最終話 終の誓言
魔道具屋では変わらぬ日々が続いていた。魔道具を求めに来た人には商品を売り、探し物や探し人の依頼を受けては二人で探しに行った。
そんなある日、イオは魔道具屋の住居部分の二階にある自室にいた。先日受けた探しものの依頼が片付き、依頼人への報告も完了したあとだった。ティナには数日不在にすることを伝えてある。
いつものように依頼を手掛かりにして見つけた組織の痕跡を追って、再度、界を渡る準備をしているところだった。
ただ、常と違うのは、その準備をしている中で、部屋の中の私物のほとんどを片付けていたことだ。
もともとあまりものを多くもたない方ではあったのだが、それでも魔道具屋で働き、この一室で生活する中で、徐々に私物が増えていっていた。特に魔道具関連の魔導書と道具は、魔道具屋の仕事にかかわることもあり、それなりの量になっていた。
「これも片付けないとな……」
そう言葉をこぼしながら、一つ一つ整理していく。あるものはそのまま部屋の中の棚に収め、あるものは収納の魔道具で片付ける。そうしてほとんどの私物を片付け、部屋の中が整理されたあと、ふと部屋に置いてあった鏡に目が留まった。
鏡の中には白金色の髪に紅い目をした青年が映っている。その片耳につけられた緑色の輝きが目にまぶしかった。
「――先生。ようやく、これで最後だ」
目を細め、鏡の中に映る緑色の輝きに誓うように言葉をささやく。イオはピアスをつけた耳元に手を触れ、しばし目を閉じて、じっと動かずにいた。静かな部屋の中で時間が過ぎ、そうしてようやくゆっくりと目を開いた。
「ごめんな、ティナ。これだけはもっていくよ」
先生の瞳の色を思い起こさせる緑色も、先生が組んだという仕込まれた魔術も、手放すには惜しかった。
* * *
イオは森の中から、少し離れた場所にある大きな建物を見ていた。近くにある町からは少し離れた森の近くにあるその建物は、周辺をぐるりと塀に囲まれ、唯一の入口には警備らしき人影が立っていた。
イオは森の中に潜んだまま魔術を発動させ、まずは周辺の様子を監視している魔術を書き換え、今の何も起きていない状況が繰り返し映し出されるようにした。そうして準備を終えると、まずは入口に立っている警備を昏倒させ、そのまま闇の魔術に喰わせた。
そこまでしてから、イオはようやく潜んでいた森の中から姿を現し、入り口の方へと近寄って行った。そして、塀から建物全体を覆うように発動している結界の魔術に介入し、入り口の門も魔術で開錠させると、するりと敷地内に立ち入った。
そうして内部に入り込むと探知魔術で敷地内の様子を探る。想定通り、標的が全員内部にいることを確認してから、再度結界の魔術に手を入れて内側から内容を書き換えた。
「――これでよしっと」
もともとの結界が、外部からの侵入を阻み、内部を外部の攻撃から守護するものだったのに対し、書き換えられた結界では、外部からの侵入を阻むことは変わらなかったが、内側にいるものを閉じ込め、外部へと出られないようにするものになっていた。
イオはこれまで潰してきた下位組織の情報を統制して、構成する他の組織が次々と消えていっていることを、これまでこの組織の本拠地には伝わらないようにと情報を抑えてきていた。その情報の統制を少し前から解除し、むしろ壊滅した下位組織の情報を大量に流すことで、今、この場所は情報の精査と対応に追われて慌ただしい様子であると同時に、組織の中心人物たち全員が集まっている状態だった。
探知魔術で見逃しがないかを確認しながら、イオは建物内にいる組織の構成員たちを闇の魔術に喰わせていった。気付かれなかった相手はそのまま何の抵抗もさせずに喰わせ、気付かれて攻撃を放ってきた相手は、魔術で相手の攻撃を打ち消したり、反撃したりして無力化して、同じように闇の魔術に喰わせた。
「――?」
ふっと違和感を覚えてイオは少し眉をひそめた。死角からの攻撃に気付かず、被弾しそうになった魔術による攻撃が、自らの身体に届く前に霧散したのだ。
そのまま周辺にいる相手をすべて喰わせたあとに、しばらく考え込み――ティナの言葉を思い出した。
『あんた、怪我してくること多いんだから、それでもつけて、少しは減らしたら』
『防御とか回復とか、師匠が組んでたものだけじゃなくて、私も追加で色々仕込んどいたから』
「……あー、あれかー……」
思い当たった原因に、困ったようにそうつぶやくと、ティナから渡され、身に着けているはずのピアスの場所へと手を触れさせる。
「あまり頼りきりになるのもよくないけど、外してなくしたくはないしなー………………んー……ま、いっか」
少し迷うように考え込んでいたが、割り切ったような独り言をこぼすと、組織の本拠地を壊滅させるための行動へと再び歩みを進めた。
* * *
イオは一つの大きな扉の前に立っていた。他の場所にいた組織の構成員たちはすべて闇魔術に喰わせたため、周囲に人影はない。探知魔術で念のため周辺を探り、残りはこの扉の先の部屋にいる存在だけだということを確認すると、扉に手をかけて開け放った。
「なっ……」
「誰だっ」
扉の先、部屋の中にいた人物たちは、魔術で鍵をかけ、結界も張っていたはずの場所に侵入してきた見知らぬ存在に声をあげる。部屋の中には縦に長い大きなテーブルがあり、その長辺にあたる部分に魔術師のローブを身に着けた人間が合わせて十人程度座っていた。年齢は様々だが、比較的上の年代が多いように見えた。テーブルの上には何かの情報が書き込まれた紙があちこちに広げられ、散乱している。
侵入者に対して即座に起動された魔術は、扉のそばに立つその存在に届く前に打ち消され、テーブルの周りの席についていた人間たちは、その侵入者から放たれた魔術によって、一人残らず首をかきむしるようにして苦しみ、のたうち回り始めた。
「簡単には死なせてやんねーよ。お前らが苦しめた人たちの分、死ぬまで苦しめ」
毒の魔術を複数起動させて、全員を一度に無力化したイオは、そう吐き捨てると、また別の魔術を起動させ、そこにいた存在が身に着けていた魔道具をすべて手元に引き寄せて、闇の魔術に喰わせた。苦しみながらも、どうにか自らに回復魔術をかけようとしていたものも、反撃しようと攻撃魔術を組もうとしていたものもいたが、使用している魔道具をすべてイオが消し去ったことによって、起動しかけた魔術がすべて掻き消えてしまった。
イオはそれらの抵抗も、苦しむ姿も気にしていないような様子で、テーブルの上にあった紙を魔術ですべて手元に引き寄せ、一通り内容を確認した。そして、床でのたうち回っているうちの一人がどうにか起動させた炎の攻撃魔術がちょうど届いたところにその手元の紙を投げて灰にすると、その灰も他と同様に喰わせた。
魔術を起動できる存在がいるのを見て、イオはもう一度毒の魔術を重ね掛けして抵抗を封じると、黒い点のように見える魔術を部屋の中央へと放った。そして憎々し気な視線でテーブルの周囲で苦しむ人間たちを睥睨すると言葉を吐いた。
「お前らみたいな存在、死体だったとしても、この世に存在するのも害悪だからな。死体も闇魔術に喰わせて、跡形もなく消してやるよ」
その言葉の間に、部屋の中央に放った黒い点はだんだんと大きくなっていた。
「けど、ただ死ぬだけじゃ足りないからな。……自分たちがつくりあげたものが、すべて消え去るところを見て――――絶望しながら死ね」
部屋の天井にまで届くほどに巨大になった黒い球は、イオのその言葉が引き金になったかのように破裂すると、周辺すべてを巻き込み破壊しつくした。
その部屋を中心として建物全体を破壊し、倒壊させた魔術は、建物全体を覆うようにして発動していた結界の魔術にぶつかり、結界の内部に跳ね返るようにしてさらに内部の崩壊を加速させた。
そうして大きな建物があったはずの場所には瓦礫の山が残された。魔術を跳ね返すことが限界だったのか、周囲を覆っていた結界も消え去った。
崩壊の中心地となった場所には複数の人影があった。そのどれもが動くことなく瓦礫の下敷きになっていたが、一人の身に着けていた金の腕輪から黒い影が這い出して、他の人影を喰らっていった。
他の人影を喰らいつくした黒い影が消えると、そこに動く存在は何もなくなった。
* * *
魔道具屋の店の扉には休業中の札がかかっていた。店内は暗く、人の姿はない。
ティナは店の奥の方にある居住空間で、大荷物を抱えて階段を上っていた。抱えている荷物は店頭に置いていたもので、上階にある物置部屋に片付けに行こうとしていた。
「……よっと。って、あっ……」
階段を上りきり、荷物を抱え直して廊下を進み始めたところだった。抱えていた荷物の山から飛び出していた古い杖が、廊下でちょうど通りかかった扉に引っ掛かっていた。
「あー、もうっ。やっぱ分けた方がよかった……? ったく、こういうときいっつもイオはいないんだから」
そうぶつくさとつぶやきながら荷物の抱え方を調整して、扉に引っかかっている古い杖をどうにか外そうとする。今日は、ある種の依頼が終わったあとの、イオがいつもいなくなる日だった。
――ガチッ。
荷物を下ろす面倒さを嫌って、荷物を抱えたまま引っかかっているところを力技で外そうとしたとき、扉が開いた。古い杖は扉に変な風に引っかかっていたのか、引っ張られた拍子に一緒に扉ごと開いてしまったようだった。
「えー……イオが鍵かけてないとかありえる……?」
開いた扉は普段イオが使用しているはずの部屋だった。常ならば必ず鍵がかかっていて、ティナは中を見ることもほとんどない空間だ。
他人が室内に入ることを嫌うイオは、必ず物理的な鍵だけでなく、魔術での鍵を二重三重にかけることが常であるため、古い杖が引っかかったくらいで扉が開くことはありえないはずだった。ましてや、いつもの、ある種類の依頼のあとにある、部屋を不在にする期間に鍵をかけ忘れるなどということは、普段のイオを知っているティナにしてみれば考えられないことだった。
「イオー……?」
もしかして、外出しておらず部屋にいたのだろうかと数少ない可能性が頭をよぎり、ティナは声をかけながら部屋をのぞき込む。
視界に入ったのは、無人の部屋だった。それだけならよかった。イオが鍵をかけ忘れるなんて珍しいこともあるんだ、そう考えて扉を閉めるだけでよかったはずだった。
だが、のぞき込んだ無人の部屋の中は、怖いぐらいに整えられていた。ティナがごくまれに見たときの記憶の中のイオの部屋は、片付いていないわけではないが、常に机の上には大量の魔術書と魔術の道具が置かれていたものだった。
それが、今は、机の上には使っていたはずの魔術書も、魔術の道具も見当たらず、きれいに片付けられていた。
――まるで、だれも使っていない部屋であるかのように。
ざっと顔から血の気を引かせたティナは部屋の中に入り、やけに片付いた机の上に、抱えていた荷物を壊さないように気を遣いながらも急いで置く。部屋を見まわし、何かを探すように視線を巡らせる。考えていたものが見当たらなかったのか、部屋を見渡したあとは机の引き出しを開けて中を確認し始め――――、一つの紙を見つけた。
その紙に書かれた、手紙のような書置きのような言葉を読むと、ティナは険しい顔で唇をかみしめた。
「あんのばかイオっ……」
ティナはそう言葉を吐き出すと、扉を閉める余裕もないまま部屋から出ると、駆け出した。
* * *
大きな建物がすべて崩れ去っていた。建物があったはずの場所に残るのは瓦礫ばかりで、瓦礫の隙間からは煙が上がっている場所もいくつかあるようだった。
ティナは杖の上に座ったまま宙を飛ぶと、瓦礫の上を旋回してあたりを見まわした。ひときわ激しく破壊され、この建物が倒壊する原因となった中心地と思しき場所を見つけると、そのまますいっと飛んで行った。
飛んで行った先には、瓦礫に埋もれるようにして白金色の頭部が見えた。
「イオっ……!」
身体を埋めている瓦礫の山を、建物の倒壊を巻き起こさないようにと、魔術で慎重に取り除き、取り除いた瓦礫を使って降り立てる場所をつくる。その場所をさらに魔術で固定すると、慎重に杖から降り立った。
目を閉じて横たわったまま、返事をしないイオに駆け寄り、回復魔術をかける。片耳につけたピアスが魔術に呼応するように光り、うっすらとイオの全身を覆うように光が走り抜けたあと、消えていった。
「……なんだ、ティナか」
イオは、ふっと目を開き、ティナの顔を視界に入れると、そうつぶやいた。
「なんだ、じゃないわよ。こんな…………私が来てなかったら、死んでたかもしれないのよ」
ティナは、ギリっと、潤み始めた目でにらむ。
「別に、それでよかったんだけどな」
ふいっとイオは顔をそらし、瓦礫の山を視界に入れた。
「よくないわよ……! 師匠の――――復讐は終わったんでしょ。それなら――」
「なんだ。気づいてたのか」
イオは瓦礫の山へと顔を向けたまま、横目でティナを見る。視線を向けられたティナはぼろりと涙をこぼした。
「気づくに決まってるでしょ。私だって、ずっと師匠のことを調べてたんだから」
「まあ、そうだよな」
イオは、すっとまた瓦礫の山へと視線を戻し、淡々とした声で言った。
「俺はもう、目的を遂げたし、お前と一緒に仕事をする必要もないから、これで終わりだ。わざわざこんなところまで来たところ悪いけど、一人で帰ってくれるか」
「帰らない」
「なんでだよ」
ティナはぼろぼろと涙をこぼしながらずっとイオを見つめるが、イオはそれを視界に入れないようにとひたすら瓦礫を見つめ続ける。
そのまましばらくの間、沈黙が続き――根負けしたように、イオは目を閉じて、口を開く。
「俺は――――もう、ずっと、復讐のために生きてたんだよ。先生がいないなら、どうだっていい。あいつらに復讐できたなら、そこが俺の死に場所だ。――お前のおかげで生き残っちまったけどな」
そう言ってイオは目を閉じたまま唇を歪めた。そのイオの顔にティナは両手で触れると、無理やり自分の方へと向けた。そして、急に顔の向きを変えられて思わず目を開いたイオの瞳をまっすぐに見つめて言った。
「――だったら、今度は私のために生きてよ。イオと一緒にいたときの師匠のことを知っているのは、イオしかいないでしょ」
「……っ。そう、だけど」
泣いてぐしゃぐしゃになった顔のティナに詰め寄られ、イオは言葉に詰まる。
「イオが師匠の話教えてくれるっていうなら、私といたときの師匠の話も教えてあげるよ。――――あの魔道具つくったときの話、知りたくない?」
あの魔道具――界を渡る空間へ転移することのできる魔道具で、以前イオがつくられた経緯を聞いたときは知らないと答えていたはずのティナが得意げな顔で話す言葉を聞き、イオは途端に不機嫌そうな顔になり、にらみ上げるようにして聞き返した。
「――は? 前聞いたときは知らないって言ってただろ。どういうことだよ」
「あんな胡散臭いヤツに話すわけないじゃん。自業自得」
「くっそ……」
ティナは自慢げな顔で見下ろし、イオは恨みがましい目でその顔を見上げた。
瓦礫の山に囲まれて、そこかしこで煙が上がっている。そんな状況なのに、これまでの他のどんな場所にいたときよりも二人は互いへの遠慮がなくなっていた。
「ねえ。私たち、たった二人の弟子なんだから。イオといたときの師匠の話、全部教えてよ。私も教えるから。だから、全部話し終わるまでは、絶対、勝手に死なないで。――約束」
「ははっ……そう、だな。先生のことを話せるのは、もう、僕たちしかいないんだから……」
くしゃりと顔を歪め、イオは泣き笑いのような顔でそう言った。そして、言葉を継いだ。
「なら、ティナも、約束」
「――約束?」
イオの言葉に、ティナはきょとんとした顔で聞き返す。
「先生の話を全部教えてくれるまで、勝手に死なないで。絶対」
目と目を合わせて言われたその言葉に、ティナは大きく目を見開き、一瞬ののちに破顔した。周りが華やぐような綺麗な笑顔だった。
「うん。約束」
そしてどちらからともなく、その言葉を口にした。
「先生に誓って――」
「師匠に誓って――」
涙が一筋、頬を伝った。
互いの片耳を飾る緑色の石が、呼応するように輝いていた。
* * *
復讐は遂げた。先生の最期に誓ったその願いさえ遂げられたなら、あとはどうなろうと構わない――そう考えていた。けど、先生との想いを分かち合える二人でなら、まだ生きてみてもいいかと、そう思えたんだ。
対の誓言 了