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第4章:野球に翻弄される辛さ

 ……あのオープン戦からだいぶ時は過ぎて10月になっていた。気がつけば、今シーズンはもうとっくに終わってしまっているのだった。この1年目、はっきり言って振り返るのがかなり嫌な1年だった。しかし振り返らなければ来年につながっていかないので、少々気が乗らないが振り返ることにしよう。


 まず開幕戦に関しては、決して悪くはなかった。当然相手投手も俺のデータが入っていただろうが、それを上回る力を見せつけた。結果として2安打を放って、まずまずのアピールには成功した。この時点では俺はプロでもそれなりに通用するという自信に満ち溢れていたと思う。

 しかし調子が良かったのは最初だけだった。それこそ1カ月も調子を維持できなかったと思う。

 相手の投手たちが本当にうまかった。まぁプロという立場であれば当然のことなのかもしれないが、オープン戦以上に速い球を、何球も投げてきたのだ。高校時代と比べて、球の速さ、いわゆる球速は約10㎞/s程度は早いのではないだろうか。高校球児たちも、最近は速い球を投げられる選手というのは増えてきているが、それでもプロ野球選手というのは、それ以上の球を投げることなど容易に出来るのだった。球速もほぼ狙っていなければ打てないと言われている、160㎞/s以上出ている投手もたくさんいたので、狙いを絞っていなければ、普通にバットに当てるのも難しかった。

 また多少球速が遅くても、前に打球が飛ばないような球を投げてくる投手もいた。よく野球では、球速で表示されている以上に速く感じる球というのが存在すると言われている。正直生身で見たことがなかったので、本当かどうか疑いの目を持っていたのだが、少なくともこの1年で、自分の考えは大きく間違っているということには気づけたのだった。

 一般的な投手が投げる球の場合、球の回転が一定のまま変わらないため、手から離れた時からキャッチャーミットに入るまでのスピードが、ほぼ同じである場合が多い。そのため打者としては、ある程度目で追いながら、タイミングを合わせるということができる可能性が高い。しかし相手がエース級とも言える投手になってくると、そうは行かない。球の回転のかけ方を変えることが出来るため、同じ球速でも速く感じるのだ。例えば後半に回転を強くかけるようにすれば、最後に受ける空気抵抗を減らせるので、球が最後の方に速くなって、打者から見て伸びる球になるのである。球速というのは、投手の手から離れた時から、キャッチャーミットに入るまでのスピードで算出される。そのためたとえ後半に球が伸びたとしても、最初の早さが遅ければ、一定の時と同じ球速として算出されるのだ。

 これが俺の打撃を狂わせた。先ほども話したが、まだ高校生のレベルしか見ていないので、こうしたプロ野球のレベルというのを実際に感じたことがなかったのだ。それでは当然打てるはずがなかった。

 同い年くらいの選手であれば、さすがに対処することは出来るのだが、そんな選手ばかりでは当然ないため、成績はどんどん下降していった。

 普通なら成績が落ちていくと、スタメンから外して気分転換でもさせるのだが、我々調布フロンティアズは全選手が新人選手のため、選手層が極端に薄く、代えの選手がいない現状だったため、俺はスタメンから外されなかった。別にそれがしんどいというわけではなかったが、それほどまでに層が薄いのが浮き彫りになると、なんというかなめられているような感覚になる。俺も当然不振に陥っていたため、他チームの選手から甘く見られているような気もした。

 正直ものすごく不快ではあった。でもだからこそ、絶対にやり返してやりたいという思いも芽生えていた。俺は猛練習をして、相手投手の癖もそれなりに研究して、対策を自分なりに練った。さらに自分の打撃フォームも見直した。フォームを崩していると、普段の力強い打撃が出来なくなる。小さな事であっても、見逃さないことが大事なのだ。

 その結果、成績は多少回復させることが出来た。夏場に入ると、調子の良い時は1週間6試合のうち、3試合でホームランを打ったという週も存在した。その結果かなり警戒もされるようになったのだった。

 しかしそれは周りの調布フロンティアズの選手たちと比べると、という話だった。要は全体的に見れば、そこまでの成績ではなかったということだ。確かに開幕前、俺はある目標を立てていた。それは強打者の証とも言える成績、打率3割、ホームラン30本、100打点だった。

 前で説明したかも知れないが、打率はヒットを打つ確率のことで、ホームランに関してはいろいろと条件があるが、大まかに言えば球を打ってスタンドへ放り込んだ回数、そして打点は自分の打撃によってもたらした得点を表すのだが、打率3割、ホームラン30本、100打点をクリアすると、一人前の強打者として認められるのだ。自分のことを天才スラッガーだと思っている俺は、当然のようにこの目標を目指した。必ず達成できると信じて――。

 しかしその思いは、あっさりと打ち砕かれた。前半戦の段階で、この目標がすべて達成困難になってしまったのだ。……いや、本音で言えば不可能だっただろう。

 結局後半戦に少し持ち直したものの、最終的な成績は打率2割6分2厘、ホームラン13本、45打点に留まってしまった。どの成績も達成してないどころか、ホームランと打点に関して言えば、半分にも達していなかった。もちろん高卒の新人の成績としては、相当な成績を残してはいる。それは分かっている。ただそれは普通の打者の考え方である。俺はもっとずば抜けた成績を出したかったのだ。それは天才だから。でもいまさら言っても言い訳にしかならない。この成績を受け止めて、今後の糧にするしかないのだった。


 もちろん他の選手を見ると、俺よりひどい成績の選手は山のようにいた。打率は選手によっては最低条件といえる、2割にも満たしていない選手が何人かいたほどだ。これでは大量得点を取るために必要な走者が出ないため、点が入らない。

 でもそれならば守るべきである投手陣が、それ以上に相手に点を与えなければいい話だ。

 投手には、1試合当たり何点取られるかという指標である、防御率というタイトルが存在する。平均は3点台であり、2点台の後半ならばそこそこの投手と言われ、2点台の前半まで行けばかなりのレベルの投手と言えるのである。もちろんそれ以下の数字であれば、本当のエースと呼べる。

 では我々のチームの投手陣はどうだったのか? ……それはそれはひどいものだった。我々のチームの全投手の平均防御率は5.83。平均よりも2点以上悪い数字だ。個人で見ても、大体4点台から6点台の投手ばかりで、中には1軍に長くいながら、防御率が10点台の投手さえいた。もちろんその投手に、試合の最初から終了までを任せるはずはないのだが、そんな投手がいることだけでも、俺たち打者としては不安になる。だって大量失点したら、その分俺たちがさらに多い得点を取らないと勝てないからだ。簡単に言っているが、平均で打っても2~3割しか打てないのが普通なので、もともと簡単に点を取れるはずがない。それが平均以下の打者しかいないうちのチームならば、なおさらだ。

 結局チームは6チーム中6位。つまり最下位に甘んじた。リーグ戦は148試合で行われたのだが、51勝94敗3分けという成績で、負け越しは43にまで膨らんだ。当然最下位は最下位でも、ぶっちぎりの最下位だった。屈辱的の一言に尽きる。

 もちろんその思いは俺だけが抱いたわけではない。主力選手のほとんどは、ショックを受けていたように思う。千尋は副キャプテンとしての責任を感じて、口数も明らかに減ったし、増田はチームへの不安や不満を、至るところでぶっ放しては、監督に怒られていた。もちろん増田自身もストレスが相当溜まっていたようで、まだマシな成績を残していた俺に対して、怒りをぶちかましていた。怒りの内容は特に女子選手に対することが多く、女子選手をよく使うチーム方針にも、相当な不満を持っていた。入団前からあれだけ女子選手のことを下に見ていたから、当然と言えば当然だろう。


 確かに増田の成績は、素晴らしいものではあった。何試合か負傷や体調不良で出なかった試合はあったものの、おおむね4番に座って打線を引っ張った。打率は2割6分5厘と俺と大して変わらなかったが、ホームランは27本と俺の倍以上打って、大きな存在感を示した。さすがは大学で名の知れた選手だった。高校だけの俺とは、経験も技術も腕力もすべて上だった。

 さらにその活躍が認められて、シーズンの折り返し地点で行われるオールスター戦への出場を決めたのだった。このオールスター戦は、シーズンの前半戦で活躍した選手が、リーグを代表して試合をする、いわゆるお祭りのようなものなのだ。そのためシーズンには直接的な影響はない。しかし結果を残せればそのチームの名を残すことにもつながるのだ。うちのチームからオールスターに選ばれたのは彼1人だけだったので、当然彼への期待は大きかった。俺も本音は俺も出たかったのだが、その時は軽く声をかけて応援した。

 その時は増田が、普通に羨ましいと思っていた。思っていたのだが……。

 オールスター戦から帰って来た彼は、相当怒っていた。その表情から楽しい気持ちなどまったく感じられなかった。

 理由はチームのことをバカにされたからだった。圧倒的最下位を独走していれば、当然バカにもされる。当たり前のことだった。彼曰く、他のチームの選手に、女子選手と一緒にプレイしていることを茶化されたらしい。羨ましいと言われるのはまだ良かったようで、中にはお前は女子選手と一緒なので、女々しい性格なのではないかという、根拠のないことも言われたそうだ。確かにそう考えるとオールスターというお祭りも、ただただ辛い拷問にしかならないのかもしれない。俺も今となっては、行けなくて良かったと思っている。もし行けてしまっていたら、寮が一緒である俺の立場を考えれば、間違いなく増田以上にひどい目に合わされただろうから……。


 とはいえ女子選手で結果を出している選手もいた。松井千尋だ。さすがにあれだけのインパクトを残していた選手だったから、シーズン中もそれなりの成績は残したのだった。

 1番に定着していた彼女は、春先が特に調子が良かった。ヒットを量産し、打率は3割近くをキープしていた。俺や増田といった男子の強打者でさえ、そこまで打率を上げることができなかったにもかかわらず、彼女は見事に調子を落とさなかったのだ。本人に直接言ったら差別になるので怒ると思うが、女子選手ということを考えれば、相当すごいことである。

 夏場になると成績を落としてしまったものの、そのままズルズル行かず、秋になってから再び成績を上げた。ホームランは4本だったものの、打率は2割8分0厘と、男子選手である俺や増田を上回り、チームではナンバー1だった。また脚の速さを示す大きな指標である盗塁も21個決めるなど、存在感を示した。

 ただ本人はそこまで自分の成績に納得していない様子だった。チームが最下位なので当然なのだろうが、もっと自分は出来たと思っているようだった。確かにキャンプやオープン戦での活躍を見ているので、打率3割をクリアできると思ったのも事実だった。また副キャプテンなので、最下位という成績がチームをまとめられなかったと捉えたようで、そういったことも納得できていない理由だったようだ。俺も1年目なので最下位になる予想はしていたが、やはり覆したかった思いは強かったので、率直にとても悔しかった。


 ただこうした選手たちのことは、メディアはあまり叩かなかった。それは新人選手であるということを考えた時に、中堅選手やベテラン選手と同様の成績を求めることは、酷であると思ったためだろうと考えられる。確かにプロでのイロハがよくわかっていない選手が、わかっている選手と同等の成績を出すというのは、とても難しい。そう考えれば、よく健闘したというのが、周りの見立てのようだった。

 では彼らは誰のことを叩いたのか? もちろんドラフトで下位指名の選手のことは、それなりには叩いていた。成績もそれはそれはひどいものだったので、当然のように批判の矛先にはされてしまう。ただ下位指名なので、元々期待値は高くない。そのため批判はされたものの、相当なものではなかった。むしろ後半戦辺りからは、メディアも関心をなくしたようで、そうした選手たちを取り上げることもなくなったのだった。もちろんそれはそれで問題があるのだが……。


 では誰を一番叩いていたのか? ここまでくればある程度、予想がついた方もいるのではなかろうか?そう、ドラフト1位指名のユキ・ジークラーだった。

 ユキはドラフト1位指名選手であり、かつこのチームのキャプテン。そんな立場であるなら、当然1番に叩かれるのは当たり前だ。事実、シーズンの最初の頃から今まで、批判にさらされていない時期などまったくなかったほどだ。ただこれだけ聞いたら、彼女1人に全責任を押しつけるのはおかしい気もするだろう。俺も確かに可哀想だとは思う。しかしある意味で、当然の部分もあったように思う。その最大の理由は、彼女の姿勢にあった。

 確かに練習も真面目に行い、決して遅刻もせず、朝練習も毎日きちんと行う彼女は、プロの鏡とも言えた。もちろんキャプテンであったため、全選手の経理などの事務的な作業も行っていた。そこまで聞けば完璧と言える。しかしファンにとっては、そうした心意気を本当に出さなければいけないのは、練習中でも寮内でもないのだ。試合中にグラウンドで出すこと。これに尽きるのである。彼女はこれをしなかったのだ。

 例えば彼女の成績を見ると、こんなデータがある。犠打数100。ここにも彼女の消極的な姿勢がよく見える。

 犠打というのは漢字のとおりで、自分を犠牲にする打撃のことを指す。自分はアウトになって死んでも、味方をより生かすための打撃をするということで、主には送りバントという形で出すことが多い。

 送りバントはバットを振らずに横にして、球に当てることによってできる、攻撃方法の1つである。打球の勢いをなくすことで、自身がアウトになる半面で、走者からすれば最も遠いところで転がるため、次の塁に進みやすい。それを利用することで、1点を取れるホームベースを踏みやすくするのだ。野球は4つある塁をすべて踏むことで1点となるため、戦術としては重要なものではあるのだ。

 しかしやることが簡単であるとはいえ、当然使う場面はそれなりに考えないといけない。守備陣に警戒された場合、走者を進めることが出来ない可能性があるばかりではなく、打者も走者も共にアウトになってしまう可能性もあるため、基本的には何度もやり続けてはいけないのだ。

 ところが彼女はそういったことがわからないのか、毎試合に1回は必ず行っていた。というよりも1回ならまだ良い方で、多い時は5回もする日もあった。

 さらに愕然としたのは、そのバントをする場面が、まったく不条理であったことだった。

バントというのは先ほどの通り、走者を送るという目的で使うことが多い。それ以外では、自分を生かすためにバントを使用する選手もいるが、基本的には失敗する可能性が高いため、そういった形で使うのは極めてまれであった。

 しかしユキは走者がいる時いない時にかかわらず、バントをし続けていた。確かに打撃が下手なのは知ってはいたが、それでも練習をして上手くなればいい話だったはずだ。下手だからと言ってむやみにバントをしまくるというのは、ただ逃げたいというだけにしか映らない。最初は彼女の脚力で少しは補えるシーンはあったが、1カ月も過ぎれば、どのチームも警戒するようになり、ほとんどの確率で失敗していた。にもかかわらず、彼女は懲りなくバントをし続けたのだった。

 当然ファンもメディアもチームメイトも皆、一概に彼女を批判し続けた。ファンからは、


「何でやつを試合に出すんだ!」


「キャプテンなのに無能過ぎ!」


「いつもいつも、バント、バント、バント! それ以外に取り柄はないのか!?」


といった心ない罵声が飛んだ。メディアは新聞やネット記事で、ユキを痛烈に批判した。


「バント職人の彼女は、打線のせきとめ役」


「チームのことよりも、考えるのは己のプライド」



「女子選手はやっぱり使えないのか?」


「野球において男女平等というのは、やっぱり難しいことなのかもしれない」


 正直いくつかの記事は飛躍をしているように感じたが、それもまた各メディアのやり方だった。ファンからすれば面白い記事もあったと思うが、俺たち乗せられる側の選手たちは、まったくいい気分はしない。それは自分のことでなかったとしても、だった。

 たださらに気分が悪かったのは、そういったメディアに批判される選手たちも、同じように批判をしていたことだった。

 通常、チームメイトという立場であるならば、こうした批判が出たとしても、庇ったり寄り添ってあげるのが普通であろうと思う。しかしそのような行動を取った選手は千尋くらいで、残りの選手たちは批判を繰り返したのだった。

 もちろん増田もその中に含まれていたので、増田のことも嫌いではあった。しかし何より腹が立ったのは、まったく活躍していない選手が批判をしていることだった。1軍に上がることで経験することになる、期待・信頼・希望。そしてそれが大きくなるからこそ出てくる、不安・心配・絶望。それをわからない・知らない選手が、そうしたものを背負った、または背負っている選手に対して、批判をするんじゃねぇという話だった。俺からすれば、お前らみたいな下で甘んじているようなやつは、他人のことよりも自分のことを見て、一刻も早く1軍に上がれるように、努力をしろという話だった。そうした話を、1度ガツンと言ってやろうと思ったことも何度もあった。

 しかし歯がゆかったのは、それを言うことができなかったことだった。理由は至って単純で、そういった逆らった発言をすることによって、自分の立場が余計に危ういものになると思ったからだった。俺も彼女ほどではないが批判を受けていたので、これ以上受けるのはやはり嫌だったのだ。そのため何も言うことができなかったのはもちろんのこと、批判した選手たちに嫌ながらも乗っかっていたのが、とても情けなかった。正直、成績を残せていなかったことよりも、ずっと辛かったかもしれない。同じ寮の選手としては、なおさらだった。

 千尋はこうしている間にも、ずっとユキのことを庇い続けていた。もちろん彼女もまた、批判の対象選手にはなっていたが、それでもユキの味方で居続けた。彼女は最後まで己を貫いたのだ。

 しかしそんな千尋の心配のかいもなく、ユキは日に日に気落ちして行った。しゃべらないのは相変わらずではあったが、下を向く回数は多くなっていたように感じたし、食事量もどんどん減っていった。ぶっちゃけプロ野球選手なんて大食漢の人が大勢を占めるのに、これだけ食事をしないとなると、体調面が心配になる。病気も怪我もしやすくなっている状況だった。

 心配になっていた俺は、何でもいいから彼女に食べるように促そうとも思った。しかしそれは千尋の影響もあってできなかった。千尋の怖さもあったが、ユキ自身が千尋以外の選手を信頼していないように感じたからだった。確かに同じ高校出身なので、そりゃ信頼できる間柄であることは間違いない。でも同じ班なんだから、せめて話を聞くくらいのことはしてもいいとは思うのになぁ……。それに千尋は彼女のことを考えているとは思うが、かと言ってユキの意向だけを飲むというのはどうかと思う。それでは彼女の身が危ない気が……。


 案の定、不安は的中した。後半戦が始まって間もなく、ユキは負傷してしまったのだ。

 これは監督から聞いた話だが、ユキはランニング中に、右のふくらはぎに違和感を覚えたそうだ。しかしそれを周りには言わず、しばらく我慢をして練習を続けていたところ、その約1週間後に違和感がだんだん痛みに変わったそうで、その痛みも日に日に強くなって、結果的に耐えられないレベルにまで到達したそうだ。そして千尋と一緒に、近くの病院に行って検査と診察をしてもらったところ、右ふくらはぎの肉離れとの診断が下ったそうだ。しかも我慢していたせいか、状態が悪かったそうで、全治2カ月以上と診断され、残りの試合はすべて欠場することになってしまったのだった。

 ここまでの不運の持ち主はそうはいないかも知れなかったが、ただ早めに病院に行っていれば済む話だった。ただ彼女はドラフト1位指名でキャプテンも務めている立場。きっとチームを離脱したくなかったのだろう。それに加えてあのメディアの攻撃。言い出せない気持ちもわかる。ただ皮肉なもので、これが余計に批判を加速させてしまった。


「ユキ・ジークラー。消極的な姿勢で今度はずる休み」


 こんな記事を載せられたのだ。ケガをしているだけなので、当然ずる休みではない。それなのにこんなことを載せるなんて、本当に許せなかった。それこそチームのために、試合に出続けていたのに、そうしたリスペクトは一切ないのか。


 とにかく落ち込み、腹も立ち、しんどい1年だった。新人選手という立場でありながら、いろいろと背負うというのは本当に大変だった。野球しかしなくていいにもかかわらず、野球に集中できないというわけのわからない状況になっていた。

 ――これがプロというものなのだろうか?

 そんな今シーズンのことは忘れてしまいたかった。プロになったことも、少し後悔していたかもしれない。来年はさらにしんどいのだろうか? そんなマイナスなことばかり考えながら、不安が常に付きまとうという試練を与えられた1年目は終わったのだった……。

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