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ユモレスク

 羽田家の朝食は他家と同様、朝の光の中で摂られる。

 父・屴瑠(りょくる)は文科省の公務員であり、母・()()は専業主婦。未央の双子の妹・(せん)(まん)は高校一年である。食卓には未央も昌太郎も着く。これは絵麻の方針で、食事は家族揃って規律正しく食べるものというところから来ている。母の権限は強い。ゆえに未央も眠い目を擦りながら身体を食卓に引き摺って行くのだ。

 食卓は、双子が互いに囁き合うくらいの物音しか立たず、静かだ。千と万は二人共、髪をおかっぱに切り揃え、顔立ちもひどく似通っているので、慣れた者でなければ見分けがつかない。おまけに二人は互いと身内にしか興味を持とうとせず、閉ざされた世界に住んでいた。

話す言葉も要領を得ない。未央には比較的、関心があるようなので、時折じゃれついてくる。


「だからね、その猫が言ったのよ」

「そう、その猫が言ったのね」

「ミルクを頂戴って」

「ミルクを頂戴って」

「それでどうなったと思う?」

「どうなったの?」

「教えない」


 千と万は相変わらずくすくす笑いながら自分たちのみに通じる会話をしている。屴瑠も絵麻も、娘たちの様子には頓着しない。未央は早く二度寝がしたいと考えているし、昌太郎は講義の準備内容が頭を占めている。

 てんでばらばらの家族だが、それなりに仲は良かった。

 それぞれが食事を済ませ朝の支度にばたばたする頃、食器を洗う絵麻を置いて未央は欠伸をしながら部屋に向かった。部屋は南向きの二階だ。

 未央のこうした勝手気儘は、彼女の夜の仕事ゆえに黙認されていた。せめて三食はちゃんと摂るようにというのが絵麻の言い分であり母心だった。


 部屋に戻り、敷きっぱなしだった布団に転がり抑えつけていた睡魔を解放する。

 心地の好い眠気が、未央の意識を侵食した。


 どのくらい時が経ったか解らない。

未央がふと目覚めると、部屋の中に誰かいた。藤色のスーツに緩い栗色の髪を後ろで結んでいる。昌太郎とはまた異なる、端正な顔立ちの青年だ。特徴的であるのが左目が銀色であること。にこやかに笑んでいるやや年上の彼の頭を、未央は容赦なくはたいた。


「痛っ」

「何でいる」

「訪問したから」

「埒もない屁理屈を抜かすな。女性が寝ている部屋に部外者が侵入するのは非常識でしょう!」


 青年は未央の言葉に心外そうに目を瞠る。


「部外者はないだろう。同じ陰陽歌人同士じゃないか。それとも昌太郎のように血が繋がっていなければいけないのかい? ――――それとも昌太郎のように白虎を、」

「何の用?」 


 皆まで言わせず未央が詰問する。


「陰陽歌人の倉持朱鷺耶(くらもちときや)さん」

「つれないね。朱鷺耶と呼んでくれて良いんだよ。今日は君をデートに誘いたくて」

「お引き取りください」

「君が夜を愛でるのは知っている。けれどたまには陽光に目をかけてやるのも度量じゃないか。私たちの探し物は夜にばかりあるとは限らない」


 未央の金と、朱鷺耶の銀が交錯する。

 朱鷺耶が綺麗な手を差し伸べる。


「行こう、ユモレスクが呼んでいる」


 朱鷺耶を廊下で待たせ、未央は外出着に着替えた。グレーのコートを纏い、机上にある丸い鏡を見る。右目の金色は未央の未央たる証。陰陽歌人の所以。


 朱鷺耶と未央の二人組は視線を集めた。二人共、気にすることなく歩き続ける。未央は目の上に手をかざした。初秋と言えど白い日の光を苛烈と感じる。夜に慣れ切った目には針のようだ。朱鷺耶はそんな未央を見て微笑している。彼は夜昼関係なく活動する。未央のように夜に拘泥することもない。だからこそ、陰陽歌人の名手と称されもするのだ。

 朱鷺耶が未央を誘ったのは路地裏だった。酒瓶の入っていたであろうケースが積まれている。


「……ここ?」

「そう。聴こえない? ユモレスク」


 ユモレスクはドヴォルザークが作曲した。

 変ト長調の第七曲はピアノ曲として有名でありヴァイオリン用にも編曲されている。朱鷺耶はその音色が聴こえると言うのだ。幻聴だと未央が断じようとした時、彼女の耳にも旋律が聴こえた。

 明るいようで哀しいような、妙なる音色。

 それは蓄音機で奏でられているかのような音だった。そして気づけば未央は朱鷺耶とセピア色をした重厚な応接間に立っていた。異様なことにその応接間は蔦によりびっしりと覆われていた。元は金糸の刺繍が施されてあったのであろう肘掛け椅子の華麗は見る影もない。これまた蔦に覆われたテーブルの上で、蓄音機だけが健全として機能しており、それは寧ろ不健全だった。


「この応接間で、日本の敗戦を知った若い軍人がピストル自殺を遂げた。音楽が趣味の彼が好きだったユモレスクを聴きながら」

「残っているのね」

「そうだ」


 念が残ることを即ち残念と言う。その、残念の権化はユモレスクを奏でる蓄音機に寄っていた。未央が蓄音機に近づくと、そうはさせじとばかりに蔦が襲い掛かってきた。朱鷺耶がスーツのカフスボタンを蠢く蔦に投げつけると、銀色の光が放たれ、蔦は急にしおらしくなった。未央は蓄音機に触れる。未だ鳴り続ける蓄音機。未だ泣き続ける在りし日の彼。


「オン・カカカ・ビサンマエイ・ソワカ」


 ユモレスクの音が止んだ。


 ピシリピシリと蓄音機にひびが入る。形が崩れて行く。


「面影の君舟に乗る 波はしじま されば聴け音 去る時も向かう時も その音は変わらず」


 未央が鎮魂の意を込めて五行歌を詠むと、もうぼろぼろになった蓄音機の残骸の向こうに、敬礼して微笑する青年の姿が束の間、見えて消えた。

 そこからの朱鷺耶の行動は早かった。未央を横抱きにして崩壊する空間から連れ出した。気づけば未央は最初に立っていた路地裏にいた。未央は横目で朱鷺耶を見る。


「陰陽歌人、一人で良かったのでは?」


 この場合、彼女は朱鷺耶のことを指している。

 だが朱鷺耶は肩を竦めた。


「石橋は叩いて渡る主義でね」

「嘘ばかり」

「おやおや君に信じてもらえない。悲しいな」


 言葉とは裏腹に、朱鷺耶の左目の銀には面白がる色がある。それが不意に真剣なものに切り替わる。


「未央。君と昌太郎のコンビはこの世界でも注目されているのだよ。中には妬む者も。そうした妨害から私は君たちを守りたい。近く『お茶会』がある。来なさい」

「……断る」

「君に断る権利はない。『お茶会』の参加は後々の君たちの為にもなる」

「千や万は」

「参加するに能わず、ということだよ」

「父さんや母さんは」

「そちらは別の意味で参加するに能わず。大御所が出向く場じゃないよ」


 朱鷺耶の言葉は、今日の行動の全てが、計算ずくで行われたことを表していた。朱鷺耶は言うことを言うと未央を家に送り届けた。その際、絵麻の漬けた胡瓜の糠漬けを土産に貰った。


 夜、未央はいつものように部屋の中でまったり過ごしていた。今日は昼間、疲れたので、夜の散策は止めようかと思う。ビー玉遊びをしながら、すだく虫の音を聴いていた。


「未央、僕だ」

「僕僕詐欺?」

「違うよ」


 笑み含む声で昌太郎は襖を開ける。黒いジャケット、赤いネクタイ。そしてそれに着けられた白銀のネクタイピン。そのネクタイピンを凝視して、未央は一つ溜息を落とした。


「――――何かあった?」

「昌太郎。ユモレスクを知ってる?」

「八つのユーモレスク? 知ってるよ。ピアノで弾けるけど」

「弾くなよ」

「どうして」

「死んで欲しくないから」


 怪訝な顔をする昌太郎のネクタイピンを抜き取って、未央はそれに口づけた。




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