守り続ける
警察やら何やらのごたごたに巻き込まれる前に、未央たちは祭りの喧騒の中、公園を抜け出した。ひとまず、彼らは羽田家に身を寄せた。屴瑠も絵麻も起きていて、朱鷺耶や九百合の姿を見て何事か起きたと察したのか、彼らの挨拶に屴瑠は無言の目礼で返した。とりわけ朱鷺耶は娘の秘密を守る為、危険視される男ではあるが、その点さえ除けば、難事の時には頼れる相手と知っていたからである。
未央の部屋に彼らは集った。絵麻が冷えたでしょうと言って、ホットカルピスを差し入れてくれた。千や万まで起き出して、姉の客人たちに興味津々だったが、未央は素っ気なく妹たちの前で部屋の襖を閉めた。
「九百合君。あのご婦人と最後に話したのは君だね」
「多分」
「その時、何か変わった様子は」
未央の、美麗な小物で埋められた部屋が俄か法廷と化している。九百合は肩を竦めた。
「葡萄飴を五千円だってふっかけられた」
「他には?」
「特にないよ」
一瞬、九百合の青い瞳が未央を見たようだった。未央も、そして九百合を問い詰めている朱鷺耶もそれに気づいたが、知らない振りを通した。それぞれが円を成して端座している。ホットカルピスの、人を甘やかすような温もりと甘さが、程良く緊張を緩和していた。
「朱鷺耶。朱雀って何」
今度はこちらの番だと未央が尋ねる。朱鷺耶の左が金色のオッドアイが未央を捉える。獲物を前にした獣のようだと未央は思った。その連想は朱鷺耶を貶めているのではなく、単純にその眼光を美しいと感じただけだ。
「朱雀を使役しているとされる陰陽歌人。裏街道を専ら利用し、容易に人に姿を見せない。そして力の収集に貪欲。だから私は、いずれ彼は未央に接触すると踏んでいた。けれど、こんな物騒な形でとはね」
「なぜ朱雀だと?」
「現場の気配。隠密裏に動いても、微かなそれだけは消すことが出来ない。……火焔の気配がした」
ポン、ポン、と九百合が例によって手毬を右に左にと弄んでいる。彼には、行きずりの老婆の死など些事であるらしい。興味を置くところはもっと別にある。
「力の収集に貪欲と言う点では朱鷺耶と変わらないね」
「否定はしないよ、九百合」
「あ、そう。自覚があるんなら良かった」
「朱鷺耶兄さん。朱雀は、また未央に接触を図るだろうか」
つい、と朱鷺耶の目がまた動く。彼の目に映る異母弟は、膨大な呪力を有しながらもそれを制御出来ない哀れな半端者。たまには兄らしく助言してやっても良いかもしれない。朱鷺耶のこの親切心は、ごく気紛れなものだった。
「私はそう考えているよ。だから昌太郎、未央。羽田公爵に当面の和解を私が申し出たと伝えて欲しい。私も、羽田家を徒に敵に回したくなどないんだよ」
朱鷺耶だけが先に部屋を退出し、後には昌太郎と未央、九百合が残った。九百合は朱鷺耶の姿が消えると端座を崩し、髪を結んでいた組紐を解いてばさりと白髪を解放した。片膝を立てて行儀悪く座る九百合の姿は、しかし品性を損なわず流れる白髪によって寧ろ神秘性が増した。
「九百合。何を見た。聴いた」
改めて昌太郎が問い質す。彼にも解っていた。九百合が朱鷺耶には聴かせたくない情報を隠したことを。
「あのばあちゃん、未央のことを話した」
「何て?」
「黄昏時に気を付けてやれってさ」
ぴん、と室内の空気が、ピアノ線を張ったように緊張した。未央は無表情だが、昌太郎の眉間には皺が生じている。
「どういう意味? 訊く権利、俺にはあるよね」
「――――――――未央の命に関わる問題だ。おいそれとは話せない」
「何それ。自分たちは俺を都合の良いように使おうとしておいて」
「それは」
「待って、昌太郎。九百合の言い分にも一理ある。……話そう。けれど九百合、これは決して口外しないで。他の誰にも。私は自分の命の為だけに言ってるんじゃない。真実を知った上であんたがおかしな行動を見せるんなら、それこそ父さんはきっとあんたを本気で消しにかかるだろうから」
未央の、金色の右目と焦げ茶色の左目、そして九百合の青い両目が真正面から対峙した。
九百合は沈黙したまま立ち上がると、未央の文机の上にあった鋏を手に取り、美しい白髪をじゃきじゃきと切った。これには未央も昌太郎も目を丸くした。九百合は切った髪の束を未央に差し出した。
「俺は話に乗ったと言った。武人の端くれとして一度、口にしたことは違えない。違えた時にはこの髪を使って呪殺でも何でもすると良いよ」
はらり、と未央の両手の上に乗った白髪は、軽いが重い。九百合の決意の重さだ。呪力の秘められた髪は、十二分な誓約の証となる。
だから未央も覚悟を決めて、九百合に真実を語ることにした。
時間にすれば短い。だが、話を語るほうも聴くほうも、長く感じる時が過ぎた。未央が語り終えた後、九百合は黙り込んだ。相変わらず行儀悪く片膝を立て、頬杖をついている。ふ、と彼は細く息を吐いた。
「道理で羽田公爵が神経質になる訳だ。……成程ね」
「九百合。それでも僕は未央を守る。君が約束を違えた時には」
「全力で仕合うって? それはそれで大歓迎だけど、無用な心配だね。俺は陰陽歌人だけど武人であることのほうに重きを置いている。家の盛衰にも権力闘争にもさらさら興味ない。未央のそれは、知れたら相当なスキャンダルだろうけど、俺には関係ない」
「それじゃ困る。九百合。君にも未央を助けて欲しい……」
懇願する口調になった昌太郎を九百合が横目で見た。
「昌太郎はどうしてそこまで未央に尽くすの。俺だって未央は嫌いじゃないけど、昌太郎のその必死さは、ちょっと度が過ぎているよ」
「――――未央が僕の居場所だ。もう、ずっと昔から、それは変わらない。自主性がないと言われようが構わない。僕は未央を守り続ける」