雪の日に――これから
卒業制作として提出した短編集から、一編抜粋しました。
吉野弘氏の詩「雪の日に」を自分なりに噛み砕いてノベライズしました。
詩を読む前と後で二度楽しめる仕様にしたつもりです。
よければ、これを気に詩に触れてみてはいかがでしょうか。
先月十歳になった翔太は、母親である美苗の結婚式に来ていた。美苗が結婚式をするのはこれで二度目らしい。
二度目「らしい」と思うのも当然で、美苗の一度目の結婚式は、翔太の父親である大輔としたものであり、その大輔とは一年半ほど前から一緒に生活をしていない。リコンというものが原因らしいのだが、それが何なのか翔太にはいまいちよくわからなかった。
着慣れない硬い服の胸ポケットからチョコレートを一粒取り出し、口へ放り込んだ。優しいミルクを孕んだ甘みが口の中を旅して、翔太の中に溶けていく。チョコレートが一歩歩くことに、翔太は頬を緩めた。
普段はたくさん食べてはいけないと言われているから、食べてよいと言われている今日は余計に美味しく感じるのだろう。
翔太は、リコンが良くないものだということは理解している。美苗と大輔がよく喧嘩をしていたことも、仲直りが出来ないからリコンに発展したこともわかっている。
翔太には理解できない言葉で怒りをぶつけあう二人は、興味本位で見てしまったホラー映画の宣伝の怖さにどこか似ていた。自分には降りかからないけれど、近くに脅威があるような感覚。そんなことを繰り返して、二人はリコンした。
翔太にわからないのは、なぜお父さんと時々しか会えないのかということと、なぜお父さんは会うたびにプレゼントを用意してくれているのかということだ。
翔太は賢い子供だった。わからないことは、子供の自分が頭を必死にひねらせても仕方がない。大人が教えてくれないことは、まだ子供にはわからないこと。お母さんかお父さんがいつか教えてくれるかもしれないから、ご飯をいっぱい食べて、早く大きくなればいい。というのを理解していた。
わからないことに頭をひねっているよりも、今目の前にあるものを楽しんだ方がなんだか幸せな気がすると、翔太はいつも考えていた。
控室でウェディングドレスに着替えた美苗と、翔太は時間が過ぎるのを待っていた。真っ白に包まれた美苗を見て、翔太は六歳の時に家族で見たクリスマスツリーを思い出していた。
大きな一本の木が、たくさんの小さな電球で着飾られている。それが何度もチカチカと光っては消えるシーンと、ウェディングドレスで着飾られている美苗がダブって見えたのだ。天井の明かりで光を乱反射させるウェディングドレスの眩しさによってだろうか、翔太は時々顔をしかめた。
ウェディングドレスを着た三十代も終わりかけている美苗の表情は、穢れを知らぬ少女のようだった。豪奢に飾られた控室の姿見に映る自身の姿が、お姫様のようだと思っているのだろう。翔太の目から見ても、グリム童話に出てきそうな今日の美苗は、特別幸せそうに見える。
ここ最近で二番目に幸せそうだ。一番目は、男の人を翔太の家に連れてきた時だった。「今度からこの人がお父さんだよ」という美苗は、幸せのあまり小躍りしそうだった。
美苗の隣に座る男の方を見るたびに、その表情は肌の血色と共に幸せの色味を濃くした。実際、その男が家を出た後で、美苗の脚は羽の生えたようにステップを踏んでいた。
翔太には「新しいお父さん」というのがよく分からなかったが、とにかく生活環境が変わるということだけはなんとか理解できる。美苗がご機嫌な理由と生活がどう変化するのかはよくわからなかったけれど、とりあえず美苗と一緒に踊っておいた。その方が、楽しかった。
美苗は未だに、鏡の前でドレスのフリルをわざと跳ねさせるようにくるくると回っている。翔太は、持ってきた小さなおもちゃをポケットから取り出した。ボタン電池でピコピコ鳴るそれの中で飼っている友達の、餌の時間だった。
この前大輔とご飯へ行ったときに、大輔がプレゼントしてくれたものだ。「男と男の内緒な」なんて言いながら唇に指をあてていた大輔。もちろん翔太は、そんな大輔の姿を覚えている。
けれどプレゼントが嬉しかった翔太は、それを美苗に自慢せずにはいられなかった。翔太を見る美苗の顔は、説教をする母親の顔だったけれど、おもちゃを見る美苗の顔は、昔大輔の本棚にあったおっかない漫画本の悪役みたいだった。
「翔太、それ持ってきちゃダメって言ったでしょう」
ドレスで着飾り、お姫様みたいだった美苗の顔が、一瞬にしてお母さんの顔に戻ってしまう。漫画みたいなティアラをつけながら母親然と叱ろうとするお母さんの姿が面白くて、翔太は笑いが出てきそうになるのを堪えた。
「まあまあ。今日を最良の日にしたいんだから、翔太の好き勝手くらい多少は目を瞑ってやろうじゃないか」
「琢磨さん」
白いタキシードに身体を包んだ男が、控室へと入ってきた。
「花嫁の控室に入って来るなんて、非常識なんじゃないの」
「せっかく特別な衣装に身を包んでいるんだから、一秒でも長く目に焼き付けときたいだろう」
琢磨と呼ばれた男の台詞を聞いて、翔太は背中が痒くなった。
「どうだ翔太。かっこいいか」
「うん、似合ってるよお父さん」
手元のピコピコから目を上げて、翔太は手を広げてポーズを決めている琢磨に笑顔を向ける。翔太は頬が熱くなり、歯の中が痒いような気がした。
大輔よりも五歳年上という琢磨が来てから、翔太の家にある家具が少しだけ豪華になった。ソファーがふかふかになり、リビングのテレビも少し大きくなった。美苗の好きなドラマの再放送と、翔太の好きなアニメが同時に録画できるようになったのが、琢磨が家に来て唯一翔太が小躍りしながら喜んだことだ。
食べるものも、前より美味しくなった気がする。美苗が料理をする回数も増えた。翔太の好きな大輔特性のカレーは食べられなくなったが、唐揚げもハンバーグもクリームシチューも、美苗はよく作ってくれるようになった。
翔太は一人部屋をもらって、大きなベッドで一人夜更かしをしてもあまり怒られなくなった。
翔太はピコピコへと顔を戻し、細かなドットでデザインされた友達に餌を与え続けた。ピコピコ。
「さて、そろそろ時間じゃないかな。僕は先に行っているよ」
「ええ、今日はよろしく」
翔太の見たことのない顔で、美苗は琢磨を見た。鏡の前で着飾って並ぶ二人が、翔太には作り物のように見えた。特に美苗は、やはり翔太の知っている美苗ではないように思える。
翔太は落ち着かなくて、履きなれない硬い靴の履き心地の悪さを忘れるために、ピコピコの中に居る友達へと餌を与え続けた。ピコピコ。ピコピコ。
琢磨は、翔太にいろんなものをくれた。翔太が昔好きだったキャラクターのぬいぐるみ。美苗が全然買ってくれなかったテレビゲームの最新版。揃えたいと思っていた漫画本のシリーズ。
琢磨がそれらを買ってくるたびに、美苗は「また翔太を甘やかして」とため息をついた。けれど、翔太と一緒にゲームをする美苗は、必死で楽しそうだった。
美苗は琢磨が翔太へプレゼントを持ってくるたびに、お返しと称して琢磨を家に呼び夕飯をご馳走した。おかずがいつもより多いけれど、その中に絶対、翔太の好物が入っていた。
話をする二人の目を盗んで、翔太は好物ばっかり食べた。時々美苗に見つかって、怒られることもあったけれど、食事の時間には、笑顔が多かった気がする。知らない人とご飯を食べているからだろうか、なんだか居心地が悪くて、翔太は好きなものを食べきるといつも早々に部屋へと引っ込んだ。
美苗が「琢磨を送る」と言って出て行き遅くまで帰ってこないから、いつもより遅くまで漫画を読んでいても怒られなくて嬉しい。大みそかの夜に夜更かしをしているような、ドキドキ感があった。昔から好きな漫画のシリーズを、翌日寝坊して怒られるのをわかっていながら何度も読み返した。
翔太が顔を上げると、美苗と琢磨がキスをしているところだった。翔太はなんだか気まずくなって、電子音の鳴き声をあげる友達へと餌を与え続けた。ピコピコ。ピコピコ。ピコピコ。
結婚式が始まった。翔太は、ずらっと椅子の並んだ教会の一番前の席へと座らされた。ピコピコは音を消してポケットへ入れておくように言われた。周りを見回すと、少しの知らない大人と、少しの少しだけ知っている大人がいた。
子供ももっと少しだけいたけれど、気の合いそうな奴がいなかった。ポケットの中のピコピコを指でもてあそぶしか、翔太は暇をつぶす方法が思いつかなかった。
ゲームに出てきそうな教会は、瀕死状態の勇者を元気にしてくれるというのが納得できるほどきれいな空気で満ちている。綺麗な指輪は、ゲームに出てくる魔法のアイテムみたいだった。
全体的にキラキラしたどこか異国感のある空間に、翔太の心臓はドキドキした。これが本当にゲームの世界で、僕がこれから剣と魔法で旅に出られるならいいのに。翔太は、退屈な間自身の冒険譚を何度も妄想した。
結婚式は、特に問題なく終わった。翔太にはよくわからない儀式のようなものが何個かあり、終わりがいつかすら翔太にはわからなかった。これから場所を変えて「披露宴」というものをするらしい。
教会の外へ出ると、空は馬鹿みたいに快晴だった。家の写真棚に少し前まであった小さな翔太と、まだ若い美苗と、まだ若い大輔が向日葵畑の前で笑っている写真を思い出した。
翔太は空が眩しくて、単純な動きをする小さな友達に餌を与え続けた。ピコピコ。ピコピコ。ピコピコ。ピーピーピー。
「お母さんとお父さん、どうだった?」
少しだけしっているおばさんが、翔太に話しかけてきた。
「お母さんもお父さんも、別の人みたいに綺麗だったよ」
お手本みたいに綺麗な笑顔のおばさんにつられて、翔太も自然と笑顔になった。翔太はなんだか歯の中が痒いような気がしたけれど、とりあえず無視をしておくことにした。
うまく笑顔が作れず照れたような笑顔になった翔太の頭を、おばさんは優しく温めるようになでてくれた。
空を見上げたら、やっぱり馬鹿みたいに快晴で、翔太はまぶしさに目をすぼめた。
「お母さん、おめでとう」
結婚式がとてもおめでたいものだと理解していた翔太は、今までで一番の笑顔を見せる美苗にそう声をかけたくなった。けれど美苗の元にはまだ行けなくて、仕方なくその場で呟き落とした。
翔太の小さな友達が、ポケットで音を鳴らした。ピッピッビビー。
一度読まれた後に、吉野弘氏の「雪の日に」という詩を読んでみてください。
そしてそこから、詩の世界のドアノブに触れる機会になれば幸いです。
僕はまだ詩については初心者ですが、なろうの中にも素敵なものがたくさん転がっていますよ。




