aaa
次に目を覚ましたとき、そこはまだ、森だった。
コンテナがなくなっていて、視線も随分と低くなっている。
視界も、体全体を取り囲むように木が並んでいる事から、これが自身のモノでない事がよく分かった。
何もかもが大きく、見える全てがリアルでグロテスクな幻想的な世界みたく映っている。
見える範囲が広いことから、その実感はなおさらである。
その目の先に映った物に目を止める機会は、そうないのだが、新鮮で興味が引かれる物に溢れた世界というものは実に人間を挙動不審にさせるものだ。
まるで赤ん坊に戻ったかのように辺りを見渡させる。
そんな中、ある影がその目を止めさせ、驚くような真実を突きつけるのだった。
それは、自身の体である。
宗教的に考えると、人間の体というものは一時の借り物で、死んでしまえば魂が抜け出し、体は土に還って新たな体へと乗り替える訳だ。
正直、魂何かに質量なんかない。
だから、これを信じれる訳がなく、この目がとうとうおかしくなった、としか言いようがなかった。
どうもこの視線に違和感を感じていたのには、摩訶不思議な夢の一部である事への自覚がなかった事から来た、一種の勘違いなのだ。
しかし、夢にしては妙にハッキリと再現されたイメージで、夢でないとすれば、これを何であるといえばよいものか、と勘違いの説を推した者としては複雑である。
この夢と現実の狭間で記憶が遠のいていく中、徐々に近づく覚醒のせいか、どこからかやって来た複数の影に分身が揺さぶられ、その動きに合わせて目覚めを促される気がして、急に目が覚めてしまった。
目路には天井と謎の長方形。
射し込む日差しが真っ白な空間をより白く際立たせ、ここが病室のようなモノなのだと理解する。
謎の長方形をよく見てみれば、それは不可思議な輪っかが浮いており、そこからそれが電球が埋め込まれた物である事を判別し、ライトであることを理解した。
ここは病室なのだ。
科学技術が発展し続けることが出来るようになった世界では、絶えず物資を奪い合うように一時期、戦争をし続けていた人類だったが、機械の動力となる資源を生み出す機械が開発された事により、目覚ましい成長を遂げ、その頃には地球は物でさらに溢れかえったSFさながらの光景が、そこら中に広がっていたのだが、どういう訳か戦争が再び始まり、子孫を巻き込みながら戦いは激化していき、その犠牲者は、過剰とも云えるバブルのような激しい好景気以前よりも増え、人類がいくら増えてもマイナスになるような窮地へと追いやられていた。
だから、一昔前の建物程度であれば、建造ともいえる程の重労働を用いる建物を簡易に設営出来る力が現在の技術力である。
しかし、戦争に次ぐ戦争により生産力が衰えた結果、こういった物は基本的に特別な場合でないと使用する事はないのだが、どうやら幽閉されていた一件との関係性が深そうだ。
体を起こし、コンテナ同様に辺りを確認する。
特にこれと言った違和感はなく、気になる事といえばカーテンで隔てられた向こう側だ。
多分、ベッドがあるのだろうが、気になるのはそこに人がいるかどうか。
雰囲気からして意味はないだろうとは思った。
だが、この部屋に他の人がいる可能性があるため、迂闊に目覚めている事を悟られてしまうと、どんな目に遭うか分かったものではない。
死んでしまおう、と考えていた事があったにしても、心は国にあって、簡単に弱みになるような情報を与えてしまうと、そこからほつれ出したりするものだから、そうそう口を留めている糸を解いたりはしない。
そこで突然、カーテンがシャーッ、と軽快な音を立て開く幻覚を見ながら、己が欲している展開というものへ、無自覚に持っていた望みが目に働きかけた。
これは旅行の日を楽しみにして待つ子どものような、ただただ純粋な望みだ。
いやらしさなどない。
ただ、戦場で見た友人の割れた頭から流れる血のように、脳みそのように細胞の一つでも逃げたい思いなのだ。
知らぬ間に焦燥感を感じている、と簡潔に述べればよいものの、心の傷がまだ癒えていない。
体は点滴で癒されているが。
落ち着かねば。
しかし、いよいよもって意識して焦ってしまうのはヒトのサガか。
悩んでいつの間にか頭を枕に沈ませていたところ、道端の小石を蹴り上げるように、その当惑を爆ぜさせる希望があった。
それは所属している軍の衛生兵だったからだ。
軍帽子には赤い十字架が描かれており、腕にはそのマークの腕章を着けていたからである。
「目を覚ましましたか」
心配されていないことから、それほど長い間、眠っていたという訳ではなさそうだ。
ゆっくりと身体を起こし、おずおずと頷いた。
その衛生兵は、微笑んで頷いた事を確認すると、ベッドのすぐそばにあったタイムカード状の患者の体調などが記された物に、ペンで記入し始める。
よく見ると、どうやら女性のようだ。
男女平等な社会をもう何十年、何百年と目指していたが、戦地に女性を送る事を正義だとしていいものか、と憤りを感じる。
が、そうでもしないと自国が炎に包まれる事は分かっていたため、勝つためなら多少の犠牲はいとわないのが当たり前だろう。
もしも、これが戦争のない時代ならば女性が参加する事を反対しないのだが。
とにかく、この女性に重要な事を訊かねばならないのだ。
「ぁっ…………ぉ」
今の今まで飲み食いせずにいたため、口が乾燥しすぎて声が出ないという事もあるが、喋らなかった期間が長かったもんだから、声が掠れて上手く喋れない。
まるで喉に蓋をされたように声が出ないため、どうしても喋ろうとすれば、必ず、金魚の糞のように咳が伴う。
咳嗽が乾いた音を立てるせいで、軍医に気を遣われてしまうのだが、窓の近くに誰からの花かは知らないが生けてあるので、その花の入れ物を指差して咳をした。
すると、指の先にある花を持ってきて渡し、心配そうに眉を曲げていた。
どうやら、花が欲しいと勘違いをしたらしい。
頭を振って、花を相手に突き返すように渡し、もう一度その先の入れ物に張っている物が欲しいと訴える。
そうして女性は、水を欲しがっている事に気づき、すぐさま、カーテンの後ろに隠れて病室を抜け出していった。
しかし、それはまるで漫才か何かをやらされているかのように届かず、外からの光の光量が減っていく事が視覚的に表現された。
どうやら、外からの光は人工物の光だったらしい。
どうりで目立ちそうな大きな病院が戦争中に建てれる訳だ。
ということは、コンテナハウスはここと同じような場所だったとしたらどうだろうか。
段々と起こっている事について、真相が垣間見えた気がした。
そんな時、軍靴の立てる音がこちらに近づいてきている事に気がつく。
カーテンが中途半端に仕切っている部分の向こう側から何が来るのか、何となく気が気ではないのはなぜだろうか。
入り口の方に人影が映ると、それは出ていった女性だった。
手には取っ手が細く口に水が流し込みやすい形をしたコップを持ち、こちらにやって来た。
「水ですね。ろ過はしっかりとされているので安心してください」
そう言ってコップを差し出したので、それを受け取って、天を仰いで一気に飲み干した。
心臓を冷たい液体が通り、全身が一瞬にして冷やされる感覚を感じる。
しかし、喉は乾燥していたために、水で潤した程度でどうこうする事が出来る訳ではないのだ。
しばらくは声が出しづらいだろうが、相手に伝える手段はいくらでもある。
そう憂いる必要はない。
そういえば、今日はいつなのだろうか。
最初に起きた日を不思議な夢を見ていた日だったとして、その日はいつだったのか。
その時の部屋には何もなく、あったのはベッド。
そういえば、自分の容姿を確認するために鏡を探していた事を思い出した。
ああ、アイスクリームのように脳ミソが溶けてしまう気がする。
どれだけ考えてもやらなければならない事ばかりが増えて、解決が一切出来ないような状況になっていたからだ。
頭を抱えていると、女性は唐突におかしな事を言い出した。
「それでは、戦場に復帰可能な事を上に伝えてきますね」
その言葉で、体が地獄の炎の中に落とされたような熱い感覚が広がって、シワのないシーツをシワだらけになるくらい握りしめた。
自殺を志願したはずだが、なぜ生かされていたのかようやく分かったのだ。
だから生かされたのか、と。
死んだことにされていないのだ。
なんらかの手違いか何かで、ありもしない名前がそうやって残っているのだ、きっと。
死んだ覚えもないのだが、生かされる事を望んだ覚えもない。
何度も繰り返すようだが、それが事実なのだ。
そこで女性を質問責めにしようと横を見やると、そこには女性の姿はなく、そこにあったのは、ただ寂しいだけの人工の光が差す隅。
風の吹かない場所に風が吹いていた。
それからの数時間、何をしていたわけでもなくただ、ぽーっと、天井を眺めていただけ。
女性が居たのか居なかったのか分からなくなって、とうとうどうでもよくなってきたのだ。
まるで存在を否定する透明人間に押さえつけられたような、どうにもやるせなくなって、ただ虚しいだけの時間。
鬱屈とした、どこにやればいいか分からない衝動。
何に怒っていたのか、と思うくらいだ。
もしも、あの女性が存在しなかったものだとして、今までの推測の正しさを確実にする証拠はなにもなく、とどのつまり勘違いをしていたのだろう、という結論に帰結する。
いったい、あれは誰だったのか。
そのとき、部屋のドアをノックする音が聞こえてきた。
今度は本物の兵士なのか、特にこれといった違和感もなく話せたし、ここがどこなのかも教えてくれた。
しかし、おかしな点があるとすれば、それは夢であると思っていたはずの女性との接触が確りと残っていたことだ。
どうやら渡された飲み物の中に何かが入っていたみたいなのだ。
劃時代的な薬なのだろう、覚えている範囲ではそのような薬品を見聞きしたことがない。
それと、後から来た軍医に訊いたのだが、どうやらここは前線基地から少し離れた主要基地の一つらしく、もしも前線の部隊が壊滅、撤退などをしたらここに戦争の火が集まるようだ。
また戦争をしなければならないらしい。
空から、陸から重々しい武装の数々を引っ提げて、銃を片手に走り回るのだ。
国はどうしても勝ちたいらしい。
軍医が広げられていたカーテンを扇子を畳むように、ドアが見えるまで開けると、そこには足りなかった部屋の情報が広がった。
どうやら病室はそこまでないらしい。
ドアの向こうの世界には、病院の壁の色を境に土色の味気ないきな臭い世の中が覗き見ていたのだ。
「あのっ……」
体を気持ち前に倒しながら手を伸ばし、呼び止めようとする動作を取った。
するとそれに気づき、事務的な返事をしながらこちらに顔を向けた。
「何かありましたか?」
「歩き回っても大丈夫かな?」
眉をひそめて少しの間、沈黙したまま返答しなかったが、呆れたような顔をして言った。
「私では許可できません。ですが、本部に転属申請を行い、正式に配属されたのであれば自由にされてもいいのですが、どうでしょう」
話の流れからすれば、原隊に配属の許可を得ることを促すよう言っているのだろうが、どうも含みがあるようにも思えて聞き返した。
「どうでしょう、とは何の話について?」
「この部隊への編成です」
やはり配属される話だったようだ。
だが、これを断ろうものならば懲罰部隊として扱われる可能性もあり、だからといってこれを無視したとしても原隊への復帰ができるよう新人たちとともに戦場に駆り出されてしまうだろう。
どちらにせよ、逃げ場など最初からなかったのだ。
「復帰できると判断したらするんだよね?」
「ええっ。まあ、もちろん人手不足ですので」
人の体をつま先辺りから頭まで視線を巡らせてそう言う軍医は、判断をするために見ているのだろう。が、同姓から見られている、ということを自覚しているとどうも寒気を覚えて、あまり心地よくない。
男性は確認した後、特にこれといった特別な答えもなく、そのまま部屋を出ていった。
それからは、消灯の時間まで暇を潰すものもなかったので寝ることにした。