表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

いつかどこかで見た物語

作者: 神楽

 夢を見た。姿の見えない誰かが、「幸せか?」と私に問う夢を。


 勇者と呼ばれ、強く賢く優しい夫。授かったかわいい子ども達。平和で穏やかな国。身も心も満ち足りた生活。あぁ……なんと幸福なことだろうか。


 だから私は「幸せです」と返した。するとその声は「よかった」と言った。嬉しそうな、でもどこか寂しそうな声だった。


 そして目覚めた私は胸が締め付けられるような心地を抱えながら、ふと、彼のことを思い出した。


 私が生け贄として捧げられた時に現れた、恐ろしい怪物のことを。






 王国の姫として生まれた私は、賢明な父と優しい母のもと穏やかに暮らしていた。しかし、私が十七を迎えた年、平和な日常は崩れ去った。


 疫病が蔓延し、倒れ伏す人々。海は荒れ、大地は乾き、飢餓に苦しむ国民達。突如として国を襲った災厄に、賢君と謳われた父も懸命に策を講じた。しかしその甲斐もなく。国は荒れてゆく一方だった。

 そんな時、下された神託。


『高貴なる血を海神に捧げよ』


 それが、国を救う唯一の術だった。


 そして──私は生け贄として捧げられた。




 岩礁に鎖で繋がれた体。襲い来る高波に翻弄されながら、ひとりその時を待つ。


 海神とは、どのような姿をしているのだろう。私は……どのようにして死ぬのだろう。恐怖に震えそうになる体を必死に抑えながら、暗い海を見つめた。


 どれだけそうしていただろう。突然、海が凪いだ。それも不気味なほどに、嵐の前の静けさのように。そしてそれは正しく、闇の様な海面から一体の怪物が顔を出した。人間の上半身と、魚の下半身。人魚だ。しかしその姿は恐ろしく禍々しい。


 闇よりも尚暗い髪と瞳。裂けた口には鮫のような鋭い牙が並んでいる。青白い喉にはエラのような切れ目が、呼吸するかのように蠢いていて。水掻きのついた手から伸びる鉤爪は、私の体など容易く切り裂けるだろう。


 伝承の神秘的な姿とは似ても似つかぬ醜悪な怪物が、そこにいた。 


 ──ああ、私は今からこの化物に食い殺されるのだ。


 不思議と心は凪いでいた。自らの死が目の前にいるというのに、先程まで抱いていた恐怖すら欠片もなく。死ぬなら一思いにと、喉元をさらけ出した私を見て光のない眼が三日月を描いた。


 刹那、海鳥の声と海鳴りを足したような耳障りな音が響く。私から目をそらした人魚の視線の先を見つめ、息を飲んだ。水面から上半身を覗かせた枯れ木のような体躯と、その上に座す髑髏。海の亡者とも言うべき存在が、餌に群がる獣のように私に手を伸ばしていた。


 引き攣った声が喉から漏れる。人魚を見た時には感じなかった恐怖が込み上げてくる。何故、今更になって。その姿のおぞましさならば、人魚も亡者も変わりはしないのに。

 頬を涙が伝う。生け贄に選ばれたその時から、死ぬ覚悟は出来ていたというのに。姫として最期まで誇り高くあろうと押し殺していた生への渇望が顔を覗かせ、見苦しい悲鳴をあげそうになる。


 岩礁を這いずる亡者の腕が私の足元へ届きそうになった、その時。水を掻く音と共に亡者の姿が消えた。次いで顔に降りかかった生温い雫。見上げた先で、硬いものの砕ける音がした。


 人魚が、亡者を喰らっていた。唇を牙をどす黒い血で濡らし、亡者の抵抗を意に介すことなく貪り食らうその姿はまさに怪物そのもので。

 一体、また一体と数を減らしていく亡者たち。人魚からすれば生け贄(わたし)を食らうのに邪魔なものを片付けているだけなのだろう。つまり彼らが全ていなくなれば次は私の番。それがわかっていて尚、目の前で繰り広げられる凄惨な光景は辛うじて保っていた心の均衡を崩すのには十分過ぎるほどで。

 私は意識が遠退いていくのを感じていた。


 そしてきっと、もう二度と目を覚ますことはないのだろうと。そう、思っていた。




 だから目を開けた時、未だ自分が生き永らえていたことに驚いた。どういうわけか人魚は私を食らうことなく去ったらしい。

 暗雲に覆われ光の射さない景色からは、今が昼なのか夜なのか、あれからどれだけの時が過ぎたのかは読み取れない。しかし感じる飢えと渇きは些細なものであるから、そう長い時は経っていないのだろう。


 何故、人魚は私を食らわなかったのか。私は生け贄として相応しくなかったのだろうか。そうであるならば、王国の運命は……。

 そう、頭によぎったのも束の間。目の前に現れた“それ”に、私は生き延びた理由を知った。


 あの人魚よりも大きく恐ろしく醜悪な亡者が、そこにいた。数多の亡者が集まりひしめき形を為すそれは、亡者の集合体とも言うべき存在で。その身から溢れる強烈な死臭に嘔吐きそうになった。

 この恐ろしい亡者が相手では、きっとあの人魚もただではすまないだろう。だから人魚は姿を消した。所詮は食われる存在が変わっただけのこと。


 亡者が腕を伸ばす。その身から流れる黒い液体が腐臭を撒き散らしながら私の体を汚した。目を閉じて、その時を待つ。


 嗚呼、神託の海神がどちらを指すのかは分からないけれど、どうせなら私は、人魚に食われたかった。そんなことをふと思った。


 突如、耳をつんざくような絶叫が響いた。驚き目を開ければ、鋭い鉤爪の付いた腕が亡者の胸を貫いていた。人魚だ。人魚が亡者を襲っている。明らかに自身より格上の相手に立ち向かうなど、そこまでして私を食らいたいのだろうか。

 既に命無き亡者にとっては胸を貫かれた傷など大したことではないのだろう。怒り狂ったように身を翻し人魚を引き裂かんと掴みかかった。


 骨の砕ける音。肉の引き千切れる音。雨のように降り注ぐ、真っ赤な鮮血。無造作に投げられたそれが、私の目の前に落ちる。黒い体液に塗れた、鉤爪の腕が。


 思わず息を呑んだのと同時に、痛みか怒りか、人魚が叫ぶ。人間とは喉の作りが違うのだろう、笛の音とも鳥の声ともつかないその声に、何故だか胸がざわついた。


 咆哮と絶叫が重なり、赤と黒が交わり合う。惨憺たるその情景から目をそらしても、この身が震えるようなおぞましい音が耳を犯し、血腥い臭気が鼻を刺す。


 はやく、はやく終わって。最早そう願うことしか頭にはなかった。目を閉じ耳を塞ぎ、岩影で身を潜める。絶えず聞こえてくる音も、足に伝う液体も全部、気付かない振りをして。



 どれほど、そうしていただろうか。ふと、あれほど聞こえていた恐ろしい音達が止んでいることに気付いた。恐る恐る、目を開ける。


 亡者は──いない。ただ、亡者の身体の一部だったのだろう黒色の残骸が無数に散らばっている。


 人魚は──いた。片腕を失くし、赤と黒に塗れたその身体を海に半ば沈めた姿で佇んでいる。深淵を嵌め込んだ隻眼と目があった。残された腕が、私の方へと伸ばされる。人魚の口が弧を描き、そして開かれようとした、その時。目映い閃光が閃いた。


 突然の光に眩んだ視界が元に戻った時。目の前には煌めく翼を持った美しい白馬と、白銀の剣を手にした一人の青年が立っていた。その向こうで、人魚が海へと沈んでいく。おそらく人魚も何が起きたのか分からなかったのだろう。最後に見えたその顔は笑みを象ったままだった。


 青年は私の前に跪くと、助けに来たと、そう語った。けれど私は元々災厄を鎮めるために捧げられた贄。私が生きていては、国は救われない。そう伝える私に、彼は柔らかく微笑んだ。

 曰く、災厄は海に棲む魔物が引き起こしていたと。その魔物は今自分が退治したから、もう災いが起きることはないと。


 彼の言葉を肯定するように、隙間なく立ち込めていた暗雲が晴れて行き、暖かな光が降り注いだ。それはまるで王国の救済を祝福するかのようで。気付けば、目から涙が溢れていた。これからも大好きな国で、大好きな人達と暮らせることが、嬉しかった。




 こうして、生け贄に捧げられた姫は勇者に救われた。王国と姫を救った勇者はその栄誉を称え、姫と次期国王の座を授けられた。






 過去に想いを馳せていた私を呼ぶ夫の声に、今日は娘が、生まれた子供を連れて城へ来る日だと思い出した。身支度を整え部屋の外で待っていてくれた夫と共に娘のもとへと向かう。


 初めて見た孫は漆黒の髪と瞳を持つ男の子だった。生まれつき喉に障りがあるそうで声を持たないその子を見た途端、何故か涙が零れた。


「今度こそ守るから」


 そう、声が聞こえた気がした。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 先に『知られることのない恋話』を見たので、見方が全然違いました。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ