第7章:巻き返しの2ndシーズンへ
あの自主トレの日から月日は経ち、2071年の1月某日。この日は、キャプテンと副キャプテンによる会議が行われる予定となっていた。というよりも、俺が個人的に集めたのだけなんだけどね。理由はもちろんユキにより元気になってもらうためである。もちろん行われる場所は、俺たち3人が共同生活をしている、寮のあの部屋だ。俺は自宅からトレーニングがてら、ランニングをしながら向かっていた。とても気持ちのいい朝だった。
あの日からユキは変わり始めていた。というよりも劇的に変わったという方が、正しいだろうか。
自主トレから帰国後、まずは千尋に報告をしに行った。千尋がとびっきりの笑顔でハグをすると、ユキもほんのり笑って、千尋の背中の方に手を回していた。千尋は散々、俺に何かされなかったかを聞いていたが、ユキは正直に良い話をしてくれたとか、真摯に向き合ってくれたとか言って、俺のことを持ち上げてくれた。それに対して千尋は最初、何を拭きこんだのかと俺を問い詰めていたが、徐々にユキの表情から嘘をついていないということをわかってくれたみたいで、俺に対しても感謝してくれるようになった。それにしても、ユキの表情を見ないと、この子は何も信じないのだろうか……?
それからというもの徐々に悩みを隠すことなく、俺や千尋に話すようになっていった。俺自身も悩みをユキに話すようになり、お互いの情報や気持ちを共有するようになっていた。千尋には……、怖いのでなかなか話せなかったが、ユキがよく間に入ってくれるので、それで結構話せる機会を設けてくれた。千尋はどんな時でも、ユキのことを可愛がり、そして支持しているので、彼女が絡めば話を聞いてくれるのだ。
そんなことを続けていた結果、ユキはどんどん明るくなっていった。朝の挨拶もしっかりするようになり、声も人並みに聞こえるようになっていた。表情も無表情の時は少なくなり、喜怒哀楽を出し始めていた。特に笑った表情をしてくれたときは、俺も千尋も本当に嬉しい限りで、同じように笑顔になるのだった。キャプテンという立場の理由もあるだろうが、やっぱり1番は可愛らしいことだろう。最初の頃はなかなか気がつかなかったが、身長が158cmと小さいうえ、色白で体がスリムなため、それなりにスタイルが良い。その上で子供のような屈託のない笑顔を見せてくれるのだ。そりゃあ可愛いとは当然思う。そうした意味を含めると、本当に俺は良かったなと感じるのだった。
そんなことを考えていると球団の寮に着いた。最初の頃はこの玄関のドアを開けるのも嫌な時期ばかりだったが、今となっては開けて2人に会うのが楽しみで仕方がなかった。……あ、間違えた。ユキに会うのが楽しみで仕方がなかった。
俺は合鍵を使ってドアを開けた。1番最初にこのドアを開けた時と同じように、きれいに磨かれて揃っているローファーと、少し汚くなって擦り減ったクリーム色のスニーカーが、靴箱に置かれていた。俺はその下に自分の靴を入れて、リビングの方に向かった。
「あっ、やっと来たわ。遅いじゃないの」
相変わらず千尋の口調はこんなんだ。もう少し丁寧な挨拶をしてもらいたい。
「ユキちゃんと私は、ずーっとあなたを待ってたのよ。仮にもあなたは3位なんだから、もっと早く来なければダメでしょうよ」
いきなり説教とは……。少ししんどい。というより1年目が終わったのだから、寮生活が続いているとはいえ、もう『ドラフト指名上位選手優遇制度』は無効化されている。もう3位であっても、仮に70位であっても、1位や2位にものを言えるようにはなったのだ。ただ千尋は怖いので、あまり言えないことに変わりがないのだけれども……。
「ジークラーさん、おはよう」
俺は色々と気を紛らわすために、ユキに挨拶をした。
「うん。おはよう」
ユキはちゃんと返してくれた。前までならこういうことを言っただけで、千尋に注意をされたものだが、あの自主トレ以来、俺のことを少々認めてくれるようになったのか、ユキに話しかけても怒られなくなった。まぁ一応、ユキを救った命の恩人みたいなところもあるだろうし、そりゃあ注意も出来なくなるだろうなぁ。ただ、まだ千尋のムスッとした表情を見る限り、完璧には認めていないようだが……。
「ねぇねぇ。早く座ってよ。会議を早く始めよ」
ユキに促されて、俺は横並びで座る2人に向き合う形で座った。
「ところで今日は何を話し合うんだ?」
「はぁ!? 聞いてなかったの!? 今シーズンの私たちの目標を言い合うんでしょ!」
「ハハハ。そうだったね」
「せっかく時間を取らせてあげてるんだから、さっさとあなたから話しなさいよね」
ミスには本当に厳しい千尋である。
「わかったよ。俺の今年の目標は、やっぱり3割30本100打点かな。去年と同じだけど、それなりに高い目標を立てないと、始まらないしね。それに去年は本当に悔しい思いをしたしね」
「チームとしての目標は何なのよ?」
「チームとしては……、最下位脱出……かな?」
「はぁー!? 低い目標ね。個人の目標の大きさとは大違いじゃない」
あっさり千尋に注意されてしまった。それならお前の目標はどうなんだ? 俺は千尋に聞いてみた。
「私の目標? まずはケガなく今年も過ごすことね」
口調とは裏腹に、意外とまともだった。
「ケガをするとチームに迷惑をかけちゃうから、ちゃんとフル出場をしないとね」
するとユキがあることに気づいたのか、少し申し訳なさそうな顔をした。
「あっ! ユ、ユキちゃん、ごめんね」
ユキは去年、後半戦のほとんどを棒に振ったからな。振り返らせてしまったことを謝罪をしたのだろう。しかしユキは小さく微笑んで、
「大丈夫だよ。心配しないで」
と、声をかけるのだった。こういうところも彼女が成長したところだろう。千尋はその後も数回にわたって謝罪を繰り返したが、ユキは笑顔でしっかりと応対していたのだった。
「それで、個人としては去年の数字をすべて上回ること。チームとしては、半分より上には上がりたいな」
現実的な中でも、少々上に行くような目標を立てる。それが千尋のスタイルなのだろうな。熱い気持ちもあるとはいえ、そこは現実的でもあるのだなぁ。
「……ちょっと、何、見てんのよ。別に変な目標じゃないでしょ」
千尋を見ながら考えていたら、ツッコまれてしまった。別に異論はございません。
「そ、それじゃあ最後に。ジークラーさんの目標は?」
「ちょっと! それは私に聞かせなさいよ!」
えっ? そんなことまでツッコまれてしまうわけ。別に良いじゃんか。
「ユキちゃんは私からの質問に答えたいんだから。私が聞かなきゃダメなの」
「そんなことないだろうよ。俺だって自主トレの時は聞いてたわけだし」
「ダメ。ユキちゃんには、私が聞くのぉ~」
「……それってお前がただ聞きたいだけじゃないのか?」
「はぁ!? バカなこと言わないで!! そんなわけがないでしょ!」
「だったらなんでそんなにムキになるんだよ」
「うるさいわね! とにかく私が聞くの!」
正直こんなにくだらないことで喧嘩が始まるとは思わなかった。どうすればこの状況を抑えられるだろうか? そんなことを考え始めた時だった。
「優勝!」
あまりの大きな声に、俺と千尋はすぐに口を止めた。そしてすぐにこの声が、お互いに喧嘩の相手ではないことも理解した。となれば、当然この発言ができるのは1人しかいないのは明らかだ。
「……ジークラーさん?」
「……ユキちゃん?」
俺と千尋はほぼ同時にユキの方を見やった。ユキは今まで見たことがない笑顔を見せている。
「私、優勝したい」
少し非現実的だとも思うが、その表情からも本気なのが窺える。さらにユキはこう続けた。
「私は……、このチームで優勝したい。時期尚早って思われるかもしれないけど、それでも可能性があるわけだから、そこに向かっていきたいの」
まさかあのユキからこんなに前向きな言葉が聞けるとは……。それだけでも俺たちは嬉しかった。そして俺たちも誓った。
「そうだよな。やるからには優勝を目指さないと、だよな」
「ユキちゃんが目指すのなら、私は全力でサポートするよ。何かあったら私を頼ってよね」
「俺も全力を尽くすよ。キャプテンであるジークラーさんが高い目標を持っているのなら、俺もその事を支持するからさ」
「私たちなら必ず出来るよね。私も優勝できるように頑張るよ」
「あぁ。俺も優勝するために全力を尽くすよ」
そう言うと、千尋が右隣り座っていたユキの手を握った。
「ユキちゃん! 頑張ろうね」
「……うん」
くそ! 先を越されてしまったか。悔しいが、仕方がない。俺ももう少しユキに近付ければ、きっとさらに深い話も出来そうな気がする。そうした意味では、昔からの仲の千尋には、羨ましさを感じた。
ただ俺としては今日という日がとても有意義に感じて嬉しかった。もうユキは黙ったまま大理石のように動かない少女の姿をしてはいなかった。キャプテンらしいかどうかはさておき、俺たちに対しても積極的に自分の意見を言って、チームのために尽くそうという覚悟が伝わってきた。そしてユキ自身が変わらなければいけないという自覚も、しっかりと見てとれた。これだけでも大きな成長である。本当に良かったと安堵する思いだ。
そして俺自身もその姿に触発された。今年は去年を単に上回るだけでなく、優勝するために様々なことを考えなくてはいけない。それはとても大変であり、しんどいことだろうと思う。
しかしこの子となら何とかなりそうな気がした。ユキ・ジークラー。その明るさと愛おしさは、チームを大きく変えそうな気がした。去年とはまったく違うこの感覚。何かが変わりそうな気がした。
――今年の目標は、優勝すること。
大きな目標だが、これくらいやらないと面白くない。久しぶりに面白い、そして楽しいシーズンになりそうな予感がした。去年はここにいる3人はもちろんのこと、チームの誰もが悔しい思いをしたため、みんな巻き返したい、そしてやり返したいという思いが募っていた。それらを結集した時にどれほどの力になるのか。そしてどれほど面白いことを起こせるのか。考えただけでも楽しみだ。
いずれにしてもこのままでは終われない。絶対にやり返して見せる。すべては目標の優勝に向かうために……。
巻き返しのための2ndシーズンが、いよいよ始まった。




