第1章:真っ白に染まる日に、真っ白な君と出会って
野球の神様へ
もしあなたがこの世に存在するのであれば、私はあなたを怨みます。
あなたは私に残酷な運命を与えました。
あなたのせいで、私は野球が嫌いになりました。
あなたのせいで、私は今まで得ていた自信をすべて失いました。
でも何よりあなたのせいで、私は最強・天才の座を失いました。
私は間違いなく今年度最強の打者でした。
自分の力をいかんなく発揮してこのチームに貢献し、そして優勝させる。
そして自分の今年度の成績で、全国いや全世界に最強であることを証明する。
それが私の1年目における野望でした。
それなのにあなたが与えたものは試練ばかりでした。
まぁ正直試練を与えられるとは思っていました。
でも何もここまですることはないんじゃないでしょうか?
もう私は何も出来ないとまで思いました。
ある時期にはチームを抜け出したくもなりました。
これは完全なる現実逃避ですよ。そうですよ。
でも、それでもあなたは私に現実を教えてくれました。
私の横にいつもいる2人の少女から、そんなことを学べるとは思ってませんでした。
特にあの真っ白な少女には、色んなことを教わりましたから、私は本当に感謝をしております。
でもそれならやっぱりお願いをいたします。
私の成績は二の次で良いので、彼女を救ってあげてください。
彼女の良さだけでも、ファンの人たちに教えてあげてください。
彼女はものすごく弱いんです。
でも野球に対する情熱は本当に誰よりも強い。
それは私が見ていて強く感じます。
だからどうか彼女に、明るい景色を見せてやってください。
私も彼女のために、全力を尽くしますから……。
中島 友希
2069年。まだ雪が降るには早い、11月15日。
その日、俺は朝から頭が真っ白だった。
その日はプロ野球チーム「調布フロンティアズ」に入団を決めた新人選手たちが集まって、プロ野球での心構えやメディア対応などについて講習を行う、「プロ野球新入団選手講習会」の日だ。
この俺中島友希は、この日の10時から行われるこの講習会の準備をしていた。
高校からの入団であったため、学生服しか着たことがなかったこともあり、スーツを着慣れてはいなかった。
だからなのか、バタバタしていたらどこか変な感じに仕上がってしまった。
「ちょっとあんた。ちゃんと襟を正しなさい。みっともないわよ」
遠くから母さんの声が聞こえてくる。
「うるさいなぁ。わかってるよ」
俺はそうやってめんどくさそうに返す。まったく……、天才の俺に向かってどんな口の聞き方してんだよ。
少々いらいらしながら身支度をしていたせいか、結構早めに完了した。
今日はいよいよチームに初めて合流する日だというのに、どこかスッキリしない。
まぁ理由はわかっているのだけど……。
「よし、出来た」
多少の苦戦をしていたせいか、思わず声に出してしまった。
「あら。もう出来たの。どれどれ見せてみなさい」
母さんが慌てて心配してやってきた。俺が雑にやることが多いからかもしれないが、別に大丈夫だっての。
「ちょっと。ネクタイが曲がってるじゃないの。ちゃんとしないとダメでしょ」
……大丈夫じゃなかった。こういうガサツなところは俺の欠点だと思う。
でも別に対して気にならなかった。だって野球は超一流だからな。野球が超一流だから、別に他のことがダメでも問題ないし。
「ちょっと聞いてるの。早く直しなさい」
ま、そんなことを母さんに言っても無駄だろうから今は黙ってるけどさ。そんなことをぶつぶつと思いながら、俺は紫紺色のネクタイをもう一度着用し直した。
「うん。今度は大丈夫そうね。母さん本当にドキドキしてきちゃった」
そりゃそうだろう。息子がプロ野球選手への第一歩を踏み出すのだから、ドキドキしない方がおかしいのは確かだ。
だが指名された当人である俺はというと、あまりドキドキしていなかったというのが本音である。
「じゃあ行ってくるよ」
俺は素っ気なく母さんに挨拶をする。
「あら。ちょっと早い気がするけどもう行くの?」
母さんが少し驚いた感じで聞き返す。
「うん。今日は天気も悪いし、早めに行っておいて悪いことはないだろうからさ」
「そうね。そのくらいの意識を持った方がいいわね。あんたはよく練習に遅刻をしていたからね」
一言多い。最後の遅刻のところを言わなければ完璧なのに。
「じゃあ行ってくるよ」
少し格好をつけたような捨て台詞を一発かまして、俺は家を出た。
正直その後で母さんが何か言っていたようではあったが……。
雪が降るにはまだ早いと最初に言ったが、その日はあいにくの大雪だった。積雪は……、大体15㎝ほどあっただろうか。そのせいで東京は一面が銀世界だ。……いや銀世界とは言っているが、雪なのだから白世界の方が正しいだろう。いやもっと言えば、真っ白世界だ。
11月に積雪が15㎝ほどあって大雪が降っていると聞くと、どこの雪国だよとお思いだろうが、ここは間違いなく都会だ。東京だ。
――おそらく異常気象が進んだのだろう。
視界は最悪で、数メートルの距離まで近づかないと人の姿もよくわからないほどであった。完全なるホワイトアウト状態だ。
そのせいでせっかくクリーニングに出したばかりのスーツには雪がいくつもついて、それがやがて溶けることでビショビショになっていった。
革靴に至っては履き慣れてもいないので、雪道だと余計に歩きづらく、何度も転びそうになった。
「ったく……、何でよりによってこんな日に」
そんなことをぶつぶつ言いながらも懸命に歩き、何とか講習会の会場に到着した。
講習会の会場は超大型ホテルの一室を借りて行われることになっていた。
俺が入団したチームは今季から参入する新しいチームであったため、チーム全員が新入団選手という状況であった。そのため70人程度が出席することになっていた。
俺は後ろのドアを開けて入り、縦11列、横7列になっている席の左端の真ん中付近に座った。
理由は特にないが、あんまり前の方だと色々と発言を求められると思ったから、行きたくなかったのだろう。
それに……、俺1位じゃないしな……。3位だしな……。
そう。俺はドラフト3位。すなわち3番目の指名である。1位だと思っていたのに、3位指名である。そのことについては後で詳しく話すことにするが、俺の気分が悪いのは、そのためなのだろうと思う。
大雪の影響もあるのか、それとも俺が早すぎたからなのかはわからないが、まだ数人しか会場に到着していなかった。
ただそんな中だからこそ余計に俺にとって目立って見えるものがあった。それは最前列の真ん中に座っている、2人の少女の姿だった。どう見てもこの場には似つかわしくない2人に見えたが、だからこそ俺には何となく予想がついた。
あの2人だ――。あの2人が俺の順位を上回って入団した2人の女子選手だ。
はっきりとした理由はないが、とてもまじめそうに見えたからそのように感じたのだろう。2人とも本当にまじめに座っており、お互いにまったく私語を交わすことはなかった。
俺から見て左側に座っている少女は、ポニーテールであった。ただテールが小さかったので、おそらく髪を下ろすとショートヘアーかミディアムヘアーのどちらかになりそうだ。
髪色は黒で、スーツの色よりもずっと黒かったため、漆黒という感じがした。体形は中肉中背のようだが、少しだけ背が小さく見えた。
一方で俺から向かって右側の少女は肩付近までの長さであるミディアムの髪型で、下に下がるほど左右に広がっていた。髪色は黒だったが、隣の中肉中背の少女と比べると色は少し薄く見える。ただスーツが灰色だったため、少しだけ見た目よりも黒く見えていたかもしれない。
ただとにかく後ろ姿が生真面目そうで、スーツの着こなし方がはるかに大人びて見えた。背は隣の漆黒の髪の少女よりもさらに小さく見え、160㎝には届いていないのではないかと思った。
俺はその背の高さにも驚いたが、何よりも彼女の体形にもっと驚いた。野球選手とは思えないほど華奢な体をしていたからだ。正直たまにあんな体形のマラソン選手を見たことはあるが――、それでもまだ痩せているように見える。
さらに肌が異常なほど白い。正直外の雪の白さよりも全然白く見える。運動をしているなら普通は日焼けを少しはするはずだが、まったくそんな感じがない。白と言っても色々あるが、俺が遠くから見た感じは、透明感のあるきれいな純白色というよりも、薄い青色を含んだ月白色といった感じだ。そのせいでちょっと具合が悪そうにも見えるが、あれだけ正面をずっと見ているのだから、至って健康なのだろう。
二人の少女のことはいずれも後ろ姿のみしか見えないため、座っている時の表情は見えていない。もちろん顔も見えていない。
挨拶をすれば顔を見れるんだろうけど……。そんなことはしたくなかった。おそらく理由は嫉妬していたからだろう。
天才の俺を上回る順位を出した2人の少女に、わざわざよろしくお願いしますと挨拶をするなんて……、俺のプライドが許さなかった。
それだけ俺はプロ入りする前、相当な自信にあふれていた。それがあの日、一瞬にして崩れるのである。
「えっ……!? 俺は……、3位ですか?」
2070年10月23日木曜日午後6時頃。
この俺中島友希が、自分の運命が決定した後に最初に発した言葉である。
その日はプロ野球ドラフト会議当日。簡単に言えば、プロ野球選手になれるかどうかが決まる日だ。
ここで名前を呼ばれれば、プロ野球選手になれて、呼ばれなければなれない。すごく単純な話だ。
そしてこの俺は――、指名された。そう――、3位で。
通常こういう時というのは、指名されたことを喜ぶのが普通だろうと思う。俺も変な話ではあるが、どうやって喜びを表現しようか迷っていたほどだからな。
思いっきり両手を上に掲げてガッツポーズをしようか。
それとも少し照れくさそうにはにかもうか。
はたまた「この結果は当然のこと。ここからが本当のスタート。私の実力をとくとお見せしたい」とでも偉そうに言って、メディアを騒がせてやろうか。
こんなことばかりを考えていたものだ。
まぁ指名されたのだから、このような態度を取っても別に問題はないのだろう。
ただこの時の俺にそんなことを考えることは、まったくと言っていいほど出来なかった。
先に記したような振る舞いをするのは1位で指名された時。つまりその球団にとって見ればあなたが1番欲しい選手ですと来た時だと決めていたからだ。だってそんな偉そうなこと1位じゃなければ言えないから……。
しかし俺のドラフト指名順は3位指名。つまりはチームにとって3番目に欲しい選手ということになる。
「この最強&天才の俺のことを3番目に欲しいだって? 1番じゃねぇのかよ!」
俺はそれしか考えられなかった。だから俺はショックでならなかった。
しかもさらなる衝撃の情報が飛び込んできた。
その天才の俺を差し置いて、1位と2位で指名されたのは、なんと女子選手だったのである。
さらにポジションは俺と同じ外野手。つまりは他のポジションである投手や捕手、それに内野手を優先して取って、その結果3位だったという形ではない。
単純に外野手というカテゴリーの中で、3番目に欲しいということ。つまりまったく言い訳の出来ない3位指名とも言えた。
俺は呆然とするしかなかった。この最強の打者である俺が3位指名……だと!? しかもその俺の上を行ったのはなんと女子選手!? それも2人!?
正直これは夢かと何度も思った。
ドラフトを終了した後、少なくとも1カ月はこのことが頭から離れなかった記憶がある。この時点で1つの自信が失われた瞬間でもあった。
こういうことを自分で言うのもなんだが、この俺中島友希は最強&天才の高校生スラッガー。つまりはホームランを常に打てるような超優秀な打者だった。
身長はドラフト時点で183㎝。体重は80kg。体格でもまずまず恵まれてはいるが、やはり俺がもっとも注目をされていたのはその打撃センスだった。
とにかく左右広角に打ち分けることが出来る上に、早い球や遅い球、変化球やストレートすべてに対応が出来ていたため、とにかく幼いころから注目を浴びた。
そこまでの力は率直に言えば、天性のものであると俺は思っている。
俺が野球に興味を持ったのは3歳頃。その頃から家の近くの天然芝が敷き詰められた広い公園で、バットを振り回していた。まぁそれでそのまま勢い余って公園の外に出てしまい、よく近所の人たちに怒られていたことは、今でもいい思い出なのだが……。
それで単純に野球好きだった私は、幼稚園に入ってもしょっちゅう野球のことを考えていた。
その頃流行っていたアニメや漫画には一切興味を示すことはなく、ただただ野球中継ばかりを見ていたほどだ。
そんなことをしていたからあんまり友達が出来なかったため、少しは興味を示すようになったのだが……。
そして将来なりたかった打者のスイングを必死に真似していた。当然投手になるという選択肢もあったが、当時俺自身にその考えは一切なかった。
理由はいたってシンプルな話で、点を取れるからだった。点を失う投手よりも、点を取る打者の方が目立てる。そんな安直な理由だった。
もしこれが小学生になっていたら考えが変わったかもしれないが、これは運命なので仕方がない。
というよりも打者になったことで、いいことが多かったというのが事実だったから、別にその事については恨んでいない。
小学生になって1年生から、俺は地元の軟式野球チームに入った。
もちろん球が柔らかい軟式なので、プロ野球と同じ硬い球を使う硬式と比べれば、普通は注目されないものである。
しかし、俺に限ってはそんなことはなかった。なぜなら入団した当初からいきなり4番を任されたからだ。
これはこのチームでは初めてのことだったらしい。そりゃ注目もされる。
野球は9人でやるスポーツで1番から9番まであるのだが、4番というのはその中でも花形だ。
アイドルで言えばセンターポジション……って言うんだっけ。バンドで言うのならメインボーカル……だったかな。
つまりアイドルの募集を受けて合格した後、何のレッスンも受けずにいきなりセンターに立つようなもの……である。
俺は入団当初から強肩強打の外野手という形で有名だった。
外野手というのは野球のポジションの一つで、遠くに飛んだ打球を処理する選手を表す。基本的に走塁力、打撃力、守備力すべての能力がそれなりに求められる。
その中でも俺がやっていたポジションは「レフト」と呼ばれるポジション。漢字で書くと、「左翼」と書き、打者から見て左側を守る。
このポジションに特に求められるのは個人やチームの考え方もあるが、基本的には打撃力と肩力だと俺は考えている。理由はホームベースまでの距離が最も近いため、素早く内野へ返す肩と、最も打球が外野の中で飛んでこないので、その分チームに貢献するための打撃力が必要なのだろうと思うからだ。
そのためなのかもしれないのだが、たくさんの先輩たちを押しのけていきなり4番に座ることになった。
当然注目をされた。まぁ地元だけだったけど。
しかも練習試合とはいえ、初戦でいきなり5打席5安打を放ったため、さらに注目された。これは今までこのチームではなかったことだったそうだ。
小説家で例えるなら小学生でデビューして、何かしらの賞を取ってしまうようなものであるかと……。要するにこんなシンデレラストーリーは、なかなか存在しないということだ。
そんなことが起これば、当然周囲も自分も自分への期待は膨らんでいく。地元からは将来のプロ野球選手と早くからもてはやされた。
親からは「うろたえずに、真摯に取り組みなさい」と言われていたが……、ちょっと逆らっていたような記憶が……。
4年生になった俺は、地元の強豪リトルリーグのチームで4番を任されるようになった。
リトルリーグは小学校高学年から中学生までが基本的に入団することが出来る、ジュニア専用のチームだ。
そのチームで俺は入団当初、つまり9歳の時から4番を任されたのだ。
またまた注目をされた。軟式の時代よりも余計に。
そして地元紙だけでなく全国紙にも取り上げられて、若干の知名度を得ることが出来た。
周りにはプロを目指していた中学生の先輩たちも当然いたが、それを押しのけて4番に入ったのだ。自信は自然とついてくる。
しかも最初の練習試合で俺は早速ホームランを放った。
正直スタジアムの大きさはプロ野球のスタジアムよりも小さかったが、それでも地元から全国に多大なる衝撃を与えたことは事実だった。
そしてチームは俺が在籍した6年間、すべての年で全国大会優勝を果たした。
当然俺は怪我や体調不良で休んだ数試合を除いてすべての試合で4番を務め、通算で50本以上のホームランを放ったため、チームへの貢献度は非常に高かった。
ある地元紙では「中島がこのチームを優勝させた」とまで載せていたものもあった。
さらに世界大会に出場する12歳以下の日本代表、15歳以下の日本代表でも4番を務めることになったのだ。
つまり日本のジュニアメンバーの花形打者という立場になったのである。
なんか巷で流行っている超有名なアイドルグループで例えるなら、世界中の系列グループで永遠のセンターになり、生存している間永久にセンターをやり続けるようなものである。
そんな状況でさらにそこで結果を出せば、当然さらに格は上がる。「世界最強の4番打者候補」という肩書きも自然とついてくるものだ。
そして結果としてここで俺は、衝撃的な成績を叩き出し全国を驚愕させた。
打率は8割をマークした。これはとんでもない数字だ。
参考までに言っておくと80%の確率でヒットを打てるというわけだが、これは相当なことである。
通常日本プロ野球では、30%台に当たる3割台を出せれば優秀な打者と言われており、これまでそれ以上を叩き出した打者は、ただの一人も存在しない。
そう考えればプロでないとはいえ、打率8割というのは、本当にずば抜けているのは、どう見ても明らかだろう。
さらに大会記録を大幅に塗り替える、ホームラン20本を放った。
これを打率と合わせると、ほぼ2打席に1回はホームランを打っている計算になる。こんな選手、100年いや1000年経っても出てはこないだろう。
この時点で俺、「中島友希」の名は全国に知れ渡り、新聞やメディアにしょっちゅう取り上げられるようになった。
当然周囲からの期待は上がるばかりだ。これが時と場合によってはプレッシャーになったりもするのだろう。
だが俺としてはそのプレッシャーをあまり感じることはなかった。なんでかと言われたら正直理由は分からないのだが、まぁ強心臓だったのだろう。それかただ天然なだけかもしれないのだが……。
そして小学4年生になった頃から、俺はプロを意識するようになった。
当然そんなことをメディアで言ったら、世間もどこの球団が取るのか、どんな選手になるのかなど常に様々な分野で興味を持たれた。
俺自身、すごく楽しみな気持ちだった。
果たしてどれだけやれるのだろうか? もしかしたら俺は今まで誰も出せなかった前人未到の記録を残せるかもしれない。そしたらまた俺は有名になれる。おそらく世界中の誰もが衝撃を受けて、恐れおののくような選手になれる。そんなことばかりを考えていた。
そしてそのまま高校生になった俺は、地元で名の知れた超有名高「帝徳高校」に進んだ。
甲子園で150回以上行われている夏の全国高等学校野球選手権大会には何度も出場している、超強豪校だ。
「甲子園出場は当たり前、全国制覇も当たり前」
これがスローガンだったこの高校を選んだ理由は、当然自分の存在を売り出したかったからに他ならない。
「俺は史上最強のプロ野球選手になる」
そんなことばかりを、強豪校であるにもかかわらず学校中に言いふらしていた記憶がある。
普通こういうことを言っていると、痛い目を見るものである。みんなもそう思っただろう。結論から言う。嘘だ――。そう言っても問題ないほど俺は見事な成績を叩きだすのである。
さっそく最初の練習試合で4番にほど近い5番レフトでのスタメンを勝ち取った俺は、いきなりホームランを放つなど、4打数3安打3打点と大活躍した。
当然また地元紙から一気に人気は広がり、俺の名が全国に知れ渡る。と、同時に小学生当時は数人だったプロ野球のスカウトたちが、いつのまにか数百人に増えていた。
正直まだ1年生。まだ後2年も指名されるのは先の話である。
それでもそれだけ注目を浴びるということは、当然ドラフト1位指名候補であることは間違いないのだ。
こうなった頃から俺は1位指名されることを当たり前のように想像するようになっていた。そしてその後の人生のことばかりを考えていた。
どんな豪邸を買おうか? どんな高級車を乗り回してやろうか? どんなファッションで街を練り歩いてやろうか? そしてどんな女を連れまわしてやろうか?
「ねぇねぇ、ゆうき~。今日はどこへ連れてってくれるの~」
「う~ん。ま、全国の海でもドライビングしてやろうか」
「まぁすてき~。私はどこでもついていくけどね~」
「俺だってお前について行くよ~。俺は遠くまで飛ばすこともするけど、遠くまで君を連れていくことも出来るからね~」
「すご~い。さっすが世界最強&て・ん・さ・い」
「ハッハハハ~。まぁそんなに言うなよな」
あぁ考えるだけで色々なことを想像してしまう。
一体横に連れ添っている女は誰なんだろう? ひょっとしたら世界で一番の美人だったりして。いやらしい話、こういうことを考えている時もあったような……。
ちなみに当然のことを言っておくけど、考えているのは家の中だけだからな。
野球の試合中にそんなことを考えたら、打撃では絶好球を見逃してしまうし、守備では失策も犯してしまうからな。かと言って街中でそんなことを考えたら、変な目で見られるし。だから家の中だけだぞ。本当だぞ。
とまあ、こんな浮ついた状況であっても、俺の成績は不思議とまったく落ちることはなかった。
練習試合での成績を評価されて6月ごろから4番に定着すると、地方大会でも大暴れする。
決勝戦では見事に決勝のホームランを打って、甲子園出場を果たした。
さらに甲子園でも4番に座った俺は、1回戦と2回戦で合わせて3本のホームランを放ち、注目を浴びた。
これで勢いに乗った俺は、3年間で春夏合わせて4回甲子園に出場し、計15本のホームランを放ち、記録にも記憶にも強烈な印象を残す選手になった。
本当に驚く話ではあるが、天才肌の俺はすごく真面目に練習をしていたわけでもないのに、大活躍することが出来たのだった。
もちろん大きなスランプもなければ、挫折をすることもなかった。
こう考えると運がいいと言えるが、当時の俺はやっぱり天才だからだろうなと考えていたから、そんなことにはまったく気が付かなかった。
これほどの自信を得た俺が、プロ野球の舞台に呼ばれないはずはなかった。
もちろんプロ野球入団志望届というプロ野球になるためには絶対に書かなければならない書類はあるものの、それさえ出せばプロ入りは確実な状態だった。
しかしそんな状況の中で、俺に思わぬ話が舞い込んでくる。
2070年から新規参入することが決まっていた調布フロンティアズから、逆指名して欲しいという誘いを受けたのだ。
実はプロ野球では逆指名制度というのがある。これは自身で入団したい球団を選ぶことが出来るという制度だ。
通常プロ野球は球団側が選手を選び、それによってプロ野球選手になるというのが普通だ。
しかし1位で指名する選手に対しては複数のチームが指名することが出来るため、チームが被ってしまうことが多かった。そして被った場合はくじ引きで入団するチームを決めるため、希望のチームに入れなかった選手がやる気を失ってしまうことが多く、大きな問題になっていた。
そこで出来たのが逆指名制度だった。この制度は選手それぞれ希望のチームがある場合は、1チームだけ宣言することができ、宣言したチームが同意すれば、そのチームに入団することが出来るというものだった。実際この制度を利用して、希望の球団に行く選手も多かった。
ただ俺は、プロ野球選手になれるのであれば何でもいいと思っていたので、別にこの制度を利用してどこか指定された球団に行こうということは頭はなかった。むしろこの制度を利用することで、チームを選んでいると思われると、プロ入りにも支障をきたすと思ったからね。だからもともとはこの制度に頼るつもりはなかったのだ。
そんな気持ちでいた2069年の5月のある日のこと。俺が高校3年生になってまだ間もない日のことだ。その日はあいにくの大雨で、室内練習場での練習だった。俺はよりパワーをつけたかったため、ウエートトレーニングをしていた。するといきなり学校関係者を名乗る人物が現れたのだ。
「えーと、中島友希君、だったよね?」
「はい。そうですけど……」
こういう偉い人を見るとたいていは何か不祥事でも起こしたのかと思ってしまう。
「ちょっと校長室に来てくれたまえ」
おいおい。これはマジっぽいぞ。と言っても心当たりなんてないんだけど……。だからもし何か言われたら知らん顔しておこうと思っていた。
そして校長室に入ると、そこには校長先生と知らない男性数人が待っていた。その知らない男性の具体的な人数は分からなかったが、少なくとも5人以上はいたと思う。
こちらとしては余計にあっけにとられるような状況だったが、とにかく知らん顔をすることだけを引き続き考えた。
「よく来てくれたね、中島友希君。ささ、こちらに座ってくれたまえ」
俺が緊張しながら、指定された席に座る。例によってその席に座ると、校長先生と向かい合わせになり、周りを知らない男性たちに囲まれるというシチュエーションになった。
「……これじゃ逃げられないじゃないか」
そんなことを思い始めた俺に、校長先生が語り掛ける。
「中島友希君」
こうも本名で呼ばれると、変に改まった気持ちになる。
「君は野球部でかなりの好成績を残しているようだね。素晴らしいよ」
普段なら「そうっすよね」とか言ってしまう俺だが、状況が状況なので言えるはずがない。
「そこで君に聞きたいことがあるのだが……」
さて、ここが最大の問題だ。一体どんな内容なんだ?
「君がもしその気なら、来年から新規参入する調布フロンティアズに入ってみないか?」
「……えっ?」
通常は喜ぶところだろうが、予想とあまりにも違っていたので、呆然としてしまった。
そして事態がプロ野球の逆指名制度に関することだと把握し始めると、ようやくホッとしたように力を抜いた。……いや、抜いちゃいけないのかもしれないけど。
俺は前にも述べたように、逆指名制度を利用する気はなかった。だから当初は検討しますとだけ球団側に伝えていた。
ただこれはもちろん本心ではなく、本当は利用しない気持ちだった。
ただいきなり断ると印象が悪く映る可能性が高いため、結論を先延ばしすることを選んだのだ。要は遊びに行く気が本当はないが、友達に断るときにダイレクトに伝えずに、「行けたら行く」と言って含みを持たせるようなものだ。
しかし球団側は何度も何度も帝徳高校を訪れては俺に会いに来た。多い時は月に6回ほど来ただろうか。
もちろん他球団のスカウトや球団関係者も会いに来たが、圧倒的に調布フロンティアズの関係者が来る回数の方が多かった。
新規参入するチームはどうしてもレベルが低くなりがちなため、入団したらすぐに主力になれる半面、チーム内での競争が激しくないイメージがあるため、どうしても高いレベルでやりたい俺としては、あまり魅力を感じなかった。だがそれは逆に言えば、これからどんどんとレベルが上がっていくという魅力でもあるのだ。
球団側はそのことを熱心に丁寧に説明しに来た。そして何度もされると、徐々に俺の心も動き始めていく。
球団関係者の熱意も大きな理由の一つではあったが、何より俺の気持ちをよく理解できていたようにも感じたことも大きかった。
というのも俺はある理由で、強いやつらが嫌いだった。特に財政面や戦力面といった、外部的な原因で強くなっているというのが大嫌いだった。小学生時代も、親が裕福という理由で貧しいやつらに対していじめるやつらとかがいたものだが、そんなやつとは仲良くなろうともしなかった。
……何というか、総合すると妙に正義感が強い男だったんだな、俺は。
そういうわけだから、そんな強いチームを倒して大きくなっていきたいと考える球団の考えと俺の志向が一致したのだった。
そして残暑がまだまだ続いていたある日。俺は球団側の力強い言葉に入団を決めることになる。
「君は今まで色んな伝説を作ってきた。新しい球団で新しい伝説を一緒に作ろうじゃないか!」
こんな言葉を言われれば、気持ちが奮い立たないわけがなかった。
俺はその日のその言葉を理由に即座に調布フロンティアズへの入団を決めたのだった。
当時のメディアはチームを選ぶとしたら強豪チームだろうと思っていたらしく、俺のこの決断に驚き、速報で流すところもあったほどだった。
だが俺はまったくと言っていいほど気にしてはいなかった。だって、俺の心を動かしてくれた球団だったから――。別に迷いなんてなかったのだ。
ただその時に俺は同時にこんなことも思っていた。
「新規参入するチームならば、ドラフト1位の指名は確実だな」
「こんな天才を1位選ばないわけがない」
……甘かった。現実俺は3位の指名だったのだ。
俺としては自分が情けなくなった。1位で指名されるのが確実だと思ってましただなんて、恥ずかしくて絶対に言えなかった。
でもそれ以上にやっぱり納得がいかなかった。
確かに全国を探せば、俺以上の選手というのはいるかもしれないのは理解していた。
だけど……、だけどだ。
俺以上に欲しい選手がいるなんて……。しかもそれが女子って……。そんなの納得がいくわけないだろ。
プロ野球では近年、女子選手が男子選手に混じって参加することも多くなっていた。
それは男女間の格差を問題視した政府が、男女雇用均等法を改正し、男性の職場にも女性を積極的に参入させるという狙いからだった。そしてそれはどんどん世の中に浸透していき、商業スポーツにも普及していったのだった。
そこからプロ野球にも女子選手を参入する動きが出てきて、やがて各チームに1人は女子選手が所属するような時代になり、現在に至る。
だが女子選手と男子選手の間には、まだまだ力の差があることも事実だった。そのためたとえ女子選手がドラフトで選ばれたとしても、後ろの順位での指名が多かった。それは将来性を期待しての指名が多かったからだ。
ただそう言えば聞こえはいいかもしれないが、本当はただの紅一点として、人気のためにだけ置いておくというチームがほとんどだった。
だから女子選手が1位と2位に選ばれるなんて、ありえない話だった。
俺からすればむしろショックが大きすぎたため、男子では1位だからいいんだと言い聞かせていないと、メンタルがおかしくなりそうだった。
そしてそのショックを何とか隠したまま、俺は講習会の日を迎えたのだった。
そんなこともあったので、講習会で一番前に座っている二人の少女のことは気になって仕方がなかった。しかし挨拶は出来なかったから、俺は怪訝な顔をしながら二人をにらみつけていた。
「何であの二人が……」
そう思いながら――。
「おっ。お前やな。高校ナンバー1スラッガーの中島友希ってやつは」
あまりにも二人のことしか視界に入っていなかったため、左から突然声をかけられて少し過剰に驚いてしまった。
誰かと思って見上げると、そこには俺よりも一回り大きい体をした屈強な男が立っていた。
「おいおい。そんなに驚かなくてもいいだろうよ」
「いや。すみません」
あまりに大きかったので、思わず圧力を感じて敬語になってしまった。
「ハハハ。まぁしょうがないよな。結構ワイはでかいやつやからな」
最初はそのでかさだけに驚いていた俺だが、すぐに誰だかわかった。
「もしかしてあなたは……、増田朋之選手ですか?」
「ハハハ。ようわかったな。知っててもらえて嬉しいぜ」
いや、野球好きなら知ってるに決まっている。なぜなら彼は名門の「帝王体育大学」で花形の4番を務めていたこともある、大学でも屈指のスラッガーだったからだ。
「は、初めまして。中島友希と申します。よろしくお願いします」
「おう。よろしくな」
そう言うと増田は俺の前の席に着いた。本当に大きい。というか大きすぎて前が見えないんですが……。
まぁそう思うのも無理はない。後でプロフィールを確認したところ、身長は189㎝、体重は91㎏あった。筋肉量も俺より多い。これだけがたいが良ければそりゃ目の前に座られたら何も見えなくはなるよな。
その俺以上に恵まれた体格をしていた増田朋之は、関西ではよく知られた選手だった。
あるメディアでは「東の中島、西の増田」と取り上げるところもあったほどだ。経歴が違うので少しおかしな話だが……。
とにかくそのパワーに注目が集まっており、天才の俺に決して引けを取らないほどだった。……いやおそらく俺よりも全然すごいんだろうな。きっと。
高校は関西の超名門の浪花桐蔭高校出身。全国大会では俺が在学していた帝徳高校が、俺がいた3年間の春夏計5度のチャンスでたった1度しか出来なかった全国制覇を、彼は3度も在学中に達成した。
増田の立場はレギュラーメンバーではなく控えメンバーではあったが、それでも十分すごい話である。親族に話せば一生自慢できるようなネタだ。
その彼は野球の名門である帝王体育大学に進学する。確か野球雑誌には自分を高めるためとか書いてあったと思う。
そこでも長い間控えメンバーであったが、3年生になった頃からレギュラーメンバー候補として、何度かスターティングメンバーに名を連ねることが多くなっていた。
帝王体育大学は超名門なので、スターティングメンバーに入ったことがあるだけでも十分すごいことなのだ。とりわけ今の調布フロンティアズのメンツを見れば、間違いなく帝王体育大学の時の方がスターティングメンバーに入る方が難しいような気がする……。
しかも数回とはいえ花形の4番経験者。正直、天才の俺でもあこがれるような存在だ。
そんな選手なので、俺としてはこの人に1位指名の座を奪われた場合は仕方がないと感じていた。この人には現時点では、おそらくあらゆる点で負けていると思ったからだ。
しかし増田は7位指名だ。つまり俺より下ということになる。
この順位になったのはチームのバランスのことも考えてのこともあるだろう。
彼は「ファースト」と呼ばれるポジションを守っている。このポジションは一塁でアウトにする役目が多いため、あまり動くことがない。そのため基本的には打撃の良い選手がこのポジションを務めることが多い。打撃能力が高いのはそのためでもある。
また俺も含めて3位までが、遠くまで飛んだ打球を処理する外野手だったため、ボールを投げる投手や、その球を受ける捕手、そして投手の近くの守備を固める内野手をまったく入れていなかったため、これだけ下位の指名になってしまうのも、あながちおかしなことではなかった。まして投手とそれ以外の選手に分けた時に、共に30人ずつ以上にするのが基本のため、4~6位はすべて投手の指名だったのである。
ま、こうも長々と説明したが、その辺の事はどうでも良かった。結局は増田よりも俺の方を高く評価してくれたということだから。
ただ彼でもあの2人の少女より下の順位なのだ。そう俺よりも先に選ばれたあの2人よりも――。
一体あの2人は何者なのだろうか?
余計に疑問が深まっていたら、時計はちょうど正午を指していた。講習会のスタートだ。
少しして俺が入ってきた扉ではなく、一番前の扉が開いた。入ってきたのは見たことがある2人のスーツ姿の球団関係者の男性と、見たことがない小太りの男。見たことがない男は、俺よりも少しだけ背が小さいように見えた。顔は……、正直遠かったのではっきりとはわからない。というよりも増田さん、あなたが大きいせいで見えません。
「ええ、これから調布フロンティアズの新入団選手に対する講習会を始めます」
球団関係者の1人の司会で始まった。
「まずはこちらにいらっしゃる、中田監督のご挨拶から始めようと思います」
そう言うと司会の球団関係者が小太りの男の方を見て言う。
「それでは中田監督。よろしくお願いします」
小太りの男がゆっくりと歩いてくる。そうあの人が調布フロンティアズ監督の「中田司」であった。
ドラフトの時には当然、監督も誰を何位で指名するかという会議には出席している。つまりは、あの監督も俺を3位で指名することに同意している人間の一人であった。
そう考えると、やっぱり良い印象は抱かなかった。
「なんて見る目のねぇ監督なんだ」
そんなことしか考えられなかった俺は、講習会の内容などまったく入って来なかった。大体こういう時に話す内容なんてたかが知れている。
どうせ「酒や女におぼれるな」とか、「チームワークを大事にして、仲間を思いやるように」とか、「1年間活躍するために、日々練習に励め」とかいう定番なものばかりだということは、ある程度予想が出来たからな。というか先にもらった手引きにそう書かれてあるし……。
むしろ引き続き、前にいた2人の少女の姿が気になって仕方がない。
正直距離はそれなりにあったので、確実とは言い切れないが、見た感じ私語を交わしている様子は一切なかった。
他の選手たちは横にいる別の選手とひそひそ話したり、俺みたいに退屈していたり、中には居眠りをしているやつまでいたほどだ。
そんな中で、2人の少女は見事なまでに真っすぐ前を見据えていた。表情はうかがい知れないが、あれだけ前を見ているならば、相当集中して聞き入っていたことだろう。俺とは大違いだ。
でも俺はまったくと言っていいほど、その状況をすごいとは思わなかった。
むしろこの態度が1位と2位指名の理由ではなかろうな? 俺はそんなことを思いながら講習会の時間を過ごした。
そんな感じでボーっとしていたら、2時間で終わる予定の講習会が終わりの時間を迎えそうになっていた。
「みんな。今日の講習会のこと理解出来たか?」
球団関係者の一人が俺たちに聞く。チームメイトはみんな、各々の大きさで返事をする。俺もあまり大きな声ではなかったが、俺はとりあえず返事をした。
「うん、よろしい。それなら最後にあることを決めなくちゃな」
あること……? 前に配られた手引きにはそんなこと書かれていなかったが……。
「今からこのチームの初代のキャプテンを決めようと思う」
キャプテン? 今からかよ。唐突過ぎる展開に俺は驚いた。もっとこう、別の場の方がいい気がするのだが……。
「それじゃあやりたいやつ、いるか?」
俺の想いなんて無視して、監督がみんなに聞く。
キャプテン……。
俺としてはまったくやる気はなかった。そもそもキャプテンの器じゃないしな……。
確かに少々目立ちたがり屋の俺からすれば、まったく向かないとは思わなかった。ただやっぱり責任というのが付きまとうため、やる気はなかった。それこそ女子が数人いたり、大学屈指のスラッガーがいたりと戦力や経験がバラバラのチームをまとめあげるのは容易ではないと思ったからだ。それこそ俺の成績がまったくダメになってしまう可能性だって大いにある。
そんなことを考えてしまったから、俺は手を挙げることはしなかった。なんか最初にやりたい人って聞いたら、前に座っていた増田がこちらを振り向いたけど……。
いや、絶対にやらないからね。
そんなこんなで誰も手を挙げないまま、30秒ほどが過ぎた。監督が痺れを切らしたのか、再びしゃべり出す。
「誰もやりたくないのか……。そうか……」
寂しそうに話す監督。残念ながらその通りだ。
「そしたらここは僕が選ぶとしよう」
まぁそうなるだろうな。予想通りだ。そしたら目があったやつとかに、「お前、やってくれるか?」とかどうせ言って、適当に指名するんだろ。
そう思った俺は、必死に眼を逸らした。意識して逸らすと指されると思ったので、必死にさりげなく目を逸らす。
必死にさりげなく――。これがすごく難しかった。
「じゃあ――、やっぱりお前がやってくれるか?」
……やっぱり? そんな適任者みたいなやつっていたかなぁ? そう思って俺は逸らした目を正面に戻してみる。
すると監督が指していたのは、あの1番前に座っていた2人の少女のうちの1人だった。最初はどちらか分からなかったが、右に座っている華奢な彼女の方を選んでいた。
「お前は確かドラフト1位のユキ・ジークラーだよな?」
監督がそう言ってくれたことで、俺はハッとした。俺の予想はやっぱり当たっていた。
「あの子が天才の俺を抑えてドラフト1位になったやつだ」
俺は心の中でそう呟き、少し鋭い目つきで彼女をにらみつける。
ただ予想外だったこともあった。てっきり左の中肉中背のポニーテールのやつだと思っていたからだ。
いかにも運動をやっているような体格からして、左の彼女の方が1位だと思っていた。しかし意外にも1位は隣の真っ白な彼女の方だったのだ。
右の彼女は少しだけ首を縦に振ったが、声はこちらの方までまったく聞こえてこなかった。それでも監督はそれで快諾したと判断したようで、「それじゃあ、お前で決定だ」と言うのだった。
キャプテンに決まった彼女は監督に一礼すると、90度体を左に向けて一礼し、さらに90度左に向けて一礼し、今度は45度ほどさらに左を向いて一礼した。
どの礼もきっちりとした最敬礼で、見ていて少し気持ち良くも感じた。少なくとも礼儀はとても良さそうに見える。
そのタイミングで顔を少しだけ見ることも出来た。
肌が全体的に真っ白だったこともあり、目の黒ははっきりと見えた。目はそこまで大きくはない。そして眼鏡をかけていた。そのせいで余計に真面目に見える。
ただやっぱり俺はものすごく疑問だった。あの体のどこに野球選手としてのポテンシャルが備わっているのだろうか? むしろああ見えて、ものすごく出来るのかもしれない。だとすると、俺の想像をはるかに超えるような選手かもしれない。
……いや、でもやっぱりそんな選手には見えない。まったく……だ。
「あんなのが1位だなんて、このチームは見る目がねぇよな」
俺の方に振り返った増田が、小さな声で語りかけてきた。
確かに……、あの見た目だけを見ればそうだと言わざるをえない。
そしてあの子がまさかキャプテンまでやるとは……。このチームは本当に大丈夫だろうか? 一体どこに向かおうとしているのだろうか?
俺はわけが分からなかったが、とりあえずキャプテンにはなりたくなかったので、それを引き受けてくれたことについては、すごくありがたかった。
だが、あの子がキャプテンになったとすると、余計にチームの方向性は分からなくなりそうだ。……なんかお腹が痛くなりそうだ。
俺はそんなことを思いながら、講習会を終えた。とにかくこれからどうなっていくのだろうか? 自分への期待よりも、今後の不安の方が圧倒的に大きかったように思う。
「ま、とにかくやるしかないか!」
俺は朱色に染まった空を見ながら帰り道にそう呟いたのだった。




