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ヴィクトルが幼少期によく来ていたという領地は王都より少し遠くにあった。
本当であれば、一度家に帰って洋服などを持っていきたいところだったがすぐに向かってほしいと言われ王太子のいる館からヴィクトルと馬に乗り彼の領地へと向かったのだ。
とりあえず、ヴィクトルとシーラは滝行ができそうなこの領地へと向かい、追ってカルメルダ夫人より詳しいやり方など手紙が届くことになっている。
「すべてにもう連絡がしてあるようで、僕の家の者が館の準備をしてくれているようだ。
昔は家族で夏はそこで過ごしていたんだけど、僕が行くのを嫌がるからいつからか行かなくなったんだ。たまに父と母は避暑にきていたようだけどね。シーラの身の回りの物もそろえてもらったから安心してほしい」
ヴィクトルが操る馬はずっと走りっぱなしだった。
夜になる前に着きたかったようだが、すでに辺りは真っ暗だ。
慣れている道だからか、ヴィクトルは速度を落とすことなく馬を走らせる。
シーラは彼の前に、横向きですわっているだけという状態ですらも疲れてきていた。
「もうすぐ館に着くよ。もう館の敷地には入っているから。この左側は湖なんだ。今は真っ暗で何も見えないけど、明日見てみるといいよ」
「湖!魚は居ますかね」
一気に笑みを浮かべたシーラにヴィクトルは微笑んだ。
「いるよ、湖の主みたいな大きな魚が何匹かいるんだけどなかなか釣れないんだ」
「楽しみです」
「でも、シーラに遊ぶ暇はないと思うんだよね。修行をしにきているだけだし・・・」
「そうでした・・」
森を抜けると小高い丘に大きな館が建っておりすべての部屋に明かりがついているようで館だけ浮かび上がっているように見える。
「大きな館ですね」
驚くシーラにヴィクトルは頷く。
「土地だけは広いからね」
馬が館に近づくと、ドアが開き初老の男性が出迎えてくれた。
「坊ちゃま。お待ちしておりました。暗い中大変でしたね」
人のいい笑みを浮かべてシーラが馬を降りるのを手伝ってくれる。
「シーラお嬢様もお疲れ様でございます。お会いできて光栄です。私はヴィクトル様が生まれる前からランディ家にお仕えしております、執事のフーゴと申します」
深々と頭を下げるフーゴにシーラも膝を折って挨拶をした。
「シーラです。2週間ほどお世話になります」
「急いで生活に必要なものをご用意いたしましたが、足りないものなどありましたら何なりとお申し付けください」
「まさかフーゴが来てくれるとは思わなかったよ」
ヴィクトルがマントを外しながら言うと、フーゴはにっこりと笑った。
「坊ちゃまの一大事ですから私が精いっぱいお二人をお世話させていただきます。ただ、急なことなので私とコックしかおりませんが。明日、ヘレナがお嬢様のところからこちらに来ることになっております」
「ありがとう、ちょっと王命でね。できれば館の中は少人数にしておきたいんだ」
ヴィクトルの言葉にフーゴは頷いた。
「わかっておりますとも。坊ちゃまとシーラ様の大切な時間をここで過ごされるとは誠に嬉しい限りです」
幽霊とコンタクトを取るために修行に来ましたとも言えずシーラは軽く視線を外し、ヴィクトルもきまずそうに微笑んだ。
部屋へと案内されると、すぐにハーブティーが出されシーラは一息つく。
「おいしいハーブティーですね」
匂いも、味もフレッシュで今まで飲んだハーブティーの中で一番おいしいとシーラが感動をしているとフーゴがニコニコと笑ってお代わりを入れる。
「そうでございましょう。私自らハーブを育てておりまして自慢のハーブティーでございます。私の入れるハーブティーはこの国一番のおいしさだと自負しております。シーラ様もご結婚をされましたら毎日私のハーブティーをお入れいたしますので楽しみにしておいてくださいね」
ヴィクトルにもお代わりを入れてフーゴは思い出したように二人に頭を下げた。
「この度はご婚約おめでとうございます」
ハーブティーを飲んでいた二人は同時にむせて咳き込んだ。
「おや、もうだいぶ仲がよろしいことで」
「違う、今はまだ婚約者候補だ。もしかしたら、シーラからお断りされることもあるんだからね」
「坊ちゃまは照れ屋ですからね。私も頑張ってお仕えさせていただきますので」
フーゴは満足そうに笑ってお菓子を持ってまいりますと下がっていった。
「ごめんね、フーゴが煩くて」
疲れたようにため息を吐くヴィクトルにシーラは首を振った。
「とんでもない、歓迎していただいて安心しました」
「ところで、修行のこととか知られたくないから少人数でと思ったんだけど、それで大丈夫そう?シーラにだれかお世話する人付けた方がよかったかな。今思い出したんだけど、ウチの姉は一人でなにもできない人なんだけど・・・・」
ヴィクトルは不安そうに聞いてくるのでシーラは頷いた。
「大丈夫です」
「本当に?一人で身支度できる??」
心配そうなヴィクトルに今度はシーラが首をかしげる。
「身支度って一人でするものではないですか?パーティードレスとかなら手伝いが必要ですけど」
「いや、他の令嬢は知らないけどウチの姉は全くできないんだよ。髪の毛を結ってもらったりお風呂の用意をしてもらったりと本当に姫様みたいな扱いをしてて。母は一人でやる人なんだけど、どっちが正解かは俺にはわからないのだけど」
「さぁ、私も他の令嬢を知らないので皆様どうなんですかね」
美味しいお菓子と軽食を食べてからシーラ達は早めに就寝となった。
翌日、疲労のためか少し遅めに起きたシーラは窓から見える湖があまりにも素敵で感激した。
かなり大きな湖は青く透きとおっておりキラキラと太陽に当たって輝いていた。
湖を山が囲んでおり一本の滝が流れている。
ひたすら窓から外を見て感動をしたシーラだったが、早く下に降りないとと着替えをしようとクローゼットを開けて目を見開いた。
急に洋服をそろえてくれたにしては、量が多い。ドレスにワンピースに水着に乗馬服まですべてそろっているようだ。
靴も何足もあった。
ヴィクトルのお姉さんのお古かと思ったがすべてサイズが自分用のようだ。
何を着ようか悩んだが、滝行をするかもしれないと思い水着を中に着込んでワンピースを着た。
簡単に髪の毛を縛り、ダイニングへと向かう。
「おはようございます。シーラ様良く眠れましたか?」
入口付近に待機していたフーゴが微笑みながら頭を下げた。
「はい、ぐっすりでした。すみません遅くなりまして」
「とんでもございません。お食事をお持ちしましょうね」
エスコートをされて椅子に座る。すでに座っていたヴィクトルが難しい顔をして手紙を読んでいた。
「おはよう。よく眠れたみたいで良かった」
白いシャツに黒いパンツの簡素な恰好をしているヴィクトルであったが、微笑んでいる姿は王子様そのもの。
キラキラ輝いているように見えてシーラは神々しいものを見るように目を細め神様、ありがとうございますと呟いた。
朝から、素敵なものを見させていただきありがとうございます。
「ん?どうしたんだ?」
目を細めたまま動かないシーラにヴィクトルは首を傾げた。
「あ、すみません。おはようございます。大丈夫です元気です」
「そ、そうか。さっそく朝一で速達が来た。カルメルダ夫人からの指示だ。修行の仕方が詳しく書いてある」
そう言って、紙を渡してくれる。
「滝に5分打たれてそれを3セット・・・。毎日、続けて2週間。あとは、1時間の瞑想。
あとは自然に触れストレス解消、自分の解放と書いてありますね。自分の解放ってなんですかね」
「さぁ?自分に正直に生きろみたいな感じかな?よくわからないから詳しく聞いてみよう。明日には返事が来ると思うけど、とりあえず今日は滝行と瞑想をやろう」
「はい」
朝食を済ませると、ヴィクトルはシーラに簡単に屋敷の中を案内する。
「特に立ち入り禁止の場所は無いから自由にしてていいよ。僕の部屋はシーラの部屋の隣。
何かあったら呼んで」
「はい、窓から見える景色が素晴らしくて感動しました。凄く綺麗なところですね」
感動しているシーラにヴィクトルは軽く頷く。
「まぁ、景色は綺麗だよね。庭も花が咲き乱れてとても素敵なんだ。母も姉もここを気に入っててね。庭師が頑張ってくれているんだ」
「そうなんですね」
そういって、庭に出る。
館から湖まで埋め尽くされた、花々。
湖の近くにはお茶ができるようにテーブルとイスが置いてあった。
「素敵ー絵本の中みたいですね」
「そうだね。湖は夏でも水が結構冷たくて結構深いから泳がないでね」
「泳げないんですか」
がっかりしているシーラにヴィクトルは微笑む。
「釣りはできるから、時間があるときにボートで沖に出てみよう」
「ありがとうございます」
話し合った結果、午前中は瞑想。昼を食べてから滝行をしようということになった。
「本当にここでいいの?暑くない?」
湖の畔で仁王立ちするシーラにヴィクトルは何度目かの確認をした。
カルメルダ夫人が指示した瞑想を今から行おうというのだが、太陽を遮るものがない芝生の上で行おうというのだ。
初夏とはいえ太陽はじりじりと肌を照らしている。
シーラは頷く。
「ここがいいです。湖のいい気を感じます」
「気ねぇ・・。そういうの感じるタイプなの?」
胡散臭そうな顔をしてみるヴィクトルにシーラは首を振る。
「感じませんけど、ここがいいです。景色もいいし、癒し効果があります」
「確かに癒される場所だね」
館から持ってきたシートを敷いてシーラはそこに座った。
「座り方は自由でいいみたい、大地に近い方がよいだって。手は人差し指と親指で丸を作り手のひらは空に向ける」
手紙の内容を読み上げるヴィクトル。
指示通りに座って手のひらを天に向けた。
「軽く目は瞑り、無心で30分行う。だって」
「はい」
シーラは返事をして軽く目をつぶる。
ヴィクトルは目をつぶっているかどうかシーラの顔を覗き込んだ。
パッと目を開くシーラ。
「わっ」
お互い近すぎる顔に驚いてのけぞった。
「なんで目を開けるのシーラ」
顔を赤くして言うヴィクトルにシーラも顔を赤くした。
「気配を感じたからですよぉ!」
「ごめん、ちゃんとやっているかなぁと思って。もう邪魔しないから」
そう言って後ろに下がったヴィクトルを見て、シーラは深く息を吐いた。
凄く顔が近かったわ。
シーラは内心バクバクしている心臓を落ち着かせるために、目をつぶって瞑想モードに入る。
心は無にすることと、何度も心の中で呟いた。
深く息を吸って吐く。
手紙に書かれていることを思い出してシーラは深い瞑想に入ろうと努力した。
湖のさざ波が心地よく、シーラの後姿を見ながらヴィクトルは眠気と戦っていた。
太陽は暑く肌を照らしているが、湖から吹く風が少し冷たく心地よい。
空を見上げると、白い雲がゆっくりと流れていた。
森の奥から鳥のなく声が聞こえ、ゆっくり過ごすのは久しぶりだなとヴィクトルはまたあくびをかみ殺す。
懐中時計を出して30分経ったのを確認してヴィクトルはそっと立ち上がる。
後ろからピクリとも動かなかったシーラを覗き込んだ。
パッと目を開くシーラ。
「わっ!」
お互い驚いてのけぞった。
「また!顔が近いんですってば!」
顔を赤くするシーラにヴィクトルも顔を赤くする。
「ごめん。集中しているかなぁーと思って」
「全然、瞑想できませんでした。瞑想ってなんですか?」
今にも泣きだしそうなシーラにヴィクトルも首をかしげる。
「無になること・・集中することかな・・」
「無ってなに?瞑想って何?ってずっと考えていた30分でした・・・。これ瞑想とは言いませんよね」
本気で落ち込みそうなシーラにヴィクトルは慌てて慰めようとシーラの肩に手を置いた。
「大丈夫!まだ初日じゃないか。その内できるようになるよ・・・きっと・・。今日は流れをつかむだけでいいんじゃないかな」
キラキラの笑顔を向けられたシーラは一瞬、彼の表情に見惚れた後頷いた。
「そうですよね・・・」
「そうだよ!」
なんとか気分は持ちなおしたかと、ヴィクトルは息を吐いた。
過去に、意味不明に女子から泣かれたことを思い出し、今回はなんとしても修行だけはちゃんとやってもらわねばとヴィクトルは必死だったのだがこれでよかったのだろうかと内心首をかしげる。
「仲がよろしいことでけっこうでございますな。そろそろお昼でございますよ」
二人が意味不明に微笑み合っているとにこやかに笑いながら近づいてくるフーゴにヴィクトルは疲れたように呟いた。
「・・・・なんか疲れたな・・・」
お昼を食べてから、ヴィクトルと馬に乗り滝行ができそうな場所へと向かう。
シーラはお姫様乗りでヴィクトルの前だ。
不満そうなシーラにヴィクトルは肩をすくめた。
「馬が余ってないんだからしょうがないだろ。俺と乗るのそんなに嫌?」
「嫌ってわけではないんですけど、慣れないというか・・恥ずかしいというか・・・」
顔を赤くしてボソボソ呟くシーラにヴィクトルは微笑んだ。
「なるほど、まぁ慣れてもらわないと困るんだけど。それより、タオルとか持ってきたけど無理に入らなくていいからね」
優しく気を遣ってくれるヴィクトルにシーラは見ていただけの時より、ヴィクトルに対する想いが強くなっているのに気づいた。
たった2日過ごしただけなのに、優しいし、かっこいいし。
これで惚れるなっていうのが無理よ。
心の中で思いながら婚約者候補として演じているのがうれしいのか辛いのかわからなくなってしまった。
きっと、ヴィクトルは婚約者候補のふりだけで終わったらさよならするつもりだろう。
そんな日が来たら耐えることができるだろうかと不安になるが、あと2週間以上は一緒に居られるのだ。
この2週間を存分に楽しもうと心に決めた。