マザーグースの子守唄
千と万は難産だった。絵麻の長い苦闘の末、先に外界に産まれ出たのが千で、次いで万が産まれた。陰陽歌人の双子は吉兆とされる。いずれ大成するであろうと、羽田家に祝福を告げる来客たちは口々に言祝ぎを与えた。
未央は当時まだ三歳で、昌太郎は羽田家に来ていない頃だった。未央は自分の妹たちをしげしげと眺め、不思議な生き物だと感じたことを憶えている。すうすう眠る妹たちの身体から、朱色、紅、橙、茜等々の色彩が立ち上るのが見えた。
それが妹たちの持つ波動の色であると、幼いながらも未央は感知していた。
父である屴瑠が我が子の誕生に顔を綻ばせるのを見るのは、未央にも嬉しいことだった。
やがて未央と、それから羽田家に身を寄せた昌太郎の成長を待ち、屴瑠は千と万について語った。父の書斎はいつも独特の匂いがする。湿った紙のような。
「あれらは対玉だ」
「対玉?」
「互いに対となる魂を持った人間たちが稀にいる」
「千と万はそれだと?」
「そうだ。だからあれらの扱いは慎重にせねばならない。非常に才能に恵まれている反面、暴走、利用されるなどのことがあれば他者にも被害を出しかねない」
未央と昌太郎が十二、千と万が九つの時、期待を寄せる長女、しかし心配の種でもある長女である未央に、屴瑠はそう言って聞かせた。
「あれらが自衛の手段を学ぶまで、お前たちで守ってやりなさい」
それは羽田家当主としての命令だった。
祭りの夜のように、朱鷺耶と九百合が羽田家の未央の部屋に座り、未央は温かい梅昆布茶を出した。千と万のことを朱鷺耶にまで話したのは、これから茜坂斎王と対峙するにおいて、彼を欠かせない戦力であると、否応なしに認めずにはいられなかったからである。
「紅葉と楓と言ったか。あの少女たちには、千嬢と万嬢の〝欠片〟が付与されている可能性があるな」
「まさか。父さんも母さんも私も、昌太郎だっているのに」
思わず朱鷺耶に反駁した未央だが、頭の片隅ではその可能性も在り得ると考えていた。羽田家は基本的に皆、自由主義で好きなように動き生きている。それこそ千や万などその代表格のようなものであり、彼女らの玉の欠片を〝採取〟する隙はなかったとは言えない。
ばりばりばりと九百合が場の緊張感を破るように煎餅を喰らう。
「ちょっと九百合、畳に零さないで」
九百合の青い瞳は未央の苦情など聴こえていないように澄んでいる。
考え事をする時の彼の癖だ。昌太郎が慎重に口を開く。
「千と万も、布陣に加えようということ? 兄さん」
朱鷺耶はにこりと笑んだ。
「そうだよ。呑み込みの良い弟で助かる。あの子たちももう十五。そろそろ初陣を飾っても良いだろう。それでなくても欠片を取られたのは彼女らの落ち度。自分で事の収集をつけて然るべきだよ」
朱鷺耶の声は穏やかな春の陽射しのようだが、言葉は鋭利な刃物のように容赦ない。その容赦のなさは、時折、屴瑠が見せる冷徹さにも似ていた。
とりあえずその夜はお開きとなり、未央は座卓の前に着いたまま、動こうとしなかった。
「未央」
「解ってる。あの子たちも、いずれは〝こちら側〟に来る子たちだということは。それはもう、ずっと前から定められていたことだもの」
「……」
「玉に〝潜る〟」
未央の言葉に昌太郎がぎょっとした。
「千と万の? 一歩間違えれば帰って来られなくなるよ」
未央は机上に置いてある紐の束を立ち上がって手に取る。自分の髪と九百合の髪を撚り合わせて作った細い紐。端を昌太郎に持たせた。これは文字通りの命綱だ。
「待ってて」
こうと決めたら梃子でも動かぬ未央の性分をよく知る昌太郎は嘆息して、ネクタイピンをネクタイから抜き取り未央に渡した。念の為の保険だ。未央はそれを自分のシャツの襟に留めた。紐のもう片方の端は自分の左手首に巻く。
「行ってくる」
未央は目を閉じて、魂魄を身体から解き放った。
この浮遊の法は昔、屴瑠に教わったものだ。
ああ、夕日のようなとりどりの色彩が見える。燃えているのか、萌えているのか、金色に発光しているようにも見える。これが千と万の玉。何て色鮮やかな世界なのだろう。未央は感嘆すると同時に、自分の妹たちの潜在能力を誇らしく、また頼もしく思った。千と万の玉は繋がっていて、自由に行き来することが出来る。
金色の花や鳥が見える。まるで極楽浄土だ。
ふと、極彩色の世界の中、色の薄い、何かでこそぎ取ったような箇所を見つける。
成程、ここか。
茜坂斎王の犯行場所。妹たちの玉の欠片が盗られたところ。
――――――――見つけた。