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 置き手紙をすると屋敷をこっそり抜け出し、私は王都の中心地へと走った。

 イリリアの王都からは駅馬車が良く整備されており、乗馬が得意でない私であっても、時間はかかるがヨーデル村まで行く事ができる。


 適当に見繕った宿で途中一泊し、私はまだ日が上らぬ明け方前に次の馬車に乗り込んだ。

 イライアスの夜勤が終わり、帰宅するのは今日の午前中だ。遅くともその頃には彼に私の家出が伝わり、さぞ驚くことだろう。

 彼が慌てて追いかけてくる前に、ヨーデル村に到着しなければ。



 両脇に疎らに木々が茂る、デコボコとした細い道が続く。そこにポツポツと小さな家並みが見え隠れし、その見慣れた風景にああ、ようやく自分が育った所に帰って来たのだと実感する。

 ヨーデル村の隣の村で駅馬車を降りると、そこから一路自分の実家を目指す。

 頭上を飛んで行く鳥のさえずりと、時々に聞こえる風が揺らす木の葉のささやき。

 平たく薄い靴底で踏み締める土埃の立つ道。

 その一つ一つが懐かしく、私を安心させる。

 顔を上げて高い空を確認し、ゆっくりと首を振りこの素朴な景色を見渡す。これは、ガルシアに行ってしまってもう長い、義弟のアルもーーレスター王も味わいたかった空気感に違いない。彼も、どれほどここに帰りたかっただろうか。


 ヨーデル村に入ると、自分の赤毛が目立たないように、帽子のツバを引っ張り下ろして、深く被り直す。


 ーーやっと、帰ってこられた!


 両親を驚かせ、そして喜ばせたい一心で、二人の笑顔を想像すると無意識に私まで笑っていた。

 この角を曲がって、あの道を進んで……。三本目の木を過ぎると見えてくるのが、ホルガー家だ……!

 赤い屋根が見え、視界を良くしようと帽子を少し上げてーー私は言葉を失った。


 眼前に広がる景色が、理解できなかった。いや、これが現実なのかと受け入れるのに時間がかかった。


 ーー何これ。何が、起きたの……!?


 家の周囲は雑草が伸び放題になっていて、異状に毛足の長い絨毯のようになっていた。

 軒先きには一見レースのカーテンかと見紛うほどに巨大な蜘蛛の巣がはられている。

 建てつけの悪い薄い玄関扉の横についている窓は、見事に破られ、家の中の換気を良くしている。それ以上の破壊を防ぐ為だろうか、残されたガラスには二本の棒状の木材が交差して打ち付けられていたが、用をなしていない。外から覗いただけで、家の中の惨状がすぐに分かった。

 家の中の家具の扉は開けられ、引き出しという引き出しが開かれ、中身が出されて一部は床に広がっていた。

 恐怖か怒りか判然としないものが迫り上がり、全身の鳥肌がぞわぞわと立つ。

 叫び出したいほど混乱しているのに、喉が凍りついたみたいに固まり、ささやき一つ出せない。


 ーー嘘、嘘……。こんなの、なんで!?


 どう見てもこの家は長いこと空き家になっていたようにしか、見えない。

 ここに住んでいるべき私の両親は、一体どこにいる?

 母さん、と呼びかけたいのに声が出ない。

 ただ口元だけを動かし、母さん、と繰り返しながら玄関扉に足を進める。

 玄関まで続くタイルのステップは、伸びた雑草に完全に飲み込まれていた。

 玄関扉まで歩き、ノブを回すが途中で止まり、開かなかった。どうやら施錠はされているようだ。

 破れた窓から首を動かして中を確認するが、絶望に胸が塗り潰しされていくだけだ。


 ーーこんな所に、母さん達がいる筈がない!


 頭の中がぐるぐると回転し、立ちくらみがした。

 イライアスは、確かに言っていた。私が話題にするたびに、もう何度も。

 私の両親はヨーデル村で元の通りに暮らしている、と。

 どうやって?

 この悲惨な状況の家でどう暮らすというのか。

 気がつくと私は玄関先に座り込んでいた。

 ガタン、と家の中から音がして心臓が縮み上がる。

 まさか誰かいるのだろうか、と驚いて顔を上げると、破れた窓の隙間から斑模様の猫が顔を出し、私を一瞥した後で音もなく地面に飛び降り、駆けて行った。

 そのしなやかな動きにしばらく呆然としていた。何度か瞬きをして、自分が震えていることに気がついた。

 こんな所に座り込んで、何になるというのだろう。

 急に自分が恥ずかしくなり、よろめきながらも立ち上がって家に背を向けた。


「……嘘つき、嘘つき……!」


 気がつくと私は上の空でそう呟いていた。

 嘘つきだ、私の夫は大嘘つきだ。


「セーラ?」


 木陰から高く澄んだ声が聞こえ、振り向くと片手にカゴを携えた一人の女性が立っていた。

 最初私は混乱のあまり、幻でも見たのかと思った。

 だが何度瞬きをしても、その女性はそこにいて、おまけにこちらへ向かって歩いて来た。

 驚いて目を見開き、私を凝視しながらやって来るのは、長いこと会っていなかった姉さんだった。

 私たちは互いの名を呼びながら、伸び放題の雑草の上を小走りに駆け、手を取り合って顔を見つめあった。どちらからともなく、腕を回して抱き合う。


「姉さん、久しぶり……!」

「どうしたの!? 帰ってるなんて知らなかった!」

「家出してきたの」

「は!?」


 私は懐かしさと驚気に涙を浮かべながら、尋ねた。うちは一体どうしてしまったのか、父さんと母さんはどこか、と。

 姉さんは急に興奮が冷めたように真顔になると、私たちの今は無残な実家を一瞥し、ため息をついた。


「母さんたちには、ずっと口止めされてたのよ……」




 私がガルシア王国に行ってしまってしばらく経った頃、ヨーデル村のホルガー家はレスター王が幼少期を過ごした家として、そしてそのせいで一家離散した家として瞬く間に有名になった。

 ガルシアから私が帰国すると見物人が殺到し、窓の外から家の中を覗いてきたり、勝手に郵便物を見る輩まで現れた。

 見ず知らずの人々からの好奇心に溢れた視線に耐えきれず、母さんは家に引きこもりがちになった。

 やがて晴れて父さんが村に帰ってくると、なんと何度も泥棒に入られた。いつの間にか、「ホルガー家はイリリア国王だか、ガルシア国王だかから、大金を貰った」という根も葉もない噂が村を席巻したのだという。

 何度も浸入される恐怖に負けて、父さんと母さんは一月ほど前、家を出てしまったらしい。

 そうして雨の日が続いた運の悪さも手伝い、家は見る間に成長した雑草に覆われ、不良若者たちの溜まり場と化した。


「お金なんて、貰ってないよ!」

「うん、分かってる。父さん相変わらず鍋背負って村を歩いていたもの」

「母さんたちは、今どこにいるの?」

「近くの街の宿を点々としてるみたいだから、ハッキリ分からないのよ」


 再び実家を見て呆然とする私を、姉さんは気遣わしげに見ていた。


「セーラは王都でちゃんとうまくやってるの? 家出って……」

「姉さんこそ、赤ちゃん生まれたばかりじゃないの?」


 話を逸らすと姉さんは少し嬉しそうに笑って教えてくれた。赤ちゃんは今、義母に預けているのだという。


「ちょうどいいわ。神様のお導きかしら。セーラも片付け手伝って」


 姉さんはそういうと、私と抱き合うために放り出していたカゴを手に持った。


「荒れていく一方だから、思い出の物を今のうちに私の家に避難させようと思って」


 姉さんは鍵を持っていたらしく、玄関の扉を開けて先に中に入って行った。

 あれだけ帰りたかった実家なのに、私は足を踏み入れることに躊躇した。

 そろりと慎重に敷居をまたぐと、中は悲しいほど荒れていた。玄関から居間へと続く短い廊下には、なぜか落ち葉や枯れ草がまばらに落ちている。


「人がいないとこんなに荒れるとは思っていなかったわ」


 姉さんが独り言のようにささやく。

 居間に入り、床に落ちていた布を拾い上げると、母さんのエプロンだった。


「布モノは置いておいていいわ。もう使えないから」


 姉さんは台所の引き出しの中から、缶や食器を出してはカゴに入れていた。

 切なくて頭が働かない。とりあえず動いて、姉さんのやることを真似するのが精一杯だ。

 感情がギュッと小さくなって、胸の辺りで固まって動けなくなったようだ。

 二人で黙々と作業をしていると、姉さんが呟いた。


「ごめんね。母さんに口止めされて、家の状態のことをセーラに教えられなかったの」

「……そっか。……そうだったんだ」

「セーラは戦地に連れ出されて酷い目にあったから、これ以上心配かけちゃいけないって」


 思わず手が止まる。

 その時、激しく玄関の扉を叩く音がした。

 目を丸くして私と姉さんは互いの顔を見た。


「何? 誰が……?」


 玄関の鍵は開いたままだ。そう気づいた直後、カツカツと廊下を歩いてくる足音が聞こえて来た。

 最初それはまさか父さんだろうか、と思ったもののすぐに違うと気づいた。

 それはもっと若々しい覇気のある足音たったのだ。

 薄暗い廊下から台所に飛び込んできたのは、イライアスの補佐官ジルだった。

 彼は私を見るなり、その人懐こい丸い目を極限まで大きく見開いた。


「奥様っ!? こ、こんな所に……!」


 ジルは姉さんに申し訳程度の会釈を素早くすると、私に詰め寄った。


「どうしてお一人で出て行かれたんです! イライアス様が、血眼になって今ほうぼうを捜していますよ?」

「だって家出したんだもの」


 イライアスのことだ。私が家出をしたことを知らされて、猛烈な勢いで私を探し回っているだろう、とは予想がついた。そもそも私はそれが分かっているからこそ、家出をしたのだ。

 放って置かれると思っていたら、家出なんて絶対にしない。


「夜勤の後、ほとんど一睡もせずに奥様を捜しに、屋敷を飛び出されて……。」

「ジルも寝てないんだね。ごめんね、巻き込んじゃって」

「いいえ、とんでもない。ですが私たちは二手に分かれまして、イライアス様は今、奥様のお姉様のご自宅に向かわれているんです」


 私と姉さんは思わず顔を見合わせた。


「ジル、貴方は知っていたんでしょう? 私の両親がここにいないって」


 ジルは脱力したように屈み、両手を膝につくとため息をつきながら説明をしてくれた。


 ガルシア国王は私の帰国後、イリリア国王を通してもう何度も父さんたちをガルシアに誘っていた。イライアスはそれを受けて、父さんたちの意向を確認しようとしたところ、父さんたちが行方不明になってしまった。

 今回、イライアスは休暇を取って私の両親を捜しに行く予定だったのだという。

 だがそれを待たずに私が家出をしてしまったため、イライアスは急遽ジルと、ヨーデル村に向かって来たらしい。

 そこまで聞くと姉さんがぽつりと呟いた。


「そんなおおごとになっていたなんて。実は三日前にちょうど父さんからうちに手紙がきたのよ」


 なんですって、とジルが目を激しく瞬いた。


「ウィンドの街の宿に泊まってるって書いてあったわ」

「確かですか!?」


 食いつくジルに、姉さんは手を振った。


「ええ。でも三日前だから、今もまだいるかは分からないですよ?」

「ジルさん。ウィンドに行きましょう!」


 私が提案するとジルは大仰に手を振った。


「何を仰います。イライアス様が間も無くここに到着されますから、それまで待って……」

「待ちません! そもそも私は家出中なんだから」


 それに早くウィンドに行かないと、父さんたちはまた別の街に移動してしまうかも知れない。


 私は姉さんにしばしの別れを告げると、ジルの馬に無理矢理同乗し、ウィンドへ向かった。





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