「君と彼女は正反対だ」と婚約者が言い出したので
進行方向は恋愛カテゴリですが、内容はコメディ色強めです。
貴族たちが通う学校にあるカフェテラスで、一つの婚約を揺るがす事件が起こった。
その時、事件の当事者である令嬢は、季節の花が咲き誇る庭園が見える席で、お茶の時間を楽しんでいたそうである。
令嬢の名はアイリス。上流貴族の一人娘で、成績は優秀。教師からの覚えもよく、容姿も妖精に例えられるほどに整っている。
だが、様々な層から人気がある彼女でも、唯一の欠点と言えるものがあった。
「アイリス、僕のことが好きかい?」
令嬢の前に座っているのは、事件の当事者で彼女の婚約者である、中流階級貴族の次男、ディール。
そこそこの容姿で、まあまあの成績の青年である。
「ええ、ディール。私はあなたが大好きよ」
アイリスは美しい笑顔をディールに向ける。その顔は、婚約者に対する愛に溢れていた。
「そうなんだね。でも僕は君が好きじゃないんだ」
ふう、と溜め息をつきながらディールは席を立った。
この行動を美男子がしたのなら絵になっただろうが、残念ながらディールはそうではなかったので、あまり見る価値はない。
だが、婚約者のアイリスが彼を誉め続けるので、本人は自分が優良物件だと思い込んでいるようである。
歩く不良債権と呼ばれつつあることを、彼だけが知らないでいる。実際は、そこまでひどい人物ではないのだが、アイリスをないがしろにしていることが、彼の評価を下げていた。
「そんな冷たいあなたも、好きよ」
アイリスの唯一の欠点、それは男の趣味が悪いことだった。
彼女は、いわゆる「駄目な男を支えたい」系女子である。
二人の婚約はアイリスの一目惚れで決まったものであり、ディールはアイリスから無条件で愛されることに慣れきっていた。
アイリスに駄目男養成能力があることには、周囲は見ない振りをする。
アイリスは上流貴族の後継者であり、本人の資質は素晴らしいのである。駄犬には、きちんと飼い主がリードを着けて、周囲に迷惑を掛けなければよいのだ。
「ディール様ぁ!ここにいたんですかぁ!」
立ち去ろうとしたディールの元に、一人の少女がやってきた。この人物も事件の関係者である。
ふわっふわした肩までの栗色の髪を揺らした、可愛らしい顔立ちの庇護欲をそそる少女である。
「ああ、ちょうどいいな。彼女はチェリナだ。君と正反対でとても愛らしい子だよ」
ディールはチェリナの腰を抱き、自分の傍に寄せる。チェリナも胸を押し付けるようにして、ディールにすり寄る。制服の上からでもわかるくらいに、色気のある体つきをしている。
「……ディール様は、私よりも、その娘を愛していらっしゃるのかしら……?」
悲しそうに眉をひそめ、アイリスは呟いた。その様子を見ていた者たちは、ディール奇襲計画を、すぐさま立てていたようである。
「ああ!君も愛らしいチェリナを見習ってほしいね!」
お前こそアイリス様を見習え、と話を聞いていた人々は憤っていた。それぞれのテーブルでは、ディールを闇討ちする計画も進んでいた。
「……私と正反対の、彼女を見習う、のですか……」
アイリスはチェリナを観察する。だが、容姿についてしか情報は得られない。
ディールは「アイリスと正反対」と言ったのだが、チェリナがどうアイリスと正反対なのかは、想像で補うしかなかった。
「……私は、王族の流れを汲む上流貴族の後継者であり、上に立つ者としての責任を持っております。
容姿端麗、学業成績は常に首席をとり、身体能力も優れており、携わっている領地経営も良好、お父様から任された資産運用もうまくいっております。
また、品行方正と貞淑を心掛け、友人や先生方からも信頼を得ております」
アイリスの言っていることはすべて事実なのだが、本人の口から聞くのは、なかなかの衝撃がある。
そうなんだけど、確かにそうだけどなどと、周囲は戸惑いを隠せない。
「そんな私と正反対のチェリナさんは、愛らしい顔と豊満な肉体をお持ちですわ。
そして正反対で、私がチェリナさんを知らないということは、身分はそれほど高くなく、成績も上位ではないはずです。
また、人前で婚約者のいる男性と親しくするという、場を弁える能力に欠ける面もありますね」
周囲が想像しているよりも、チェリナへのディスりが激しかった。
「私は、ディール様を愛しておりましたわ。
でも、私と正反対のチェリナさんを見習えということは、チェリナさんは、ディール様を愛していらっしゃらないということですわ」
「ひどい!あたしはディール様を愛してます!」
チェリナがぎゅうぎゅうとディールの腕を抱きしめると、ディールもでれでれとチェリナを抱きしめた。
「ああ、なんてチェリナは可愛いんだ!」
「ディール様!」
周囲を置き去りにして二人の世界を構築してしまった浮気者に、アイリスは首を傾げた。
「私と正反対のチェリナさんがディール様を愛しているのなら、私はディール様を愛していなかったのかしら?
私が『愛している』のなら、正反対のチェリナさんを見習って『愛していない』ようにしなければいけないけれど、チェリナさんが『愛している』のなら、私はディール様を『愛していない』。
だから私は、チェリナさんを見習ってディール様を『愛する』必要があるってことかしら」
鶏が先か卵が先かのようことを呟きはじめたアイリスは、どうやら考えがまとまったようだ。
「わかりました、ディール様。
どうやら私はディール様を『愛していなかった』ようですので、『愛していない』男性を、わざわざチェリナさんを見習って『愛する』必要はないとの結論に達しました」
凄い結論に達していた。恋愛ごとを理屈で考えると様々な矛盾が起きるようだ。
「ディール様、婚約についてはそちらの契約不履行で破棄いたします。後ほど、書類をお送りいたしますね」
では、とアイリスは颯爽とカフェテラスを去っていった。
残されたのは状況がよく分かっていない当事者と関係者、事件を見守っていた傍観者たちであった。
……以上が、本日カフェテラスで起こった事件の一部始終である。