汚染
数日リールと旅をしていて、いくつかクーシュの中で変化が起こった。否、起こったというと語弊がある。
変化を自覚したというのが正しい。
魔王を倒した後のクーシュは無気力だった。頭など働かなかったし、国に裏切られた時も逃げるくらいしか考えなかった。国に対しての憎しみなんてないし、死ねたら死ねたでそれで良かった。
立ち寄った村の、小さな宿の一室。そのベッドで横になりながらクーシュは静かに涙を流す。
気分がひどく落ち込んで、心臓がぬるい水底にでも落ちたようだった。
夢を見たわけでもない。勝手に溢れ出る感情を抑えきれなかった。ふとした空白の時間になると涙が出て、仕方ない。
精神的にボロボロだった。ありえないくらい感情のコントロールができない。
「落ち着けてあげようか」
床で休んでいるリールに話しかけれる。クーシュは黙って頷く。
頭に手をのせられて、魔法をかけられる。
涙は流れ続けるが、いくらか楽になる。
「リール」
「なんだい」
「つらい」
感情を吐き出す相手も、感情を抑制してくれるのもリールしかいなかった。
ギブの森で短期間でも一緒に暮らしていたし、こうして旅も二人で続けている。
仲間なんて思いたくはない。信頼しているかといえば安心感のある信頼ではない。魔王の息子だから、人族とは違う魔族だからというネガティブな信頼がクーシュの中で芽生えていた。
人でないから変な気は起こさないだろうし、引き留めようとしない。クーシュに、希望的な思考に執着がない。
クーシュが死ぬとしても止めないだろう。するとすればどうせなら自ら手を下したいとすら思っているかもしれない。
そんな相手にすがってる。依存している。それが今のクーシュであった。
「……あのさ」
「うん」
リールは背中を擦りながら返事をする。
「これ以外、ないの」
「これ以外って」
「落ち着くやつ以外」
リールは口の端を吊り上げるのが見えた。碌でもないことを考えているときは嗤うのだと、クーシュはこの旅の中で気づいた。
「やってもいいけど戻れなくなるよ」
「良い、けど」
「良いの?」
ほぼ反射的に答えたクーシュの言葉にリールが食いつく。瞳が開かれて好奇心が滲み出ていた。
「地獄だよ、ある意味」
そう言って流れてくる魔法が変わった。次の瞬間、まずゾクリと背中が跳ねる。ガクガクと体が震えて、全身に雷にでも打たれた衝撃がクーシュを襲う。
「あ、ひっ」
頭がいじられている。思考をかき混ぜられるように、首の付け根から後頭部が痺れて頭の中がぐちゃぐちゃにされる。
「ほんといい顔するよねぇ」
囁かれて、耳から脳に突き刺さる。
未知の感覚に恐怖が心を支配しかけるが、それさえ真っ白に塗りつぶす。
何も考えなくていいというよりは、強制的に考えることをすり潰されているような、そんな感覚だ。
「ダ、メ……」
体が拒絶反応を起こして全力でその感覚を消し去った。一気に思考が正常に戻り、大量の冷や汗が流れる。口からは涎が垂れていて、それを何とか拭うと力が抜けた。涙で視界が霞んでいる。
心臓が警笛を鳴らして、体を叩いている。大事な何かを抜き取られていくような、人じゃなくなっていくようなそんな、恐怖に、呼吸が乱れる。
「何、したの」
「快楽汚染」
「かい、らく?」
今のが?
自分の体を蹂躙されているようで恐怖感でいっぱいだった。
なのに、快楽?
自分を抱くように肩を握りしめて怯える。
「溺れる前にレジストしたね、感心感心」
頭を撫でられる。いつもの心を落ち着けてくれる魔法が、クーシュの震えを抑えてくれる。
感情の落差が激しくて、体は疲れきってしまったが。
「いつものでいいかい」
何度も頷く。
あんなの、たまったものではない。
「うーんこれなら気持ちよーく殺してあげられるんだけど拒否反応出るならボツかな」
どうやら以前の発言をリールなりに模索していたらしい。
あぁ、この人は殺してくれるんだ。
そんなことに安心感を覚えるなんて思ってもみなかった。
自分を殺せる者が旅にいること。
いつでも終われる旅であるというのは救いだ。
だってそこには使命も何もないのだから。