくひん)を買うお金があるのなら、さっきの子供達に小銭くらい恵んであげれば良かったのに。


 そう考えながら、私はスカーレット様にまつわる噂話を思い出していた。


 スカーレット様は貧乏人を()み嫌い、親の遺産で贅沢三昧(ぜいたくざんまい)

 寄付や慈善事業に(いそ)しむソフィア様とは正反対で、スカーレット様は自分の利益になることにしか興味がない。


 やっぱり、あの噂は本当だったんだわ。


 その時の私は、スカーレット様のことを噂通りの悪女だと思い込んでしまっていた。



 そんなある日、私の考えを覆すような出来事が起こった。


 その日は昼過ぎからお使いを言いつけられて、私が屋敷に戻る頃には日が暮れていた。


 スカーレット様のお部屋に向かう途中で、いきなりイワンに腕を掴まれた。

「痛い!」

 と声をあげたが、イワンは手を離してくれない。

 それどころか、私は後ろ手に縛り上げられ、何の説明もないままソフィア様のお部屋まで連れて行かれた。


 お部屋の中にはソフィア様だけでなく、スカーレット様や執事長もいた。


 イワンは私を床に(ひざまず)かせると

「ソフィア様の持ち物が、お前の荷物の中から出てきた。どういうことか説明しろ」

 と言って、絹のハンカチや髪飾りを見せてきた。


 私は顔面蒼白になりながら身の潔白を訴えたが、イワンは私を犯人だと決めつけているようだ。

 無理もない。動かぬ証拠が私の荷物の中から見つかったのだから。


 絶望的な気分で(うつむ)く私に、イワンは

「首飾りと指輪はどこに隠したんだ?」

 と追い打ちをかけるようなことを言った。


 私が驚いて顔を上げると、執事長が穏やかな声で経緯を説明する。


「最近、裏社会に高価な宝飾品が出回っているという話を耳にしてね。この屋敷からも盗まれたものがあるかもしれないと思い、宝飾品のリストと照らし合わせて確認したんだ。そうしたら、ソフィア様の首飾りや指輪がいくつか()くなっていることが分かった。そこで全ての使用人の部屋を調べたところ、マリーの荷物からソフィア様のハンカチと髪飾りが出てきたというわけだ」


 誰かが私に罪をなすりつけようとしている。

 そう思ったが、この状況では何を言っても信じてもらえないだろう。

 あまりにも悔しくて、目に涙がにじむ。


「犯人には地獄を見てもらうわ」

 それまで黙っていたスカーレット様が、冷ややかな声を放つ。


 私は最後の望みを(たく)して

「盗んだのは私ではありません」

 と訴えたが、スカーレット様は

「マリーを地下室へ閉じ込めておきなさい」

 と執事長に命じた。


 私は大粒の涙をこぼしながら、執事長に連れられて地下室へと向かった。


 地下に足を踏み入れるのは初めてだった。

 きっと薄暗い倉庫のようなところに閉じ込められてしまうのだろうと思っていたのだが、案内されたのは応接間付きの豪華なゲストルームのようなところであった。


 目を丸くしている私に

「バスルームもあるから、不自由はないはずだ」

 とだけ言って執事長は退室し、外側から鍵をかけた。


 予想もしなかった出来事が次々に起こり、思考が追いつかない。

 何だかやけに疲れてしまった。


 遠慮がちにソファへ腰を下ろすと、やわらかなシートに体が沈み込んでいく。

 ふかふかのクッションにもたれかかっているうちに、私はいつの間にか眠りの世界へと落ちて行った。


「マリー、起きて」

 体を揺さぶられて目を覚ますと、リサの顔が見える。

 すぐそばにはスカーレット様が立っていて、私を見下ろしていた。


 飛び起きて立ちあがろうとする私に

「座りなさい」

 とスカーレット様が言い、彼女もソファに腰を下ろした。そして、私の目を見ながら話し出す。


「犯人を捕まえたわ。宝飾品を盗み出したのはナディアで、共犯のイワンが盗品を売り(さば)いていたのよ。マリーに罪を(かぶ)せて油断したのか、すぐにボロを出したわ。見張りをつけて、イワンが盗品売買の仲介人と会っているところを取り押さえてもらったの」


 疑いが晴れたことを知り、私は心から安堵(あんど)した。


「マリー、スカーレット様はあなたの無実を信じてくれていたのよ」

 リサに言われて、私は

「どうしてですか?」

 とスカーレット様に尋ねた。


「あなたは、今まで一度も自分の失敗を隠したり誤魔化したりしなかった。叱られるのが分かっていても、正直に申告して反省していた。あなたのように誠実な人間が、盗みをするとは思えないもの」


 優しい言葉をかけられて、私の目からは涙があふれ出した。



 その日の夜、私はリサからスカーレット様の話を色々と聞かせてもらった。


 スラム街の人々を貧困から救い出すために、金品を寄付するのではなく仕事を与えようとしていること。


 そのためにスラム街の再開発を計画し、新たな雇用を生み出すことで失業者を減らすつもりであること。


 そして、有力者やその身内の趣味嗜好(しゅみしこう)を調べ上げ、贈り物をしたり様々な便宜(べんぎ)(はか)ることで恩を売り、計画を実行に移すための根回しをしていること。


「それじゃあ、この前スカーレット様が購入した品々は……」

 私の言葉の続きを、リサが引き受ける。

「ご自分のための物ではなく、贈り物だったのよ。それから……この前、馬車の中でスカーレット様に質問されたことを覚えている? あの時のマリーの答えを、いつか実現したいとおっしゃっていたわ」


 リサの話を聞き終えた私は、スカーレット様のことを悪女と決めつけていた自分を恥じた。



 翌日、スカーレット様の髪を()かしていると

「マリー、あなたならナディアとイワンにはどんな罰を与える?」

 と聞かれた。


 なぜ、そんなことを聞くのだろう。

 二人は既に牢獄の中だとばかり思っていたのだが、違うのだろうか。


 私が答えずにいると

「言ったでしょう? 『犯人には地獄を見てもらう』と」

 スカーレット様はそう言って、(つや)やかな笑みを浮かべる。


 やっぱり、私のご主人様は悪女かもしれない。


 そう思いながら、私はスカーレット様の美しい髪を()かし続けた。

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