もらって嬉しい花いちもんめ
九百合が羽田家を訪問したのは翌々日の午後だった。屴瑠の意図したところである。
千や万がはしゃいで、九百合の深緑色の単衣にじゃれつく。
「九百合ー」
「九百合だあー」
「悪いけど俺、子供は嫌いなんだ」
見た目には愛らしい双子の少女たちに素っ気なく言って、九百合は絵麻にだけ会釈した。絵麻もにこやかな笑顔で応える。
「いらっしゃい。丁度、スコーンが焼けたところなの。クロテッドクリームと苺ジャムをたっぷりつけて召し上がれ。紅茶はダージリンで良かったかしら?」
「ありがとうございます。頂きます。これ、つまらない物ですが」
「まあ、立派な柿に林檎! ありがとう、嬉しいわ。未央ー。九百合君いらしたわ。ティーセット運んで頂戴」
「ああ、俺が」
「良いのよ。貴方はお客様なんだから」
機嫌を損ねた双子を他所に遣り取りしていると、寝惚け眼の未央と、後ろから昌太郎がやってきた。
「九百合。……ああ、父さんの差し金ね」
「お邪魔させてもらうよ、未央、昌太郎」
結局、スコーンや紅茶碗などが載ったトレイは昌太郎が持ち、未央の部屋に運ぶこととなった。冬に移ろうとする秋の午後の空気は微睡むようで、日が未央の部屋を慈しむように温めている。座卓の上にトレイを置き、昌太郎は嘗て知ったるといった様子で座布団を置いて回った。九百合は無言でその上に端座する。陽光が白髪を染め上げ黄金の絹糸の束に見える。
「昌太郎、大学は?」
「今日の講義は午前中までだったんだよ」
「眠い……。昌太郎、九百合はあんたに任せた。私は寝る」
「未央。駄目だよ。彼は未央の客なんだから」
「うーにゃー」
紅茶碗を傾けダージリンティーを飲みつつ未央たちを青い双眸で眺めていた九百合は、絵麻に言われたように、焼き立てのスコーンにもったりしたクロテッドクリームをたっぷり塗り付け、一口食べた。基本がマイペースな青年である。そのあたりは未央といい勝負かもしれない。
「未央ってさ、昌太郎の前ではいつもそんな無防備なの?」
「ほっといて。私は夜の住人なんだから。昼間に来た九百合が悪い」
「昌太郎も大変だねえ。これのお守りは」
「これって何よ」
「じゃあ言わせてもらうとさ、未央。昌太郎だって男なんだから、色々抑制してるものがあると思うよ?」
未央は生成色の楽そうな部屋着を着ているが、下着の線が微かに透けて見えている。平然と接するには努力と忍耐が必要だろうと九百合は他人事ながら思う。昌太郎自身はいつものかっちりした黒のジャケット姿だ。
「昌太郎はガソリンよ」
「あ、未央、その言い方は僕、傷ついた」
「昌太郎はハイオクよ」
「うん、大差ないかな」
中身のない会話を交わす内に未央も目が覚めてきたらしく、紅茶を飲み、スコーンを綺麗な歯で齧る。昌太郎も彼女に倣った。
「でさ、羽田公爵は何を考えてるの。急に俺にお茶でもどうかって招待状送るなんて。公爵家からのお誘いだって母さんたちははしゃいでいたけど」
手土産に上等の林檎と柿を持たされて九百合は羽田家に来た。この手土産は絵麻のいたく気に入るところで、彼は図らずも絵麻の中における株を上げることとなった。転がる手毬を持ち、行儀悪く弄びながら九百合は未央の返事を待つ。手毬の次に文机の上に置いてあった美麗な小物入れを手に取る。
「あ、九百合、それ壊さないでよ。ウェッジウッドの希少なロイヤルブルーなんだから」
「ウェッジウッドってもっと薄い色じゃなかったっけ」
「一般に普及してるペールブルーね。私はロイヤルブルーが好きなの」
「未央が好事家なのは知ってたけど」
「そもそもジョサイア・ウェッジウッドは女王陛下の陶工という称号を与えられ、科学者としての顔も持っていて――――この話聴く? 少し長くなるけど」
「遠慮しておく。日が暮れそうだ」
話が逸れた。未央は改めて九百合の問いに答える。
「父さんは朱鷺耶を警戒している。あんたを味方に引き入れておきたい算段なんでしょう」
「倉持朱鷺耶? 何か厄介事?」
未央と昌太郎の視線が合う。
「……ちょっとね」
「ふうん。まあ、隠し事するのは良いけどさ。それで俺を懐柔しようっていうのは少し虫が良いよね」
「昌太郎レンタル券五枚分」
「乗った」
「乗ったじゃないよ。ちょっと、未央、人の知らない間に何お手製チケット拵えてるの」
「千と万も手伝ってくれた」
「そういう問題じゃなくてさ」
未央が九百合に差し出したチケットはクレヨンで色とりどりに装飾されていたが、それは児戯の範疇の出来映えだった。九百合は無頓着にそれを受け取り、懐に入れる。
「白虎と仕合う許可をくれるんならもっと早く言ってよね」
「――――倉持さんではなく未央に就いてくれるか」
「良いよ。そもそも俺、朱鷺耶のこと好きじゃないし」
「まあ、憎まれっ子だしね。それだけの実力はあるけど」
もそもそスコーンを食べながら諾と応じた九百合の言葉に未央は頷く。九百合は自分の実力が朱鷺耶を上回ると考えているだろうか。もし、未央の見立て、つまり九百合では朱鷺耶には及ぶまいというそれを彼が知ればどう思うだろう。
だが、未央はそれらの思考の全てを今は呑み込み胸に秘めた。自らの出生、欠落の秘密と共に。
やがて絵麻が剥いた林檎と柿を持って来てくれ、未央の部屋は菓子と旬の果実の匂いに満ちることとなった。




