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シーと片隅のひかり

作者: ユッキー



《序章》



冷戦時代の1979年、ソ連のアフガニスタン侵攻が始まりますが、ソ連の弱体化を(はか)ったアメリカは、秘密裏にムジャーヒディーン等の抵抗運動の兵士たちに隣国パキスタン経由で武器提供を行い戦闘は長期化して行きます。

10年に及んだ戦争で、ソ連側は1万4000人以上が戦死、ついに1989年、アメリカの思惑通り疲弊したソ連軍は完全撤収を決めます。

そして数年後にタリバン政権が誕生しました。


2001年のアメリカの同時多発テロを受け、アルカイダを匿うタリバン政権に対してアメリカやNATO軍による空爆が開始され、やがてタリバン政権も一気に崩壊します。

しかし現在でもアフガニスタンでは戦闘は続き、タリバンの勢力は回復しつつあると言われています。


そしてこの反政府組織タリバンの大きな収入源になっているのが、世界の80%のアヘンが生産されているケシの栽培によるアヘンやヘロイン、モルヒネです。

ケシは栽培がしやすく貧困に苦しむアフガニスタン農家の農生産物の約半分を占め、とくにタリバン勢力化の南部では巨大な麻薬工場となっています。


ソ連やアメリカの軍事介入によって、アフガニスタンはさらなる戦場地と化しました。

もちろんおれは、アフガニスタンの大地、空、風、太陽の光も知りませんし、アフガニスタンの人々とあったこともありません。

しかしこのような国に生きる子どもたちの、ひとつの小さな物語をなんとか描いてみたいと思いました。



スタンドライトの淡い琥珀色(こはくいろ)(あか)り包まれた和室で、先に晩ご飯を食べ終えた愛犬シーズーのシーは、ビールを飲みながら呑気に晩ご飯を食べているおれの傍におすわりをして、その丸く黒いひとみで見つめてきます。

淡いひかりが、白とゴールドの体毛を神秘的に光らせ、畳の上の影がおれの足下までのびています。

シーはずっと見つめます。

そのつぶらなくもりのないひとみの奥にうつるひとつの映像を、いまおれは物語に描き始めます。






《第1章》



何かに怯えたようなうすい灰色の空に覆われ、ヒンドゥークシュ山脈が街に迫っています。

アフガニスタンの首都カブール西部の大通りの十字路コティサンギは、旧型の古い乗用車や荷物を載せたトラックなどが行き交い、人々は車の合間を縫って往来します。

信号も横断歩道もないため、さまざまな音のクラクションが絶えず響き、(ざわ)めきも染みついたまま地鳴りのように止みません。


少年は、以前この十字路によく現れた幼馴染みのひとりの少女を探しに来ました。

1年前まで、少年と彼女はこの往来の盛んな十字路でスリをしていました。

当時少女は、髪は顎ぐらいの長さでいつもむらさき色の上下の服に白い袖のないカーディガンを羽織っていました。

以前住んでいた街外れの石造りの家も訪ねましたが、もう少女も母親の姿もありません。

別のところに住んでいるか、もうこのカブールを離れてしまったのか?

もはや探し出すことはとても難しいし、手がかりは、あのスリをしていた十字路コティサンギだけです。


1年前、少年は家族とともにアフガニスタンの東部のダラエヌール渓谷の谷間の村に戻りました。

日本人のN医師を現地代表とするNGOが、大河川クナール川から灌漑のための24キロにも及ぶ用水路を完成させて新しいコミュニティができあがり、村を去り難民となった人々や反政府組織の兵士になった男たちが帰って来たからです。

新しい村では、灌漑用水路からの水で砂漠化で荒涼した大地に緑が蘇り、畑が再生されました。

アフガニスタンの(はげ)しい太陽の光の下で、人々はあらためて笑顔を取り戻し農業を始めています。


少年はその時、少女に一緒に帰ろうと言えませんでした。

少女の父親が、ちょうど街で自爆テロに巻き込まれて亡くなったばかりで、とくに母親が狂ったように悲嘆し、とても話す状況ではなかったからです。

しかし少年は、淡い思いを抱いていた少女にどうしても村に帰ってもらいたいと願っています。

両親から1週間の約束をもらってカブールまで山を越えて探しにやって来ました。


少年は、街の廃虚になった石造りの建物に寝泊まりしながら、期間ぎりぎりまで根気強く探すつもりです。






《第2章》



正午を迎えました、雲の少ない怯えた灰色の空に、ババババという轟音(ごうおん)(とどろ)き、コティサンギの十字路を行き交う人々が、眩しそうに見上げます。

アメリカの軍事用ヘリコプターが、街へ(くら)い影を落としながら南へ向かっています。

南方はタリバン反政府組織の拠点地です。


ジハードの歪められた狂信的な思想のタリバン兵の若者たちは、インドの脅威に怯える隣国パキスタンが、貧困と内戦に苦しむアフガニスタンの若者たちに青空神学校を開き、自分たちに都合のよい傭兵として教育し生まれたものです。

しかもソ連のアフガニスタン侵攻に対抗するためにアメリカが送った対軍事用ヘリコプター追撃兵器スティンガーを流用し、アフガニスタンの若者たちへ与えました。

スティンガーを手にした若者はタリバンとなって、ついにはアフガニスタンに政権を樹立しますが、反テロを大義名分に掲げるアメリカやNATOの空爆や最新兵器により政権は脆くも崩壊します。


しかしアフガニスタンの山岳地帯にタリバン勢力は生き残り、今やふたたびその勢力を拡大しつつあります。

アフガニスタンの太陽の光の下で、この荒涼とした山岳地帯を舞台に終わりの見えない争いは続いています。






《第3章》



今日も怯えた灰色の空はかわることなく、ヒンドゥークシュ山脈が街に迫っています。

少年は朝から、染みついた地鳴りのように騒めくコティサンギの十字路に立ち、あの幼馴染みの少女を探していました。

荒涼とした世界しか知らず、学校へも通わない子どもたちが街を彷徨っています。

彼らもまたスリをするつもりなのでしょう…


ふと少年に、アフガニスタン女性の伝統的な薄青いブルカで身を包んだ1人の女性が、立ち止まった車や行き交う男たちに声をかけている様子が、目に飛び込んで来ました。

ゆっくりとした動作で、時には執拗に道行く男たちに声をかけています、ブルカに隠された顔は見えませんが、つねに手の平を上に向けて差し出していることから物乞(ものご)いをしているようです。

その姿は、まるで信仰も思考も停止し人間の尊厳すらも放棄しているかのようです。


しかし少年には見覚えのある姿でした。

もしかしたら、あの少女の母親ではないかと思われました。

近づいて声をかけます、女性はとても驚き怯えましたが、やはりあの少女の母親でした。

少女と母親はまだこのカブールにいたのです。

少女のことを尋ねるとようやく母親は、もうすぐこのコティサンギの十字路にやって来るだろうと教えてくれました。


少年はアフガニスタンの太陽の光の下で、(うごめ)く雑踏のコティサンギの十字路のそばの立木の下に腰をおろし、少女がやってくるのを待ちました。

少女の(あお)いひとみを想い出しながら…






《第4章》



正午を過ぎた頃、コティサンギの十字路を行き交う車の合間を縫って渡って来る、むらさき色の服に白い袖のないカーディガンを着た少女の姿が見えました。

少年は、すぐに立ち上がり少女へめいいっぱい手を振ります。

しかし少女は少年に気づくと、とても驚いた表情を見せ、すぐに踵を返したように人ごみの中を駆け出しました。

少年は、すぐに何が起こったのか理解できません、しかし咄嗟に後を追って走り始めます。


少女は混雑する人ごみをかき分けて走ります、少年も通行人にぶつかり罵声を浴びせられながら後を追い続けます。

アフガニスタンの太陽の光が、ふたりの追跡劇を見守ります。


少女が白い石造りの建物が入り組んで並び、貧困層が多く住む一角へと入って行きました。

少年は少女の姿を見失います。

しかし、この一角のどこかに潜んでいるはずです。

少年は、とりあえず石造りの建物の奥へと進みます、すると数人の行き場のない若い男たちが、談笑しながら囲むように座っていました。

白いストローで、銀紙の上であぶったものを吸っています。

少年はヘロインだと気づきます。






《第5章》



翌朝も少年は、アフガニスタンの太陽の光の下で、少女が駆け込んだ白い石造りの建物の一角へと向かいました。

真っすぐでギラギラした目の幼い子どもたちが、顔を洗うため井戸に集まっています。

むらさき色の服の少女を知らないかと尋ねると、ひとりの幼い少女が案内してくれると言います。

少年は幼い少女の後に従い、戸口をむらさき色のカーテンで覆った一軒の家の前に辿り着きました。

幼い少女は、黙ったまま指を指します。


少年が礼を言ってカーテンを開けると、薄暗い部屋に朝の陽がなだれ込み、光の帯に仄かな白い煙が漂っています。

壁にひとつだけ竹で編んだようなベットが置かれ、その前であの少女が髪で顔を隠すように俯いたまま屈んでいました。

頭をもたげ眩しそうな目で少年を認めても、黙ったまま白いストローを咥えて銀紙からあぶったものを吸っています。

やはり少女はヘロインを吸っていました。


少年は、はり裂けそうな気持ちを抑えて近づき、ゆっくりと尋ねます。


いつから?

………


もう1年前から

………


まだスリを続けているのかい?

………


薬を買うお金が必要だから

………


村に帰らないか?

用水路が完成して農業ができるようになったんだ

ほかの人たちも戻って来ているよ

………


しばらく少女は沈黙したあと、碧いひとみをいくぶん潤ませてぽつりと言いました。


お母さんもヘロインをやっているの

わたしも薬をやめられない

もう戻れないわ

………


ふたたび少女は、マッチに火をつけ銀紙をあぶります。

その小さな炎は、片隅のひかりです。

社会から忘れられた片隅の小さなひかりです…






《終章》



少年は、カブールには薬物治療のためのリハビリセンターがあることをつきとめました。

少女に母親と一緒にリハビリセンターへ行き、必ず薬物をやめて村へ帰って来るよう懇願しました。


俺は医者になって

お前のような苦しむ人たちを助けたい

………


アフガニスタンの太陽の光の下で、少年は碧いひとみの少女をじっと見つめます。


しかしその時、カブールの怯えた灰色の空を轟音を轟かせてアメリカの軍事用ヘリコプターが、ふたりに昏い影を落としながら南へ向かって飛んで行きました…



スタンドライトの淡い琥珀色の灯り照らされて、シーは優しい寝息をたててぐっすりと眠っています。

そのつぶらなくもりのないまなこを閉じて…


カブールの雑踏の中でスリを続けヘロインを吸う少女に、おれたちは沈黙し、アフガニスタンの烈しい太陽の光に、その運命を委ねるだけでしょう。

少女の碧いひとみに何が映ろうとも…







挿絵(By みてみん)



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