068 報復
【シグマイン王国】は、人族国家の中でも中堅に位置する国だ。
今回攻めてきた理由に関しては、森に逃げ込んだ人狼達を追撃、殲滅するため。なぜ、平和に暮らしていた人狼に対する態度を一変させて殲滅へと切り替わったのかといえば、それは先日の魔王ゼノフィリウスによる人族国家の滅亡に起因するらしい。
先日、ゼノフィリウスが治める国【死霊国デルタリウム】が【イプシロンザ王国】に対して戦争を仕掛け、これを滅ぼした。世界の人族の国家はこれを重く受け止め、魔族に対する人族の立場、今後の方針を決めるべく会議を開いたそうだ。その会議において【シグマイン王国】を含む各国––【イータルシアン皇国】なる国だけは批准していないそうであるが––は魔族を悪と認定し、積極的な排除に舵をきったらしい。
これを聞いて思ったのは人族は馬鹿か、ということだ。確かに魔族の数は少ないし、徒党を組めば魔族の集落を落とすことはできるだろう。だが、この世界には魔王という強大な個が存在する。そんな魔王が治める国に牙を剥いたのだから、これには驚きを通り越して最早呆れるしかなかった。
おそらく魔王に対して勝算はあったのだろうと思う。だからこそ積極的敵対などという方向に国の舵をきったのだろうから。だが現実はどうだろうか。少なくとも【シグマイン王国】は愚かな方向に舵をきったとしか言えないだろう。
だって、現に【シグマイン王国】我一人の手で落ちているし。まぁ落としたのは王都だけだが。
魔族と敵対しようというのだから、何かしら奥の手だったり、強力な個の存在だったり、そうした何かがあると思っていた。まあ、そうした警戒をしたからこそ誰も連れずに一人で乗り込んだのだ。一人ならいざという時の対処がしやすいし。だが、警戒していた何かは何もなかったというのが結論である。
目の前で国王––アルハザード・メタリオン––が震えていた。目の前で近衞が手も足も出ずに殺されれば当然か。近衞騎士は確かに強かった。だがそれは、人族基準で言えばである。すでに上位の魔族と言っていい我にとっては、あまりにお粗末なレベルであったわけであるが……。
「おい貴様」
「な、なんだ……なんでしょう」
ひと睨みするだけで萎縮するとは情けない。こんなのが王とは……。遅かれ早かれ滅びたんじゃなかろうか、この国は。
《相手はただの人族ですからね。それも非戦闘員の。目の前で自慢の近衞を無残に殺し尽くした主様が睨んだら、そりゃ萎縮くらいはするでしょう》
うるさい。仮にも王なのだから、この程度で萎縮するなと言いたいだけだ。王には王の行動というか、どんな状況下であっても威厳は保ってしかるべきだろう?
《それは……そうですが》
ぶつぶつと煩い知識神のことを無視して再び国王を上から下へと眺める。
でっぷりと大きく出た腹。ゴテゴテとした無駄に装飾が覆い衣服。ジャラジャラとついた貴金属。そして禿げ散らかした頭。こんなののために命を張らねばならない配下には心底同情を覚える。
《最後の禿げは関係ないのでは?》
うるさい。見た目の問題だ。どうせ仕えるならば、見た目が清潔で、威厳ある方が良いではないか。少なくとも我は仮に人族だったとしても、コレに仕えたいなどとは思わん。
《まっ。それには同意ですね》
であろう? ……まぁまずはコイツをどうするかだが。……ふむ。いらんな。利用価値も特にない。
「先話したことが全てだな?」
「そ、そうだ……いやそうです! だから「そうか。ならもう用済みだ」助け……え?」
右手に火の玉を出現させる。火の玉はふよふよと国王に向かっていき、接触するや否や激しく燃え上がり、その身を包んだ。数瞬のちには跡形もなく消えていた。残ったのは大理石の床の上についた焦げ跡のみだ。
「さて。とりあえずの用は済んだ。この国はさっさと滅んでもらうとしようか」
背中に魔力を集中させ、翼を出現させる。そして入るために使った窓から空中へと飛び出し、上昇する。
数秒ほど上昇していくと、やがて眼下には王都全域が見えた。こうして見ると、王都というだけはあってか中々に広い。多少雑多のイメージを抱くが、これはこれで歴史を感じさせた。まぁ今から全て瓦礫の山と化すわけだが。
王都を見ていた我の視界にやがてわらわらと集まる人影が見えた。大方、城の生き残りが外部に伝えたのだろう。
ローブを纏った兵士––魔導師たちが魔法を放ってきた。ほとんどの魔法は我を捉えることがなく、横を通り抜けていく。
魔法で遠くの目標を狙う際、そこには繊細な技術が要求される。わずかな射出角度の違いが、遠くの目標に届く時にはより大きなズレとなるからだ。
そうした点を考えれば、魔法を放っている魔導師たちの腕はそれなりに良い方なのだと思う。まぁそれが我に影響を及ぼせるか否かという点はまた違う話であるが。
魔導師達との射線に風魔法を展開する。発動した魔法は大気の壁を形成し、飛来する魔法を防いだ。大気の壁に衝突した魔法は四散し、もしくは勢いを失って地へと落ちていく。
「さて。やろうか」
大気の壁を維持するだけの集中力は割きつつ、とある魔法を発動させるために準備に入る。あまり間をおかずして周囲に魔法陣が出現した。出現した魔法陣は同心円状に広がっていき、やがて王都全域の空を覆う。
眼下には空––正確には魔法陣を見上げ、不思議そうな表情を浮かべる住人が見える。中には、この魔法陣の意味を理解し、慌てた様子の者もちらほらと見えるが、今更遅い。
「【天の失墜】」
魔法が発動した。
発動した魔法は天から地へと降り注ぐ光の滝の如く。王都へと降り注ぐ。
十数秒間にも及ぶ大熱量を敵に叩きつけるこの魔法は我が扱うことの出来る中で随一の規模をほこる。また、【知恵神】の助言もあって、これでもかというほど魔力をつぎ込んだため、威力としてはかなりのものとなっているはずだ。というのも、国の首都––今回で言うところの王都は魔法による防御が張られている場合があるそうなのだ。今回は確実にそれを破壊するために多めに魔力を込めた。
発動した魔法は王都に降り注がんと空を埋め尽くした。瞬間、王城から魔法が発動する。防御魔法だった。常に展開されているわけではなく、攻性魔法に対して自動で発動するギミックが盛り込まれていたようだ。また、単に防御するだけでなく、いくらか反射もしているようだった。流石に100パーセント反射できるわけではないようだが、それでも中々に興味深い代物だと思う。……ふむ。うちでも採用を検討してみよう。
反射できた分は新たに上から落ちてくる大熱量を前に、反射するそばから霧散、防御魔法自体も数秒拮抗していたが、やがてパリンッという音を立てて砕け散った。
王都を光の奔流が襲った。
やがて魔法が晴れた時、そこには何も残ってはいなかった。瓦礫くらいは残るかと思っていたが存外に脆い材質だったようだ。あるのは立ち上る煙ばかりであった。
「こんなものか」
死者大多数。王都の壊滅。地方都市には攻撃を加えていないが、国の中枢を破壊したこの国はもはや国としての体裁は保てないだろう。残された都市は遅かれ早かれ他国に吸収されるか、都市国家としての道を歩むことになると思われる。
結果を見て満足したので、帰ろうとした矢先だった。ふと、下に気配を感じた。
立ち上っていた煙が風に攫われて晴れていく。
そこには小さな結界に守られた何かがいた。
その者は自らを守っていた結界を解いた。
現れたのは長い髪をひとまとめにした中性的な容姿の子供だ。その子供が口を開いた。その声は距離があるにも関わらず問題なく耳に届く。以前、魔王ゼノフィリウスが戦争の際に使っていた魔法と同一かそれに近い魔法による効果だろう。
「いやぁー。君ぃー中々にエゲツない魔法使うねぇー。突然だったからさぁー、びっくりしたよぉー」
「……貴様、何者だ?」
「うんー? 僕ぅー? 僕はねぇー。ユウリって言うんだぁー。よろしくねぇー。何者かっていうのはぁー、秘密だけどぉー、あっ秘密にするのに意味はないよぉー? 何となくそうしようと思っただけだからぁー。ただ1つ言えるのはー、僕は別に君の敵じゃないってーことかなぁー」
……聞いていてイライラしてくる話し方だ。本当に何者だ? こいつは?
《この子供からは生物特有の存在感を感じられません。となると……精霊?》
「お前精霊か?」
「あっ。分かっちゃったぁー? せいかーい。よく分かったねぇー?」
「お前からは生物特有の存在感が皆無だったからな」
《ちょっと主様。何いかにも自分が感じ取ったみたいな感じで言っているんですか。それを看破して伝えたのは私ですよ! わ! た! し!》
お前は我のスキルだろう? ならば、我が感じ取ったと言っても過言ではない。
《過言ですよ! 少しは感謝してほしいものです!》
あーはいはい。感謝しているぞ。【知恵神】殿。
《……なんか納得いきませんが、まぁいいでしょう。そんなことより目の前の精霊です。私の知識によれば、この世界に精霊が姿を見せなくなってからかなりの年月が経っているはず。なぜこんな所にいるのでしょうか……》
それは気になるところだ。だが、敵じゃないと言うやつの言は正しいのだろう。戦意や殺気といったものをまるで感じ取ることができないからだ。
「なるほどぉー。それは盲点だったぁー。君みたいに鋭い感覚を持っていると分かっちゃうんだねぇー。まぁーいいやぁー」
「ここにいた目的は何だ?」
「そんな警戒しないでよぉー。さっきも言ったけどぉー僕は君の敵じゃないんだからさぁー。で目的だったねぇー。それはぁー……」
精霊は一度言葉を切り、ためを作る。そして出された答えが––
「特にないよぉー」
であった。
……おい、【知識神】。こいつぶっ飛ばしていいか?
《……気持ちは分かりますが今は抑えてください。精霊は強いですから。今のリヒト様が仮に本気でやりあったとして、その結果は私でも読めません》
ちっ。
「でもそうだなぁー。強いて言うなら情報収集かなぁー」
「情報収集?」
「そっ。君もこの世界で生きていくなら、またいつか会うことになるだろうねぇー。その時はよろしく頼むよぉー。君はもっともっと強くなりそうだから期待してるぅー。頑張ってねぇー? ……あの方のためにも。ね?」
「あの方?」
「そっ。じゃあそろそろ行くねぇー。バイバーイ」
そう言うと精霊は跡形もなく消え去った。【知識神】によると、精霊は魔法とは違う系統の異能を使えるそうだ。消え去った術はそれによるものではないかとのことだ。
多少のイレギュラーはあったが、目的は達したし、帰るとする。あのよく分からん精霊のことを考えたところで仕方がないからだ。
「では【知識神】帰ろうか。我らの国に」
《はい!》
そうして帰路についた。
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「ふーん。あれがお母様が選んだ人かぁー」
誰もいなくなった【シグマイン王国】の王都【サンドライン】跡地。そこには先ほどの精霊が再び姿を現していた。
「まぁー合格かなぁー。これからにもよるけどぉー。……さて。あんまり長居もしてられないしぃーもう行くとしようかなぁー」
精霊が姿を消す。後に残ったのは消滅した王都の、その地面で今なお燻る煙だけだった。