マッド・ティーパーティー
天に金色の円が浮かんでいる。虫のすだく音。
『お茶会』の行われる日は、中秋の名月だった。京都の知られた陰陽歌人の広大な邸宅の庭に長方形のテーブルが置かれ、贅を尽くした、小さな宝石のような食べ物が銀色の皿の上に点々と並んでいる。着座した未央は群青色に白い曼殊沙華が描かれた友禅に、白銀の帯、ミントグリーンの帯揚げに濃緑の帯締め、帯留めは最高級である楕円形の血赤珊瑚という礼装だ。昌太郎はいつもの、黒いジャケットに赤いネクタイ、白銀のピン止め、ズボンだけが黒にごく近い上等の綿を使った濃い紫である。ジャケットの胸ポケットには白い曼殊沙華がある。この『お茶会』のしきたりなのだ。参加するにおいて、服装に花を取り入れること。
未央と昌太郎が並び座る向かいには、朱鷺耶が笑んでいる。彼は藤色のスーツの胸ポケットにピンク色のコスモスを挿していた。今日は使い魔の鸚鵡はいない。
「羽田さんは、最近とみにご活躍だそうで」
おっとり、切り出したのは髪に野菊を挿し、ふくよかな体躯を目の覚めるような青いドレスで包んだ中年の女性だ。尤も、陰陽歌人に限らず、呪術に関わる人間は年齢が読みにくい為、実際のところの年齢はどうなのか解らない。
未央が紅茶碗から赤い唇を離す。
「いいえ。まだ未熟の者ですゆえ精進が大切と心得ております」
「殊勝なお言葉。流石は公爵家の娘御だ」
未央の言に反応したのは赤ら顔の痩身の紳士だ。彼は羽織袴で、羽織りに大輪の牡丹が描かれて、着ている本人は服装に位負けしていた。
未央に対して「公爵家」と言ったのは、只の当てこすりや追従に留まらない。
陰陽歌人の家は、その家の人間の持つ能力により、公、侯、伯、子、男と爵位が設けられている。旧弊な制度が、未だ根付くのが呪術の世界の現状だ。
「ええ。未央の実力は私に勝るとも劣りませんよ」
にこやかに言い添える朱鷺耶の倉持家は伯爵家。だが、近年では朱鷺耶の能力がすこぶる高いことから、爵位を上げる話も持ち上がっている。
「朱鷺耶さんの保証付きでは、やはり、それなりの」
言ったのは楚々とした風情の、月と薄が描かれた訪問着を着た女性だった。なよやかに見えて、一本芯が通り、肝の据わったところは陰陽歌人の女性に共通した点だ。
「羽田さんの。そちらの殿方は何と言ったかしら」
「昌太郎。羽田昌太郎です」
「ああ、そうだったわね。貴方は、歌は」
「僕は詠みません。僕に出来ることは未央の力添えだけです」
「まあ……。それはどうかしら。未央さん程の陰陽歌人の対となる方が、歌を嗜まないとは」
「素養に欠けるのです。ご容赦を」
「でも、ねえ。未央さんと行動を共にするのでしょう?」
執拗な追求に、未央の柳眉がひそめられる。自分が矢面に立つのであれば良い。
だが、未央に隙を見出せない連中は、その片割れである昌太郎に照準を定めるのだ。朱鷺耶は何を思うか解らない笑みを浮かべ、自分の異母弟と女性の遣り取りを聴いている。
「良いんじゃないの。昌太郎には歌を補って余りある武が備わっているよ」
助け舟を出したのは、意外にもテーブルの端で黙々と菓子や軽食を口に運んでいた九百合だった。彼もまた、陰陽歌人として『お茶会』に招待されていた。長い白髪を纏める紐に大輪の百合の花を挿している。それが彼の女性的な面立ちと相まってよく似合っていた。因みに九百合の家の爵位は子爵だ。彼は爵位には頓着しない。只、強敵と仕合うのを好むのみである。欲がないと言えば、朱鷺耶に比べてはるかに欲がなかった。
「ああ、白虎か」
口を開いたのは威厳を漂わせる老人だ。彼は琥珀色の単衣に、桜を彫った根付けを帯に挟んでいる。水を差された女性は悔しそうな顔をする。
未央はじっと面を揺らさず黙っている。
昌太郎のネクタイピンは刀に変じる。
銘は白虎。
それ以上の情報を、集う人たちに知られたくはない。
白虎は契約なのだ。未央と昌太郎の、神聖な。
「そう。白虎。この間、仕合ったけど大したものだったよ。未央の連れとして不足はないと思うけど?」
九百合はプチマドレーヌを口に放り込み、咀嚼しながらやや行儀悪く話す。彼にとっては実力が全てであり、陰陽歌人の長老格も、恐れるものではなかった。
「私もそう思います。皆さんは歌を詠むことを主とされているので、ご存じないかもしれませんが、陰陽歌人として十二分な実力を持つ未央と、その〝式〟を操り呪力溢れる昌太郎との組み合わせは理想的と考えます」
かちゃり、と未央が紅茶碗を置いた。
朱鷺耶の言はフォローのようであり、その実、未央の明かしたくなかった事実をこの場で暴露したも同然だった。唇を一瞬、きつく噛み、離す。
式、式ですって、とさざ波のような言葉の囁きが広がる。
九百合は黙って未央を見ている。彼は知っていた。だから、未央がこの後、どのように振る舞うのか興味があった。
「皆さまのご心配、私の胸に深く沁み入ります。九百合や倉持さんの言うように、昌太郎は私の力となる得難い存在です。どうか今後もお引き立てくださいますよう、よろしくお願い申し上げます」
未央が深く頭を下げると、長い黒髪がさらりと垂れた。
未央は丁寧な物言いで、これ以上の口出しは無用と居並ぶ面々に釘を刺したのだ。優れた陰陽歌人である未央の言葉には通常の声だけでも力が宿る。朱鷺耶の仕掛けを未央は素早く回収、収めたのだった。
「なぜ、あんなことを」
席を立ち、その場を離れた未央は朱鷺耶を呼び出して庭の桜の大樹の陰に寄った。
「何のことかな」
「白々しい。白虎のことだ」
「いけないことをしただろうか? そもそも君たちが選び、望んだ在り方だ。私はそれを歪と考えるが、双方納得ずくならそれで良いのだろう。白虎は式神。君と契約を結び、昌太郎と共に在る。だがその契約は危ういものだ。一つ、仕損じれば昌太郎の命はない。これでもね、未央。私は愚弟のことを気に掛けない訳ではないのだよ」
「あんたの頭は権力志向に満ちている。その上、腕が立ち見抜く目を持つ。厄介だ」
「それなら俺が殺してあげようか?」
不意に割り込んだ声は九百合のものだった。彼は通常と変わらない声音で物騒な提案を未央に持ちかけた。未央が目を大きくして朱鷺耶がく、と笑う。
「笹原九百合。君に遅れを取る程、私も脆弱ではない積りだよ」
「やってみなければ判らない」
九百合の手が達磨の根付けに伸びる。
「やめて、九百合。朱鷺耶。これ以上、私たちに干渉しないで」
「考えておこう」
未央の懇願に曖昧な返事をして、朱鷺耶はゆっくりお茶会の席に戻って行った。
「……良かったの?」
「今はこれで。借りが出来たかな、九百合」
「別に? 俺、朱鷺耶のことあんまり好きじゃないし。それより早く戻らないと、昌太郎が心配するよ」
未央は頷くと、桜の陰から出た。
幹に留まっていたらしい蛾が飛び立った。
お茶会のテーブルの周りには光が点され、表面上は静かな集いを長閑に照らしているように見える。蛾は光に惹かれたのかもしれない。
近づけば死ぬ宿命と知っていても。
未央は歩みながら月を見上げる。
朱鷺耶も九百合も知らない秘密は、まだ他にもあるのだ。