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結局ハルは一晩泊まることになり、夕食後フーゴのとっておきフレーバーティーを飲んで上機嫌だ。
「ヴィクトル副隊長いっつもこんなおいしいお茶飲んでいたんですねぇー」
「本当にフーゴさんの入れるお茶は全部おいしいんですよ」
シーラもお茶を飲みながら言うと、部屋の隅に控えていたフーゴが頭を下げた。
「ありがとうございます」
「何か新しい情報はないのか?」
お茶を飲みながら言うヴィクトルにハルは少し考える。
「別にこれといって・・・。あぁ、どこに敵が居るか分からないから姫様とジュリウス殿下とおねぇさんはあのままあそこにとどまっておられます。一応食べるものはいちいち検査してて大変そうですよ。
ガーデンパーティ以外で毒が見つかってはいないですけどね」
「敵もバカみたいに毒を入れてはこないってことだな」
「シーラさんは霊能力は上がった感じあるんですか?」
ハルに聞かれてシーラは首をかしげる
これと言って自分の中で変化が感じられないのだ。
「全く分からないんです。特に変化もなく・・・。姫様についている侍女の霊とコンタクトが取れないと大変なことになりますよね」
青ざめるシーラにハルは肩をすくめる。
「そんな悩まなくてもいいと思いますけど。誰も霊にそんな期待なんてしていないし。
その霊だって何を知っているっていうのって感じですよね。毒が入ってたのもたまたまだと思うし」
「でもあの第二王妃の侍女だ。何か秘密を知って消されたんじゃないのか?」
ヴィクトルの言葉にハルはまた肩をすくめた。
「たかが侍女ですよ。姫様に毒を入れるって話を聞いただけだと思いますけど。それだけでは証言とはいえませんよね。この侍女は嘘を吐いているんだって言われてお終いですよ」
「たしかに・・・」
王妃はそれだけの力を持っているということだ。
シーラはとんでもないことに関わってしまったと息を吐いた。
そんな不安そうなシーラにヴィクトルは声を掛ける。
「シーラが関わっていることは外部に漏れてないから大丈夫だよ」
「そうでしょうか・・・。第二王妃様に毒を盛られたり、冤罪で訴えられたりしないでしょうか」
「そんなめんどくさい事、王妃はしないんじゃない。結構バカっぽいし」
あっけらかんというハルにヴィクトルもうなずく。
シーラは綺麗で優しい方だと思っていたので少し驚いた顔をするとヴィクトルは疲れたように呟いた。
「舞踏会に参加すればバカさ加減がわかるよ」
「そうそう、噂が広まらないのは第二王妃様の恐怖政治みたいなものだよね。噂を流した者は二度と王妃主催のパーティーに呼ばれないっていうね」
「そう、だからウチの姉上は呼ばれなくなったんだよね」
そう言って二人で笑っているがシーラは全く笑えない。
王家など自分の人生には関係ないと思っていたが、こうして話を聞くとドロドロしている世界すぎて身の危険を感じる。
「ん?」
ヴィクトルが険しい顔をして辺りを見回した。
「どうしたんですか?」
まさか第二王妃が何かを嗅ぎつけたのかしらと不安に思ってシーラも辺りを見回したが変化はない。
「女の・・・泣き声が聞こえないか?」
青い顔して言うヴィクトルを胡散臭そうにハルが見ている。
「何にも聞こえませんけど」
「いや、確かに聞こえる・・・はっきりと。シーラは聞こえないか?」
シーラも耳を澄ませてみる。
女のすすり泣くような声が聞こえてシーラはヴィクトルを見た。
「聞こえます!女性のすすり泣く声が」
「そうだろう!聞こえるよね!」
お互い立ち上がって確認し合っている姿をハルは冷めた目で見ながらお茶をすすった。
「やばい。シーラさんはいいとしてヴィクトル副隊長まで?」
「お二人仲良く修行をされていたからでしょうね。ヴィクトル様も霊能力が上がったのでしょうね」
新しいお茶を注ぎながら言うフーゴにハルはますますヴィクトルを胡散臭そうに見ている。
「副隊長もそっち側の人間になったんですね・・・・。ちょっと報告することが多すぎてメモしよ」
「そんなことを報告するな」
ヴィクトルは俊敏な速さで、ハルが出したメモ帳を奪ってパラパラとめくって内容を確認し、すぐに破り捨てた。
「ハル!俺とシーラの愛のはぐくみなんてくだらないことを報告するなぁぁぁ」
「僕のノートを破るなんて酷いですよ。せっかくフーゴさんとかに聞き込みしたのに」
「フーゴお前裏切ったのか。ここであったこと全部書いてあったけど」
「王命でございますから」
ヴィクトルに怒られてもフーゴは変わらず新しい茶を入れ始める。
「そうだよ。僕だって王命ですよ。ジュリウス殿下がお二人のことを報告・・・じゃなかった心配していたので教えてほしいって」
「絶対お前ら面白がって・・・・ってまだ、女の泣き声が聞こえる・・・」
「私も聞こえます」
シーラが頷くのを見てヴィクトルは確信を持った。
これは気のせいでも頭がおかしくなったのでもないと。
「よし、どこで聞こえるのか探そう」
そう言って立ち上がったヴィクトルにハルは手を振る。
「行ってらっしゃい。僕はここでフーゴさんのお茶飲んでます」
「お前も行くんだよ!」
ヴィクトルはハルの腕を取って無理やり立たせた。
「いやですよー僕、霊とか信じないし。何も聞こえないし」
「ならいいじゃないか!霊じゃないかもしれないし取り合えず一緒に行こう!」
そういってグイグイとハルを先頭に立たせて歩き始める。
その後ろにシーラも続いた。
「こんな泣かれてたら気になって眠れんからな」
冷や汗をかきながら言うヴィクトルに怖いのねと内心思いながらシーラは泣き声がする方へと向かった。
「泣き声が近づいてきたな・・・・」
やる気の無さそうなハルを先頭に進む3人は地下室へと続く階段を見下ろして立ち止まった。
地下室へと続く階段の先は真っ暗で何も見えない。
すすり泣く女性の声は地下室から聞こえている。
「フーゴ!明かりを持ってこい」
明らかに顔色の悪いヴィクトルにフーゴは明かりを渡す。
「ハル、お前が持て」
えーっと文句を言いつつハルは明かりを持って下に降りて行った。
ヴィクトルは動かないためシーラも彼の後ろから下を覗き込んだ。
一番下まで降りたところで、ハルが振り返り降りてこないヴィクトルに手招きをした。
「副隊長~!怖がってないで来てくださいよ。僕だと何もわからないんですけど、声も聞こえないし人の気配すらしませんけどぉ?」
「怖がってなどいない!今行く!」
部下に馬鹿にされたとムッとしてヴィクトルは地下室へ下りる階段に一歩踏み入れた。
女の泣き声はまだ聞こえたままだ。
「・・・・・シーラ。転ぶといけないから手を繋ごうか」
「・・・ヴィクトル様が怖いのなら私が前に行きましょうか?」
シーラが気遣うと、ヴィクトルはしばらく悩んだ末に諦めたように小さな声を出した。
「たぶん子供のころのトラウマでここにいる得体のしれない女ははっきり言って怖いんだ。悪い」
そう言ってシーラの手を握って前に行かせる。
なんとなく子供っぽいしぐさにシーラは苦笑しながらヴィクトルの手を強く握った。
「私も、霊は怖いですけどたぶん、ヴィクトル様よりは怖くないみたいです」
「シーラは初めから怖がってないと思うけど・・・」
下まで降り切ると、ニヤニヤしているハルが明かりを照らして待っていた。
「ヴィクトル副隊長~。僕って地獄耳なの知ってました?全部聞こえてましたから。面白い土産話ができて良かったです」
「何を言うつもりだ」
「えー、副隊長は幽霊を怖がっていますって」
ハルは声を上げて大笑いしている。
「私たちが大騒ぎをしてても泣き声やみませんね」
地下の部屋の奥からすすり泣く女性の声はまだ聞こえていた。
「一体なんなんだ・・・・ハル奥に行け」
「はいはい」
腰の剣をいつでも抜けるようにヴィクトルはハルの後ろをかなり離れて歩き出した。
ワイン倉庫になっている地下室はそれほど広くはない。
部屋の行き止まりまで行くとハルは辺りを照らす。
「だーれもいませんけど。なんか見えます?」
「お、女がいるのが見えないのか!」
剣を今にも抜きそうなヴィクトルの叫びにハルはもう一回辺りを見るが誰も居ない。
「見えませんけど、シーラさんは?」
「ぼんやり見えます。なんか黒い影がうずくまっています。声ははっきり聞こえますけど」
「えっ、てことはやっぱり幽霊?僕には全く見えないってことか・・・残念だなぁ」
残念といいつつ、ちっとも残念そうではないハルは面白そうにヴィクトルを見た。
「で、どうするんですか」
「どうすればいいんだ・・・この屋敷に霊が居ること自体困るんだが・・・」
「副隊長が怖がってここに来れなくなりますしねぇ」
笑いながら言う、ハルを怒ろうと近づくと女の霊が立ち上がってヴィクトルに近づいてきた。
「うぁぁぁぁ来るなぁ」
剣を抜いて威嚇するが全く効かず、女はヴィクトルの顔をかなり近くで覗き込む。
シーラには黒い人型の影に見えるがヴィクトルにははっきり見えているのだろう。
「・・・・副隊長とうとう頭おかしくなったの?」
何もいないものに向かって叫びながら剣を振り回しているヴィクトルにさすがのハルは引き気味だ。
「霊がヴィクトル様のそばに近寄ってきたんです」
シーラの説明にハルは納得して頷いた。
「事情を知らなかったら完璧、やばい人だよね。知っててもヤバイけど」
女の霊は剣を振り回しているヴィクトルの顔を覗き込んで呟いた。
『違う・・・顔が違う』
そしてまた部屋の隅ですすり泣き始めた。
「ヴィクトル様の顔を見て”顔が違う”って言ってまた部屋の隅ですすり泣いています」
シーラが状況を説明すると、ハルは大笑いしたいのを堪えてうなずいた。
何もない空間で剣を振り回して悲鳴を上げているヴィクトルの姿が面白すぎて大笑いしたいのを必死でハルは堪えた。
「見て、シーラさん。副隊長が動かなくなったんだけど。たぶんこれ、立ったまま気絶してると思う」
剣を握って突っ立ったまま動かないヴィクトルの前に回り込んでシーラとハルは彼の顔の前で手をヒラヒラさせるが、目を開けたまま焦点が合わない。
「立ったま気絶しているとか・・・マジで面白すぎる」
大笑いしているハルの後ろではまだ幽霊がうずくまって泣いている。
「ど、どうしましょうか。何も解決しませんでしたけど」
おろおろするシーラにハルは笑ったままヴィクトルの背中を押した。
「霊をどうすることも僕たちにはできないからそのままにして、とりあえずぼーっとしている副隊長を上に連れて行こう」
ハルに背中を押されぼーっとしているがヴィクトルは歩き出した。
「ボーっとしてますけど、これを気絶っていうんですか?」
歩き出したヴィクトルを眺めながらシーラが尋ねると、ハルは頷く。
「副隊長、自分のキャパ超えるとたまーにこうなるみたいですよ。現実逃避みたいな。これ、倒れてたらもっと面白かったのに。そうしたら霊と副隊長二人で一晩あの地下室で過ごすことになったのになぁ」
「そんなの可哀想ですよ」
「いいのいいの、この人にはすごい理不尽な訓練させられているから」
そう言いつつもハルはヴィクトルを上に押して連れて行った。
ぼーっとしたままのヴィクトルをソファに座らせて、温かいハーブティーを飲ませているとやっと
意識を取り戻した。
そして、状況を確認してすごく落ち込んだ。
「幽霊を見て叫んでしまった・・・。そして、半分気を失うなど男として最低だ」
「霊を見て驚くのはみんなそうですよ。私も怖いですし」
頭を抱えて本格的に落ち込んでしまったヴィクトルの隣に座ってシーラは必死に慰めるが全く聞いていないようだ。
「シーラさんはやさしいなぁ。僕ならそんな男らしくないの嫌ですけど。幽霊見て叫んで剣を振り回すとか、思い出すだけで笑える」
シーラは、ジェスチャーで笑わないように伝えるがハルはお構いなしに腹を抱えて笑っている。
「皆様、ありましたよ!あの女性が誰かわかりましたよ」
いつも落ち着いているフーゴが嬉しそうに古びた本のようなものをもってやってきた。
探していたのだろう、額には汗がうっすらと見える。
いつも落ち着き払っているフーゴにしては珍しい事だ。
「ヴィクトル坊ちゃま、さぁこれをお読みください」
頭を抱えたまま落ち込んでいるヴィクトルに本を手渡した。
「・・・・シーラ読み上げてくれ」
すっかり気落ちしてしまったヴィクトルに本を渡されてシーラは戸惑いながらも表紙を確認する。
埃っぽい本はよく見ると日誌とかかれていた。
「3代前の当主様の日誌でございます。後々問題にならないように記録を残してくださったのでしょう」
シーラは埃っぽい日誌と書かれた本をパラパラとめくった。